3 / 9
3,メイドと事件
しおりを挟む
「イヴ様!」
塀の揺れにいち早く気付いたノアが私を守るように動く。
「動かないでくださいね」
その顔は、さっき支えてくれた時と同じ表情をしている。
近くでまじまじと顔を見ることは初めてだったが、思っていた通りに格好良い。
いつもは目が優しく綻んでいるが、時々見る、きりっとした目。
服装はどちらかというと護衛より執事らしさを醸し出している。
「少し様子を見に行きましょうか。何かあったら嫌ですし。でも、1人にするのも危ないですよね……」
ノアは数秒した後、顔をあげた。
「なら、イヴ様が前を歩いてください」
「……後ろじゃなくて?」
思わず突っ込んでしまったが、どちらかというと護衛が前を歩くものでしょう?
「拐われる場合、後ろにいると見えませんからね。前の方が安全性が高いと思うんです。何よりここはアーヴェン家の私有地なので」
ノアなりの考えがあるのね、と思いながらも、ゆっくり歩く。
その時、私の右肩にノアの手が置かれた。
「な、何……?」
「いいえ。気にせず進んでください」
もしかしたら、と思い当たる節があり、また顔が熱くなる。
無意識のうちに震えていたのかもしれない。
自分でもあまり無い経験の為、少し身体が怯えている。
ようやく塀まで辿り着くと、心なしか、細かく揺れていた。
「よし……!」
「だ、誰っ!?」
塀の上方から聞こえてきた声に驚き、思わず声を発してしまう。
「くそっ、ようやくここまで来たのに……!」
塀を見上げると、男が上半身だけ乗り上げた姿が目に映った。
「イヴ様、後ろに」
「アーヴェン家の人間だろ!?屋敷に用があるんだよ!」
「来客なら表門を使って入って欲しいです。ここから無理して入るとなると、それ相応の罰がありますよ」
「ひでぇじゃねぇかよ!表門は飾りだろ!一般市民じゃ開けてくれねぇし、話さえ聞いてくれねぇだろ!?」
こんな人を、見たことがなかった。
年端もいかない頃から、関わってきたのは礼儀正しい人や金持ちばかりだったため、このような癇癪を起こす大人を見たことがなかった。
「一体何のために……不法侵入ですよ?」
「そこにいただろう、フレイヤが!」
「フレイヤ……そのような人、この屋敷には」
「いたわ……フレイヤ」
確かにいた、2ヶ月前に辞めたメイドだ。
辞めた、というか、辞めさせられた、の方が正しいだろうか。
フレイヤは人一倍責任感が強く、自分に厳しい性格だった。
ただ、メイドは女しかいなく、しかも屋敷に長く仕えるほど、メイドの中での権力はあがるはずだ。
私は幾度となく、目にしていた。
ただそこに、フレイヤを陥れようとしている陰が、確かにあった。
気付いていた。
1人で廊下を歩いていると、メイドの話し声が聞こえてくる。
その話題は、決まってフレイヤだった。
責任感が強くてしっかりしているフレイヤを疎ましく思っている者は多かったのだろう。
「妹はあれから……外に出ようとしない!」
フレイヤが辞めさせられたのは、お母様が大切にしていた観葉植物を窓から落としたからだ。
しかし、それも彼女がやったのではなく、違うメイドが落とし、それを隠蔽するために周りが口裏を合わせて彼女がやったように仕向けたのだ。
私は全部気付いていた。
フレイヤがやっていないと、皆が陥れようとしていると。
私からすれば、メイドが変わるのは日常で起こる些細な変化でしかない。
あの時私は確かに庇わず、面倒だと無視をした。
「あれだけ真面目でしっかりしていた妹がそんなことするはずがない!妹もしていないと言い張っているんだ!これは不当解雇だ!」
ノアは訳も分からずに混乱している様子だ。
フレイヤは私の専属だった訳でもないし、どちらかというと掃除をしていた。
だが、ノアは私の専属で、他のメイドと関わる機会は少なく、それに掃除係となると大人数のため、知らなくてもおかしくはない。
男はもう、塀に乗り上げていた。
「どれだけ訪れてみても、返事の1つも無いじゃないか!金持ちだからと、貴族だからと許されることか!?」
