その、向こう

どんぐり

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出会い 2

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ーーー、、




セウは息を吸った。



ああ……、、


…、まだ、………



セウは、落胆と共に息を吐いて、嫌になりながらまた吸った。


が、それは途中まで。


…?


暖かい空気、

嗅ぎ慣れない石鹸と薬の匂い。

肌に馴染みの無い、硬い敷布。



……。


ーーー、…。


もう少し深く吸い込んで、それを確かめるように吐き出し、ゆっくりと目を開ける。

暖炉でもあるのだろう、木が柔らかく燃える音。

明るい日差し、

食べ物の匂い、



ここは……、、



その穏やかな空気は、随分久しぶりな気がした。


もしかして…、、助け……


そこまで考えて、セウはその思考を止めた。

セウは僅かな希望も見ないふりをする事で、心の波を鎮める。

どうせあの中の誰かが、私を探し出す。
そして、またあの地獄が始まる。

いい事は考えず、出来るだけ最悪を考える。
そうする事で落胆せずに済むし、最悪は容易に現実になるものだ。


諦念、失意、絶望。

既に慣れている筈なのに、それでも自分を守ろうとする事に自嘲が漏れた。


セウは記憶を遡る。

どこか寒い所で寝ていた筈だ。
殴る蹴る犯すだけの、いつもよりも稚拙な暴姦。
そう、盗賊の頭らしい男のソコに噛み付いてやったからだ。
あの屋敷に盗賊が雪崩れ込んで来て、血の匂い…。

どのくらい経つのか…。

ーーッ……。

身じろぎして、痛みに思わず声が漏れた。

体の痛みや喉の渇きが、まだ生きているという事をセウに知らしめる。

ハァ…、…これではしばらくは体を動かすのがつらいな。

もっと酷くしてくれれば良かったのに、上手くいかないものだ。
噛み切ってやっていたら、あるいは…。
そうだ、次は噛み切ってやろう。

ハァ…、、それにしても…因果な体だ。

やはりとは思うが、少し期待していたから残念だ。




と、

急に黒く大きな影が足下で立ち上がった。

セウの体が反射的に強張る。

だが、その影は、ただベッドの傍に立ち、何か言うでもなく、何かするでもない。


緊張した沈黙。



それを破ったのはセウだった。

この男から何をされようとどうする事も出来ないし、するつもりも無いからだ。

どうせ、新しい『主人』、又は、命令されて看病している人なのだろう。
それに、薬の匂いがするという事は、手当がされたという事だ。
それをこの男がやったのならば、怪我が治るまでは大丈夫な筈だ。

