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晴翔が少し落ち着いたのは、五日目の朝だった。三日目のあの時から丸一日繋がっていたらしい。
散々交わったせいで節々に痛みはあるが、身体の熱や怠さは幾分落ち着いている。だが、それはつまり、自我が戻り始めたということだ。
目を覚ました晴翔は、凌の腕に包まれていることに気がついた。凌の背中に腕を回して寄り添っている自分に驚き、こっそり抜け出そうとするが、動いた拍子に凌の腕がぎゅっと強くなる。
「晴翔、起きたか」
低く優しい声が耳元に届く。普段の落ち着いたトーンなのに、どこか温かみが滲んでいるような気がした。
「身体の調子は?気分はどうだ」
「ん、だいぶマシ......」
こちらの顔を覗き込んでしきりに心配する凌に、声がかすれるほど小さく答えながら、晴翔は昨夜の記憶がフラッシュバックしてくるのを感じた。自分の痴態、子どものように甘えてねだる恥ずかしい姿――思い出すたびに顔が熱くなる。
(俺、あんな、あんな......無理、凌の顔見れない!)
「......っ、そういえば、出張は?帰ってきて大丈夫だったのか?」
恥ずかしさを紛らわせるため凌の胸に顔を埋めて隠しながら、晴翔は話題を変えた。
凌は腕を少し緩め、晴翔の髪に軽くキスを落とす。
「ああ、晴翔が心配で早めに切り上げたんだ。フェロモンがいつもより濃かったし、薬も減っていたことを思い出して」
「……フェロモン?」
「ああ。匂いが少し違った。何かあったらと思うと仕事どころじゃなかったんだ」
その言葉に、晴翔は目を見開いた。本人ですら体調の変化に気づかなかったのに、フェロモンの微かな違いに気がつくなんて、凌はどれだけ普段から自分のことを気にかけてくれているのか――。
「慌てて帰ってきてみれば、俺の部屋で巣作りしていて驚いた」
「~~~~~っ!?」
晴翔の顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「ち、違っ!あああ、あれは、そんなんじゃ……!」
必死に否定しながら、ベッドの脇に積み上がっているものを見遣る。カーディガン、パジャマ、下着まで――全てが凌のものだ。
「素敵な巣だ。俺を入れてくれてありがとう」
凌は嬉しげに目を細めた。
オメガは自分の好きなアルファの匂いがするものを集めて、巣を作ることがある。それはオメガの求愛行動であり、その巣に招き入れてもらえることは、番のアルファにとって幸福このうえないことなのだ。
「ゔ~~~~~!」
そして作った巣を褒めてもらえるのは、オメガにとっての幸せでもある。
晴翔は慣れないこの甘い空気に、頭まで布団を被った。じたばたと悶えているところを、布団の上から凌が抱きしめる。
「巣作り、嬉しかった。晴翔が俺を求めてくれてるんだとわかって」
「……う、う、うるさい」
布団越しのくぐもった声に、僅かに照れた色が混じっているのを、凌は聞き逃さなかった。
「晴翔、顔見せて」
しばらく沈黙が続いたが、もぞもぞと布団が動き始める。顔を覗かせてちらりと凌を見るその姿は、まるで警戒心の強い小動物だ。凌が晴翔をそっと抱きよせ、首元に顔を埋める。晴翔らしい、すっきりとした爽やかなフェロモンが香った。
「俺もお前を求めてた、ずっと」
その言葉に、晴翔がおずおずと凌の背中に腕を回す。僅かな力で抱きしめられて、凌がたまらず首元に吸い付いた。
「晴翔、聞いてくれるか」
「......何」
ぎゅう、と強く抱きしめられて晴翔が呻く。少し緊張した凌の声が響き、つらつらと言葉が紡がれた。
「俺は、あの日番う前から晴翔が好きだった」
「............え?」
