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第三巻
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【梅と、とめは寺子屋が好きだ、】
花見見物を終えてから一週間が過ぎた。
すずの一家はいつもの日常が始まった。
清左衛門はいつものように城に行き勘定方の仕事を真面目に日が暮れるまでする。
梅子ととめは寺子屋へ行き読み書きを習う。
最近は寺子屋で『論語』を勉強している。先生と呼ばれる男は片岡一斎。
彼は古代中国の思想家である孔子の教えや言行を弟子たちがまとめた書物である論語を教科書として子供達に教えている。
人として生きる上での考え方や道徳観を教え儒教の経典として「大学」「中庸」「孟子」とともに教えている。
『論語』は、孔子の死後に弟子たちがその言行を記録したもので、全20編から構成されていてその内容は簡潔で分かりやすくまた、儒教の入門書として広く普及し、中国の歴史を通じて最も読まれた書物だと言えるだろう。
江戸時代は各地方の藩校や寺子屋などで教科書として論語が使用されていた。
片岡一斎は孔子について子供達に説明をする時には紀元前6世紀頃、中国の魯の国に生まれた思想家であると紹介していた。
キリスト、釈迦、ソクラテスと並び、世界四大聖人の一人とされているということも教えた。
身分が低く苦労しながらも学問に励み、国の役人となった孔子は江戸時代の子供達の間では大層人気であった。
『論語』は応神天皇の時代に朝鮮半島の百済を経由して日本に伝わったとされる。
聖徳太子の「十七条憲法」にも『論語』の教えが取り入れられるなど、日本の思想や文化に多大な影響を与えて来たのだ。
『論語』には、現代にも通じる道徳や教養が凝縮されており、後世の思想家や教育者に影響を与え続けていると言える。
倫理的な教えが多く、中高生の情操教育にも適した教材とされている。
『論語』では「仁」と「礼」が行動の根本に置かれていて子供達にも分かりやすいのである。
特に梅はこの仁という言葉が好きだった。それは人を思いやる心を表す言葉だからであった。特に清左衛門のような下級武士であっても父親はいつも下男や下女を労り親切にしている父親をいつも見ていたからであったからだ。梅もとめもいつもそうした清左衛門の姿を見て育ったからである。
また、礼は尊卑や長幼の序を表す道徳規範である。
論語は512に区切られる短文・長文が、全10巻20篇の中にまとめられる形で収録されていて前10篇を「上論」、後10篇を「下論」と呼んで区別したりもする。篇の名称は(「子曰」を除く)各篇の最初の二文字(または三文字)を採用したものであり、章によってはその章の内容のことをいう場合もある。
巻一
学而(がくじ)第一
「学んで時に之を習う」という孔子の言葉に始まる。
「学」についての記述、孔子の根本思想についての立件が多いため、熟読すると良いと朱熹は言う。凡そ十六章。
為政(いせい)第二
「政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰の其の所に居て、衆星之に共するが如し」という孔子の徳治論に始まる。
これは政治についての記述が多いとされる。凡そ二十四章。
巻二
八佾第三
孔子が魯の家老の季孫氏の不遜な態度を批判する言葉から始まる。
礼楽に関する記述が多く、この「八佾」も礼楽の行列の名前である。凡そ二十六章から成る。
里仁第四
「仁に里るを美しと為す」という孔子の言葉に始まる。
「仁徳」に関する記述が多いとされる。朱熹は凡そ二十六章。
巻三
公冶長第五
孔子の弟子の公冶長との問答より始まることから公冶長篇と名付けられたとされる。
名の通り孔子の弟子の公冶長との問答より始まることから公冶長篇と名付けられたとされる。
この章の殆ど(最後の三章)が孔子と弟子との問答や人物評価が書かれている。凡そ二十七章。
雍也第六