「…、こ、こは。」

「……俺の、家だ。」

絞り出した声はまだガラガラに掠れていたが、伝わったようで低い声が返ってきた。

と、大きな影が屈んで、ベッドの中に手を入れて来た。

っ、、…。

まだ、僅かに体を動かしただけで、あちこちが痛む。

が、そんな事を考えてくれる主人など居なかった。

それどころか…、、。


セウの心は、暗く、重く、沈んでいく。


こんな事は、なんでもない…。

セウはただただ全てを放棄し、顰めっ面を貼り付けた。


だが、その手はセウの背中に当てられ、頭を支えながら上体を少し起こしただけだった。

冬用の少し厚めの夜着を通して、手の感触を感じた。

欲を含まない、温かい手だった。

……、、。

途端に滲み出す、今し方蓋をした考えと涙。

もちろん、セウは泣かない。
顰めっ面をさらに濃くして貫くだけだ。


と、大きな手に頭を支えられたセウの唇に、何か冷たいものが触れる。
開くと少しの水が流れ込んできた。

久しぶりに飲んだ水だった。
そのスッとするような、ホッとするような潤いが、全身に行き渡るようだ。


……もっと、欲しい。


セウは思わず、口を開ける。

すると、また口元に、冷たい水が運ばれた。

その間、大きな温かい手は、ずっとセウを支えていてくれた。

セウはその温もりを感じながら、また、眠りについた。







ーーーーーーーーーー







エルフは家に着いてから、ほぼ丸1日眠っていた。


ロアが精霊を飛ばした後少しして、孤児院の婆と子供らが怪我人用の食事や薬を持って来ても、翌朝子供らが見てくれている間に、ロアが街に用足しに出かけた時も。

体温は低いままで、ピクリとも動かず、うなされもしない。

生きているのかと、鼻に顔を近付けて僅かな呼気を何度も確認した。

が、ロアが午後に様子を見ながら足の打撲に治癒を掛けてい時だった。


呼吸が乱れて、紫の痛々しい瞼がピクリと動いた。


ロアは蝶の羽化を待つ子供のように、エルフから目が離せなかった。


薄く瞼が開き、翠の目が見えた。

まるで、雪を被った若葉のような…。

眩しいのか、しきりに瞬きをする様子さえ興味深い。

少し大きく息を付いて、身体を動かそうとしたのだろう、呻き声が上がって、ロアはハッと我に帰った。

近づくと、エルフが体を強ばらせた。

あんな事があった後だ、仕方がない。

「…。」

だが、ロアには関係の無い事だ。

まずは水を飲ませ、その後で薬湯か。

孤児院では下の子の世話は、年長者の役目だった。
ロアは成長が早く体も大きかったから、世話をする事が良くあった。
慣れたものだ。

湯冷ましをカップに注いでいると、

「…こ、こは。」

エルフの声は、ガラガラに掠れていた。

眉の間には皺が寄り、具合が悪い事が伺える。

それはそうだ。
あれだけの暴力を受けたのだ。

「…俺の、家だ。」

とりあえず、強張る上体を起こしスプーンで少しずつ水を飲ませる。

求められるままに水を与え、またウトウトし始めたエルフをベッドへ寝かせた。


エルフが次に起きたら素性や身寄り、今後を含めて聞かなければ。

ロアはそんなことを考えながら暫く眺めていたが、起きる気配は無く、孤児院から運ばれた飯を酒と一緒に食べた。


さて、エルフが起きたらまた水を飲みたがるだろうが、これでは1人では飲めないだろう。

ロアは近くに椅子を持って行き、酒を飲みながら眠る姿を眺める。

あまりにも静かに眠っている為、息をしているか心配になって顔を近付けると、やはり、甘いような爽やかな匂いがした。

……、フン、…スン…、、フン。


今夜は長くなりそうだ。






ーーーーーーーーーーー






セウが次に目覚めたのは夜中だった。


薄暗い中に暖炉の火だろうか、チラチラと揺れる暖かい光。


先程の人だろう、大きな影が近づく。

影はまた背と頭に手を添えて少し上体を起こし、スプーンで水をくれた。

が、暖炉の方で何かしていた男が戻って来ると、甘い匂いがした。

取って付けたような甘ったるい匂いだ。

セウはそれが何か嫌という程知っている。

催淫剤だ。

やはり、この人も…。

身を硬くしたセウの上掛けの中に、更に手が入ってきた。

恐怖を噛み殺し、好きにすればいいと、セウは更に顔を顰めたが、その手はセウの手を上掛けの上に出しただけだった。

何をされるのか、それともさせられるのかと考えていると、手に何か暖かい物を持たされた。

木のカップのようだ。

中からは甘い匂いが立ち上る。

催淫剤をわざわざ温める必要があるのだろうか、と思っていると、頭を起こされた。

やはり、温かい、欲を含まない手だ。

「飲めるか。」

セウの手の中に置かれたホッとする温かさの木のカップは、軽くて、使い込まれて滑り難く、セウにも簡単に持つことができた。

セウには出されたものを断るという選択肢など無かった。
主人達の思惑通りに発情し精を強請るのが、セウの仕事だったからだ。

セウは、不審に思いつつも、少しずつ甘い液体を飲んだ。

「……。」
「……。」