高校生の凌は、アルファである自分を必要以上に持ち上げる周囲の人間に嫌気がさしていた。恵まれた容姿、頭脳、肉体――それらはすべて、最初から与えられていたものであり、何一つ自分の力で掴み取ったものではない。
贅沢な話だとはわかっている。それでも、このまま与えられたものを享受するだけの人生でいいのかという疑問は拭えなかった。だから、自分から勉強し、身体を鍛えた。少しでも自分の力で何かを得たくて。
そんな時、普通科に変わったオメガがいるという噂を耳にした。オメガといえば、アルファと同様にステレオタイプを持たれがちだ。か弱く、アルファに守られる存在。または、周囲にフェロモンを撒き散らし、アルファを誘惑する害悪――そんな偏見を社会が平然と押し付けていることに、凌は前から嫌悪感を抱いていた。
そして、晴翔を初めて見かけたのは、その噂を聞いてしばらく経ったある日だった。
ド派手な金髪に咥えタバコ。絡まれるや否や喧嘩を始め、傷だらけになりながらも相手を容赦なく叩きのめしている姿。
「クソアルファが、ナメんじゃねー!次変なこと言ったらちんこ切り落としてやるからな!」
凌は目を見開いた。
(あれがオメガ?嘘だろ?!)
ーーあんな凶暴なオメガ、番にしたいアルファなんかいるのかよ。
そう心に浮かんだ瞬間、凌は固まった。
オメガが誰でもアルファを求めているわけではない。アルファがいなければ生きていけないわけでもない。そして、オメガがみなひ弱で従順だなんて――そんなことを心のどこかで信じていた自分が恥ずかしかった。
凌は愕然とし、一人反省した。そして気づく。むしろ、彼は自分よりすごいのではないかと。
晴翔はオメガでありながら、その性に抗い、誰にも媚びず、己の力で立ち向かっている――。
そこから凌は、自然と晴翔を目で探すようになった。良くも悪くも目立つ晴翔は、校内でもすぐに見つけられる。彼を見るたびに、自分がアルファであることや周囲の視線などどうでもよくなっていった。気がつけば、晴翔の存在が凌の胸の奥深くに確かに刻まれていたのだ。
晴翔にヒートが来ていないのは、まとまった休みをとっていないことからすぐにわかった。いつかその時が来たら、アルファと番えるようになる。
将来、晴翔はどんな人と人生を共にするのだろう。本能の通りアルファに惹かれるのかもしれない。いや、彼ならベータや、場合によってはオメガ同士で結婚する可能性だってある。
そこまで考えた瞬間、凌は胸の奥に鋭い痛みが走るのを感じた。
晴翔の番は――自分がいい。他の誰にも、彼の隣にいることを許したくない。
それが何なのか、理解するのに時間はかからなかった。
間違いなく、それは恋であり、独占欲だった。そして、何よりも驚いたのは――晴翔のフェロモンを嗅いだことすらないのに、こんなにも彼に惹かれているという事実だった。
自分がアルファとしてオメガの晴翔を好きなのではない。ただ一人の人間として、ただの晴翔を好きになったのだ。
それは、初めて自分自身が掴み取った感情だった。与えられたものではない、誰にも支配されない――自分で得た気持ち。
初恋だった。
「で、俺にヒートが来たのを知って、めちゃくちゃに優等生だった凌が授業抜け出して探したんだ?」
「そうだ」
「ふーん......。で、助けるつもりが襲っちゃった、と」
「......そうだ」
そこまで聞いて晴翔はがっくりと項垂れた。これまでの自分の悩みはなんだったのだ。ずっと片想いだと思い込んでいたのに、まさかの両想いだったなんて。
「俺のことが気持ち悪くなったか?」
「気持ち悪くはねぇけど......怒った」
「?!」
「怒った」と言われた瞬間、凌は目を見開き、おろおろと視線を彷徨わせる。こんな凌の表情は初めてで、晴翔はその顔をじっと見つめながら、口を尖らせた。
「言ってくんないから、ずっと俺ばっかだと思ってた」
「晴翔?」
「一緒に住み始めてすぐ、俺も、その、凌のこと......好きになった、のに」
