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ひふみ神示第九巻 チェック✅済み
しおりを挟む私は幼少期、観音様に興味を持ったことがあった。何故なら先祖代々、国家神道の家柄であり、また、先祖供養は真言密教であった。真言密教は空海を教祖としていてそのお経の中に阿弥陀如来と大日如来、観世音菩薩が出てくるのだ。毎日先祖供養をしていると言霊というのであろうか。観音様のことが少しずつ分かるようになった。観音様に興味を持ったのです。
それは同じお釈迦様の教えでありそのおおもとの仏教から派生して様々な宗派が出来た。
この宗派なるもの基本はみんな同じであると分かったのです。だから仏教の間で他宗教を批判するのはおかしなことだと、子供心に思ったのです。
国家神道も一緒です。すべては記紀と言われる古事記や日本書記から神代の話が出て来て、それは、まるでおとぎ話のような物語構成になっていると、子供心に思いました。
世の中には霊魂なるものがある。人の恨み、つらみの怨霊、復讐などこの世に未練を残して成仏出来ない霊魂は万とあるのだと今でも思っている。
私は4歳位の時、実際に火の玉を見ている。その日、その場所の溜池に5歳位の女の子が着物を着ていて遊んでいた。
そして溜池に落ちて溺れて死んだ。
その時救急車やパトカーがサイレンを鳴らしながら来て大騒ぎになった。いつの間にか溜池の事故現場に野次馬が集まった。
私もその野次馬の一人であった。私は今でもその女の子の死に顔を覚えている。
その時救急隊員の男性が心臓マッサージをしている最中だった。女の子の顔色は真っ青であった。目を閉じていて反応はなかった。そのそばでは大人の女性が泣いていた。私は子供心に「あれはお母さんなんだろうな」と思った。
私はその時人間の死というものに生まれて初めて出会ったのです。
女の子のお母さんにしてみれば、何故目を離したのだろうと、後悔したことであろう。しかしもう遅い。「後の後悔、先に立たず」である。
その晩その溜池の上の方に浮遊する火の玉を見たのです。
しかし、幽霊なるものは見たことはありません。
私の妹は霊的な何かがあるみたいです。
一度妹から次のような話を聞いたことがあります。それは彼女が幽体離脱をしたことがある、という話でした。
最初は「そんなバカな」と思っていましたが岡田茂吉の御神書を読んでいた時、その幽体離脱についての記述があったのです。
以来、この霊なる存在に興味を持つようになったのです。
今回は観音様のお話です。
観音菩薩。梵はAvalokiteśvaraです。
仏教の菩薩の一尊。観世音菩薩、観自在菩薩。救世菩薩など多数の別名がある。
一般的に「観音様」とも呼ばれる。
『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五。(『観音経』)
観音菩薩の起源や性別には定説がない。
岩本裕はインド土着の女神が仏教に取り入れられた可能性を示唆しており、エローラ石窟群、サールナートなどインドの仏教遺跡においても観音菩薩像と思しき仏像が発掘されている。
ゾロアスター教においてアフラ・マズダーの娘とされる女神アナーヒターやスプンタ・アールマティとの関連も指摘されている。
サンスクリットのアヴァローキテーシュヴァラ(Avalokiteśvara)を、玄奘は「観察された(avalokita)」と「自在者(īśvara)」の合成語と解釈し「観自在」と訳した。
鳩摩羅什訳では「観世音」であったが、玄奘は「古く光世音、観世音、観世音自在などと漢訳しているのは、全てあやまりである」といっている。
一方で、中央アジアで発見された古いサンスクリットの『法華経』では、アヴァローキタスヴァラ(avalokitasvara)となっており、これに沿えば「観察された(avalokita)」+「音・声(svara)」と解され、また古訳では『光世音菩薩』の訳語もあることなどから、異なるテキストだった可能性は否定できない。なお、現在発見されている写本に記された名前としては、avalokitasvaraがもっとも古形であり、ローケーシュ・チャンドラはこの表記が原形であったとしている。
観音菩薩という呼び名は、唐の太宗皇帝の忌み名が世民であったため改称された。一般的には観世音菩薩の略号と解釈されている。
日本語の「カンノン」は「観音」の呉音読みであり、連声によって「オン」が「ノン」になったものである。
