神の契りは解けない

碧碧

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 熱い。肌がひりつくほど熱い。重たい吐息が首筋にかかり、ざらりとした舌が喉元を這う。

「んッ、や、霧生、ちょ……っ」
 上擦った声が出てしまい、大和は慌てて唇を噛む。

 最近の霧生は、おかしい。
 一度、満月の夜に発情したように求められたことがあった。犬に噛まれたとでも思って忘れろと言って、お互いなかったことにしようとしたはずのあの行為。それが一週間に一回になり、四,五日に一回になり、今や二日に一回になっている。

 大和もなぜか拒めないのだ。あの手が頬を撫でるだけで身体が熱くなる。

(違う!俺は霧生が求めるから相手をしてやってて……!)

 そんな言い訳は、背中を這う霧生の手ですぐさま掻き消えた。無意識に霧生の手に向かって背中を預け、まるで強請るようにゆるゆると腰を揺らしてしまう。

 霧生の舌が鎖骨をなぞり、じゅ、と肌に吸いついた。かすかな痛みの後、じわりと赤く跡が浮かび上がる。

「お前っ、またキスマーク……!やめろって言ってるだろうがっ」
「しょうがない、なぜかつけたくなる」

 霧生が甘えるように頬を擦り寄せ、髪をくしゃりと撫でてくる。それだけでなぜか胸が暖かくなって、諫める気持ちが萎えてしまうのだ。そのせいで、首から腹まで、消えかけのものも含めてたくさんの花弁が散っていた。

(もうこれ、抜き合いとかいう次元じゃない、だろ……。)

「んッ、ぁ、……はぁッ……!」

 最初の時のように、単純に擦りつけ合うだけじゃない。発散だけを目的としているようには思えないほど、霧生のそれは完全に愛撫だった。手だけでなく舌でも、優しく、甘やかすように触れられるたびに、大和の身体の芯がぞくぞくと震えた。

(やばい……っ、こんな触り方されたら、すぐ……。)

 すぐに限界がやってきて、訴えるように霧生を見上げる。すぐに唇を塞がれて、二人同時に息を詰めた。舌を吸われるのが気持ちいい。大和の身体がぶるりと大きく痙攣する。とくとくと手の中で吐き出された白濁を、霧生は愛おしそうに舐め取った。そしてまたすぐに手を動かし始める。

「も、無理だって、ぇ……」
「あと一回だけ」

 その約束が守れられることがないことなど、大和はもう知っていた。





「こんなんダメだって……」

 行為が終わり、汗ばんだ身体を軽く拭く。シーツが汚れないよう下に敷いたバスタオルを丸め、床に投げた。霧生に背を向けてベッドに潜りながら、大和は小さくため息を吐いた。

(いや、マジでやばい。最初は「満月の時だけ」って言ってたのに、今はそんなん関係なくなってるし……。やり方も、その……作業って感じじゃねぇし……。)

 思わず霧生のつけたキスマークを指でなぞる。

「やっぱりこいつ、俺のこと……」

 ぽつりと呟いた瞬間、心臓がドクンと跳ねた。

「ん?大和、何か言ったか?」
「い、いや、何でもない!もう寝るぞ!」
「……?おやすみ」
「おやすみ!!」

 頭まで布団を被って身体を丸める。するとすぐに霧生の腕が腹に回り、足が絡んでくる。ぎゅっと抱きしめられ、うなじに顔を埋められた。

(こんなの、まるで、ほんとに……)

 心臓から変な音が鳴っている気がする。そんな大和とは対照的に、霧生はすぐにすうすうと寝息を立て始めていた。

 眠れそうにない大和は、最近の霧生の変わったところを思い返す。

 例えばアパートを出る時。「今日は何時に帰ってくる?」とか「早く帰ってこい」とか「今日のバイトは誰と一緒なんだ」とか、やたらと大和のスケジュールを確認するようになった。

 例えば部屋でクラスメイトと通話している時。あっちに行けとジェスチャーしても側から離れず、不機嫌そうにスマートフォンに顔を寄せて、自分も話を聞こうとしてくる。

 例えば外から帰ってきた時。やたらと匂いを嗅いできて、「他のやつの匂いがする。臭い」と失礼なことを言って、さっさと服をひん剥かれ、浴室に押し込まれる。そして風呂上りにやたらじっと見つめてくる。



(やっぱ、変だよな……?)

 考えれば考えるほど、確信に近づいてしまいそうで、大和はぐしゃっと髪を掻きむしる。

(でもアレだし!別に飯食ってる時とかは普通だし!むしろ塩対応だし!多分初めての快感に夢中になってるだけなんだ!)

 言い訳めいたことを考えながら、大和はかぶりを振る。じっとしろと言わんばかりに霧生からの拘束が強くなった。それだけでなぜか力が抜けてしまう。また心臓が軋んだような音を立てた。

 わかっている。一番変なのは、霧生のそういう変化を嫌がっていない自分自身だと。むしろ最近なんて、逆にちょっと嬉しく――。

(いや、俺は普通に女の子が……。)

 その時、ふと「今まで付き合った女の子」を思い出した。二人いた。どちらも告白されて付き合うことになった。でも、すぐに別れた。二人とも、「大和って私のこと好きじゃないよね」と言って。

「……え?」

(あれ、俺、彼女と付き合ってて、ドキドキしたことあったか?)
(……そもそも、あの頃の記憶が、あんまりない、な。)

「いやいやいやいや!」

 この思考回路はまずい。出してはいけない結論に向かっている気がする。大和は後ろで無防備な寝息を立てている霧生を恨めしそうに睨んだ。

(こいつ、なんで普通に寝れんだよ……。)

 考えれば考えるほど、大和の頭の中は霧生のことでいっぱいになってしまう。

(なんか俺……やべぇ……。)

 胸がざわつくまま、大和は無理やり目を閉じた。しかし、案の定その日は明け方まで寝つけなかった。



 ————————————————————



 バイクのエンジン音を響かせながら、大和はいつも通り学校への道を走っていた。登校時間にも余裕があり、急ぐことなく安全運転だ。しかしその瞬間――。

 キーーーーーッ!!