拗ねたように小さく呟く晴翔の言葉に、凌の表情が一瞬で柔らかくなった。次の瞬間、晴翔の顔中にキスが降ってくる。
「だー!やめろ!」
「無理に番になったし、いつ晴翔から『番を解消したい』と切り出されるか、怖かった。それで思うように話せなくなって……」
そう言いいながら、晴翔の存在を確かめるようにそっと頬に手を添えた。その擽ったい感触に目を閉じる晴翔を、凌はまるで眩しいものを見るような目で見つめる。
事故で番になったことを凌が気にしているのは知っていたが、そこまで深い想いを抱えていたとは思いもしなかった。
もっと早く話をすべきだった。怖がらずに、自分の想いをぶつけるべきだった。
「凌、好きだ」
「晴翔......嬉しい。俺も、愛している」
素面で伝えるのはやはり恥ずかしすぎて、思わず俯く。しかし耳まで真っ赤に染まっているのは隠せていなかった。
「今度から、ヒートの時、そばにいろよ」
羞恥心を振り切るように、凌の胸に顔を埋めたまま晴翔が呟く。すぐに凌は、「ヒートの時だけじゃなく、ずっとそばにいる」と答えた。その言葉に、晴翔の口元が自然と緩む。
「あ、そういえば、今まで、ヒートの時どっか行ってただろ。誰かといるんじゃねぇかって、俺......」
「そんなわけないだろう。一人でホテルに泊まっていた。ヒートの時に俺が抱くのは、番になった時のことを思い出させる気がして......」
「お前以外の誰に抱かれるっつーんだよ、バカ」
拗ねたように言うと、凌が小さく笑って、「すまない」と静かに謝った。その一言で、これまでの全てが報われた気がした。
「晴翔、これからはちゃんと、番として、夫として、大切にする。俺と、改めて、夫夫になってほしい」
「ん……よろしくお願いします」
この言葉は、あの日「結婚するしかない」と諦めて発したものとは違う。晴翔が心から凌と夫夫になりたいと願い、たくさんある選択肢の中から選んだ言葉だ。
凌は晴翔の顎をそっと持ち上げ、優しく唇を啄んだ。
「これから生まれてくる子の父としても、がんばらないとな」
「あ……」
散々凌の子種を溜め込んで膨れた腹を撫でられ、その温かい手に自分のを重ねる。今更ながら凌に抱かれたことを実感し、むわりと晴翔のフェロモンが香った。
「俺との子が欲しくて禁煙してたとか……ずっと俺に気を遣っているんだと思っていた。クソ、もっと早く理由を聞けばよかったな」
「そ、そんなん恥ずかしくて言えるかよ」
「はあ、可愛すぎる……あ、もしかして毎朝サプリを飲んでいるのもそうなのか?」
「う、うう、うるさい」
答えを聞くまでもなく、それが正解であると顔に書かれていた。顔を真っ赤にしてそっぽをむく晴翔に凌が微笑み、目の前に晒された首元に顔を埋める。
「晴翔……はあ、いい匂いだ。たまらない」
「ん、ぅ、やめ、ろ、くすぐったい」
落ち着いたとはいえまだヒート期間中。戯れのようなそれさえも、晴翔にとっては火種になる。
「ぁ、凌、やめ......俺、また......っ」
身を捩った拍子にどろりと後孔から凌の精液があふれた。劣情が背筋をぞくぞくと這い上がり、晴翔の口から抑えられない喘ぎ声が漏れる。
スイッチの入った凌が晴翔に覆い被さり、身体を弄り始めた。
「んんッ、はあっ......凌、疲れてない、か?もう少し休んでからでも」
「こんなになってるのに、お預けか?」
ぐり、と腹に押し当てられたものは、もう固くて熱い。それだけで、晴翔の後孔が物欲しげにきゅうきゅうと疼いた。口からこぼれる涎もそのままに、凌にしがみつき、その腰に足を絡める。
「りょお......入れて......」
想いが通じた相手に、我慢する必要などない。晴翔は自ら本能に身を委ねた。
