神の契りは解けない

碧碧

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 病院にバイクを置かせてもらいタクシーで帰宅する間、霧生は最初から最後まで大和の腕を離さなかった。

「いや、別に普通に歩けるんだけど?」
「ダメだ」

 どれだけもう大丈夫だと伝えても、霧生の腕の力は緩まない。病院での出来事を思い出し、大和は小さく息を吐いた。その時——。

「おお大和!お前、出かけてたのかよ」

 軽い声がした。見れば、大和の部屋の前でスマートフォンをいじっていた男が、こちらに手を振っている。

「……じん先輩?」

 驚きつつも駆け寄ろうとした。が、瞬間、腕を掴んでいた霧生の力がギュッと強くなった。

「ちょっ、離せっ」

 振り返ると、霧生の顔は露骨に曇っている。しかし、こんなところを見られでもしたら何を言われるかわからない。慌てて霧生の腕を振り払い、客人の元に歩み寄る。

「先輩、来てくれたんすね!来るならもっと早く連絡してくださいよー」
「すまんすまん。ほい、これ、進学と引っ越しの祝い」
「わー、わざわざすんません。ありがとうございます!」

 迅と呼ばれたその男の顔を見るなり、大和の態度は一変していた。明るくて人懐っこい、満面の笑みを浮かべている。嬉しそうに紙袋を受け取る大和の様子を、霧生は後ろからじっと見ていた。

「で、大和、あの人は?」
「あー……と、とりあえず中へどうぞ」
「おっ、いいのか?じゃあお言葉に甘えて」
「お茶くらいしか出せないっすけど。あと、すんません、部屋狭くて」

 そう言いながら鍵を開ける大和の後ろで、霧生はじっと黙り込んでいる。不機嫌オーラが滲み出ているのは見なくてもわかった。大和はそんな霧生に一瞥をくれながら、玄関のドアを開ける。

「えーと……結局、この人、誰?」

 部屋を一通り見回した男が、改めて霧生を指差して聞いた。

「えーと、霧生ってやつで……居候、みたいな」
「家族だ」
「……親戚とか?」
「いや、家族だ」
「……」

 沈黙。男は腕を組み、茶を差し出してくる大和と、ふんぞり返っている霧生を見比べた。

「まぁ、色々あって……俺が面倒見てるんすよ、こいつ」
「へぇ~」

 目が泳いでしまう。もともと嘘など上手に吐けない大和だが、この男の前では猶更だった。

「……霧生、この人は桐島きりしまじん先輩。高校の時に俺がめちゃくちゃお世話になった人だ」
「どうもー」

 桐島はにっこりと笑って霧生に頭を下げる。が、霧生は何の反応もしない。ただただ桐島をじっと睨んでいる。

「ちょ、霧生、先輩に失礼だぞ!挨拶くらいちゃんとしろ!」
「……ふん」
「お前っ」
「ぷっ、あはははは!」

 二人のやり取りに、堪えきれず桐島が吹き出した。突然の笑い声に大和と霧生がびくりと身体を揺らす。

「いや~、なんかわかんないけど、仲良いんだな」
「良くないっす」
「良い」
「あははははは!居候どころか、夫婦じゃん!」

 桐島が軽い調子で言った瞬間、大和は「はぁ?!」と声を上げ、大きく目を見開いた。

「ち、違いますから!なんでそうなるんすか!」
「いやいや、一緒に住んでるんだろ?そんでその空気感?どっからどう見ても夫婦なんだけど」
「何バカなこと言ってんすか!」

 慌てて否定する大和の横で、霧生がぴくりと反応する。

「大和は俺の——」
「はいはいストップ!」

 バチン、と大和は両手を鳴らし、霧生の言葉を強制的に止めた。霧生の不機嫌オーラがますます濃くなる。桐島は面白そうに腕を組みながら二人を見遣った。

「なぁ、大和。お前ら、ほんとに何なん?俺に嘘なんか吐かねえよなぁ?」
「だから、違うって言ってんじゃないすかー!」

 これは本格的にマズい。桐島は、喧嘩の強さだけでなく、ずば抜けた観察眼と判断力で、高校時代に不良のトップに立っていた人だ。大和の嘘など通用するはずもない。むしろ、それなりの関係を持ってしまっていることをもう察している可能性すらある。

「そういや先輩!」

 急に声を張った大和に、桐島が「お?」と眉を上げる。

「俺さっき事故に遭って、せっかく先輩から譲ってもらったバイクに傷つけちゃったんすよ」

 これにはさすがの桐島も口を開けている。

「お前、事故ったの?」
「はい、マジでさっき。初めて救急車乗ったけど、なんか申し訳なくなったっす」
「おいおい、大丈夫なのかよ」
「ピンピンしてますよ、ほら!バイクの傷も大したことなかったし。修理には出しますけど」

 大和は軽く腕を回してみせた。

「あーあ。俺のお守りも大したことなかったか」

 桐島の言葉に霧生がびくりと反応する。その目には警戒が浮かんでいた。

「いや、お守りのおかげで軽くて済んだんかも。ほら、ちゃんと大事にしてますよ」

 大和がそう言いながらキーホルダーを持ち上げる。そこには、桐島からもらったバイクのキーと、少し汚れた袋がぶら下がっていた。

 大和は笑いながら袋の口を開け、逆さにする。霧生の視線が、その動作に釘付けになる。中からは、鈍い金色のボタンがころりと出てきた。

「懐かしー!」

 桐島が目を輝かせてそのボタンを手に取る。

「霧生さん、これねー、俺が高校卒業するときに大和にあげたやつなの。ちゃーんと第二ボタン。『ください~』ってみんな俺んとこにもらいに来たんだけどね、大和が『迅先輩が卒業しちゃう~』ってあんまりにも泣くからさ、仕方なく取っておいてやったんだよな」
「泣いてねぇし、いらないって言った!」
「え~?あげたとき『お守りにしますううう』って鼻水垂らしながら喜んでたじゃん」
「してない!!!」

