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31話
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セシルの視界は次第に白み始めていく。薄れゆく意識の中で、彼の脳裏に幼き日々の記憶が呼び起こされる。それは、あの日のまま——決して色褪せることなく鮮やかなまま、心の奥底で眠りながらいつもセシルと共にあり、糧として彼を生かしている記憶のひとつである。
よく晴れた空の下、一面のラベンダー畑から、小さなふたりの子どもの笑い声が聞こえてくる。
ラベンダーの花輪を贈られ、セシルは大きな紫色の目をいっぱいに見開き、無邪気な笑顔を見せた。優しげな笑みで応えるマシューのことが、セシルは誰よりも好きだった。
紫色の花に込められた言葉は——。
『あなたを待っています』
願いが叶えられた今、セシルの胸は喜びで満たされていた。
マシューも同じであるように、とセシルは願った。
そして視界は白く弾け——。
目を閉じたセシルは、穏やかな安らぎを得て、心地よい眠りの世界へと誘われた。
やがて、灯りの消された室内にやわらかな朝の陽の光が差し込み、ふたりがひとつになった夜明ける。
遠くから聞こえるかすかな鳥の囀りが、新たな日々の始まりを告げていた。
*
セシルの希望通り、マシューはセシルと一緒に住む事となった。
実家に荷物を取に戻ったマシューがそう告げると、マシューの家族たちは驚きつつも、快く次男坊を送り出した。
マシューはマーサから、近い内にセシルを伴って食事に来るよう、約束させられただけだった。根掘り葉掘り質問されるのでは、と身構えていたマシューは拍子抜けしたのは言うまでもない。
そして後日、マシューとセシルはふたりでマシューの家へと訪れた。
「よく来てくれたねえ」
母マーサの屈託のない笑顔に迎えられ、ふたりは湯気の立つ温かな家庭料理が所狭しと並べられている食卓についた。
ヨセフは新聞を読み、ファビオとビリーはいつもと変わらず、騒々しくじゃれ合っている。ユニスとケヴィンは揃って台所に立ち、仲良くおしゃべりしながら食事の準備を進めている。アンヌは小さな腕を懸命に伸ばし、食卓に食器を並べている。
「今日も家族揃って、美味しいご飯を食べられることに感謝します。乾杯!」
マーサの音頭で始まった夕食は、和やかに進んでいった。
宴もたけなわの頃合いとなり、マーサはもの言いたげな目をマシューへと向け、ついに口火を切った。
「マシューの料理の腕は十段階でいくと三だよ。あたしがこれからみっちり仕込んでやるにしても、しばらくかかる。そんなんで、これからやっていけるのかねえ……」
「い、いきなりなんだよ……かあさん」
はあぁ——と重い溜め息を吐くマーサは、眉根を寄せ首を横に振った。
「あたしはね、あんたがセシルに愛想をつかされるんじゃないかと心配してやってるんだよ! セシル……うちのマシューで大丈夫かねえ……セシル?」
「……私の料理の腕はおそらく一もないので、三であれば十分です」
「本当かい!? よかったねえ! マシュー」
「……セシルは料理の腕を上げなくてもいいのかよ」
不満げに呟くマシューに、マーサは声を張り上げた。
「ああっ!? しなくていいに決まってるだろ。あんた、あたしの目が節穴だと思っているのかい?」
「い、いや……」
マーサはたじろぐマシューに、セシルをよく見るようにと促す。
「マシュー! 目ん玉開いて、よぉく見てみな!! この上物のローブ!! 同じ黒だけど、この前来たときに着ていたのとは違うものだよねえ。ああ、もっとよく見せておくれ……おお、なんて繊細な刺繍なんだい」
「そ、それほどでも……」
「…………」
「わかるかい、マシュー? あんたとセシルじゃ甲斐性に天と地ほどの差があるんだよ。美味い飯のひとつでも作れなきゃ到底釣り合わない。すぐに愛想をつかされちまっても、あんた自分が、文句の言える立場だとでも思ってんのかい!?」
