分かりやすい日月神示のエッセイ 🔰女性向け

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第十章

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【第十章  1ノ1】

 ここでご説明するのは死後の世界の霊界について、日月神示で記述されている内容について、ご紹介します。

日月神示国常立尊の大予言とこれから起きることについて、私がこの日月神示を何故、予言書として確信しているかについてお話ししよう。

日月神示ひつきしんじは、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物です。昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に八巻の神示が降りたとされています。


 《霊界について》

 天国とは?

 幽界とは?

 天使とは?


 広く霊界といっても神界と幽界に大別され、神界は天国と霊国に分けられ、幽界はそれぞれ、陽界と陰界に分けられる。

 天国には天人が住み霊国には天使が住み、幽界は陽界には陽霊人が住み、陰界には陰霊人が住んでいる。

 幽界は人間界(現界)と最も深い関係にあり、初期の神懸かりの殆んどはこの幽界からの感応によるものであるから注意が必要である。

 幽界は本来は無いものであはるが、人間の地獄的想念が生み出したものである。

 高度の霊がただちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するものであることを忘れてはならない。

 (日月神示参1 )
 目に見えぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的なものになる。下級霊は現実界と紙一重の所に住んでいるため、その感応は極めて強く人間の目にはいかにも、もっともらしく映るのでこれも注意が必要である。

 (日月神示参2)
 高度なものはその人間の心(精神)に応じてそれと同一波長の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現される。

 (日月神示参3)
 下級霊が懸かった霊媒の態度や所作、動作、言動は高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものであるがこれらは良く見極めれば判る。  

 《天使についての記載》
 (日月神示参4)
 特別の使命を持つ天使は、最下級の霊界まで降って来て人間に特別な通信をしたり、指示したりすることがある。また天使の霊が母体(母胎)に宿り人間として生まれて来ることもある。末世にはこの種の降誕人が沢山ある。
 
 (日月神示参5)
 特別の使命を持つ天使は別として、人間霊以外の霊で人間に憑依するのは、日本を例にとれば神、天狗、仙人、狐、狸、猫などが大部分である。

 (日月神示参6)
 先祖霊に化けて何かを企てる動物霊が多いから注意を要する。動物霊が祖先のことを知っているのは、その憑依の対象となる人間の肉体霊(その人間の想念や考えていること)の知っていることを、直ちに知り得るからである。

 (日月神示参7)
 動物霊が人間の言葉を使うのは不可解にも思えるが、それは例えれば、他人の家に入り込んでそこにある道具類をそのまま使うのと同じ道理である。動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、ある程度その人間の持つ言葉を使いこなせる。日本人に感応すれば日本語を、米国人ならば英語を語ることが出来る。

 (日月神示参8)
 基本的に下級霊や動物霊は人間に感応はするが肉体の内部までは入り込めない。しかし、感応の度が強ければ入ったと同様に見える場合がある。

 (日月神示参9)
 例外として人間の魂と動物の魂が入れ替わっていることもある。こうした場合は肉体に入り込んだと考えて良い。例えばそれが狐なら狐の様相を露呈するから、すぐ判るが悪行を積んだ霊などの場合は、その時代時代に合わせて化けているので見破ることがなかなか難しい。

 (日月神示四十)
 人間霊の場合でも或種の霊は、自分自身が高度な神界に住んでいると誤信しているものがいるが、こうした霊が感応した場合は自信をもって断言する場合が多い。人間の知らぬ世界のことを自信を以って強く告げてくるので、判別は困難で多くの場合、審神者は参ってしまう。

 (日月神示四十一)
 仙人というのはどんなに高度に見えるものでも、幽界に属す。なぜなら、仙人界には戒律があるからである。神界には戒律はない。真の宗教に戒律はないのである。戒律がある宗教は亡びる。しかし、神界にも仙人的な存在はある。

   (日月神示四十二)
 竜体(竜神と思われる)を持つ霊は神界にも幽界にもある。竜体だからといってそれらが全て神界に属すると思うのは誤りである。
 
 《先祖霊》
 (日月神示四十三)
 先祖霊が出る場合は、何か頼みたいことがある場合が多い。浄化した高級霊ともなれば、人間の肉体に判るような感応はほとんどない。

 (日月神示四十四)
 先祖は現界に住んでいる肉体人を土台として修業するものである。また、同様に霊界に於ける自分は先祖との交流や交渉は深いものである。その先祖は神界に属する場合と幽界に属する場合とがある。神界に属するものは正流を通じて、幽界に属する場合は外流を通じて、肉体人の子孫にそれぞれ感応して来る。

 《下級霊と動物霊》
 (日月神示四十五)
 下級霊や動物霊の場合は「酔いどれ」のように箸にも棒にもかからないことを言ってくる。霊の要求だからといって、そのまま受け入れるのではなく、よく判断した上で処理しなければならない。

 《霊人について》
 (日月神示四十六)
 霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違いが多い。霊耳は耳をふさいでも内から聞こえてくる。また、霊人と語るのは非常に危険である。

 (日月神示四十七)
 物を見るのは額で見ることが重要である。額の目に見の誤りはなく、額の判断に間違いはない。また、正神からの感応は額から入り、顔面全体に及び、やがては身体全身に及んでいくものである。逆に、悪の霊が懸かった場合は肉体の背後や首すじなどから感応し、肉体の「みぞおち」あたりに集まり、そこで頑張るものである。
 