 二人のやり取りに霧生の眉間のしわが深くなる。視線はじっと大和の手元に張り付き、わずかに唇を噛んだ。膝の上の指が、無意識にトントンと動く。そんな霧生に気づかないまま、大和は桐島との話に夢中になった。桐島が卒業してからの学校のことや、二人でバイクを走らせていた頃の思い出話、桐島の武勇伝など。今まで他人に見せたことのないようなキラキラとした瞳で、熱心に話し続ける。

「ほんとあの時の迅先輩、かっこよすぎたっすよね」
「はは。大和もなかなかだったけどな」

 霧生が小さく息を吐き、苦い顔でそっと立ち上がった。突然のことに二人の会話は途切れ、沈黙が落ちる。

「少し出てくる」
「お、おい!ちょっ、お前どこ行く気だよ!?一人で外出んなって!」
「知らん。……二人で好きに話しておけ」
「だからなんでそういう態度……っ」

 霧生が気を遣っているわけではないことは確かだった。大和がどうしようか迷っていると、今度は桐島が立ち上がった。

「ごめんごめん、お前事故ったばっかって言ってたのに長居しすぎたわ。ほんじゃ」
「いやっ、先輩、そんな……」
「今日は顔見に来ただけだし。また改めて来るから」

 桐島が霧生の脇をすり抜けて玄関に向かう。そのままドアを開け、一度大和の方を振り返った。

「その時に、霧生さんとの話、教えてな」
「~~~~~っ!」
「早く帰れ」
「霧生お前ええええ!」
「あははははは!じゃあね~、愛しの大和っ」

 投げキッスをして出て行った桐島を見送ると、霧生が勢いよくドアを閉めた。すぐにガチャリと鍵をかける。

「なんなんだよ、お前」

 玄関の鍵をかけた霧生の背中を見つめながら、大和は苛立ち混じりに呟いた。霧生は振り返りもせず、肩をすくめる。

「……別に」
「は?別に、じゃねぇだろ。さっきからめっちゃ不機嫌だっただろ!迅先輩にあんな態度とりやがって」

 大和は両手を腰に当てて、霧生を睨みつけた。霧生は何も言わない。大和の視線を避けるように、ただ静かに部屋へ向かう。

「あの人はな、ずっと人の機嫌ばっかり伺って、それでも周りのやつに受け入れてもらえないって女々しく泣いてた俺に、生き方と戦い方を教えてくれた人だ。『うずくまってたらずっとそのまんまだぞ』って、俺を引っ張り上げてくれた人なんだよ。今俺がこうやってお前と普通に喋れてんのも、迅先輩のおかげなんだぞ」
「……それでも、大和を守っているのは……」
「は?」
「なんでもない」

 大和が追いかけると、霧生は突然振り返り、大和の腕を掴んだ。

「ちょっ、何」

 言い終わる前に、霧生は大和の腕を引き、そのままベッドに押し込んだ。

「は!?おい、なんだよ!」
「寝ろ」

 霧生はそれだけ言い放つと、布団をぐいっと被せる。

「なんなんだ、急に!」
「医者が安静にしろと言っていた。あいつ、大和が怪我をしていると知っていて長居するなんて」
「おい……」

 大和は目を瞬く。もしかしてずっと大和のことを心配していたのか。だからあんなに不機嫌だったのか。桐島が居座ったというより、ほとんど大和が喋っていたのだが、こんな優しさを見せられると、怒っている自分の方が子どもの癇癪のように思えてくる。

「その……俺は大丈夫だから。脳震盪って言っても軽いやつだし。ほら、俺は無敵だぞ?」

 冗談めかして少し笑ってみせると、霧生はふっと眉をひそめた。

「無敵なんかじゃない」

 大和の手をそっと握り返し、霧生はそのまましばらく黙り込んだ。先ほどまでの不機嫌な霧生は消え去り、病院で見せた不安げな表情に変わる。

 ちょっと前なら「ガキじゃねぇんだから」と笑い飛ばしていたかもしれない。けれど、今の霧生の過保護ぶりはどこか本気だった。だからこそ、大和も無下に突っぱねられない。

「心配すんなって。ちゃんと休むから」

 ぽん、と軽く霧生の肩を叩くと、ようやく霧生は小さく息を吐いた。

「ん……じゃあ、俺も休む」
「は?」

 言い終わるが早いか、霧生もそのままベッドに潜り込んできた。

「お、おい!?なんでお前も寝るんだよ!」
「……なんか疲れた」

 横になった霧生の顔を見ると少し青白い。瞳もぼんやりしていて、瞼が重そうに落ちかけている。

(なんでこいつの方が病人みたいな顔してんだ……迅先輩と話してた時もしんどかったのか?)

「ちょっと、マジで大丈夫か?」
「多分、少し寝れば治る」

 霧生は薄く目を開けて大和を見つめたあと、ふっと腕を伸ばしてきた。

「大和」
「ん?」
「こうしていてくれ」

 霧生の手が、そっと大和の手に重なる。今までとは違う、どこか切羽詰まったような、弱々しい力加減。こんな霧生は初めてだ。振り解こうと思えばできるのに、大和はそのまま深く息を吸った。

「仕方ねぇな」

 霧生の手を少し力を入れて握り返す。なんだかいつもより冷たい気がした。霧生の瞳がゆっくりと閉じて、次第に、呼吸が深くなる。

 寝入ったのを見届けてから、大和もそっと目を閉じた。
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