『観音経』などに基づいて広く信仰・礼拝の対象となっている。また、『般若心経』の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若の智慧の象徴ともなっている。浄土教では『観無量寿経』の説くところにより阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩と共に安置されることも多い。観音菩薩は大慈大悲を本誓とする。中国では六朝時代から霊験記(傅亮『光世音応験記』、張演『続観世音応験記』、陸杲『繫観世音応験記』)が遺され、日本では飛鳥時代から造像例があり、現世利益と結びつけられて、時代・地域を問わず広く信仰されている。
日本では鳩摩羅什訳『法華経』の影響により、「南無観世音菩薩」と観音の名を呼んで助けを求めれば、救いを求める者の身分や境遇に合せて三十三の変化身(三十三観音)をとなって、いかなる者がどこにいても救済にかけつけてくれる菩薩として絶大な信仰を得てきた。
観音の在す住処・浄土は、ポータラカ(Potalaka、補陀落)といい、実叉難陀訳『大方広仏華厳経』と般若訳『大方広仏華厳経』には、南インドの摩頼矩吒国の補怛洛伽(Potalaka)であると説かれる。
偽経『観世音菩薩往生浄土本縁経』によると、過去世において長那(ちょうな)というバラモンの子の早離(そうり)であったとされる。彼には速離(そくり)という兄弟がおり、のちの勢至菩薩だという。早離と速離は騙されて無人島に捨てられ、餓死したが、早離は餓死する寸前に「生まれ変わったら自分たちのように苦しんでいる人たちを救いたい」と誓願を立てたため、観音菩薩になったという。なお、父の長那は未来に釈迦として生まれ変わった。
ー(チベット仏教における位置づけ)ー
チベット仏教では、チベットの国土に住む衆生は「観音菩薩の所化」と位置づけられ、チベット仏教の四大宗派に数えられるゲルグ派の高位の化身ラマで、民間の信仰を集めているダライ・ラマは、観音菩薩(千手千眼十一面観音)の化身とされている。居城であるラサのポタラ宮の名は、観音の浄土である、ポータラカ(Potalaka、補陀落)に因む。チベットでは、観音菩薩はチェンレジー(spyan ras gzigs)として知られるが、これは「観自在」を意味する「spyan ras gzigs dbang phyug」を省略したものである。
古代より広く信仰を集め、日本では各地に建立されることが多い観音像。
観音菩薩は男性と女性の両方の姿を取ることから、欧米の研究者のあいだではジェンダー・フリーの体現者であると解釈され、評価されている。しかしながら、本来は男性であったと考えられる。
例えば、松原哲明は、梵名のアヴァローキテーシュヴァラが男性名詞であること、華厳経に「勇猛なる男子(丈夫)、観世音菩薩」と書かれていることから、本来男性であったと述べている。植木雅俊も、
ガンダーラの観音菩薩の彫刻は、ほとんどが口ひげをたくわえている。
『法華経』のサンスクリット原典(ケルン・南条本)の第31偈には、観音が導師となる阿弥陀仏の浄土に女性は誰も生まれてこない、と書いてある。なお、この部分は鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』にはないと言っている。しかし立正大学の三友健容博士によると、1~27偈までは観自在菩薩についての記述であるが、28~33偈は、後代に追加されたものであり。竺法護や鳩摩羅什の底本は現存の写本より古いものであり、世尊偈はない。また添品妙法蓮華経は1~28偈までである。現存サンスクリット版法華経では1~33偈までである。博士によると28~33偈は、「観自在菩薩」と「世自在王仏」がサンスクリット語で発音が似ている事から、添品妙法蓮華経以後に法華経に誤って混入した浄土思想である。と発表した。また、植木雅俊訳、サンスクリット原典現代語訳法華経(角川書店)では、28~33偈の中に、観音菩薩と無尽意菩薩が登場するが、サンスクリット原文では登場していない、これは無量寿経に基づいての翻訳である。
『法華経』のサンスクリット原典では、観音は16の姿を現すとされ、その全てが男性である。
『法華経』の初期の漢訳である 竺法護訳『正法華経』(286年)では、観音は17の姿を現すとされ、その全てが男性である。
ところが鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』(406年。現在、最も普及している法華経)では観音は「三十三身」を現すとされ、そのうち7つが女性の姿である。
という事実を挙げ、観音の女性化はインドではなく中国仏教の方針により鳩摩羅什によって行われたこと、中国での観音菩薩は男尊女卑の儒教倫理に悩む人たちがすがるものであったこと、例えば、世継ぎの男子を生めない妻は離縁されて当然という儒教(『礼記』の「嫁して三年、子なきは去る」)の男尊女卑の考えに苦しんだ女性たちは、観音に祈れば男児が授かるという現世利益的な観音信仰を広く受け入れたこと、を指摘している。