 (日月神示四十八)
 霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくいて、一般人はそれに騙されることがよくある。これらは、いずれも下級霊の仕業である。 

 正神には奇跡はない。高級霊は態度が立派である。
 
 (日月神示四十九)
 どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはならない。馬鹿にすると反射的に審神者を馬鹿にして始末に負えないことになるので思慮が必要である。特にその霊が病気に関連をもっている場合は微妙である。

 (日月神示五十)
 霊には常に愛を持って接し、柔らかく持ち掛け良い方向に導いて行こうとする努力が大切である。霊の邪道的要求を受けて一時的に病気を治すと、それに倍になってぶり返すものである。

 (日月神示五十一)
 悪霊自身は自身を悪だとは思っていない。
霊的良識は神示や神典類によって、また体験によって養われる。さらには高度の科学書も参考になる。

 (日月神示五十二)
 人間界(現界)のことを良く知っている霊は人間界を去って間もない霊か地上世界に長く住んでいた動物霊か、人間に憑依していた霊である。

 (日月神示五十三)
 神の守護というのは人間からは全然判らないものである。判る様な守護は低い神や悪神の守護である。悪神でも大将ともなればその守護は人間には判らない。

 日本には日本の守護の神、中国には中国の、外国には外国のそれぞれの守護の神がいる。

 (日月神示五十四)
 今の人間は9分9厘は幽界との繋がりを持つから、よくよく自分自身を審神し反省する必要がある。

 霊媒を通じてこの世に呼びかける霊の9分9厘は邪霊である。今後は更に激しくなる。

 (日月神示五十五)
 少しでも、怪しいと思った場合はそれが神の言葉でも裏表の見境もなく闇雲に信じてはならない。例え神の言葉でも自分で一応考えて、審神することが重要である。
  
 (日月神示五十六)
 悪神が懸かった時は自分では偉い神様が乗り移ったと信じ込む場合が多い。それは自分の天狗のような高慢な心が原因である。

 (日月神示五十七)
 我は「天照大御神」などと名乗る霊にろくなものはいない。こうした霊に憑かれた人間は例外なく大言壮語するものであり、眉唾ものである。

 (日月神示五十八)
 幽界霊も時によっては正しく善なることを言うが、それはただ言うだけである。例えるなら悪人が口先だけで善を語るようなものである。

 (日月神示五十九)
 良い言葉ならば、たとえ悪神が語ってもいいのでは?とも思えるが、それは理屈である。真の善言や真言は心、言葉、行ないが一致しているから直ちに力を持つが、それらが一致していないと力は出ないのである。言葉の上のみ同一であっても例えば、同じ「はい」という返事でも喜びの時と不満の時とでは違うように、偽りの言葉は落ち着いて聞けば判るものである。

 (日月神示六十)
 その人間の心に相応した神しか拝めない。悪い心で拝めば、どんなに立派な神前でも悪神が感応する。逆に悪神を拝んでも正しい愛や喜びがあり、善い念が通じるならば悪神は引っ込んでそれぞれの善い神が現れる。
 
 (日月神示六十一)
 2重3重人格というのは2重3重の憑き物の転換によるものであり、群集心理とはその時の一時的な憑依霊達の仕業である。また、流行病のほとんどが邪霊集団の作用や仕業によるものである。

 (日月神示六十二)
 霊人には何でも判っているとか神懸りで世界のことが何でも分かると思うのは大きな間違いである。

 (日月神示六十三)
    人は死ぬ時の想念がそのまま続くので、その想念に応じた世界に住むことになるのである。この世を天国として暮らしていた人は天国へ、地獄と感じて生きていた人は自ら地獄的な想念を作り出してそのような世界に住むことになる。

 (日月神示六十四)
 神界より真っ直ぐに感応する想念が正流である。幽界からや幽界を経て流れてくる想念が外流である。

 (日月神示六十五)
 神的自分が本守護神であり、霊的自分が正守護神である。また、幽界的自分が副守護神である。本守護神は大神の歓喜である。

 (日月神示六十六)
 偶然の真理を覚ることが大切である。この世に偶然というものは、ひとつも存在しない。高い所(神界、天界)から来るから人間には偶然や奇跡と見えるのである。 

 (日月神示六十七)
 神からの現われであり、その手順が現界の人間には全く分からないためにそう見えるだけである。これが判れば大安心、立命である。

 (日月神示六十八)
 人間の肉体は最底部をなすものであるから、肉体的動きの以前において必ず霊的動きが有る。また、肉体的には小さな行為であつても霊的には大きな意味や働きをしている場合が多い。 
 
 (日月神示六十九)
 天界で起こった出来事は必ず現界にも起こる。しかし、その時の現界の状況にもある程度左右され、早くなったり逆に遅くなったりする場合がある。また、時によっては順序が違う場合もある。

 (日月神示七十)
 天人や天使の行為が人間にうつるのであるが、逆に人間の自由や能力の如何によっての行為も天界や霊界に反映する。日本や外国では土地が違うように天界へのうつり方も違うのである。