確かに、屋敷では招いた人しか取り合わない。
一般市民となれば、殊更取り合ってはくれないだろう。
「お嬢ちゃんの方はアーヴェン家の人間なんだろ!?どうにかしてくれ!」
「私はまだ……そのような権限は持ち合わせておりません……」
「なら、そっちの兄ちゃんは分かってくれたよなぁ……?」
ノアの瞳が微かに揺れるのが感じ取れた。
だが、すっと出てきた右手、その手は左胸に添えられた。
「……すみません。ここにいる以上、私はイヴ様の執事であり、護衛です。イヴ様を守るという役目があります。なので、貴方の言葉に賛同することは出来かねます」
「そうか……」
「妹さん、フレイヤさんにはとても心優しいお兄様がいるのですね」
暖かい言葉で、彼は抵抗する気力を失ったように項垂れ、次に顔をあげたときには、血走った目がなくなっていた。
「あぁ……ありがとうよ、兄ちゃん。悪かった。俺を捕まえるんだろう」
そうだ、条例であれば捕まえなくてはならない。
まだ私有地には降り立ってはいないが、塀も敷地の1つのため、住居侵入罪は成立する。
この人は、ただ妹______フレイヤのことを思って心配していた優しいお兄さん。
私にだって見てみぬふりをしていた責任がある。
ノアも躊躇っているようで何も言えていない。
「フレイヤのところに戻ってあげてください」
「え……?」
「今のフレイヤの助けはお兄さんだけです。こちらでも頑張って取り合って、2度とこのようなことが起こらないように尽力して参ります」
「嬢ちゃん……」
「ノアも、良いわよね?」
そう、捕まえる、これはあくまで条例であればの話だ。
防犯カメラがついているわけでもない森の中の塀で起こったこととなれば、ここにいる人……私とノアさえ言わなければ気付かれることはないだろう。
「ここだけの、秘密です」
「本当に、良いのか……?」
「はい。早く帰ってあげてください」
「ありがとなぁ、嬢ちゃん」
最後に少しだけ笑みを見せると、男は塀から姿を消した。
「それにしても……」
いくらレンガ塀と言えども、継ぎ目や起伏が少しあるぐらいなのに、よく登ってこれたなと感心してしまう。
それだけ妹を救いたいと思っているんだろう。
そんな気概が感じられたのだ。
「イヴ様?」
ノアが私の顔を覗き込み、少しだけ顔を曇らせた。
数秒して顔をあげると、既に笑みは取り戻されている。
「イヴ様のせいではありませんよ。だからそんな顔しないでください」
「それでも、屋敷に働いていたせいで酷い目にあったのならば、私のせいでもあるでしょう」
「だとしても、イヴ様の重荷になることではありません。これはメイドの中で起こってしまったこと、そして雇っている人の問題です。雇っているのはイヴ様ではありませんしね」
「……そうね」
「だいぶ日が落ちましたね。冷えてしまったら大変です、早めに屋敷に戻りましょう」
「えぇ」
「足元、危ないですねぇ……」
もう辺りが暗いことに気付き、ノアはポケットからランタンを取り出した。
「ランタン?そんなもの持っていたの?」
「はい。遅くなったらと」
「そうなのね」
流石、用意周到だ。
「さぁ、帰りましょう」
ランタンで照らされた道を歩く。
陰が伸び、木が揺れ始める。
「結構遠くまで来ちゃいましたねぇ、困りました……」
塀から屋敷までは相当な距離があり、元々森へ行っていたから塀まで時間が掛からなかっただけで、薄暗くなった森はより一層広く感じさせられた。
「疲れましたか?」
「いいえ、まだもう少しなら平気よ」
ここで休んでしまってはもっと屋敷に帰るのが遅くなってしまう。
今は暗いが、ランタンの灯りがあるし、月明かりもある。
だが万一、ランタンも消え、月も雲に隠れるという最悪の事態を想定すると鳥肌が立った。
「怖いですか?」
「別に……そんなこと、ないけど……?」
自分でも分かるほどの声の震え。
「イヴ様、暗いとこは苦手ですもんねぇ」
「な、どうして……」
図星である。
私は暗いとこが確かに苦手だ。
