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第二十二巻
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【二十二巻】
私が今回執筆した小説『日露戦争の真実』は読者の皆さんに知っていただきたいことがあったからです。
それは『日露戦争の真実』の主人公は、日露戦争で世界最強と言われたロシアのコサック騎兵と戦った秋山好古、同じく、日露戦争で、連合艦隊の作戦参謀として、日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅させた秋山真之の兄弟、そして俳句、短歌といった日本の古い短詩型を改革した正岡子規の三人です。彼らが生まれ育った松山という地に『日露戦争の真実』という物語を執筆し『人間が生きるとは?』、『人間が死ぬとは?』ということを考えていただきたいと思ったからです。
これからの時代はいつ、何が起きるかわかりません?過去の歴史を見ればそれがわかると思います。今の世界、今の日本、そして皆さんのご家庭、どうでしょうか?
あなたは幸せですか?
一度ご自分の人生を振り返って見て下さい。何かに気づくはずですよ。
それではこの物語をお楽しみ下さい。
皆さんは日本最古の温泉をご存知でしょうか?
実は松山の道後温泉なんです。
三千年を超える歴史があると言われる日本最古の温泉です。
膝に傷を折った白鷺が、岩の間から噴出する温泉に足を浸したところ、傷が完全に癒え元気に羽ばたき飛び立ったという開湯伝説(注釈1)があります。
大国主命が重病の少彦名命を入浴させたところ、快癒し、玉の石の上で舞ったいう神話があります。時代が下がり、聖徳太子や一遍上人、小林一茶に与謝野晶子など、道後温泉を訪れた偉人は、枚挙に暇がない。
中でも有名なのは、夏目漱石で木造山層楼の道後温泉本館が完成した明治27年の翌年に、松山中学校に教員として赴任してきた。夏目漱石は、幾度となく道後温泉に通った。「坊ちゃん」に登場する隅田の温泉とは道後温泉本館のことであったのです。
道後温泉本館のすぐ南には、中世に伊予の豪族•河野氏が築いた城趾を整備した道後公園湯築城趾があります。その一角に子規記念博物館が建っています。その周辺には子規がよく散歩に出かけた石手寺や好古が眠る鷺谷墓地もあります。
秋山兄弟の生家は復元され『秋山兄弟生誕地』として、地元の人々や日本全国の人々から愛されています。兄の好古は秋山久敬(注釈2)の三男として生まれました。弟の真之は五男として生を受けました。真之の生まれた年に明治維新(注釈3)が起こりました。三月生まれの真之は厳密に言いますと慶應四年ということになります。この年の正月に土佐藩の兵士が高知から松山城下へ進駐して来ました。松山藩は徳川家と姻戚関係にあり、戊辰戦争(注釈4)に幕府軍として参加し、多くの人命を失って敗れました。当然秋山家の生活も困窮しました。
進学のため、お金のない秋山家では、好古と真之は無料で学べる学校を探しました。
二人は伊予松山の地を離れて東京や大阪へ行くことにしました。
好古は大阪師範学校から東京予備教員などを経て陸軍士官学校へ入学しました。真之は大学予備門に入るために上京し、予備門を中退して海軍兵学校へ入りました。
二人が松山で育った家は二〇〇五年(平成十七年)財団法人|常磐同郷会《ときわどうきょうかい)によって復元され、一般に公開されています。
秋山真之は海軍大学校を首席で卒業し、『智謀如湧(注釈)』と、その功績を称えられました。松山に建立された真之の銅像の手は今もなお、受験生たちに人気があり『ゲン』を担ぐ受験生たちが何度も何度も撫でるため、色がはげ落ちています。
秋山家の北庭には江戸時代からの井戸があり、現在も水を汲み上げています。
また、好古や真之の住んでいた当時の居間も復元されています。
|《》松山には、『弟•秋山真之中将像』と『兄•秋山好古大将像』が道後公園に建てられています。好古像は一九三六年(昭和十一年)に建てられました。騎馬像を原寸大に復元したものです。好古像は正面に建てられた弟の真之像を覗き込むように配置されています。あの日露戦争の死闘を繰り広げているようです。
なお、真之の胸像は、一九二五年(大正十四年)に海軍兵学校に建てられたものの複製です。
【今なお、残る子規の足跡】
松山市にはNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』に合わせて街づくりが行われました。市電を利用すれば、一日で子規の家を復元した子規堂から秋山兄弟生誕地、愚陀仏庵、そして松山城まで観光することが出来ます。