マーサの厳しい言葉に、マシューは項垂れてしまった。
よく晴れた空の下、一面のラベンダー畑から、小さなふたりの子どもの笑い声が聞こえてくる。
ラベンダーの花輪を贈られ、セシルは大きな紫色の目をいっぱいに見開き、無邪気な笑顔を見せた。優しげな笑みで応えるマシューのことが、セシルは誰よりも好きだった。
紫色の花に込められた言葉は——。
『あなたを待っています』
願いが叶えられた今、セシルの胸は喜びで満たされていた。
マシューも同じであるように、とセシルは願った。
そして視界は白く弾け——。
目を閉じたセシルは、穏やかな安らぎを得て、心地よい眠りの世界へと誘われた。
やがて、灯りの消された室内にやわらかな朝の陽の光が差し込み、ふたりがひとつになった夜明ける。
遠くから聞こえるかすかな鳥の囀りが、新たな日々の始まりを告げていた。
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セシルの希望通り、マシューはセシルと一緒に住む事となった。
実家に荷物を取に戻ったマシューがそう告げると、マシューの家族たちは驚きつつも、快く次男坊を送り出した。
マシューはマーサから、近い内にセシルを伴って食事に来るよう、約束させられただけだった。根掘り葉掘り質問されるのでは、と身構えていたマシューは拍子抜けしたのは言うまでもない。
そして後日、マシューとセシルはふたりでマシューの家へと訪れた。
「よく来てくれたねえ」
母マーサの屈託のない笑顔に迎えられ、ふたりは湯気の立つ温かな家庭料理が所狭しと並べられている食卓についた。
ヨセフは新聞を読み、ファビオとビリーはいつもと変わらず、騒々しくじゃれ合っている。ユニスとケヴィンは揃って台所に立ち、仲良くおしゃべりしながら食事の準備を進めている。アンヌは小さな腕を懸命に伸ばし、食卓に食器を並べている。
「今日も家族揃って、美味しいご飯を食べられることに感謝します。乾杯!」
マーサの音頭で始まった夕食は、和やかに進んでいった。
宴もたけなわの頃合いとなり、マーサはもの言いたげな目をマシューへと向け、ついに口火を切った。
「マシューの料理の腕は十段階でいくと三だよ。あたしがこれからみっちり仕込んでやるにしても、しばらくかかる。そんなんで、これからやっていけるのかねえ……」
「い、いきなりなんだよ……かあさん」
はあぁ——と重い溜め息を吐くマーサは、眉根を寄せ首を横に振った。
「あたしはね、あんたがセシルに愛想をつかされるんじゃないかと心配してやってるんだよ! セシル……うちのマシューで大丈夫かねえ……セシル?」
「……私の料理の腕はおそらく一もないので、三であれば十分です」
「本当かい!? よかったねえ! マシュー」
「……セシルは料理の腕を上げなくてもいいのかよ」
不満げに呟くマシューに、マーサは声を張り上げた。
「ああっ!? しなくていいに決まってるだろ。あんた、あたしの目が節穴だと思っているのかい?」
「い、いや……」
マーサはたじろぐマシューに、セシルをよく見るようにと促す。
「マシュー! 目ん玉開いて、よぉく見てみな!! この上物のローブ!! 同じ黒だけど、この前来たときに着ていたのとは違うものだよねえ。ああ、もっとよく見せておくれ……おお、なんて繊細な刺繍なんだい」
「そ、それほどでも……」
「…………」
「わかるかい、マシュー? あんたとセシルじゃ甲斐性に天と地ほどの差があるんだよ。美味い飯のひとつでも作れなきゃ到底釣り合わない。すぐに愛想をつかされちまっても、あんた自分が、文句の言える立場だとでも思ってんのかい!?」
マーサの厳しい言葉に、マシューは項垂れてしまった。
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