月のない夜に

瑠亜

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使い魔と少女

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 夕闇が森に広がり始める頃。
 その人はやってくる。

「おい、人間。買ってきたぞ」

 台所で作業をしていたサクは、声をかけられ、振り返る。いつのまにか、食卓の上に生活雑貨と食料が並び、その側の椅子に長身の男が座っていた。急に現れた男に、サクは赤い目を見張るが、すぐに笑顔で答えた。

「ありがとう、使い魔さん」

 サクの答えに、男は眉を寄せる。端正な顔立ちだが、そうすると目つきが悪くなり、一見して怖いお兄さんだ。

「俺は使い魔という名前ではない」

 しかし、サクは構わず応える。

「私も人間という名前ではないわ。サクという名前があるのよ」
「お前なんか、人間で十分だ」
「じゃ、貴方は蝙蝠で十分ね」

 事実、この男は蝙蝠の使い魔だ。

「何だと⁈」
「じゃあ、なんて呼べばいいの?」
「お前なんぞに、呼ばれる名はない」
「あ、そう」

 そこまで言い置いて、サクは作業に戻った。ここまでの応酬は、いつものこと。ある意味予定調和のやりとりだった。
男も、今までの応酬に構わず、サクの作業が気になったらしい。

「何をしているんだ?」
「ベリーパイを焼くのよ」
「ベリーパイ!」

 男の表情が途端に明るくなる。
 一瞬にして上機嫌になった男をみて、サクはひっそりと笑う。その様子が伝わったのか、男は、はっとすると慌てたように言った。

「べ、別に、嬉しいわけじゃ」
「そう? じゃあ、いらない?」
「……いる」
「よかった。……で?」

 面白いなぁ、と思いながら、サクは笑顔で首を傾げた。男も言いたいことがわかっていたらしい。頷いて、一つの紙袋を差し出した。

「わかってる。ちゃんと買ってきたぞ」
「待っていたのよ。ありがとう」

 サクが目を輝かせてその紙袋に手を伸ばす。
 しかし、その紙袋がサクの手に渡る前に、ひょいと横から出てきた手がさらっていく。

「あ」
「さて、これは何かな?」

 起き出してきたばかりなのだろう。寝癖のついた髪を触りながら、若い男がその紙袋を手にしていた。

「ケイ、起きていたの?」
「今起きたよ。で、これは?」

 紙袋を示し、寝起きの男が笑顔で問う。その笑顔が怖いのは、サクの気のせいではないだろう。

「えっと、それは……」
「どこにいくのかな? ユエ」

 サクが答えあぐねていると、先ほどまでそこに座っていた男がそっと立ち上がって、そこを離れようとしていた。その背中に、寝起きの男の笑顔が突き刺さる。
 逃げ損ねた男は、ゆっくりと振り返り、乾いた笑みを浮かべた。

「あ、主、それは、その……」
「また、余計なもの、買ってきたのかな?」

 笑みが怖い。
 普段はとてもとても吸血鬼とは思えないほど穏健な彼が、今は、牙を研ぐ虎のように獲物を見定めている。

「それは、そのぅ……」

 逃げそびれた男の声はだんだんと小さくなっていく。それも、当然だろう。なんたって、逃げそびれた男にとって、彼は絶対的な主人だ。縮こまる使い魔を、冷たい目で見つめた寝起きの男は、黙って紙袋の中身を取り出す。

「あっ……」

 サクが目を見張る。慌てて止めようとするが、間に合わない。そして、男が紙袋から取り出したのは。

「本?」

 普通の本屋に売っているような本だ。

「それは、」

 慌ててサクが手を伸ばすが、男の方が身長が高い。男が手を上げれば、サクには手を伸ばしても届かない。
 そのまま、男は本の中をパラパラとめくって。
 そして、そのまま停止した。
 その隙に、顔を赤くしたサクがジャンプして本を奪い、胸に抱えた。それでも、寝起きの男は固まったまま。
 それは仕方がない。
 何故なら、そこには文字ではあったが、濃厚なラブシーンが描かれていたのだから。それは、今、巷で話題の、ちょっと過激な恋愛小説だった。一応補足しておくと、男女の、恋愛である。

「ケイの、馬鹿‼」

 耳まで赤くなったサクが、固まった男を突き飛ばして、自室に駆け込む。突き飛ばされた男は唖然とそれを見送った。
 サクはこれでも、年頃の女の子。
 興味を持つことは不思議ではない。
 そして、そこに羞恥を感じるのも普通だ。
 結果として、駆け込んだ自室の扉を固く閉ざして篭るのも、無理もない反応だ。
 男が思っているよりも、子供じゃない。
 その事実を突きつけられた寝起きの男(育ての親)にとっては、青天の霹靂。
 なんだかんだ言って、この男はサクを溺愛してる。
 使い魔はそれこそ、サクを育てるこの男を、初めからずっと見てきているのだ。主人が、彼女に対してどんな想いを抱いているか、よく知っている。そんな、座り込んだままの主人と、逃げそびれた使い魔。
 残された主従の間に、沈黙。
 そして、不意に目があった。

「ねぇ、ユエ」
「はい」
「なんで、あの子があんな本を読んでいるのかな?」

 問われても、使い魔には答えようがない。欲しいと言われたから買ってきただけだ。ただ、なぜ、あの本を知ったのかと言えば、使い魔の男が適当に買ってきた料理本の広告を、サクが見たからなのだが。
 笑顔で立ち上がる主人をみて、使い魔の男は逃げ道がないことを悟った。

「ベリーパイ、食べたかったな」

 そんな男の呟きは、誰にも聞かれることはなかった。
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