『坂の上の雲』のゆかりの地には、解説盤が立ち、オリエンテーリングの要領で高浜虚子(注釈)の住居跡や河東碧悟桐の生誕地、子規の旧居宅跡などを見て回ることが出来ます。
秋山家と正岡家の当時の距離を体感し、松山城から市内を見下ろせば、彼らの息遣いを感じることができるでしょう。
(注釈1)
開湯伝説とは、温泉が発見された由来に関する言い伝えつまり伝説です。あくまで言い伝えであり、史実とは異なりますが、私はその伝説に生きている証としてのロマンスを感じます。
(注釈2)
秋山久敬は伊予松山藩士。好古、真之の父親である。
(注釈3)
明治維新は19世紀後半の江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の日本国内で行われた、一連の近代化改革です。約265年間続いた徳川家康が築いた幕藩体制を廃し、中央集権国家と資本主義社会への移行の出発点となった一大革命(注釈4)であり、政治的・社会的な変革を起こしたと言えるでしょう。
(注釈4)
戊辰戦争は慶応4年 / 明治元年(1868年)から明治2年(1869年)まで日本の各地で行われた戦いである。王政復古を経て新政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩等を中核とする新政府軍と、旧幕府軍・奥羽越列藩同盟・蝦夷共和国(幕府陸軍・幕府海軍)が戦った日本近代史上最大の内戦であった。名称の由来は、慶応4年・明治元年の干支が『戊辰』からです。
戦線の変遷は薩摩、長州、土佐などの雄藩は鳥羽・伏見の戦いで幕府軍を破り、函館での最終決戦の勝利に至り日本全土を制圧しました。
各地で行われた新政府軍と幕府軍との戦いでした。鳥羽・伏見の戦い、甲州勝沼の戦い、江戸開城、上野戦争、宇都宮城の戦い、北越戦争、東北戦争、箱館戦争です。
戦力は新政府軍12万人、対する幕府軍は15万人でした。
この戦いで犠牲になった人は新政府の戦死3556人、負傷者3804人でした。
対する幕府軍は戦死4707人、負傷者1518人でした。
新政府軍が勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、欧米列強は条約による内戦への局外中立を解除しました。これ以降、明治新政府が日本を統治する合法政府として国際的に認められたのです。
しかし、維新新政府はまだ、手探り状態でした。海外ではイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカのま五カ国列強が中国大陸や朝鮮半島の領土を狙っていたのです。日本もいつ狙われるか分からない不安定な時代だったのです。日本は富国強兵策が急がれたのです。また、国内においても新政府に対する不平士族たちの不満は根強かったのです。
やがて西郷隆盛率いる薩摩の不平士族たちによる西南戦争、そして日本に初めて中央政府として、内務卿になった大久保利通の殺害へと不平士族たちの不満は向けられたのでした。
画像1
明治維新・伏見の戦跡碑(佐藤栄作書)
画像2
戊辰戦場址碑
戊辰戦争の爪痕
(注釈5)
明治維新は中大兄皇子が中臣鎌足と力を合わせ、豪族・蘇我入鹿を打倒した事件として知られる『大化改新』に匹敵するでしょう。しかし、『大化改新』は単なる事件ではなく、日本という国の在り方を定めた『一大改革』でもあったのです。
『25周年アニバーサリーカップ』応募作品です。
私が小説として執筆したこの作品は『生きること』と『死ぬこと』をテーマにしています。
神さまの教え『生と死』です。
私が今回執筆した小説『日露戦争の真実』は読者の皆さんに知っていただきたいことがあったからです。
それは『日露戦争の真実』の主人公は、日露戦争で世界最強と言われたロシアのコサック騎兵と戦った秋山好古、同じく、日露戦争で、連合艦隊の作戦参謀として、日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅させた秋山真之の兄弟、そして俳句、短歌といった日本の古い短詩型を改革した正岡子規の三人です。彼らが生まれ育った松山という地に『日露戦争の真実』という物語を執筆し『人間が生きるとは?』、『人間が死ぬとは?』ということを考えていただきたいと思ったからです。
これからの時代はいつ、何が起きるかわかりません?過去の歴史を見ればそれがわかると思います。今の世界、今の日本、そして皆さんのご家庭、どうでしょうか?