だが自分では隠し通してきたつもりだ。
隠しきれているつもり、だ。
「この前、廊下の灯りが1つ灯ってなくて怒っていたじゃないですか」
「怒っていないわ。注意しただけよ」
「そうなんですか?驚いてしまったんですね」
「それより、見ていたのね」
先週、1人で廊下を歩いていると、1つだけ灯っていない灯りがあり、そこからしばらく動けなかった。
少しして我を取り戻すと、メイドに注意しに行ったのだ。
灯りが灯るかどうかの確認は怠らずにしっかりしておきなさい、と。
「イヴ様が帰ってくるの遅くて探していたんですよ」
「そうなのね」
あそこを見られていたと思うとばつが悪い。
「それなら来てくれれば良かったじゃない____」
「お嬢様!」
「……アルレア!?」
やっと森を抜けたと思ったとき、お母様のおつきの者である、いわゆるレディーズメイドのアルレアが息を弾ませてやってきた。
「やっと見つけました……!」
「なんでアルレアが?」
「御主人様と奥様が急遽お帰りになられたのですが、お嬢様が見つからない次第で屋敷中が大騒ぎになっておられるのです」
大騒ぎ?
私とノアは思わず顔を見合わせる。
「御主人様と奥様が心配性なのは知っておられますよね、お嬢様。ですから何かあったのではないかと思われていますよ。早くお帰りになって奥様にお顔をお見せください」
アルレアは落ち着きなく瞳を迷わせながら、いつもより早いペースで歩く。
屋敷は騒々しく荒れていた。
外からでも分かるほど、沢山の人々が走り回る、少し盛ると駆け回るような音だ。
「何かあったのかしら?」
「お嬢様が見つからなくて奥様が焦っておられるですよ。御主人様と奥様は早くお嬢様と会いたいようなのです」
「どこにいるの?」
「御主人様のお部屋だと思いますよ」
騒がしい玄関口に入った途端、1人のメイドが足を止めた。
「お嬢様!」
明らかに息を切らしながらも、目を細めた。
「ようやくっ……見つかりました……奥様の所まで向かいましょう」
「大丈夫?貴方、随分疲れているみたいじゃない。私が連れていくから安心なさい」
「アルレア様……」
アルレアはお母様のお付きの者ということもあり、メイドの中では高い立ち位置のはずだ。
「悪いけれど、まだ探しているメイド達に見つかったと伝えて頂戴」
「承りました、アルレア様」
アルレアは1度だけ軽く微笑むと、廊下を真っ直ぐに歩き始めた。
こんこんこん。
3回、ノック音が響く。
「奥様、御主人様。アルレアです」
「アルレア?入って良いわよ。イヴはまだ見つかってなくて……」
アルレアが入り、それに続いて私達も入る。
その瞬間に、お母様とお父様が、強張らせていた顔を、安心したように緩めた。
「あぁ、イヴ!」
お母様が私に近付き、怪我をないかのように体を見回したあと、ハグした。
「良かったわ!どこに行っていたのかしら?心配したのよ」
「ノアと庭で散策をしていたのよ」
「そうなのね。あまり遅くならないようにね」
「ごめんなさい。それよりお母様もお父様も、今日は帰ると言っていたかしら?」
「急な用事ができたから戻ってきたの。明日、隣国でダンスパーティーが開かれるの。イヴも連れていこうと思って」
隣国、ダンスパーティー。
嫌な予感が頭を過る。
「お母様、私は行かなくて良いわ」
「駄目だ。ちゃんと招待状が届いているんだ。私達にも、イヴにも」
珍しく、お父様がパーティーの招待状であろうものをつまみあげた。
「そこで結婚相手を見つけられたら良いじゃないの」
「でも……隣国ってことは、アドルフ王子がいるでしょう?」
「大丈夫よ。きっと彼も、新しい婚約者を見つけていると思うわ。彼にとっても、イヴは良い経験になったと思うわ」
そう、アドルフ王子こそが、私が婚約届けを破棄した相手である。
彼と会うのは、少しばつが悪い。
「会ったことのない王子も来る、大きなダンスパーティーなのよ。イヴは賢い子だから分かるでしょう?恥をかかないようにね」
「でも……」
「護衛もいるんだ、安心しろ、イヴ」