 (日月神示七十一)
 悪いこと(天災や戦争や世の中の騒動や混乱など)を待つ心は魔の心である。いつどこにそれらが来たり、起ったりするのかと待ち望んでいるような心は悪魔に使われているのである。 

 《天明の命拾い体験話し•第二次世界大戦》

 私たちはB-29大型爆撃機により空襲を受けたことを決して忘れてはならない。
東京都は1944年(昭和19年)11月24日から1945年(昭和20年)8月15日まで合計106回もの空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日から26日の5回は大規模だった。 

「東京大空襲」は一連の「東京空襲」の中でも、死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間の空襲。下町空襲。この3月10日の空襲だけで、罹災者は100万人を超え、死者は9万5千人を超えたといわれる。なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。

米軍のB-29(注釈1)より空襲を受けた東京市街(昭和20年5月26日) 。

 渋谷川などの位置から現在の渋谷区広尾周辺上空と推定される。神霊の「天明、此所をやめい」というお告げにより天明が、この空襲を受ける直前まで務めていた鳩森八幡神社はここから極めて近い距離にあった。この5月25日から5月26日未明にかけての空襲は山の手地区一帯を攻撃目標とした、およそ470機ものB-29による東京大空襲のなかでも最大規模のものであった。

(注釈1)
ボーイング B-29 スーパーフォートレス(Boeing B-29 Superfortress。日本での通称「ビーにじゅうく」)は、アメリカのボーイングが開発した大型戦略爆撃機。

【B-29大型戦略爆撃機】



 以前私はある書籍で、東京大空襲の悲惨な写真を見たことがあった。その時の写真の状況をお話しします。空襲により焦土と化し、焼け野原になった東京市街。現在の墨田区両国上空、昭和20年3月10日の空襲後の状況を右側に見える川は隅田川。また、写真中段右下に見えた土鍋型の建物は旧両国国技館。神霊の「東京も元の土に一ときはかえるから、その積りでゐて呉れよ。神の申したこと違はんぞ。」や「江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。」などの前年のお告げは、このことを指していたのか。東京は延べ100回以上(東京への通算空襲回数は計106回)に亙る空襲により、その約半数近くの家屋、施設が焼失した。東京では写真以外にも多くの場所でこうした惨状が繰り広げられた。

 天明に日月神示が降り始めてから、まだ1年も経たない昭和20年の4月か5月のある日に(天明はこの頃は上記した東京、千駄ヶ谷の鳩森八幡神社で留守神主をしていた)、神前に座ると神霊の「天明、此所をやめい」と言うお告げがあり、これはそれから3日間にわたって連日続いたという。

 この後、天明が留守神主を辞職した直後の5月26日に米国軍の焼夷弾が本殿に落下し、危ういところで天明は一命を救われたという。

 左記の事実は岡本三典が天明から直接に聞いた話として三典の著書(『日月神示はなぜ岡本天明に降りたか』)(参4)に記されている。

 前述のように日月神示の書記が始まったのは、第二次世界大戦が終結する約1年2ヶ月前の昭和19年6月10日からであるが、この数日後に早くも枢軸国側と日本の敗戦を告げているらしい記述が見られる。「上つ巻」第四帖(参5)(書記日、昭和19年6月13日)では「ドイツもイタリアもあてにならぬ、世界中一つになりて㋹の国に寄せて来るぞ。それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか。」(原文ではドイツは卍、イタリアは一十と書記されている)、さらには日本がその後、国家としての存続が危ぶまれるほどの大打撃を受け、東京もあたり一帯が焦土と化し焼け野原になってしまうらしいことが、「日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。

 《日月神示の予言》

 「一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。」(同巻第九帖、書記日、昭和19年6月17日)、「東京も元の土に一ときはかへるから、その積りでゐて呉れよ。神の申したこと違はんぞ。」(同巻第十一帖、書記日、昭和19年6月19日)、「江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。」(下つ巻第十六帖(参6)、書記日、昭和19年7月21日)で書記されている。

 これらについては歴史が証明しているように説明は不要であろう。

『原子爆弾と多数の空襲によって破壊され尽した日本の大都市の数々 大阪、神戸、広島、長崎、東京の順で展開された。

 一転して、終戦の約2か月前に書記された「松の巻」第七帖(参7)(書記日、昭和20年6月23日)では「偉い人皆俘虜(とりこ)となるぞ。夜明け近くなったぞ。」

 「夜明けたらなにもかもはっきりするぞ。夜明前は闇より暗いぞ慌てるでないぞ。」とあり、間もなく戦争が終わるらしいことと指導者達(政治家高官や軍事関係者上層部)が戦犯として逮捕、収監されるらしいことがこの時点ではっきりと述べられている。  

 なお、上記した終戦時に自殺を思いとどまった軍人達の中にはこの記述を知っていた者もかなりの人数がいたと言われている。

 神示にはまた、敗戦後の復興や経済的な発展、そして日本人の精神的な凋落ぶりを指摘していると思われる帖もあるという。

「アメの巻」第十四帖(参8)(書記日、昭和20年12月18日)では「今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、何れ元に帰って来るから、元に帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返へすぞ。」や「|三の巻」(うみの巻)第四帖(参9)(書記日、昭和22年8月14日)でも「出てきてから、又同じ様なこと繰り返すぞ、今度は魂抜けてゐるからグニャグニャぞ、グニャグニャ細工しか出来んぞ、それに迷ふでないぞ。」とあり、これらは逮捕、収監されていた者も釈放、解放されること。  