あなたは幸せですか?
一度ご自分の人生を振り返って見て下さい。何かに気づくはずですよ。
それではこの物語をお楽しみ下さい。
皆さんは日本最古の温泉をご存知でしょうか?
実は松山の道後温泉なんです。
三千年を超える歴史があると言われる日本最古の温泉です。
膝に傷を折った白鷺が、岩の間から噴出する温泉に足を浸したところ、傷が完全に癒え元気に羽ばたき飛び立ったという開湯伝説(注釈1)があります。
大国主命が重病の少彦名命を入浴させたところ、快癒し、玉の石の上で舞ったいう神話があります。時代が下がり、聖徳太子や一遍上人、小林一茶に与謝野晶子など、道後温泉を訪れた偉人は、枚挙に暇がない。
中でも有名なのは、夏目漱石で木造山層楼の道後温泉本館が完成した明治27年の翌年に、松山中学校に教員として赴任してきた。夏目漱石は、幾度となく道後温泉に通った。「坊ちゃん」に登場する隅田の温泉とは道後温泉本館のことであったのです。
道後温泉本館のすぐ南には、中世に伊予の豪族•河野氏が築いた城趾を整備した道後公園湯築城趾があります。その一角に子規記念博物館が建っています。その周辺には子規がよく散歩に出かけた石手寺や好古が眠る鷺谷墓地もあります。
秋山兄弟の生家は復元され『秋山兄弟生誕地』として、地元の人々や日本全国の人々から愛されています。兄の好古は秋山久敬(注釈2)の三男として生まれました。弟の真之は五男として生を受けました。真之の生まれた年に明治維新(注釈3)が起こりました。三月生まれの真之は厳密に言いますと慶應四年ということになります。この年の正月に土佐藩の兵士が高知から松山城下へ進駐して来ました。松山藩は徳川家と姻戚関係にあり、戊辰戦争(注釈4)に幕府軍として参加し、多くの人命を失って敗れました。当然秋山家の生活も困窮しました。
進学のため、お金のない秋山家では、好古と真之は無料で学べる学校を探しました。
二人は伊予松山の地を離れて東京や大阪へ行くことにしました。
好古は大阪師範学校から東京予備教員などを経て陸軍士官学校へ入学しました。真之は大学予備門に入るために上京し、予備門を中退して海軍兵学校へ入りました。
二人が松山で育った家は二〇〇五年(平成十七年)財団法人|常磐同郷会《ときわどうきょうかい)によって復元され、一般に公開されています。
秋山真之は海軍大学校を首席で卒業し、『智謀如湧(注釈)』と、その功績を称えられました。松山に建立された真之の銅像の手は今もなお、受験生たちに人気があり『ゲン』を担ぐ受験生たちが何度も何度も撫でるため、色がはげ落ちています。
秋山家の北庭には江戸時代からの井戸があり、現在も水を汲み上げています。
また、好古や真之の住んでいた当時の居間も復元されています。
|《》松山には、『弟•秋山真之中将像』と『兄•秋山好古大将像』が道後公園に建てられています。好古像は一九三六年(昭和十一年)に建てられました。騎馬像を原寸大に復元したものです。好古像は正面に建てられた弟の真之像を覗き込むように配置されています。あの日露戦争の死闘を繰り広げているようです。
なお、真之の胸像は、一九二五年(大正十四年)に海軍兵学校に建てられたものの複製です。
【今なお、残る子規の足跡】
松山市にはNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』に合わせて街づくりが行われました。市電を利用すれば、一日で子規の家を復元した子規堂から秋山兄弟生誕地、愚陀仏庵、そして松山城まで観光することが出来ます。
『坂の上の雲』のゆかりの地には、解説盤が立ち、オリエンテーリングの要領で高浜虚子(注釈)の住居跡や河東碧悟桐の生誕地、子規の旧居宅跡などを見て回ることが出来ます。