ヒートが終わってから二人で病院に行くと、妊娠が告げられた。医師の「順調です」という言葉に、二人は安堵の笑みを浮かべる。二人で手を握り合いながら、これから始まる新しい生活に思いを馳せた。
安定期に入る頃、晴翔の願いで親を呼んで食事会を開くことになった。番になった頃から、晴翔も凌も親とは少し距離があり、久しぶりの再会にぎこちない空気が漂う。
凌は母と死別しているため父が一人で、晴翔の両親は揃って席に着いたが、挨拶もそこそこに微妙な沈黙が続く。だが、晴翔と凌が並んで妊娠の報告をすると、その場の空気は大きく変わった。
「本当か?!」
凌の父が目を見開き、驚きとともに言葉を漏らす。
「はい。来年には生まれる予定です」
晴翔が少し緊張した声で答えると、凌は隣で晴翔の手を握りしめた。見つめ合う二人の表情があまりにも幸せそうで、親たちは言葉を失う。
「子どもはアルファか?」
しばらくして凌の父がそう尋ねると、凌は少し目を細め、ゆっくりと首を振った。
「まだわからない。でも、アルファでもベータでもオメガでも関係ないよ。どんな子でも、俺たち二人の大切な子だから」
その言葉に、晴翔の母の表情が一瞬ハッと変わった。かつて晴翔に向けて「オメガなんかに産んでごめんね」と言った記憶が脳裏に浮かんだのだろう。彼女の視線は晴翔に注がれ、どこか申し訳なさそうに伏せられた。
その様子を見た晴翔は、ゆっくりと口を開いた。
「俺たちは事故みたいに番ったけど、今はちゃんとお互いを大切に思ってる。だから……子どもが生まれたら、見せに行ってもいい?」
その言葉に、晴翔の母は目を潤ませ、涙ぐみながら何度も頷いた。
「もちろんよ……!晴翔、これからも、いつでも頼っていいのよ」
母がそう言って一つ息を吐き、続けた。
「あの時は、本当にごめんなさい。あんな酷いことを言って……」
その横で、晴翔の父がそっと母の肩を抱き、優しい笑みを浮かべる。
「いいんだ。あの時は俺もパニクってたし。......それに今、めっちゃ幸せだから」
晴翔の笑顔には一片の曇りもない。晴翔の母は目元をハンカチで押さえながら、安堵の笑みを浮かべた。
一方、凌の父も少し気まずそうに視線を逸らしたが、数秒の沈黙の後、咳払いをして口を開いた。
「……孫の顔、うちにもきちんと見せに来なさい」
晴翔と凌が顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。
後日、凌の父がすっかり孫を溺愛するようになり、晴翔に「甘やかしすぎでしょ」と苦笑されることになるのだが、それはまた別の話――。
リビングにある観葉植物の横には、今、二人が輝く笑顔で写ったブライダルフォトと海外旅行の写真が置かれている。
ソファに座る晴翔の膝には、まだ生まれたばかりの赤ん坊が静かに眠っていた。その隣では、凌がそっと晴翔の肩に腕を回し、穏やかな表情で二人を見守っている。
赤ん坊の柔らかな寝息が響く中、時間が静かに流れていく。
幸せは、確かにそこにあった。
終わり。
散々交わったせいで節々に痛みはあるが、身体の熱や怠さは幾分落ち着いている。だが、それはつまり、自我が戻り始めたということだ。
目を覚ました晴翔は、凌の腕に包まれていることに気がついた。凌の背中に腕を回して寄り添っている自分に驚き、こっそり抜け出そうとするが、動いた拍子に凌の腕がぎゅっと強くなる。
「晴翔、起きたか」
低く優しい声が耳元に届く。普段の落ち着いたトーンなのに、どこか温かみが滲んでいるような気がした。
「身体の調子は?気分はどうだ」
「ん、だいぶマシ......」
こちらの顔を覗き込んでしきりに心配する凌に、声がかすれるほど小さく答えながら、晴翔は昨夜の記憶がフラッシュバックしてくるのを感じた。自分の痴態、子どものように甘えてねだる恥ずかしい姿――思い出すたびに顔が熱くなる。
(俺、あんな、あんな......無理、凌の顔見れない!)