だが、時間をかけて飲み干しても、何も起こらなかった。

催淫剤では、ない…。

薬草か何かの匂いが僅かにしたから、何かの薬湯を飲みやすいように甘くした物だったのかもしれない。

それに、その間ずっとうなじを支えてくれた暖かい手を、セウは気持ちいいと感じた。

無言で淡々と行われるその一連の作業も、気まずいものではなく、温かいものを感じる。

静かで心地良い、穏やかな空気。

この人がまとう空気なのだろうか、初夏の夜明け前の夜露に濡れた草原のような人だと、セウは思った。


セウは、また暖炉の辺りで何かして戻ってきた影の主に問い掛けた。

「あの、あなたは?」

声が少し戻っている。

「…ロア。」

空気を震わす低い音。

耳に心地良いそれをもう少し聞きたくて、問いを探す。

「 私は、どのくらい眠って…。」

「…分からん。」

「…貴方が、介抱を?」

「ああ…。」

「…。」

「…。」

ロアはあまり会話は得意では無いらしい。
が、ベラベラ喋る男よりよほど良い。

それに、パチパチと木が小さく爆ぜる音、静かな息遣い、僅かな衣擦れの音に、なんて馴染む声なのだろう。

「あの、 このベッドは貴方のでは?」

「…いや。」

「ここはどの辺りですか?」

「…東の、郊外だ。」

ロアの最低限の答えさえ何故か心地よく思えて、セウの口端が僅かに緩む。

普通ならイライラしそうなものなのに。

が、介抱してくれたとしても、まだ油断はできない。
誰かに命令されているのかも知れないし、最初は優しい主人もいたではないか、と緩む気持ちを無理矢理押さえつける。

「…飯だ。食えるか。」

セウにとっては随分久しぶりの食事だ。
今度は眉間の皺が僅かに緩んだ。

ロアは、薄味の柔らかいスープをゆっくりと食べさせてくれた。

セウは自分でも食べれた筈なのに、何故か甘えてしまった自分が可笑しく思えた。

ロアが、食事の後薬を塗り直したいと言っていたが、セウは意識が持たず食べながら眠ってしまった。

ウトウトと浮き沈みする意識の中、暖かい手が額に乗せられたのが、とても気持ち良かった。






ーーーーーーーーーーーーー






ロアがエルフの手を上掛けから出すと、指が不自然に醜く曲がっていた。

顔を顰める所を見ると、痛むのかも知れない。

ロアは何故か憤然とする気持ちが沸き起こる事を不思議に思いながら、ぬるめの薬湯を入れたカップをその手に持たせた。

痛むのだろう、少しぎこちなさはあるが、慎重に薬湯を飲むのを頭を支えながら見守る。

手にすっぽりとおさまる小さな頭、細いうなじ。
硬い皮膚に触れる柔らかな髪。
深いような、新緑のような、翠の目。

ふと、 ロアは気付いた。

どこか、エルフの様子がおかしい。

目は動くが、何処かに焦点を結ぶ事がない。

ロアはもしやと思い、

「…目。」

訪ねると、

「…はい。」

意味がわかったのかはわからないが、そうなのだろう。
全く見えないわけでは無いようだが、気の毒に。


さて、薬湯が飲めるのなら、スープも飲める筈だ。
湯気を吹き散らしながら、少しずつ食べさせると、僅かに眉間の皺が薄れ、への字の口も真っ直ぐになった。

薬湯で痛みが和らいだのかもしれない。

だが、エルフはすぐにウトウトとし始めてしまった。

ロアは、眠ってしまったエルフに熱が無いかと額に手を置き、暫くそうしていたが、体温が低いのか良くは分からず、少し色の良くなった頬をたどり、大きな耳に触れ、手を離した。
 

「……、、。」


静かな、穏やかな、空気。


久しぶり、いや、初めてかもしれない。

今までの脅迫めいた強くなりたいという焦燥感、または、無気力。
その、どちらでもない状態。

嫌いじゃない。

きっと、このエルフは穏やかな性格なのだろう。
疑うことさえ知らない優しく人のいいエルフは、目が見えない為、騙されたか何かして奴隷にされたのだ。

…可哀想に。

そうだ、解放してやろう。

「フン。」

そうだ、それがいい。

そしてその後で、ランズエンドの治癒師になればいい。

さて、奴隷が解放されるには条件を満たす事が必要だ。
それは首輪に付加されていて、条件を満たせば首輪が外れるらしい。

今日の外出は、ランズエンドに顔を出し様子を見た後、娼婦に性奴隷について詳しく聞くためだった。

ロアが買った娼婦には性奴隷の女もいた。
娼婦は話の続かない客には、大抵自分の話をする。
話が続かないどころかほぼ話しなどしないロアは、毎回の様に自分の話を聞かされる。

それを思い出したのだ。

性の仕事が出来る年齢にはある程度期限がある為、性奴隷は時間が条件になる事が多い。
または、金を納めるなどして特定の人物ーー奴隷商などが外せるようになっていたり、あまり複雑な条件は無いとその女は言っていた。


ロアは、簡単に外せそうだと安堵した。


が、忘れていた。

ダンの勘は当たる。

あの時ダンは”訳あり”と言ったのだ。



そして、やはり、訳ありだった。





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