 また、敗戦後の復興の反面、精神的に退廃する社会や無気力な人間が多く現われて来る様子を書記させたものだと考えられる。また、「黄金の巻」第五十九帖(参10)(書記日、昭和24年12月7日)では「金で世を治めて、金で潰して、地固めしてみろくの世(ミロクの世)と致すのぢゃ。」と語られているが、これは近年興った「バブル景気」とその崩壊を指しているのではないかと考えられている。

 また、2007年 ~2008年頃に米国より起ったサブプライムローン問題やリーマンブラザーズの破綻(いわゆる、リーマンショック)に端を発する100年に一度あるかないかと言われる全世界的な大不況と2011年8月現在に於いても、米国債の格下げ、信用不安とそれによる世界同時的な株安、そしてこの日本においても現在進行形で進んでいる円相場の上昇などで、なおより一層の深刻な状況にあると言われる世界金融危機 (2007年-)を指しているとも考えられる。

 また、「三ラの巻(そらの巻)」第十帖(参18)(書記日、昭和22年3月3日)では「今日働いて今日食はなならん事に皆なりて来るのざから、その覚悟せよ」と述べられており、この先の日本経済の回復や発展を望むのは、或いは極めて厳しいのかもしれないと思われる帖がある。しかし、上記の「黄金の巻」第五十九帖にあるように「金の世が金で潰されて、地固めされてみろくの世(ミロクの世)の礎になる」と述べている神霊の言葉からは、それほど絶望的で悲惨な未来を語っているようには思えないのも、また事実であろう。

  《日月神示の予言》

 現代において、世界中のあらゆる行動が金で紐付けされ、金を多く持つ者が力を持ち、金が無くなる恐怖がこの世を作る、まさに「金の世」が完成したと言える。 2020年、感染により経済活動が止まり、金に困窮する人々が増えている。解決方法として無条件なベーシックインカムの導入を望む声が多い。人々が十分に暮らせる金額の金を無条件に配りつづけることで、人々から金が無くなる恐怖を無くす。 「金の世が金で潰れて、地固めされてみろくの世(ミロクの世)の礎となる」の礎とは、ベーシックインカムではないかという説が増えた。

 日月神示には未来に関しての記述も多く、上記した第二次世界大戦で主に陸軍の軍人達がこの神示を拠りどころにしていたのも戦争の行く末やその勝敗を知りたかったことも大きな理由のひとつだったと思われる。

 神示の中では、これから起こるらしい地球上での大変動や大戦乱などを含む途方もない大災厄を「三千世界の大洗濯」や「大峠」と呼び、それらは現界に生きている人間のみならず霊界なども含めた全ての世界に等しく起こるとされ、神霊の別の言葉によれば「三千世界すべての大建替」になるという。また、洋の東西を問わず、預言者と称される人間が過去に幾人か現れて現在の世界が大災厄と大戦乱の末に終焉を迎えることと、その後にそれまでと全く異なる新しい「理想世界」の到来することを説いているが、それらもすべて「国常立尊」と呼ばれるこの神霊の仕組みであったと神霊自身は語っている。

「一火リの巻」(ヒカリの巻)第四帖で

「世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱現はしてあろが、これは皆この方の仕組ぢゃから皆仲良う手引き合ってやって呉れよ。」

と述べられ、時代や国、人種の違いなどを超えて古くからこの神霊の仕組みや働きがあったものと考えられている。

 そして、この先に起こるらしい未来の出来事とその対処、心構えについて、神霊(国常立尊)は

「この先だうしたらよいかと云ふ事は、世界中金の草鞋わらじで捜しても九九ここより他分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。手取りてよき方に廻してやるぞ。悪の仕組にみなの臣民騙されてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。」(松の巻第五帖。上つ巻第二十七帖)

「世界の何所さがしても、今では九九(ここ)より外に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。何も分らん枝葉の神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、早う其の神と共に此処(ここ)へ参りて、マコトの言を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ。」(磐戸(一八十)の巻第十帖。|三(ウミ)の巻第十四帖)

「今度の御用は此の神示読まないでは三千世界のことであるから何処探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、何処探しても判りはせんのざぞ。ちょこら判る様な仕組ならこんなに苦労致さんぞ、神々様さえ判らん仕組と知らしてあろが。兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いてくれよ。それが第一等ざぞ。」(アメの巻第十帖。日月の巻第三十六帖)

「この神示肚(はら)に入れて居ればどんなことあっても先に知らしてあるから心配ないのざ、ソレ出たとすぐ判るから胴すわってゐるから何事も結構におかげ頂くのざ。何より改心第一ぞと気付けてあろが、神示肝にはいれば未来見え透くのざぞ。」(んめの巻(梅の巻)第十一帖。アメの巻第十帖)

「世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神神様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは九(こ)の神でないと分らんぞ。」(下つ巻第二十三帖)

「この世が元の神の世になると云ふことは、何(ど)んなかみ(神)にも分って居れど、何うしたら元の世になるかといふこと分らんぞ。」(上つ巻第二十九帖)

「あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、九分九厘は分りて居れども、とどめの最后(最期)分らんから、この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。」(天つ巻第四帖)

と語っており、高級神霊や高級霊でも必ずしもその全てが、今後に起こる未来の正確な出来事やその究極の結末(とどめの最后(最期))、また救われるためにはどうすればよいのかといった対処の仕方や救済の方法や道(この先どうしたらよいかと云ふ事は、神の真の道知らす所)を分かっている訳ではないらしいことと、その後に移行するとされる「元の神世」に移り変わるギリギリの仕組みについては高級神霊でも、そのほとんどが分からないことだという。

 また、この移行する世界「みろくの世」(ミロクの世)と神霊が呼ぶ理想世界が来る前には我々が住むこの現界でもこうした肝心な事が何もわからない神(低級な神)や霊に憑かれた、又は繋がった怪しげな予言者や神懸り、霊懸りした宗教家(低級な神や霊が懸った宗教家)や指導者(同じく低級な神や霊が懸った霊能者やチャネラー)などが多く現れて、世の人を惑わすらしいと記されている次のような帖もある。

「夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。」(星座之巻第十八帖)

「世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢや。悪かみかかりに迷ふでないぞ。サニワ(審神)せよ。外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。カミカカリ(神懸り)が沢山出来て来て、わけの分らんことになるから、早く此の理(道)をひらいて呉れよ。」(春の巻第二帖。上つ巻第三十九帖)

「色々のお告げ出ると申してあらうが。今その通りぢゃ。お告に迷ふぞ。審神して聞け。判らなくなれば神示見よ。」(黄金の巻第四十五帖)

「心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。馬鹿正直、まことの道見失ふことあると申してあらうが。」(黄金の巻第二十九帖)

で書記され、こうした惑わしや混乱も一時的で束の間の今しばらくのものでしかないこと。そして、世に出ている色々なお告げに対しても(たとえ、それが神(高級神霊)からのお告げや言葉であっても)、馬鹿正直に何の疑問も持たずに鵜呑みにして信じるのではなく、自分自身で良くサニワ(審神)、見極めて取捨し、惑わされることがないようにすることが肝要なのだと語られている。神示にあるように馬鹿正直も程を過ぎると「まことの道」を見失ってしまうことにもなるという。

「世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。」

と述べられ、サニワ(審神)の重要性とそれに続く帖で審神の方法や知識が記されている(これらの一端については上記の「霊界と現界の関係」の節で記す)。



 《岡田茂吉の説く浄霊による病気治しの予言(日月神示)》

 しかし、こうした悪神懸り(あくかみかかり)の人間が多く現れる一方で、「小さい事はサニワで家来の神神様から知らすのであるから、その事忘れるなよ」(下つ巻第二十六帖)や「ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひ(使い)ぞ。ひむかのお役は人の病をなほして(治して)神の方へ向けさすお役ぞ」(上つ巻第五帖)と書記されている帖もあり、大きなことではなくても、国常立尊の眷属の神霊やその系統の神霊による知らせやお告げ、病気治しなどの働きとそうした媒介や実践行動(神霊からの知らせやお告げを受けたり、また、それを世に知らせていく、実際に病人、病気を治す)などの役割を持つ現界の人間も存在するらしいことが述べられている。

 《日月神示の予言•世の建替》

  神示には過去にも世の建替は六度あったとあり、今後に起こるとされる大建替で七度目だという。そして、これが最後なのだとも書記されている。過去六度のそれぞれについてはその全てが現界のみの建替でしかなく、うわべだけの神示で言う「膏薬(こうやく)張り」のような建替の繰り返しであった為、根本的な大建替にはならず、すぐに元に戻り永続しなかったのだという。そして、今後に起こるとされる大建替では過去にあったそれらとは全く異なり、この現界はもちろんの事、神界、霊界、幽界等も含めた全ての世界に起こり、天明が最初に麻賀多神社の社務所で書記させられたように、文字通り「この世始まって二度とない苦労である」となるような途方もない大災厄と大変動が始まりのうちには起こるのだという。

 《神も悪になる!》

「前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって悪は走れば、苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ。」

 《臣民界だけでなく神界も改造する》

「これまでの改造は膏薬(こうやく)張りざから、すぐ元にかへるのぞ。今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらに御座る守護神さまには分らんのぞ。」(天つ巻第二帖)

 《三千世界の大洗濯》

「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。大地震、ヒ(火)の雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれ(逃れ)ようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。」(天つ巻第四帖。富士の巻第二十帖。紫金之巻第五帖)

 《今度は三千世界が潰れる!》

「戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上(天界)も潰れるぞ、下(現界)も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神神様にも分りては居らんのざぞ。今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざから、くどう申してゐるのざぞ。」(同じく「天つ巻」第二帖。三ラの巻(そらの巻)第十帖)

 《臣民だけでない。神も獣も道をつくりかへる。》

「死ぬか生るかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉くが同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固より、獣の道もつくりかへぞ。この世一切のことを建替へるのぢゃ、神の道も変へるぞ、心のおき所も変へるぞ。」(至恩之巻第十三帖。松の巻第八帖。|三の巻(ウミの巻)第十三帖)