「......っ、そういえば、出張は?帰ってきて大丈夫だったのか?」
恥ずかしさを紛らわせるため凌の胸に顔を埋めて隠しながら、晴翔は話題を変えた。
凌は腕を少し緩め、晴翔の髪に軽くキスを落とす。
「ああ、晴翔が心配で早めに切り上げたんだ。フェロモンがいつもより濃かったし、薬も減っていたことを思い出して」
「……フェロモン?」
「ああ。匂いが少し違った。何かあったらと思うと仕事どころじゃなかったんだ」
その言葉に、晴翔は目を見開いた。本人ですら体調の変化に気づかなかったのに、フェロモンの微かな違いに気がつくなんて、凌はどれだけ普段から自分のことを気にかけてくれているのか――。
「慌てて帰ってきてみれば、俺の部屋で巣作りしていて驚いた」
「~~~~~っ!?」
晴翔の顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「ち、違っ!あああ、あれは、そんなんじゃ……!」
必死に否定しながら、ベッドの脇に積み上がっているものを見遣る。カーディガン、パジャマ、下着まで――全てが凌のものだ。
「素敵な巣だ。俺を入れてくれてありがとう」
凌は嬉しげに目を細めた。
オメガは自分の好きなアルファの匂いがするものを集めて、巣を作ることがある。それはオメガの求愛行動であり、その巣に招き入れてもらえることは、番のアルファにとって幸福このうえないことなのだ。
「ゔ~~~~~!」
そして作った巣を褒めてもらえるのは、オメガにとっての幸せでもある。
晴翔は慣れないこの甘い空気に、頭まで布団を被った。じたばたと悶えているところを、布団の上から凌が抱きしめる。
「巣作り、嬉しかった。晴翔が俺を求めてくれてるんだとわかって」
「……う、う、うるさい」
布団越しのくぐもった声に、僅かに照れた色が混じっているのを、凌は聞き逃さなかった。
「晴翔、顔見せて」
しばらく沈黙が続いたが、もぞもぞと布団が動き始める。顔を覗かせてちらりと凌を見るその姿は、まるで警戒心の強い小動物だ。凌が晴翔をそっと抱きよせ、首元に顔を埋める。晴翔らしい、すっきりとした爽やかなフェロモンが香った。
「俺もお前を求めてた、ずっと」
その言葉に、晴翔がおずおずと凌の背中に腕を回す。僅かな力で抱きしめられて、凌がたまらず首元に吸い付いた。
「晴翔、聞いてくれるか」
「......何」
ぎゅう、と強く抱きしめられて晴翔が呻く。少し緊張した凌の声が響き、つらつらと言葉が紡がれた。
「俺は、あの日番う前から晴翔が好きだった」
「............え?」
高校生の凌は、アルファである自分を必要以上に持ち上げる周囲の人間に嫌気がさしていた。恵まれた容姿、頭脳、肉体――それらはすべて、最初から与えられていたものであり、何一つ自分の力で掴み取ったものではない。
贅沢な話だとはわかっている。それでも、このまま与えられたものを享受するだけの人生でいいのかという疑問は拭えなかった。だから、自分から勉強し、身体を鍛えた。少しでも自分の力で何かを得たくて。
そんな時、普通科に変わったオメガがいるという噂を耳にした。オメガといえば、アルファと同様にステレオタイプを持たれがちだ。か弱く、アルファに守られる存在。または、周囲にフェロモンを撒き散らし、アルファを誘惑する害悪――そんな偏見を社会が平然と押し付けていることに、凌は前から嫌悪感を抱いていた。
そして、晴翔を初めて見かけたのは、その噂を聞いてしばらく経ったある日だった。
ド派手な金髪に咥えタバコ。絡まれるや否や喧嘩を始め、傷だらけになりながらも相手を容赦なく叩きのめしている姿。
「クソアルファが、ナメんじゃねー!次変なこと言ったらちんこ切り落としてやるからな!」
凌は目を見開いた。
(あれがオメガ?嘘だろ?!)
