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5,馬車での''ふたりごと''
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戻るわけにはいかないが、かといって行く宛もない。
ドレスを着たまま歩き回るのも良い行動とは言えないだろう。
「馬車をお呼び致しましょうか?」
「呼んでも、お母様達がいないのだから帰れないわ」
「乗っていた馬車は違うのですから、大丈夫だと思いますよ」
「途中に抜け出したなんて知られたら、何と言われるか……」
「言伝てはしておきますよ。体調が悪いとでも言っておきましょう」
ノアは悪戯っ子のように舌を出してみせた。
「もしバレたら……」
「罰を受けるのは私だけです。お嬢様が居たくもない場所に居させるのは私の仕事ではありませんから」
「ありがとう、ノア」
「では、少し待っていてください。言伝てをしてきたあと、馬車をここまで持ってきます」
「わかったわ」
ノアが行くと、外階段に1人になった。
梟の鳴き声や水が流れる音も、木が揺すられる音も聞こえない。
代わりに聞こえるのはオーケストラの音楽や人の話し声ばかり。
いつもは綺麗に見える星明かりも月明かりも、人工でできた、お城から漏れる光に掻き消されている。
この雰囲気は、私の好きなものではない。
私の苦手を詰め込んだようなこの空間にいたくない。
どうして、どうして。
疑問は募るばかりで、一向に吐き出し口は見つからない。
「イヴ様。お待たせ致しました」
気付けばノアが目の前にいた。
「御者さんは?」
「残念ながら休憩中らしく、別場所にいるみたいです。時間がかかりそうなので、私が運転しますね」
「ノアが?運転できるの?」
「馬車を乗っていた頃がありまして。運転はできますよ」
さぁ、とノアは扉を開けた。
「私も、前に乗りたいわ」
「えっ、私の隣ですよ?しかも狭いですよ?」
「外がいいの。中に1人より。駄目かしら?」
そこまで膨らんだドレスではないけれど、やっぱり危ないのだろうか。
「良いのですが……万が一のことがあったらと考えると……」
「万が一って?」
「ドレスが絡まる……というのは考えにくいですが、お嬢様を連れ去るような人が来たとき、前だと危ないかと……」
「大丈夫よ。夜だし、町を通るわけでもないじゃない」
確かにバレたら叱られるのはノアだ。
でも、どうしても前がいい。
「お願い。私のせいにすればいいわ」
「でも何かあってからじゃ……」
「私、今日はどうしても前がいい」
私はこういった我が儘を言うことは少なかった。
言われるがままに行動し、面倒なことや話すことを避けてきたのだから。
「分かりました。特別ですよ?」
私の説得にノアは根負けし、前に乗せてくれた。
「御主人様にはなるべく秘密でお願いします」
「お父様にもお母様にも言わないわ」
「ありがとうございます」
ノアは非常に安全運転だ。
行きも外を見ていたとは言え、中からだったためか何も感じなかったが、外だと自然を楽しむことができた。
畑や水路の脇、森の近くを通ってきた筈だ。
「ねぇノア」
「はい、何でしょうか?」
「ノアは結婚しないの?」
「そうですねぇ、したいとは思いますが、私はそれよりこの仕事に就いていたいです」
「そうなの?」
「宛があるわけでもないですし。ここが居場所でもあるのです」
目を綻ばせて、ノアは優しい微笑みを浮かべた。
「イヴ様こそ。失礼なこと聞くようであれですが、どうしてご結婚なされないのですか?」
「言うつもりなかったんだけど、ノアだけには言うわ」
馬車に揺られながら、私は目前に広がる広大な土地を見渡した。
「私、誰にも言ったことないのだけれど、自然が大好きなの」
「そうなんですか!」
「お屋敷の森とかではなくって、こういう自然でできたような森や川なんか特に好きよ」
私がずっと秘密にしていたこと。
お母様もお父様も分かってくださらないこと。
こんなこと言っても、きっと馬鹿にするに違いない。
「本当は、もっと町へ出て……色んなことを知りたいわ。縛り付けられていたくなんてないの」
「それならご相談してみてはいかがですか?」
「無理よ。きっとお母様もお父様も、どこかで馬鹿にしているのよ。きっと一般市民を取り合わないのはそういうことなの」
「そうでしょうか?」
「だから結婚したくないの。それはもっと縛り付けられることになるでしょう?」