「今度は三千世界が変るのであるから今迄のようなタテカへ(建替)ではないのであるぞ。」(扶桑の巻第一帖)

と述べられ、今までの建替とは違い三千世界すべてに渡って起こる大災厄と大変動を伴った大建替、大建直になる事と国常立尊をはじめとした一部の高級神霊しか、それらの仕組みが分らないらしいことがここでも述べられている。

 《今度の建替と建直》

 また、今度の建替と建直については次のように述べられている帖もある。

「建替と申すのは、神界、幽界、顕界(現界)にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直と申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。」(水の巻第十二帖)

「天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。この方でもだうにもならん元のキの道ぢゃぞ。

 《これからの道は善一筋!》

これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。」(一八(いは)の巻第三帖)

「この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。愈々の建替ざから、もとの神代よりも、もう一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。元の根本の世より、も一つキの世にせなならんのざから、神々様にも見当取れんのぢゃ、元の生神でないと、今度の御用出来んぞ。」(一八(いは)の巻第二帖。カゼの巻第八帖)

「今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合はん道理わかるであらうがな。今度はとことはに(常永遠に)変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。」(一八(いは)の巻第二帖。上つ巻第二十一帖)

 《今度の建替が最終最後である!》

とあり、今度の建替が最終最後の大建替となり根本からあらゆる世界に及ぶ事とその後の大建直では、昔に存在したとされる神世以上の想像を絶する光の世界へ移行。そして、その世界が永遠に続くことが書記されている。
  
 《ミロクの世の到来!》

そして、その世界の一端について神示には

「次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一(ひとつ)となってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽け、あなすがすがし、あな面白や。」( んめの巻(梅の巻)第十七帖)

 《天も地も一つになる!》

「神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞ、今の人民には分るまいなれど、神も人も一つ、上も下も一つとなって自ら区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。」(同巻第十六帖) 

 《ミロクの世は半霊半物質、四次元の世界!》

「来るべき世界が、半霊半物質、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、人民も浄化行せねばならん、大元の道にかへり、歩まねばならん、今迄のやうな物質でない物質の世となるのであるぞ。」(星座之巻第十二帖)

「マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組み。」(五葉之巻第十六帖)

「八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸ひらきぢゃ。千引(ちびき)岩戸を開くことについて、神は今まで何も申さないでいたのであるなれど、時めぐり来て、その一端をこの神示で知らすのであるぞ。」(至恩之巻第十三帖。同巻第十四帖。紫金之巻第十帖)

と書記されている。

 《天空の異変の予言(太陽)》

 上記の大峠や三千世界の大洗濯が来る直前にはいくつかの兆候があるのだと神示には書記されている。まず、天空に多くの異変が現れ本来ひとつのはずの「太陽」が複数個見られる様になるという。

 《ロシアを中心とした欧米5ケ国の攻撃》

 北方から軍事攻撃がある。
太陽は「黒い太陽」、二つ、三つ、四つになる。
月は「赤くなる」
そらも「赤かじゃ!」

 また「月」にも異変が現れ太陽はその色が「黒く」月は「赤く」なり、空も赤く染まるのだという。また、北から軍事攻撃されるのが、その始まりになるとも書記されている。これらは次のように述べられている。「北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、神々様にも知らすぞよ。」(富士の巻第十六帖)、「月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はち(血)の色となるぞ、流れもちぢゃ、人民四つん這ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。」(紫金之巻第五帖)と書記されている。

(参考記事 『ペアの太陽 - 「2012年ベテルギウス超新星爆発の予測」に関しての大騒動 』)

(神示の記述にある「天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ」と神霊が語る、太陽が複数個見られる様子とは、このようなことを指しているのか、どうか、私には分からない。

 天空の異変については、上記以外にも「宵の明星が東へ廻ってゐたら、愈々(いよいよ)だぞ。天の異変気付けと、くどう申してあろがな。」(松の巻第十九帖)、更には「天の異変気付と申してあろが冬の次が春とは限らんと申してあろが。夏雪降ることもあるのざぞ。人民の邪気が凝りて、天にも地にも、わけの判らん虫わくぞ。」(夜明けの巻第三帖)、同様に「空に変りたこと現はれたならば地に変りたことがあると心得よ、いよいよとなりて来てゐるのざぞ」( 天つ巻第十三帖)、更に「てんのゐへん(異変)気つけて居れよ。神くどう気つけて置くぞ。神世近づいたぞ」(同帖)と神示には複数の帖で書記され、天空の異変にはくれぐれも十分な注意が必要なのだという。また、「八のつく日に気つけて呉れよ、だんだん近づいたから、辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。」(下つ巻第三十帖)、「冬の先春とばかりは限らんと申してあること忘れるなよ。用意せよ、冬に桜咲くぞ。」(日月の巻第二十六帖)と書記されている帖もあり、夏に雪が降ったり冬に桜が咲いたりといった気象や季節、また、それによる生態系の異変なども大きな予兆になるのだという。