ーーあんな凶暴なオメガ、番にしたいアルファなんかいるのかよ。
そう心に浮かんだ瞬間、凌は固まった。
オメガが誰でもアルファを求めているわけではない。アルファがいなければ生きていけないわけでもない。そして、オメガがみなひ弱で従順だなんて――そんなことを心のどこかで信じていた自分が恥ずかしかった。
凌は愕然とし、一人反省した。そして気づく。むしろ、彼は自分よりすごいのではないかと。
晴翔はオメガでありながら、その性に抗い、誰にも媚びず、己の力で立ち向かっている――。
そこから凌は、自然と晴翔を目で探すようになった。良くも悪くも目立つ晴翔は、校内でもすぐに見つけられる。彼を見るたびに、自分がアルファであることや周囲の視線などどうでもよくなっていった。気がつけば、晴翔の存在が凌の胸の奥深くに確かに刻まれていたのだ。
晴翔にヒートが来ていないのは、まとまった休みをとっていないことからすぐにわかった。いつかその時が来たら、アルファと番えるようになる。
将来、晴翔はどんな人と人生を共にするのだろう。本能の通りアルファに惹かれるのかもしれない。いや、彼ならベータや、場合によってはオメガ同士で結婚する可能性だってある。
そこまで考えた瞬間、凌は胸の奥に鋭い痛みが走るのを感じた。
晴翔の番は――自分がいい。他の誰にも、彼の隣にいることを許したくない。
それが何なのか、理解するのに時間はかからなかった。
間違いなく、それは恋であり、独占欲だった。そして、何よりも驚いたのは――晴翔のフェロモンを嗅いだことすらないのに、こんなにも彼に惹かれているという事実だった。
自分がアルファとしてオメガの晴翔を好きなのではない。ただ一人の人間として、ただの晴翔を好きになったのだ。
それは、初めて自分自身が掴み取った感情だった。与えられたものではない、誰にも支配されない――自分で得た気持ち。
初恋だった。
「で、俺にヒートが来たのを知って、めちゃくちゃに優等生だった凌が授業抜け出して探したんだ?」
「そうだ」
「ふーん......。で、助けるつもりが襲っちゃった、と」
「......そうだ」
そこまで聞いて晴翔はがっくりと項垂れた。これまでの自分の悩みはなんだったのだ。ずっと片想いだと思い込んでいたのに、まさかの両想いだったなんて。
「俺のことが気持ち悪くなったか?」
「気持ち悪くはねぇけど......怒った」
「?!」
「怒った」と言われた瞬間、凌は目を見開き、おろおろと視線を彷徨わせる。こんな凌の表情は初めてで、晴翔はその顔をじっと見つめながら、口を尖らせた。
「言ってくんないから、ずっと俺ばっかだと思ってた」
「晴翔?」
「一緒に住み始めてすぐ、俺も、その、凌のこと......好きになった、のに」
拗ねたように小さく呟く晴翔の言葉に、凌の表情が一瞬で柔らかくなった。次の瞬間、晴翔の顔中にキスが降ってくる。
「だー!やめろ!」
「無理に番になったし、いつ晴翔から『番を解消したい』と切り出されるか、怖かった。それで思うように話せなくなって……」
そう言いいながら、晴翔の存在を確かめるようにそっと頬に手を添えた。その擽ったい感触に目を閉じる晴翔を、凌はまるで眩しいものを見るような目で見つめる。
事故で番になったことを凌が気にしているのは知っていたが、そこまで深い想いを抱えていたとは思いもしなかった。
もっと早く話をすべきだった。怖がらずに、自分の想いをぶつけるべきだった。
「凌、好きだ」
「晴翔......嬉しい。俺も、愛している」
素面で伝えるのはやはり恥ずかしすぎて、思わず俯く。しかし耳まで真っ赤に染まっているのは隠せていなかった。
「今度から、ヒートの時、そばにいろよ」