「っ!?」

 突如、猛スピードで交差点へ突っ込んでくる車。こちらは青信号のはずだ。それなのにまっすぐこっちに向かってきている。ブレーキ音がけたたましく響く。まずい、間に合わない——。

「危ねえええ!!!」

 とっさにハンドルを切った。ギリギリで車を避けたものの、バランスを崩し、バイクごと横倒しになる。衝撃が全身を貫き、地面が視界いっぱいに広がった。

「くっそ……っ」

 膝と手のひらにじんわりと痛みが広がる。擦り傷程度で済んだか。しかし、全身が痺れたように動きづらい。

「バイクの人、大丈夫……?!」
「今の絶対やばいって……」

 通りすがりの人々のざわめきが耳に入る。見ればバイクも大きな破損はなさそうだ。良かった。あれは本当に大切なものだから。

 その時、視界がぐらりと傾いた。

「……あ?」

 一瞬で目の前が暗くなる。
 ばたん。
 誰かの声が遠くで響く。意識が遠くなっていく。



 ————————————————————



 静かな場所に木漏れ日が降り注いでいる。
 冷たい石畳。風の音と鳥のさえずりが聞こえる。

 遠くに、銀色の毛並みを持つ美しい狼がいた。

(この夢……また……。)

 狼はじっとこちらを見つめている。深い青灰色の瞳が、どこか切なげに揺れた。その目は、もしかして——。

「霧生……?」

 口から無意識に言葉が零れる。その瞬間、狼の耳がぴくりと動いた。
 まるで大和の声に反応したかのように、狼はそっと近づいてくる。

「霧生、お前は、俺の……」

 嗅いだことのある、お日様の匂い。狼の目がすっと細くなって、その鼻先に指が触れる、その瞬間――。





「……!」

 霧生は突然、何かに引っ張られるように目を見開いた。胸の奥がざわつく。頭の中で、大和の声が響いた気がした。

「大和っ!」

 身体が動いていた。本能が叫んでいた。今すぐ大和の元へ行け、と。
 その衝動に押されるまま、霧生は裸足で玄関を飛び出した。





「えーと、大きな怪我はないですね。擦り傷と軽い打撲程度です。ただ、軽い脳震盪を起こしていたようなので、一応安静にしてください」
「はぁ、マジっすか」

 ベッドの上で、医者の説明を聞く。ひとまず軽傷でよかったと、ぼんやりと天井を見上げながら、大和は息を吐いた。

「しかし、奇跡ですよ。事故の状況的に、もっと酷い怪我になっていてもおかしくなかったです。ちなみに相手の方も同様に軽傷で済みました」
「そりゃよかった」

 医者の言葉に、大和は薄く笑う。

「俺、今までも運だけは良くて……」

 バイクのキーに着けたお守りを握りしめながら言いかけた、その瞬間——。



 バンッ!!



 病室のドアが勢いよく開いた。

「大和!!」
「霧生?」

 驚いて見ると、霧生が息を切らせながら立っていた。普段は涼しげな彼の顔が、今は血の気が引き、瞳はわずかに揺らいでいる。

「お前、どうしてここに……」
「無事だったか」

 霧生は真っ直ぐに大和を見つめると、ぐいっと大和の腕を掴み、そのまま抱きしめた。

「!?」
「無事で……良かった……」

 震える声。

「おい、なんでそんな必死なんだよ?自慢じゃねぇけど、俺は運だけはいいんだよ。今まで事故にも遭ったことねぇし、警察にパクられたこともねぇの。だから大丈夫……」
「……大和が、いなくなる気がした」
「は?」

 霧生の声は、今にも消え入りそうだった。なぜか先ほどまで見ていた夢が脳裏に浮かんで、あの狼と霧生の姿が重なった。

「まさか、お前……」
「……」

 霧生は何も言わなかった。ただ抱きしめる腕の力が増した。

(霧生は、本当に狼で、神……?)

 今日、本当に久しぶりに怪我をした。覚えている限り、前に怪我をしたのは小学校低学年の頃で。その後もいじめられていたのに、不思議と怪我だけはしなかった。まるで何かに守られているように。

「おいおい、マジで……お前、何か……」

 気づけば、手が霧生の背中に回っていた。霧生は震えていた。そのまま背中を撫でると、彼は力なくほんの少しだけ微笑んだ。

「本当に、無事でよかった」

 自分に言い聞かせるようにそう呟いて、そっと目を閉じる。

 大和は何も言えなかった。霧生の温もりを感じながら、自分もそっと目を伏せる。胸の奥が、じわりと熱くなるのを感じた。

「……お前、裸足じゃねぇか」
 ふと、霧生の足元に視線を落とし、驚いたように呟く。病室の床の上に、そのままの素足があった。
「……あ」
「靴も履かないとか、どんだけ焦ってたんだよ、お前」
「……」

 くすりと笑った大和に、霧生は何も言わなかった。ただ、ぎゅっと抱きしめ直す。

「じゃあ、今日はもう帰ってもらって大丈夫ですんで」
「あっ!ハイ!すんません!」

 医者の言葉に思いきり霧生を突っぱね、大和は無理に笑顔を作った。
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