「…‥分かったわ。お父様、私からも話があるの」
フレイヤのことを言わなければ。
交換条件と言う風に、私はお父様に持ちかけた。
「何だい?」
「元メイド、フレイヤのことなのだけれど」
「元メイド……フレイヤ……?」
なんと説明すれば良いのか分からない。
さっきのお兄さんの荒らげられた声を思い出すと、気持ちが荒ぶる。
「そのことについては、後で私がお伝えしておきますよ。お嬢様は戻って、御夕飯とお風呂にお入りくださいませ」
中々話を切り出せない私に気を利かせ、ノアが仲介に入ってくれた。
「そうだな、ゆっくり休みたまえ。で、どうしたのかね?」
「イヴ、戻っていいわ」
私は1人、廊下に出る。
冷えた寒い廊下は、まるで私の心を表しているようだった。
塀の揺れにいち早く気付いたノアが私を守るように動く。
「動かないでくださいね」
その顔は、さっき支えてくれた時と同じ表情をしている。
近くでまじまじと顔を見ることは初めてだったが、思っていた通りに格好良い。
いつもは目が優しく綻んでいるが、時々見る、きりっとした目。
服装はどちらかというと護衛より執事らしさを醸し出している。
「少し様子を見に行きましょうか。何かあったら嫌ですし。でも、1人にするのも危ないですよね……」
ノアは数秒した後、顔をあげた。
「なら、イヴ様が前を歩いてください」
「……後ろじゃなくて?」
思わず突っ込んでしまったが、どちらかというと護衛が前を歩くものでしょう?
「拐われる場合、後ろにいると見えませんからね。前の方が安全性が高いと思うんです。何よりここはアーヴェン家の私有地なので」
ノアなりの考えがあるのね、と思いながらも、ゆっくり歩く。
その時、私の右肩にノアの手が置かれた。
「な、何……?」
「いいえ。気にせず進んでください」
もしかしたら、と思い当たる節があり、また顔が熱くなる。
無意識のうちに震えていたのかもしれない。
自分でもあまり無い経験の為、少し身体が怯えている。
ようやく塀まで辿り着くと、心なしか、細かく揺れていた。
「よし……!」
「だ、誰っ!?」
塀の上方から聞こえてきた声に驚き、思わず声を発してしまう。
「くそっ、ようやくここまで来たのに……!」
塀を見上げると、男が上半身だけ乗り上げた姿が目に映った。
「イヴ様、後ろに」
「アーヴェン家の人間だろ!?屋敷に用があるんだよ!」
「来客なら表門を使って入って欲しいです。ここから無理して入るとなると、それ相応の罰がありますよ」
「ひでぇじゃねぇかよ!表門は飾りだろ!一般市民じゃ開けてくれねぇし、話さえ聞いてくれねぇだろ!?」
こんな人を、見たことがなかった。
年端もいかない頃から、関わってきたのは礼儀正しい人や金持ちばかりだったため、このような癇癪を起こす大人を見たことがなかった。
「一体何のために……不法侵入ですよ?」
「そこにいただろう、フレイヤが!」
「フレイヤ……そのような人、この屋敷には」
「いたわ……フレイヤ」
確かにいた、2ヶ月前に辞めたメイドだ。
辞めた、というか、辞めさせられた、の方が正しいだろうか。
フレイヤは人一倍責任感が強く、自分に厳しい性格だった。
ただ、メイドは女しかいなく、しかも屋敷に長く仕えるほど、メイドの中での権力はあがるはずだ。
私は幾度となく、目にしていた。
ただそこに、フレイヤを陥れようとしている陰が、確かにあった。
気付いていた。
1人で廊下を歩いていると、メイドの話し声が聞こえてくる。
その話題は、決まってフレイヤだった。
責任感が強くてしっかりしているフレイヤを疎ましく思っている者は多かったのだろう。
「妹はあれから……外に出ようとしない!」
フレイヤが辞めさせられたのは、お母様が大切にしていた観葉植物を窓から落としたからだ。
しかし、それも彼女がやったのではなく、違うメイドが落とし、それを隠蔽するために周りが口裏を合わせて彼女がやったように仕向けたのだ。
私は全部気付いていた。
フレイヤがやっていないと、皆が陥れようとしていると。