確かに中国では「慈母観音」などという言葉から示されるように、俗に女性と見る向きが多い。また、例えば地蔵菩薩を観音と同じ大悲闡提の一対として見る場合が多く、地蔵が男性の僧侶形の像容であるのに対し、観音は女性的な顔立ちの像容も多いことからそのように見る場合が多い。
観音経では「婦女身得度者、即現婦女身而為説法」と、女性の身で教化すべき衆生に対しては女性に変身して説法することもあるため、次第に性別は無いものとして捉えられるようになった。また後代に至ると観音を民間信仰の女神である媽祖と同一視する傾向が強くなった。
また、妙荘王の末女である妙善という女性が尼僧として出家、成道し、観音菩薩となったという説話が十二世紀頃に中国全土に流布し、『香山宝巻』の成立によって王女妙善説話が定着、美しい女性としての観音菩薩のイメージが定着したとする説もある。
観音経。江戸時代の経本の、妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五の偈文の部分。これは読誦用の「両点本」で、経文(漢文)の右側に「真読」(経文を呉音で直読するためのふりがな)を、左側に「訓読」(経文を漢文訓読で読み下すための訓点)が表記されている。
観音について説かれた仏教経典は数多いが、最古かつ最も有名なのは妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五、別名「観音経」である。三十三身普門示現もこの教典の長行に説かれている。この略本と考えられている十句観音経や、十一面観音について説かれた十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経がよく読誦される経典である。
これらの経典は、普門品偈文(観音経)に、「衆生、困厄(こんみゃく)を被って、無量の苦、身を逼(せ)めんに、観音妙智の力、能く世間の苦を救わん。〔観音菩薩は〕神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸(もろもろ)の国土に、刹として身を現ぜざること無し。種々の諸(もろもろ)の悪趣、地獄・鬼・畜生、生老病死の苦、以て漸(ようや)く悉く滅せしむ。」 とあるように、観音の慈悲が広く、優れた現世利益を持つことを述べている点が共通している。
現在のスリランカの仏教は上座部仏教で占められているもの、かつては大乗仏教や密教が勢力を持っていた時代があり、「ナータ」(観音菩薩)や「サマン」(普賢菩薩)への信仰が存在した。15世紀のスリランカにおいて図像の作成者によって用いられた図像学についてのサンスクリット文献は観音菩薩(ナータ)における以下の示現を記述している。なお、これらは南インドのヒンドゥー教における「アーガマ」の伝統からの輸入である。
ー(ひふみ神示第二十二帖(二二))ー
「いよいよとなれば、外国強いと見れば、外国へつく臣民 沢山できるぞ。そんな臣民一人もいらぬ、早うまことの者ばかりで神の国を堅めて呉れよ。六月二十の八日、一二のか三。
(解説)
地軸が動き天地異変が起きるのは確実なのだろうか?
この警告から日本国民も外国につくべきか、つかぬべきかと悩む様子が伺い知れる。
しかし神は外国につく臣民は一人もいらない。と警告しているのだ。
「神憑り出来るように身魂を綺麗にしてくれ。」と神は言っているのだ。
ー(ひふみ神示 第二十三帖 (二三))ー
「神なぞ何うでもよいから、早く楽にして呉れと言ふ人 沢山あるが、こんな人は、今度はみな灰にして、なくして仕まふから、その覚悟して居れよ。六月の二十八日、ひつくのか三。」
恐らく広島や長崎に投下されたような核兵器が使用されるのかも知れない。
この帖から殆どの臣民が苦しんでいる様子が伺がわれる。こんな人はみな灰にすると神は言っているのだ。
これは恐らく水爆が日本列島に投下されるような警告ではないだろうか。
ー(ひふみ神示 第二十四帖 (二四))ー
「七の日はものの成る日ぞ。「ア」と「ヤ」と「ワ」は本(もと)の御用ぞ、「イ」「ウ」の身魂は介添えの御用ぞ。あとはだんだん分りて来るぞ。六月の二十八日は因縁の日ざ、一二のか三。」
(解説)
この警告は「ア」「ヤ」「ワ」は本来の神のご用をする人を指していると考えられる。
「ウ」「イ」の身魂は介添のご用ぞ。と教えている。
恐らくこの世界には肉体が存在しない、霊魂つまり身魂だけの世界ではないだろうか?
私はそのような世界を思い描いている。
今の地球上には人間の肉体は無くなり霊魂だけの世界になる。
これを神はミロクの世と言っていると、私は考えている。
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