儒教の教えと男尊女卑 虐げられた女性達! 二千年の歴史

蔵屋

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第四巻 戦国武将松永弾正に虐げられた女性たち。

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信長と松永弾正久秀

 信長の部下たちとの人間関係を眺めていて、私が極めて興味をそそられたのは、当時の歴史の中で、悪人の権化ともされている松永弾正久秀との関係である。
 松永という男は調べてみれば調べるほど面白い。実はこの男も、信長と同質の合理感覚の持ち主であった。彼が極悪人とされる理由は『常山紀談じょうざんきだん』なる古文書に信長が、徳川家康に会ったとき、その横にいた松永弾正について、「この老翁おじは世の人のなしがたき事三つなしたる者なり」と紹介して、「一つは天下の将軍を殺し、二つ目は自分の主君の三好を殺し、三つ目は奈良の大仏殿を焼いてしまった」と言ったら、松永は顔を赤らめた、とある。
 松永が、そうした前科の割には、信長に、ずいぶんと重用されたのに、後になって、彼に背いて兵を挙げたのはその時の恨みのせいだなどという説がしきりにあるが、私は全くそうは思わない。信長は、実はこのしたたかな男は当時すでに60代にかかっていた。死んだ時は、67歳という老人をかなり評価し、人物としても買っていたに違いない。松永久秀なる男が備えていた、信長と等質の合理感覚を、信長は見抜いていたと思う。それは一種の美意識にも繋がっていて、松永が所領の信貴山しぎざんに造った城なるものは、規模の大きさは違っても、実は信長が造った安土城に先んじて、吹き抜けを持つ天守閣の城だった。いわば日本で最新の建築様式は、信長の発案ではなしに、実は彼の部下だった松永のものだったようだ。
 そうした松永の生まれ持った美意識は、信長が後に二度目に背いた彼に対して、彼が所有している茶の名器『平蜘蛛の釜ひらぐものかま』を手渡すなら、許してやると申し込んだのを、松永は蹴って、「あんな男の手に渡すくらいならいっそこの手で」と嘯いてその手で釜を打ち砕いて自害してしまったという挿話に表象されているが、城のデザインの模倣といい、このお茶の名器にまつわる話といい、二人の感性には、実は似通うものがあって、他ならぬ信長は、それを認め、松永を評価していたに違いない。あの時、松永が『平蜘蛛の釜ひらぐものかま』を差し出して降伏していたら、信長は、周りがなんと言おうと、多分何か痛烈な皮肉をかませながらな松永弾正なる極悪人を許していたに違いない。松永もそれを予知していたであろうが、なぜ?、三つの大罪を犯してもなお大名として、ぬけぬけと生きおおせてきた男が、茶器一つに固執して死んでしまったのか。
 そのわけは、嫉妬、男としての信長への嫉妬だったのであろう。自分と等質の感性を持った男の目を見張る、出世を目にして、松永は、もし自分がもう少し若かったならば、自分もまた信長に劣らぬ道を歩んでいくことが出来ただろうに、いや、きっと出来たに違いない。それをこの男、信長こそが、俺に証して見せているのだと、心中切歯扼腕しんちゅうせっしやくわんしていたに違いない。そのいまいましさこそが、おそらく信長から見ても、呆気ない自殺に彼を追いやったに違いない。歴史書の中で、松永に関する記述は少なくその出自も定かではないが、そんな人間が、あの時代に、当然京における権力者の一人三好家に取り入って出世し、後には、その三好に背いて殺してしまうというのは、信長もその才能を見抜いていたに違いない。いわば、相撲での大物食いの異能力士で信長も、その才能をこそ買っていたに違いない。
 
ー(松永弾正久秀のセックス)ー

 松永の異能ぶりは、その合理主義に表れていて、例えばセックスは人目も気にせずに、それも夜ではなしに日中に行った方が快感は高まると言ってはばからず、自らそうしていたということらしい。
 加えて、戦いに出かける途中、宿泊する村むらで、村の女たちを動員させて、強姦ではなしに納得ずくで金を払い、兵士たち相手に売春をさせた。そのせいで、松永の率いる軍勢は、百姓たちには、人気があったと言う。


 彼が信長の言った天下の三つの大罪として、将軍を殺し、主人の三好を殺し、大仏殿を焼いたと言うのも、実は信長自身がやった足利時代を終わらせた将軍義昭の追放、朝廷の権威の無視、そうして比叡山の焼き討ちと、いかにも似通う。と言うよりは。全く等質のものだ。加えて、信長の天才性を裏返しに表象するものに、彼の残酷性がある。その象徴的な挿話は討ち滅ぼした朝倉、浅井の首領たちの首三つを皮を剥ぎ肉をいで骸骨がいこつにしてそれに漆をほどこして大きな器に仕立て、酒を注ぎ、武将たちに回し呑みさせた所行だ。
『信長公記』に、「その器を饗宴きょうえんに据え置き、御さかなだされ候て、御酒宴。各々御謡、御遊興。千々万々。目出たく、御存分に任せられ、御悦びなり」
 その前に、信長は、滅ぼした朝倉義景の嫡男を探し出して、自害させ、妹の夫であった浅井長政の嫡男を磔にしてしまった。
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