私からすれば、メイドが変わるのは日常で起こる些細な変化でしかない。
あの時私は確かに庇わず、面倒だと無視をした。
「あれだけ真面目でしっかりしていた妹がそんなことするはずがない!妹もしていないと言い張っているんだ!これは不当解雇だ!」
ノアは訳も分からずに混乱している様子だ。
フレイヤは私の専属だった訳でもないし、どちらかというと掃除をしていた。
だが、ノアは私の専属で、他のメイドと関わる機会は少なく、それに掃除係となると大人数のため、知らなくてもおかしくはない。
男はもう、塀に乗り上げていた。
「どれだけ訪れてみても、返事の1つも無いじゃないか!金持ちだからと、貴族だからと許されることか!?」
確かに、屋敷では招いた人しか取り合わない。
一般市民となれば、殊更取り合ってはくれないだろう。
「お嬢ちゃんの方はアーヴェン家の人間なんだろ!?どうにかしてくれ!」
「私はまだ……そのような権限は持ち合わせておりません……」
「なら、そっちの兄ちゃんは分かってくれたよなぁ……?」
ノアの瞳が微かに揺れるのが感じ取れた。
だが、すっと出てきた右手、その手は左胸に添えられた。
「……すみません。ここにいる以上、私はイヴ様の執事であり、護衛です。イヴ様を守るという役目があります。なので、貴方の言葉に賛同することは出来かねます」
「そうか……」
「妹さん、フレイヤさんにはとても心優しいお兄様がいるのですね」
暖かい言葉で、彼は抵抗する気力を失ったように項垂れ、次に顔をあげたときには、血走った目がなくなっていた。
「あぁ……ありがとうよ、兄ちゃん。悪かった。俺を捕まえるんだろう」
そうだ、条例であれば捕まえなくてはならない。
まだ私有地には降り立ってはいないが、塀も敷地の1つのため、住居侵入罪は成立する。
この人は、ただ妹______フレイヤのことを思って心配していた優しいお兄さん。
私にだって見てみぬふりをしていた責任がある。
ノアも躊躇っているようで何も言えていない。
「フレイヤのところに戻ってあげてください」
「え……?」
「今のフレイヤの助けはお兄さんだけです。こちらでも頑張って取り合って、2度とこのようなことが起こらないように尽力して参ります」
「嬢ちゃん……」
「ノアも、良いわよね?」
そう、捕まえる、これはあくまで条例であればの話だ。
防犯カメラがついているわけでもない森の中の塀で起こったこととなれば、ここにいる人……私とノアさえ言わなければ気付かれることはないだろう。
「ここだけの、秘密です」
「本当に、良いのか……?」
「はい。早く帰ってあげてください」
「ありがとなぁ、嬢ちゃん」
最後に少しだけ笑みを見せると、男は塀から姿を消した。
「それにしても……」
いくらレンガ塀と言えども、継ぎ目や起伏が少しあるぐらいなのに、よく登ってこれたなと感心してしまう。
それだけ妹を救いたいと思っているんだろう。
そんな気概が感じられたのだ。
「イヴ様?」
ノアが私の顔を覗き込み、少しだけ顔を曇らせた。
数秒して顔をあげると、既に笑みは取り戻されている。
「イヴ様のせいではありませんよ。だからそんな顔しないでください」
「それでも、屋敷に働いていたせいで酷い目にあったのならば、私のせいでもあるでしょう」
「だとしても、イヴ様の重荷になることではありません。これはメイドの中で起こってしまったこと、そして雇っている人の問題です。雇っているのはイヴ様ではありませんしね」
「……そうね」
「だいぶ日が落ちましたね。冷えてしまったら大変です、早めに屋敷に戻りましょう」
「えぇ」
「足元、危ないですねぇ……」
もう辺りが暗いことに気付き、ノアはポケットからランタンを取り出した。
「ランタン?そんなもの持っていたの?」
「はい。遅くなったらと」
「そうなのね」
流石、用意周到だ。
「さぁ、帰りましょう」
ランタンで照らされた道を歩く。
陰が伸び、木が揺れ始める。
「結構遠くまで来ちゃいましたねぇ、困りました……」