 その他、天空の異変や気象、季節の異変以外にも神示には「世界の片端、浜辺からいよいよが起って来たぞ、夜明け近づいたぞ。」( 極め之巻第十六帖)や「世界の片八四(片端)浜辺からいよいよが始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどい様なれどさっぱりと洗濯してくれよ。」(磐戸(一八十)の巻第十三帖)、「この世始ってないことが出てくるのぢゃ、世界の片はし(片端)八まべ(浜辺)からぞ。」(月光の巻第五十四帖)と書記されている帖があり、これらは最近(この部分を書いた、2011年5月現在から)約2万人近くの犠牲者を出した東日本大震災やこれに遡る数年前に起こり、より多くの犠牲者をもたらした一連のスマトラ沖大地震による浜辺からの災い(巨大津波とそれによる大水害)などを指しているとも考えられ、大峠や三千世界の大洗濯が来る直前の予兆現象としては、すでに部分的にはもう起こり始めていると考えて良いのかもしれない。

 上記した予兆の後に起こるとされる地球上での大変動や大戦乱についての記述は神示の中にいくつか見られるが、戦乱については多くの国がひとつになって日本に攻めて来るのだという。また、時を同じくして人類が未だかつて経験したことが無い程の大変動が起こるのだと書記されている。

 《「富士の巻」第三帖》

「メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて㋹の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな。」と書記されアメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、ロシアなどの国の軍隊が日本に攻めて来るらしいことが述べられている。

また、地球上での大変動については、

  《地球の地軸が動く!》

「地つちの軸(地軸)動くぞ。またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。」(磐戸(一八十)の巻第五帖。下つ巻第二十八帖)

「一日のひのまにも(日の間にも)天地引繰り返ると申してあろがな、ビックリ箱が近づいたぞ。」(天つ巻第三帖)

「天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一度にゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。」(天つ巻第二十九帖)

と述べられており、わずかな時間の間にも地軸が動き、地球という惑星自体が引繰り返るような大変動、大騒動が起こるのだという。

さらには、大戦乱や地球の大変動だけにとどまらず、次のようなことも起こるという。

  《戦争や天変地異だけでない。もっと恐ろしいことが起きるぞ!》

「人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や禍は見当とれまいがな、神のミコトにきけよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。神かかりと申しても其処らに御座る天狗や狐や狸つきではないぞ。まことの神かかりであるぞ。」(磐戸(一八十)の巻第七帖)
   
  《人間の魂の災禍の怖さつである!》

とあり、本当の怖さは人間の戦争や天災、また、肉体などではなくタマ(魂)の災禍の怖さなのだという。同様に次のように書記されている帖もある。

 《戦争より己れの心に巣くう獣や悪魔が怖いのだ!》

「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が怖いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが怖いぞ。」(富士の巻第七帖)

と書記され本当の怖さは魂のそれだとここでも述べられている。

 《日月神示の天変地異》

なお、神示の中で書記されている天変地異については、具体的には、次のような災いが起こるとされる。

 神示には大峠や三千世界の大洗濯の最中になったら、この壮大で美しい富士山も遂に動くのだと記されている。
世界中が唸り、陸が海となるところや、海が陸になるところもあるという。(上つ巻第三帖)、(地つ巻第十六帖) 

 《大地震と富士山など火山の噴火が必ず発生する!》

 大地震、火の雨降らしての大洗濯になるという。(紫金之巻第五帖)

 火と水の災難がいかに恐ろしいかを大なり小なり知らされることになるという。(富士の巻第十九帖)

 《地球の地軸が動くぞ!日本列島は糸魚川•静岡構造線を境に東日本は海底へ沈む。
 西日本は3000m級の山々になる。四次元のミロクの世じゃ。神も臣民も一緒に暮らすのじゃ!》

 一時は天も地も一つにまぜまぜになるという。(富士の巻第十九帖)

天地がうなり、上下引っくり返るという。(上つ巻第二十七帖)  

 《台風、竜巻、火山噴火、富士山噴火、津波、山火事が頻繁に起きるぞ!》

 大風が起こり、大海原には竜巻が発生し、やがて火の雨と地震が、山は火を噴きどよめくという。(富士の巻第二十四帖)
富士山がいよいよ動くのだという。(上つ巻第二十一帖)

 《地球の地軸が動くぞ!》

 大地も転位、天も転位するという。(五葉之巻第十五帖)
 
 《天明の見た幻。老婆との不思議な体験!》

 天明が知人である高田集蔵の誘いで、昭和19年6月10日に千葉県印旛郡公津村台方(現:成田市台方)を訪れたのはその近くに「どぶろく」を造っている家が在り、そこに行けば「どぶろく」を飲めるということが最初の理由だったらしい。当時は戦時中でもあり酒には不自由していた時代であった。天明自身は酒がかなり好きだったといわれる。しかし、先方の都合で結局、酒は飲めなかったという。

 天之日津久神社に参拝し、自動書記も終えて無人の社務所で休んでいた時に籠を背負った農家風の老婆が現れ天明と親しくなり、社務所にあった御神酒を2人で平らげてしまったという。老婆はまるでここの主でもあるかのように、遠慮もなく酒瓶を持ち出して来て、天明に酒を飲むように勧めたという。その雰囲気は天明にお酌し勧めながら、そしてまた自分も共に飲むといった感じで、自然で上手だったと天明は後に語っている。その後も、上機嫌となった老婆は「私の家はこの近くだから案内する。何かとお話を伺いたい。」と天明を誘い、神社近くの老婆の裕福そうな家でたらふく御馳走になったという。 