孔子が弟子の冉雍を「雍や南面せしむるべし」と絶賛した章に始まる。
人物評論や「仁」と「知」の論が目立つとされる。凡そ二十八章。
巻四
述而第七
「述べて作らず」という孔子の言葉に始まる。
孔子の自身言葉や容態、行動に関した記述が多いとされる。凡そ三十七章。
泰伯第八
「泰伯は其れ至徳と謂うべきのみ」という孔子の言葉に始まる。
泰伯への称賛から、礼楽など、終盤には聖人などの構成とされる。凡そ二十一章。
巻五
子罕第九
「子、罕に利と命と仁とを言う」という章に始まる。
孔子の言行や孔子の出処進退に関する門人の記録が多いとされる。凡そ三十章からなる。
郷党第十
郷里に於ける孔子の様子を記す章で構成されている特異な一篇。
篇首が「孔子」で始まり、「子曰」という記述がないとされる。吉田(1960)は朱熹の集注をもとに十八章に分けた。
巻六
先進第十一
「先進の礼楽に於けるや、野人なり」という孔子の言葉に始まる。
門人などの人物評論が多く、孔子が祖国の魯に帰国してからの門人との言行の記述があることから孔子晩年期がわかる。凡そ二十五章から成る。
顔淵第十二
孔子と門人、君主が「仁」や「政」に関する問答は多く、篇首には顔回との「仁」についての問答から始まる。凡そ二十四章から成る。
巻七
子路第十三
「子路政を問う」という政治に関する孔子と子路の問答から始まる。
前半は政治について、後半は善人や士君子や道徳についての問答が多いとされる。凡そ三十章。
憲問第十四
「憲、恥を問う」という弟子の原憲が恥について孔子に尋ねる章から始まる。
この篇首、原憲が孔子に「恥」について問いたが、これ以降の篇では「原憲」のことを「原思」と字を用いていることからこの篇はは原憲が書いたのではないか,または魯の国で編集したのではないかと吉田(1960)は考察した。凡そ四十六章から成る。
巻八
衛霊公第十五
「衛の霊公、陳(陣)を孔子に問う」という章から始まる。この篇は修身出処に関する雑言が多いとされる。凡そ四十一章。
季氏第十六
魯の家老である季孫氏が魯の属国を討伐しようとしたことをめぐって、孔子と冉雍・子路が問答を交わす章から始まる。
この篇は「下論」でも体裁が異なっているとし、「子曰く」とあったところが「孔子曰」となっている。凡そ十四章。
巻九
陽貨第十七
「陽貨孔子を見んと欲す」、季孫氏の家臣の楊貨が孔子を政治に誘おうとする場面から始まる。
この篇は孔子の出処進退に関する章が数章ある。世の中が衰え、道が行われないことを嘆いたり、当局者や門人に与えた警告も多いとされる。凡そ二十六章。
微子第十八
「微子、之を去る」、孔子が殷に三仁ありと論評する章に始まる。
この篇は他の逸民の話が多いが、孔子に関係を持った人達の出処進退などが記されているとされる。凡そ十一章。
巻十
子張第十九
子張の「士は危うきを見ては命を致す」という言葉に始まる。
この篇の大体が孔子の門人たちの言葉のみ記されている。特に高弟の言が多く、孔子に類するような言葉などが多いとされる。凡そ二十五章。
堯曰第二十
「堯曰く、咨、お正月爾舜」という堯の言葉に始まる。
この篇は凡そ三章であるが、聖人の政治や為政者にとっての政治的訓誡、君子の要訣など論語全篇に照応させたように見られると吉田(1960)は言う。
故事成語について述べるならば
『論語』に由来する故事成語には、以下の例がある。
故きを温ねて新しきを知る
- 為政篇「 子曰、温故而知新」
過去の事跡や先人の知恵に学んで現在の問題を考え、新しい知識や道理を生み出すこと。「温故知新」ともいう。
梅もとめもこの言葉が大好きであった。
一を聞いて十を知る - 公冶長篇「賜也何敢望回、回也聞一以知十、賜也聞一以知二」
一端を聞いただけで全体を理解すること。理解が早く聡明であること。
牛刀をもって鶏を割く - 陽貨篇「割雞焉用牛刀」
小さなことを処理するのに大げさな手段を用いること。
過ちて改めざるをこれ過ちという - 衛霊公篇「過而不改、是謂過矣」