秋山家と正岡家の当時の距離を体感し、松山城から市内を見下ろせば、彼らの息遣いを感じることができるでしょう。
(注釈1)
開湯伝説とは、温泉が発見された由来に関する言い伝えつまり伝説です。あくまで言い伝えであり、史実とは異なりますが、私はその伝説に生きている証としてのロマンスを感じます。
(注釈2)
秋山久敬は伊予松山藩士。好古、真之の父親である。
(注釈3)
明治維新は19世紀後半の江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の日本国内で行われた、一連の近代化改革です。約265年間続いた徳川家康が築いた幕藩体制を廃し、中央集権国家と資本主義社会への移行の出発点となった一大革命(注釈4)であり、政治的・社会的な変革を起こしたと言えるでしょう。
(注釈4)
戊辰戦争は慶応4年 / 明治元年(1868年)から明治2年(1869年)まで日本の各地で行われた戦いである。王政復古を経て新政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩等を中核とする新政府軍と、旧幕府軍・奥羽越列藩同盟・蝦夷共和国(幕府陸軍・幕府海軍)が戦った日本近代史上最大の内戦であった。名称の由来は、慶応4年・明治元年の干支が『戊辰』からです。
戦線の変遷は薩摩、長州、土佐などの雄藩は鳥羽・伏見の戦いで幕府軍を破り、函館での最終決戦の勝利に至り日本全土を制圧しました。
各地で行われた新政府軍と幕府軍との戦いでした。鳥羽・伏見の戦い、甲州勝沼の戦い、江戸開城、上野戦争、宇都宮城の戦い、北越戦争、東北戦争、箱館戦争です。
戦力は新政府軍12万人、対する幕府軍は15万人でした。
この戦いで犠牲になった人は新政府の戦死3556人、負傷者3804人でした。
対する幕府軍は戦死4707人、負傷者1518人でした。
新政府軍が勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、欧米列強は条約による内戦への局外中立を解除しました。これ以降、明治新政府が日本を統治する合法政府として国際的に認められたのです。
しかし、維新新政府はまだ、手探り状態でした。海外ではイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカのま五カ国列強が中国大陸や朝鮮半島の領土を狙っていたのです。日本もいつ狙われるか分からない不安定な時代だったのです。日本は富国強兵策が急がれたのです。また、国内においても新政府に対する不平士族たちの不満は根強かったのです。
やがて西郷隆盛率いる薩摩の不平士族たちによる西南戦争、そして日本に初めて中央政府として、内務卿になった大久保利通の殺害へと不平士族たちの不満は向けられたのでした。
画像1
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画像2
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明治維新は中大兄皇子が中臣鎌足と力を合わせ、豪族・蘇我入鹿を打倒した事件として知られる『大化改新』に匹敵するでしょう。しかし、『大化改新』は単なる事件ではなく、日本という国の在り方を定めた『一大改革』でもあったのです。
『25周年アニバーサリーカップ』応募作品です。
私が小説として執筆したこの作品は『生きること』と『死ぬこと』をテーマにしています。
神さまの教え『生と死』です。
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