塀から屋敷までは相当な距離があり、元々森へ行っていたから塀まで時間が掛からなかっただけで、薄暗くなった森はより一層広く感じさせられた。
「疲れましたか?」
「いいえ、まだもう少しなら平気よ」
ここで休んでしまってはもっと屋敷に帰るのが遅くなってしまう。
今は暗いが、ランタンの灯りがあるし、月明かりもある。
だが万一、ランタンも消え、月も雲に隠れるという最悪の事態を想定すると鳥肌が立った。
「怖いですか?」
「別に……そんなこと、ないけど……?」
自分でも分かるほどの声の震え。
「イヴ様、暗いとこは苦手ですもんねぇ」
「な、どうして……」
図星である。
私は暗いとこが確かに苦手だ。
だが自分では隠し通してきたつもりだ。
隠しきれているつもり、だ。
「この前、廊下の灯りが1つ灯ってなくて怒っていたじゃないですか」
「怒っていないわ。注意しただけよ」
「そうなんですか?驚いてしまったんですね」
「それより、見ていたのね」
先週、1人で廊下を歩いていると、1つだけ灯っていない灯りがあり、そこからしばらく動けなかった。
少しして我を取り戻すと、メイドに注意しに行ったのだ。
灯りが灯るかどうかの確認は怠らずにしっかりしておきなさい、と。
「イヴ様が帰ってくるの遅くて探していたんですよ」
「そうなのね」
あそこを見られていたと思うとばつが悪い。
「それなら来てくれれば良かったじゃない____」
「お嬢様!」
「……アルレア!?」
やっと森を抜けたと思ったとき、お母様のおつきの者である、いわゆるレディーズメイドのアルレアが息を弾ませてやってきた。
「やっと見つけました……!」
「なんでアルレアが?」
「御主人様と奥様が急遽お帰りになられたのですが、お嬢様が見つからない次第で屋敷中が大騒ぎになっておられるのです」
大騒ぎ?
私とノアは思わず顔を見合わせる。
「御主人様と奥様が心配性なのは知っておられますよね、お嬢様。ですから何かあったのではないかと思われていますよ。早くお帰りになって奥様にお顔をお見せください」
アルレアは落ち着きなく瞳を迷わせながら、いつもより早いペースで歩く。
屋敷は騒々しく荒れていた。
外からでも分かるほど、沢山の人々が走り回る、少し盛ると駆け回るような音だ。
「何かあったのかしら?」
「お嬢様が見つからなくて奥様が焦っておられるですよ。御主人様と奥様は早くお嬢様と会いたいようなのです」
「どこにいるの?」
「御主人様のお部屋だと思いますよ」
騒がしい玄関口に入った途端、1人のメイドが足を止めた。
「お嬢様!」
明らかに息を切らしながらも、目を細めた。
「ようやくっ……見つかりました……奥様の所まで向かいましょう」
「大丈夫?貴方、随分疲れているみたいじゃない。私が連れていくから安心なさい」
「アルレア様……」
アルレアはお母様のお付きの者ということもあり、メイドの中では高い立ち位置のはずだ。
「悪いけれど、まだ探しているメイド達に見つかったと伝えて頂戴」
「承りました、アルレア様」
アルレアは1度だけ軽く微笑むと、廊下を真っ直ぐに歩き始めた。
こんこんこん。
3回、ノック音が響く。
「奥様、御主人様。アルレアです」
「アルレア?入って良いわよ。イヴはまだ見つかってなくて……」
アルレアが入り、それに続いて私達も入る。
その瞬間に、お母様とお父様が、強張らせていた顔を、安心したように緩めた。
「あぁ、イヴ!」
お母様が私に近付き、怪我をないかのように体を見回したあと、ハグした。
「良かったわ!どこに行っていたのかしら?心配したのよ」
「ノアと庭で散策をしていたのよ」
「そうなのね。あまり遅くならないようにね」
「ごめんなさい。それよりお母様もお父様も、今日は帰ると言っていたかしら?」
「急な用事ができたから戻ってきたの。明日、隣国でダンスパーティーが開かれるの。イヴも連れていこうと思って」
隣国、ダンスパーティー。
嫌な予感が頭を過る。
「お母様、私は行かなくて良いわ」
「駄目だ。ちゃんと招待状が届いているんだ。私達にも、イヴにも」