過ちを犯しても改めないことこそが、真の過ちである。
過ぎたるは猶《なお》及ばざるが如し - 先進篇「過猶不及」
適当な程度を超えているのは、不足と同じ。中庸が大切であるたとえ。
憤せずんば啓せず - 述而篇「不憤不啓、不悱不発、挙一隅不以三隅反、則不復也」
心に理解できなくて、憤り奮い立つほどでなければ、教え導かない。自発的にやろうとしない者には教えない。
径によらず - 雍也篇「有澹臺滅明者、行不由径」
小道を通らないで、大道を行く。人生に於いては近道をしないで、正直に従い歩む。
性相い近し、習い相い遠し - 陽貨篇「性相近也、習相遠也」
人間は生まれつきの天性はたいして差がないが、後天的な習慣によって大きく違ってくる。
徳は孤ならず - 里仁篇「徳不孤、必有鄰」
徳のあるものは、決して孤立することはなく、必ず従う者、助ける者がいる。
和して同ぜず - 子路篇「君子和而不同、小人同而不和」
人と仲良く打ち解けても、道理に背いてまで人にへつらわないこと。
清左衛門は寺子屋から帰宅した梅ととめの二人が熱心に教科書を読む姿を見て己の姿を恥じたのであった。
それは誰にも話すことが出来ない上司の不正を知ったからであった。
このことがやがて清左衛門の命までも危ういことに巻き込まれることになるのだ。
「さあ、夕食にしましょうね。梅、とめ、お勉強はその当たりにしてこちらにおいでなさいね。」
梅ととめは洗面所で手を綺麗に洗い手拭いで両手を洗い善の用意がされている席についた。
清左衛門はすでに座っていた。
「トト様、頂きます。」
「トト様、頂きがんす。」
「頂きます。」
「さあ、たべましょうか。」
すずはそう言うと清左衛門が口にご飯を頬張る姿を見た後に食べ始めた。
梅ととめはすずが味噌汁を飲み始めてからご飯を食べ始めた。
これは当時の武家社会では当たり前の順序であった。
清左衛門一家にその日の団欒の食事が始まったのであった。
花見見物を終えてから一週間が過ぎた。
すずの一家はいつもの日常が始まった。
清左衛門はいつものように城に行き勘定方の仕事を真面目に日が暮れるまでする。
梅子ととめは寺子屋へ行き読み書きを習う。
最近は寺子屋で『論語』を勉強している。先生と呼ばれる男は片岡一斎。
彼は古代中国の思想家である孔子の教えや言行を弟子たちがまとめた書物である論語を教科書として子供達に教えている。
人として生きる上での考え方や道徳観を教え儒教の経典として「大学」「中庸」「孟子」とともに教えている。
『論語』は、孔子の死後に弟子たちがその言行を記録したもので、全20編から構成されていてその内容は簡潔で分かりやすくまた、儒教の入門書として広く普及し、中国の歴史を通じて最も読まれた書物だと言えるだろう。
江戸時代は各地方の藩校や寺子屋などで教科書として論語が使用されていた。
片岡一斎は孔子について子供達に説明をする時には紀元前6世紀頃、中国の魯の国に生まれた思想家であると紹介していた。
キリスト、釈迦、ソクラテスと並び、世界四大聖人の一人とされているということも教えた。
身分が低く苦労しながらも学問に励み、国の役人となった孔子は江戸時代の子供達の間では大層人気であった。
『論語』は応神天皇の時代に朝鮮半島の百済を経由して日本に伝わったとされる。
聖徳太子の「十七条憲法」にも『論語』の教えが取り入れられるなど、日本の思想や文化に多大な影響を与えて来たのだ。
『論語』には、現代にも通じる道徳や教養が凝縮されており、後世の思想家や教育者に影響を与え続けていると言える。
倫理的な教えが多く、中高生の情操教育にも適した教材とされている。
『論語』では「仁」と「礼」が行動の根本に置かれていて子供達にも分かりやすいのである。
特に梅はこの仁という言葉が好きだった。それは人を思いやる心を表す言葉だからであった。特に清左衛門のような下級武士であっても父親はいつも下男や下女を労り親切にしている父親をいつも見ていたからであったからだ。梅もとめもいつもそうした清左衛門の姿を見て育ったからである。
また、礼は尊卑や長幼の序を表す道徳規範である。
論語は512に区切られる短文・長文が、全10巻20篇の中にまとめられる形で収録されていて前10篇を「上論」、後10篇を「下論」と呼んで区別したりもする。篇の名称は(「子曰」を除く)各篇の最初の二文字(または三文字)を採用したものであり、章によってはその章の内容のことをいう場合もある。
巻一
学而(がくじ)第一
「学んで時に之を習う」という孔子の言葉に始まる。
「学」についての記述、孔子の根本思想についての立件が多いため、熟読すると良いと朱熹は言う。凡そ十六章。
為政(いせい)第二
「政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰の其の所に居て、衆星之に共するが如し」という孔子の徳治論に始まる。
これは政治についての記述が多いとされる。凡そ二十四章。
巻二
八佾第三
孔子が魯の家老の季孫氏の不遜な態度を批判する言葉から始まる。
礼楽に関する記述が多く、この「八佾」も礼楽の行列の名前である。凡そ二十六章から成る。
里仁第四
「仁に里るを美しと為す」という孔子の言葉に始まる。
「仁徳」に関する記述が多いとされる。朱熹は凡そ二十六章。
巻三
公冶長第五
孔子の弟子の公冶長との問答より始まることから公冶長篇と名付けられたとされる。
名の通り孔子の弟子の公冶長との問答より始まることから公冶長篇と名付けられたとされる。
この章の殆ど(最後の三章)が孔子と弟子との問答や人物評価が書かれている。凡そ二十七章。
雍也第六
孔子が弟子の冉雍を「雍や南面せしむるべし」と絶賛した章に始まる。
人物評論や「仁」と「知」の論が目立つとされる。凡そ二十八章。
巻四
述而第七
「述べて作らず」という孔子の言葉に始まる。
孔子の自身言葉や容態、行動に関した記述が多いとされる。凡そ三十七章。
泰伯第八
「泰伯は其れ至徳と謂うべきのみ」という孔子の言葉に始まる。
泰伯への称賛から、礼楽など、終盤には聖人などの構成とされる。凡そ二十一章。
巻五
子罕第九
「子、罕に利と命と仁とを言う」という章に始まる。
孔子の言行や孔子の出処進退に関する門人の記録が多いとされる。凡そ三十章からなる。
郷党第十
郷里に於ける孔子の様子を記す章で構成されている特異な一篇。
篇首が「孔子」で始まり、「子曰」という記述がないとされる。吉田(1960)は朱熹の集注をもとに十八章に分けた。
巻六
先進第十一
「先進の礼楽に於けるや、野人なり」という孔子の言葉に始まる。
門人などの人物評論が多く、孔子が祖国の魯に帰国してからの門人との言行の記述があることから孔子晩年期がわかる。凡そ二十五章から成る。
顔淵第十二
孔子と門人、君主が「仁」や「政」に関する問答は多く、篇首には顔回との「仁」についての問答から始まる。凡そ二十四章から成る。
巻七
子路第十三
「子路政を問う」という政治に関する孔子と子路の問答から始まる。
前半は政治について、後半は善人や士君子や道徳についての問答が多いとされる。凡そ三十章。
憲問第十四
「憲、恥を問う」という弟子の原憲が恥について孔子に尋ねる章から始まる。
この篇首、原憲が孔子に「恥」について問いたが、これ以降の篇では「原憲」のことを「原思」と字を用いていることからこの篇はは原憲が書いたのではないか,または魯の国で編集したのではないかと吉田(1960)は考察した。凡そ四十六章から成る。
巻八
衛霊公第十五
「衛の霊公、陳(陣)を孔子に問う」という章から始まる。この篇は修身出処に関する雑言が多いとされる。凡そ四十一章。
季氏第十六
魯の家老である季孫氏が魯の属国を討伐しようとしたことをめぐって、孔子と冉雍・子路が問答を交わす章から始まる。
この篇は「下論」でも体裁が異なっているとし、「子曰く」とあったところが「孔子曰」となっている。凡そ十四章。
巻九
陽貨第十七
「陽貨孔子を見んと欲す」、季孫氏の家臣の楊貨が孔子を政治に誘おうとする場面から始まる。
この篇は孔子の出処進退に関する章が数章ある。世の中が衰え、道が行われないことを嘆いたり、当局者や門人に与えた警告も多いとされる。凡そ二十六章。
微子第十八
「微子、之を去る」、孔子が殷に三仁ありと論評する章に始まる。
この篇は他の逸民の話が多いが、孔子に関係を持った人達の出処進退などが記されているとされる。凡そ十一章。
巻十
子張第十九
子張の「士は危うきを見ては命を致す」という言葉に始まる。
この篇の大体が孔子の門人たちの言葉のみ記されている。特に高弟の言が多く、孔子に類するような言葉などが多いとされる。凡そ二十五章。
堯曰第二十
「堯曰く、咨、お正月爾舜」という堯の言葉に始まる。
この篇は凡そ三章であるが、聖人の政治や為政者にとっての政治的訓誡、君子の要訣など論語全篇に照応させたように見られると吉田(1960)は言う。
故事成語について述べるならば
『論語』に由来する故事成語には、以下の例がある。
故きを温ねて新しきを知る
- 為政篇「 子曰、温故而知新」
過去の事跡や先人の知恵に学んで現在の問題を考え、新しい知識や道理を生み出すこと。「温故知新」ともいう。
梅もとめもこの言葉が大好きであった。
一を聞いて十を知る - 公冶長篇「賜也何敢望回、回也聞一以知十、賜也聞一以知二」
一端を聞いただけで全体を理解すること。理解が早く聡明であること。
牛刀をもって鶏を割く - 陽貨篇「割雞焉用牛刀」
小さなことを処理するのに大げさな手段を用いること。
過ちて改めざるをこれ過ちという - 衛霊公篇「過而不改、是謂過矣」
過ちを犯しても改めないことこそが、真の過ちである。
過ぎたるは猶《なお》及ばざるが如し - 先進篇「過猶不及」
適当な程度を超えているのは、不足と同じ。中庸が大切であるたとえ。
憤せずんば啓せず - 述而篇「不憤不啓、不悱不発、挙一隅不以三隅反、則不復也」
心に理解できなくて、憤り奮い立つほどでなければ、教え導かない。自発的にやろうとしない者には教えない。
径によらず - 雍也篇「有澹臺滅明者、行不由径」
小道を通らないで、大道を行く。人生に於いては近道をしないで、正直に従い歩む。
性相い近し、習い相い遠し - 陽貨篇「性相近也、習相遠也」
人間は生まれつきの天性はたいして差がないが、後天的な習慣によって大きく違ってくる。
徳は孤ならず - 里仁篇「徳不孤、必有鄰」
徳のあるものは、決して孤立することはなく、必ず従う者、助ける者がいる。
和して同ぜず - 子路篇「君子和而不同、小人同而不和」
人と仲良く打ち解けても、道理に背いてまで人にへつらわないこと。
清左衛門は寺子屋から帰宅した梅ととめの二人が熱心に教科書を読む姿を見て己の姿を恥じたのであった。
それは誰にも話すことが出来ない上司の不正を知ったからであった。
このことがやがて清左衛門の命までも危ういことに巻き込まれることになるのだ。
「さあ、夕食にしましょうね。梅、とめ、お勉強はその当たりにしてこちらにおいでなさいね。」
梅ととめは洗面所で手を綺麗に洗い手拭いで両手を洗い善の用意がされている席についた。
清左衛門はすでに座っていた。
「トト様、頂きます。」
「トト様、頂きがんす。」
「頂きます。」
「さあ、たべましょうか。」
すずはそう言うと清左衛門が口にご飯を頬張る姿を見た後に食べ始めた。
梅ととめはすずが味噌汁を飲み始めてからご飯を食べ始めた。
これは当時の武家社会では当たり前の順序であった。
清左衛門一家にその日の団欒の食事が始まったのであった。
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おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
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