羞恥心を振り切るように、凌の胸に顔を埋めたまま晴翔が呟く。すぐに凌は、「ヒートの時だけじゃなく、ずっとそばにいる」と答えた。その言葉に、晴翔の口元が自然と緩む。
「あ、そういえば、今まで、ヒートの時どっか行ってただろ。誰かといるんじゃねぇかって、俺......」
「そんなわけないだろう。一人でホテルに泊まっていた。ヒートの時に俺が抱くのは、番になった時のことを思い出させる気がして......」
「お前以外の誰に抱かれるっつーんだよ、バカ」
拗ねたように言うと、凌が小さく笑って、「すまない」と静かに謝った。その一言で、これまでの全てが報われた気がした。
「晴翔、これからはちゃんと、番として、夫として、大切にする。俺と、改めて、夫夫になってほしい」
「ん……よろしくお願いします」
この言葉は、あの日「結婚するしかない」と諦めて発したものとは違う。晴翔が心から凌と夫夫になりたいと願い、たくさんある選択肢の中から選んだ言葉だ。
凌は晴翔の顎をそっと持ち上げ、優しく唇を啄んだ。
「これから生まれてくる子の父としても、がんばらないとな」
「あ……」
散々凌の子種を溜め込んで膨れた腹を撫でられ、その温かい手に自分のを重ねる。今更ながら凌に抱かれたことを実感し、むわりと晴翔のフェロモンが香った。
「俺との子が欲しくて禁煙してたとか……ずっと俺に気を遣っているんだと思っていた。クソ、もっと早く理由を聞けばよかったな」
「そ、そんなん恥ずかしくて言えるかよ」
「はあ、可愛すぎる……あ、もしかして毎朝サプリを飲んでいるのもそうなのか?」
「う、うう、うるさい」
答えを聞くまでもなく、それが正解であると顔に書かれていた。顔を真っ赤にしてそっぽをむく晴翔に凌が微笑み、目の前に晒された首元に顔を埋める。
「晴翔……はあ、いい匂いだ。たまらない」
「ん、ぅ、やめ、ろ、くすぐったい」
落ち着いたとはいえまだヒート期間中。戯れのようなそれさえも、晴翔にとっては火種になる。
「ぁ、凌、やめ......俺、また......っ」
身を捩った拍子にどろりと後孔から凌の精液があふれた。劣情が背筋をぞくぞくと這い上がり、晴翔の口から抑えられない喘ぎ声が漏れる。
スイッチの入った凌が晴翔に覆い被さり、身体を弄り始めた。
「んんッ、はあっ......凌、疲れてない、か?もう少し休んでからでも」
「こんなになってるのに、お預けか?」
ぐり、と腹に押し当てられたものは、もう固くて熱い。それだけで、晴翔の後孔が物欲しげにきゅうきゅうと疼いた。口からこぼれる涎もそのままに、凌にしがみつき、その腰に足を絡める。
「りょお......入れて......」
想いが通じた相手に、我慢する必要などない。晴翔は自ら本能に身を委ねた。
ヒートが終わってから二人で病院に行くと、妊娠が告げられた。医師の「順調です」という言葉に、二人は安堵の笑みを浮かべる。二人で手を握り合いながら、これから始まる新しい生活に思いを馳せた。
安定期に入る頃、晴翔の願いで親を呼んで食事会を開くことになった。番になった頃から、晴翔も凌も親とは少し距離があり、久しぶりの再会にぎこちない空気が漂う。
凌は母と死別しているため父が一人で、晴翔の両親は揃って席に着いたが、挨拶もそこそこに微妙な沈黙が続く。だが、晴翔と凌が並んで妊娠の報告をすると、その場の空気は大きく変わった。
「本当か?!」
凌の父が目を見開き、驚きとともに言葉を漏らす。
「はい。来年には生まれる予定です」
晴翔が少し緊張した声で答えると、凌は隣で晴翔の手を握りしめた。見つめ合う二人の表情があまりにも幸せそうで、親たちは言葉を失う。
「子どもはアルファか?」
しばらくして凌の父がそう尋ねると、凌は少し目を細め、ゆっくりと首を振った。
「まだわからない。でも、アルファでもベータでもオメガでも関係ないよ。どんな子でも、俺たち二人の大切な子だから」
その言葉に、晴翔の母の表情が一瞬ハッと変わった。かつて晴翔に向けて「オメガなんかに産んでごめんね」と言った記憶が脳裏に浮かんだのだろう。彼女の視線は晴翔に注がれ、どこか申し訳なさそうに伏せられた。
その様子を見た晴翔は、ゆっくりと口を開いた。
「俺たちは事故みたいに番ったけど、今はちゃんとお互いを大切に思ってる。だから……子どもが生まれたら、見せに行ってもいい?」
その言葉に、晴翔の母は目を潤ませ、涙ぐみながら何度も頷いた。
「もちろんよ……!晴翔、これからも、いつでも頼っていいのよ」
母がそう言って一つ息を吐き、続けた。
「あの時は、本当にごめんなさい。あんな酷いことを言って……」
その横で、晴翔の父がそっと母の肩を抱き、優しい笑みを浮かべる。
「いいんだ。あの時は俺もパニクってたし。......それに今、めっちゃ幸せだから」
晴翔の笑顔には一片の曇りもない。晴翔の母は目元をハンカチで押さえながら、安堵の笑みを浮かべた。
一方、凌の父も少し気まずそうに視線を逸らしたが、数秒の沈黙の後、咳払いをして口を開いた。
「……孫の顔、うちにもきちんと見せに来なさい」
晴翔と凌が顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。
後日、凌の父がすっかり孫を溺愛するようになり、晴翔に「甘やかしすぎでしょ」と苦笑されることになるのだが、それはまた別の話――。
リビングにある観葉植物の横には、今、二人が輝く笑顔で写ったブライダルフォトと海外旅行の写真が置かれている。
ソファに座る晴翔の膝には、まだ生まれたばかりの赤ん坊が静かに眠っていた。その隣では、凌がそっと晴翔の肩に腕を回し、穏やかな表情で二人を見守っている。
赤ん坊の柔らかな寝息が響く中、時間が静かに流れていく。
幸せは、確かにそこにあった。
終わり。
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皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
番に囲われ逃げられない
ネコフク
BL
高校の入学と同時に入寮した部屋へ一歩踏み出したら目の前に笑顔の綺麗な同室人がいてあれよあれよという間にベッドへ押し倒され即挿入!俺Ωなのに同室人で学校の理事長の息子である颯人と一緒にα寮で生活する事に。「ヒートが来たら噛むから」と宣言され有言実行され番に。そんなヤベェ奴に捕まったΩとヤベェαのちょっとしたお話。
結局現状を受け入れている受けとどこまでも囲い込もうとする攻めです。オメガバース。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
8/16番外編出しました!!!!!
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭
3/6 2000❤️ありがとうございます😭
4/29 3000❤️ありがとうございます😭
8/13 4000❤️ありがとうございます😭
12/10 5000❤️ありがとうございます😭
わたし5は好きな数字です💕
お気に入り登録が500を超えているだと???!嬉しすぎますありがとうございます😭
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