珍しく、お父様がパーティーの招待状であろうものをつまみあげた。
「そこで結婚相手を見つけられたら良いじゃないの」
「でも……隣国ってことは、アドルフ王子がいるでしょう?」
「大丈夫よ。きっと彼も、新しい婚約者を見つけていると思うわ。彼にとっても、イヴは良い経験になったと思うわ」
そう、アドルフ王子こそが、私が婚約届けを破棄した相手である。
彼と会うのは、少しばつが悪い。
「会ったことのない王子も来る、大きなダンスパーティーなのよ。イヴは賢い子だから分かるでしょう?恥をかかないようにね」
「でも……」
「護衛もいるんだ、安心しろ、イヴ」
「…‥分かったわ。お父様、私からも話があるの」
フレイヤのことを言わなければ。
交換条件と言う風に、私はお父様に持ちかけた。
「何だい?」
「元メイド、フレイヤのことなのだけれど」
「元メイド……フレイヤ……?」
なんと説明すれば良いのか分からない。
さっきのお兄さんの荒らげられた声を思い出すと、気持ちが荒ぶる。
「そのことについては、後で私がお伝えしておきますよ。お嬢様は戻って、御夕飯とお風呂にお入りくださいませ」
中々話を切り出せない私に気を利かせ、ノアが仲介に入ってくれた。
「そうだな、ゆっくり休みたまえ。で、どうしたのかね?」
「イヴ、戻っていいわ」
私は1人、廊下に出る。
冷えた寒い廊下は、まるで私の心を表しているようだった。
0
あなたにおすすめの小説
ある辺境伯の後悔
だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。
父親似だが目元が妻によく似た長女と
目元は自分譲りだが母親似の長男。
愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。
愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。
【完結】16わたしも愛人を作ります。
華蓮
恋愛
公爵令嬢のマリカは、皇太子であるアイランに冷たくされていた。側妃を持ち、子供も側妃と持つと、、
惨めで生きているのが疲れたマリカ。
第二王子のカイランがお見舞いに来てくれた、、、、
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
心から信頼していた婚約者と幼馴染の親友に裏切られて失望する〜令嬢はあの世に旅立ち王太子殿下は罪の意識に悩まされる
佐藤 美奈
恋愛
公爵令嬢アイラ・ミローレンス・ファンタナルは虚弱な体質で幼い頃から体調を崩しやすく常に病室のベットの上にいる生活だった。
学園に入学してもアイラ令嬢の体は病気がちで異性とも深く付き合うことはなく寂しい思いで日々を過ごす。
そんな時、王太子ガブリエル・アレクフィナール・ワークス殿下と運命的な出会いをして一目惚れして恋に落ちる。
しかし自分の体のことを気にして後ろめたさを感じているアイラ令嬢は告白できずにいた。
出会ってから数ヶ月後、二人は付き合うことになったが、信頼していたガブリエル殿下と親友の裏切りを知って絶望する――
その後アイラ令嬢は命の炎が燃え尽きる。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
誰の代わりに愛されているのか知った私は優しい嘘に溺れていく
矢野りと
恋愛
彼がかつて愛した人は私の知っている人だった。
髪色、瞳の色、そして後ろ姿は私にとても似ている。
いいえ違う…、似ているのは彼女ではなく私だ。望まれて嫁いだから愛されているのかと思っていたけれども、それは間違いだと知ってしまった。
『私はただの身代わりだったのね…』
彼は変わらない。
いつも優しい言葉を紡いでくれる。
でも真実を知ってしまった私にはそれが嘘だと分かっているから…。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる