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第一章
狐族の思惑
しおりを挟む目を覚ますと、そこは薄暗く、冷たい所だった。デティはゆっくりと体を起こす。床に寝ていたせいか、体がひどく冷えている。
「ここは……?」
デティは、辺りを見回して呟いた。
たしか、さっきまで城の控えの間にいたはず。しかし、ここは冷たい石造りの建物の中のようだ。 だだっ広い空間には家具などはなく、ただ高い天井と、大きな窓だけの部屋だ。
「……お目覚めかな?」
不意に声がした。デティはその声の主を振り返り、やっとさっきまでの事を思い出した。
「……フェネック」
声に出して名を呼ぶと、フェネックは笑みを浮かべた。
「すみませんね、こんな寒いところで。だけど、ここが一番見つからないんだ」
「ここは、どこなの?」
「知りたい? なら、ここへ来て見なよ」
そういわれて、警戒しながらも、デティはフェネックの方に近寄る。
デティは近付くうちに、フェネックが座っているのは大きな窓の縁だと気付いた。
側までいくと、フェネックは、身振りで窓を覗くよう、促す。 警戒しながら、デティは、ゆっくりと窓を覗いた。
「ここは……」
そこは地上から数十メートルの高さがあるところだった。それほどの高さをもつ石造の建物で思い当たるのは一つ。
「……時計塔」
デティは呟く。時計塔は王都の中でも一番高い建物だ。そして、城から離れた街中に建っている。古くから存在する時計塔には、最上階にホールのような広い儀式場があるのだ。ここはそこだろう。フェネックは笑って答えた。
「御名答。さすがはディ・トゥエル」
その言葉を聞いて、デティは、はっと体を強張らせる。
「何故、その名を……」
そんなデティの様子にフェネックは満足げに頷いた。
竜は元々魔術が効きにくい。そんな竜の弱点が“名前”だった。本当の名前を知っている相手からの魔術は竜であっても防ぎきれない。そのため、本当の名前は絶対に秘密にされている。人間でありながら竜の魂を持つデティでも、基本は同じ。竜の名前がデティの魂や精神を縛る本当の名前だった。
「大変だったよ。竜は名前を隠したがる。……まぁ、名前が知られては、弱みを握られたようなものだからねぇ」
フェネックはそう言って、デティの髪に手を伸ばす。 デティは体を固くする。
「でも、その必要はなかったようだね。聖霊いないあなたは、ただの人間同様、無力だから」
フェネックは、デティの髪に自分の指を絡めた。
確かに、グロリアスは導師の元に使いに出している為そばにはいない。それでも、デティは無力というわけではない。
「あなたは、何がしたいの……?」
どう動くのが適切か。デティは判断したかった。そのためには、フェネックの目的が分からないと始まらない。
「僕は、九尾様の命にしたがってるだよ。そう、九尾様が望むのは、貴女の力だ」
「私の力……?」
「そうだよ。貴女の竜の力。九尾様にとって、この世で唯一、そして最大の障壁となる力。だけど、その力を手に入れてしまえば、竜姫でさえも手出しは出来ない」
フェネックは、その琥珀色の目を細めた。その目を見たデティは、身を竦める。フェネックの手がデティの頬に触れた。
「僕に力をくれれば楽になるんだよ。竜の娘とはいえ、貴女も被害者。悪いようにはされない。こっちに、僕らにつきなさい」
フェネックは単調に言う。その瞳に釘付けにされデティは答えられない。 黄色い瞳が妖しく光る。
「楽になりたいならこちらの側につきなさい。人間など、切り捨てて仕舞えばよいのだから」
その言葉にデティは、はっ、とした。そして、フェネックの手を弾いて、フェネックから離れる。
「……嫌よ」
デティの答えに、フェネックは困ったように肩を竦める。
「まだ、わからないの? 僕だって、好きでこんな事してるんじゃないんだ」
デティがフェネックの言葉を訝しんで、問おうと口を開いたときだった。
「……!?」
突然、街中に妖魔の叫び声が響き渡った。同時に、今までに感じたことのないほどの気配を感じた。 まるで街中に妖魔が現れたかのような、大量の気配だ。
「何をしたの……?」
「僕じゃないよ。あれは男爵がばらまいたんだ」
フェネックは興味無さそうに答えた。しかし、デティはフェネックの言葉で大方の事情は悟った。
「やっぱり、あの灰色の球は……。男爵にあの球を渡したのはあなたなのね?」
デティの問いに、フェネックはあっさり頷いた。
「そうだよ。彼は、力が欲しいって言うから。ついでに、君をあぶり出す手伝いをしてもらったんだ。まぁ、力を持った人間は片付けるまでも無く自滅するからね。ほっといたら、案の定これだよ」
フェネックは面白そうに言う。
「……男爵は死んだのね」
「そうだよ」
答えたフェネックは窓枠から立ち上った。一方で、デティは後退る。妖魔が現れたからには、ファニスのところまでいき、グロリアスを連れてこなければならない。しかし、ここからの出口は、少し離れたところにある。フェネックに後ろを見せなければ出口には辿りつかない。
なんとか隙をうかがっていると、フェネックは言った。
「まだ、人間なんかを気にかけるの?」
「私だって人間だもの。あたりまえよ」
デティの答えに、フェネックは理解出来ないように首をかしげた。
「わからないな。貴女も僕と同類なのに」
「一緒にしないでよ。あなたは狐族なんでしょ」
デティが言うと、フェネックは少し驚いたような顔をした。そして、納得したように言った。
「なるほどね。彼から聞いて無いんだ。……僕は狐族なんかじゃないよ」
フェネックの言葉に、デティは困惑した。それでは、なんで狐族の味方をするのか。
その疑問がわかったのか、フェネックは続けた。
「僕は、君と同じ混血、狐と人のあいのこだよ」
それを聞いてデティは言葉を失う。構わずフェネックは話続けた。
「狐族は、自己中心的なのが多いからね。こう見えて結構、苦労してきたんだよ。君の場合は、人間の親は誰だかわからないのだろう? でも、僕は純粋な人間の母親がいたんだ。母親って言っても、生みたくて生んだ訳じゃないからね。ほとんど覚えてもいない。人間じゃない力を持つ者は、人間と一緒にいちゃいけないんだ。それがどんなに苦しいことだか、僕は知ってる」
フェネックは、そう言って、デティにさらに近付く。デティは何も言えない。
「わかるだろ? 僕と一緒に来れば、楽になるよ。僕は命まで取るつもりはないし、人間を見捨てれば、もう悲しむこともない」
「私は……」
意を決して、デティは、真っ直ぐにフェネックを見た。
「私は、そうやって逃げて楽になろうとは思わない。確かに、本当のことを言えなかったり、怖がられたり、苦しい事は多いけど、優しい人だってたくさんいる」
ーー何より、自分の力を知ってもラウルは仲間として受け入れてくれた。
「私を信じてくれた人を裏切りたくない。私は、人間を見捨てたりはしない」
はっきりと言い返したデティを見て、フェネックは寂しそうに言った。
「……こんな事、言いたくなかったけど、君が協力してくれないなら仕方ないか。無理やりにでも、その力、もらう。君がここで壊れて仕舞えば、九尾様が力を取り戻せるのも時間の問題」
「何をするの……?」
「何もしないさ。ただ――」
そう言ったフェネックの瞳が怪しく光った。
「思い出してもらうよ。人間への憎しみを」
「そんなもの……」
「無いと言い切れるのかい? 思い出して、ディ・トゥエル」
次の瞬間、デティは目の前が〝真っ赤〟に染まった。
見えるのは赤だけ。紅く、全てが紅く。白い壁が、床が、真っ赤に染まって。何もかもが紅い。自分の手も真っ赤だった。赤は深く黒く、生暖かい。座り込んだ自分の周りは赤い水溜りのように。その中に、何かが浮いている。
それは、人間の―――。
「――っ、いやーーー!!」
叫びが時計塔の天井にぶつかる。叫びと共に、まるで全てを拒絶するような突風がデティを中心に巻き起こる。
突風は一瞬で収まったものの、真近で見ていたフェネックは、その霊圧に怖じ気立ち、後退った。
本当は、我を失った彼女が力尽きたところで、とらえるつもりだった。しかし、このまま彼女の暴走に巻き込まれれば、フェネックでも無事じゃ済まない。そんな霊圧を感じたのだ。
「こんなの、手に負えない……」
フェネックの呟きは、デティには届かない。
フェネックが逃げるように姿を消した次の瞬間、デティの中で何かが解き放たれた。
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