 この2年後に天之日津久神社近くに天明は住むことになるが、この老婆にまず、挨拶しようと老婆の家を探したが家もなく老婆もおらず(天明の後の述懐によれば、そこに家があったと思われる痕跡すらなかったという)。近所の人に聞いても分からず、浦島太郎になったような釈然としない不思議な気持ち(天明の言葉によれば、「今浦島のような気持ち」)だったという。

  《妻•岡本三典•矢野新の真実。   
  「正真正銘の太神様の御真筆ですよ!》

 岡本三典によると天明は神示が降ろされてからも、しばらくの間はそれを全くと言っていいほど読む事も出来ず内容も解らなかったため、下級霊の仕業に依るものだと思っていたらしい。そのために書記された原文も放って置いたり、中には捨ててしまったものさえあったという。神示の重要性を最初に気付き天明に知らせたのは、「大本」時代からの知り合いである「矢野新(矢野シン)」(海軍大佐の矢野祐太郎の妻)[43]だったと言われている。この矢野新は優れた霊能者であり天明から原文を見せられた時に、即座にその重大性を直感、認識し「これは正真正銘の太神様の御真筆ですよ」と顔色を変えて答えたという。

 この後、矢野が呼びかけ幾人かの霊能者や神典研究家が集まり神示の解読を目的とした研究会が誕生。神示は少しずつ解読されていったという。

 《日月神示と法元辰二ほうがんたつじとの関わり!》

 上記の矢野以外で早い時期(三典の著書では矢野が原文を見せられる前だった可能性が高い)に神示の重要性に気付いた、もう一人の人物が天明と同じく鳩森八幡神社で留守神主を務めていた「法元辰二ほうがんたつじ」だったという。法元も大正天皇の侍従武官まで務めた年配の(元)陸軍大佐であり、軍人達の中(特に陸軍内)に日月神示を知っている者が多かったのは、この法元という人間の存在が大きな理由のひとつだったと思われる。また、神示が散逸せずに無事に残ったのもこの法元のおかげであったと三典は自著で記している。

 おそらく法元は八幡神社で勤務していた時に、天明が自動書記で神示を書かされる場面を垣間見たことがあり、その姿や雰囲気(多分、書記している時の天明の表情と書記されていく速度の猛烈な速さ)に大きく感銘を受け心を動かされたものと思われる。  

 軍人でありながら留守神主の一人に任命されていることからも法元自身が、こうしたことを目の当たりにしても、それを冷静に観察し受け入れて認められるだけの相当な神道知識と素養(ある程度の霊能力も併せ持っていた可能性がある)を持っていたと考えられ、また、書記後の天明の別人のような神示の無雑作でぞんざいな扱いぶりを心配し、自身が神示の保存と保管に非常に心を配ったと考えられる。(元)陸軍大佐という立場にもあったため、陸軍内における発言力や影響力もある程度大きく、この神示の重大性を上層部や仲間の軍人達に報告、進言し神示が軍内に知られる大きなきっかけになったであろうことも同じく推測される。

 《天明は神示の重要性に気づく!》

 その後に天明自身も神示の重要性に気付き書記されたものを清書したりしていたが、清書した神示のいくつかは、神前に供えていたところ霊化して消えてなくなってしまったという。(清書したものが消えて、原文は残っていたと思われる。)

 天明自身はもともと、かなりの小食家だったが神示が降りる前にはさらに少なくなり、1日に餅1個やリンゴ1個しか食べない日が続いたという。それでも本人は元気で気分は至って爽快だったらしい。

 神示の中で「天明は神示うつす役、書かす御役」(極め之巻第十帖)(参11)や「天明は神示書かす御役ぞ、陰の役ぞ」(地つ巻第二十九帖)(参12)、また、「夜明けの巻」第十三帖でも「天明は神示書かす役ぞ。アホになれと申してあろが、まだまだぞ」などと書記されているが、神霊も天明に懸かるのが難しい時や苦労した場合もあったらしい。

 《天明はアホになれ!》

 それに関して次のように神霊が述べている帖がある。「天明阿房あほうになりて呉れよ、我すてて呉れよ、神かかるのに苦しいぞ。」(地つ巻第十二帖)。「テンメイかいしん(改心)まだまだのまだであるぞ。」(黄金の巻第二十五帖)(参10)

 《三千世界は神界から乱れたのじゃ!》

 神示によると世の中が乱れたのは人間界(現界)からではなく、神界からなのだという。「んめの巻(梅の巻)」第十帖で(参16)「世は神界から乱れたのであるぞ、人間界から世建直して地の岩戸人間が開いて見せると云ふ程の気魄なくてならんのざぞ、その気魄幸はふのざぞ、岩戸ひらけるぞ。」、また「|三の巻(ウミの巻)」第十三帖でも「此の世を乱したのは神界から、此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、この道理判るであろがな、建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞ。」と述べられ、人間界側からの努力が大切なのであると語られている。そして、「んめの巻(梅の巻)」第二十四帖では「人民も磨けば神に御意見される程に身魂に依ってはなれるのであるぞ、地の日月の神と栄えるのざぞ、何より身魂磨き結構。」とも書記させている。



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