私のいつも言えない本音が、全部溢れていく感覚だった。
「それに……本当は、アーヴェン家になんて産まれたくなかった」
「イヴ様……!?」
私の言葉が衝撃的だったのか、ノアの声がいつもより一段と高くなった。
「アーヴェンの名前のせいで、私のことをイヴとして見てくれる人は……いないから」
1番私が我慢してきたことだった。
「アーヴェン家の人だから、みんな私に優しくするの。私を褒め称える言葉も、何もかも、私の地位目当てにしか思えないの」
「イヴ様……」
分かってる。
普通の人からしたら、無い物ねだりだと言われるんだろう。
「私はそんなことないですよ。私はイヴ様だからここにいるんです」
「……え?」
「言いましたよね、前に。イヴ様だから続けられると。それはアーヴェン家だからではありません。イヴ様が周りをどれだけ見て生活しているかを知っているからです」
私はノアに対して酷いことを言っていたのに。
「どうして?私……」
「フレイヤさんのお兄様が来たとき、しっかりした言葉を返していて、自分の地位に胡座をかいていないのだと分かったんです」
フレイヤのことは、本当に悪かったと思っている。
だが自分の口からあの言葉が出たのは驚きでもあった。
「出会えたのはイヴ様がアーヴェン家に産まれたからです。ですがアーヴェン家でもなくて、仕事でもなくても、私はイヴ様と出会いたいと、そう思います」
その言葉が、嘘であっても今の私には救いだった。
私の心に降り注ぐ一筋の光。
暗かった道が照らされる気さえした。
「あっ、勿論それだけじゃないですよ?前々から気付いてましたし!」
明らかに焦りを見せたノアに、思わず笑いが漏れた。
「いつか、私はお屋敷を出て、外で普通の暮らしをしてみたいの。結婚は、貴族じゃない人としたいわ」
そんなの、叶わないと分かっている。
接すことせえできないのに、結婚だなんて。
馬鹿馬鹿しくても、それが私の夢であり希望でもあるから。
「豪華じゃなくても、ご飯を食べて、誰かと話をして笑い合う_______素敵だと思わない?」
「……はい。とっても素晴らしいことです」
含みを持たせた言い方で、どこかを見つめるかのようにノアは呟く。
「あ、流れ星」
空に1本の光の筋が流れた。
「凄いわね。3回もお願い、言えないわ」
「もしもお願いするなら、何て言いますか?」
「自由になりたい……かしら」
「それはきっと、叶いますよ」
「ノアは?お願い事するとしたら?」
「自分が1番幸せだと思える場所が欲しいですね。今かもしれないんですけどね」
月明かりに照らされる。
ノアの金髪が輝き、風にのって揺れた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……様、イヴ様」
「…‥おはよう‥‥?」
「おはようございます。まだ夜ですけどね」
「ここは……」
「お屋敷です。イヴ様途中で寝てしまわれて」
そうだ。
帰っている途中に眠くなって……。
「ごめんなさい。私が我が儘言ったのに寝てしまって」
「大丈夫ですよ。御夕飯とお風呂を済ませたら、すぐに寝られるように準備しておきますね」
「今日は、夜ご飯いらないわ」
「そうですか?」
「お腹が空いていないの。お風呂に入ったら寝るわ」
「了解しました」
お屋敷に入り、部屋にも寄らずお風呂へ直行した。
「バスローブはあとでメイドに渡しておきますね」
「ありがとう」
まだ眠気は覚めていないが、部屋へ戻っては確実に寝てしまう。
さっさと入って、寝てしまおう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ふぅ」
お風呂からあがると、メイドが置いてくれたであろうバスローブがあった。
ラベンダーの香りに包み込まれる。
まだ眠気が覚めない。
うとうとしながら自分の部屋まで歩く。
「イヴ様」
「ノア?」
「待っていようと思ったのですが。早かったですね」
「まだ眠くって」
「そうですか。イヴ様、明日のことなのですが」
明日?
明日は何があっただろう。
霧がかる頭でぼんやりと考える。
「言い忘れていたのですが、明日はお休みさせて頂きますね」
「え……」
「すみません。どうしても外せない用事で」
「……そうなの」
一気に頭が冴え渡る。
今までノアが休むことなどほとんど無かった。
_______いや、覚えてないだけかもしれないが。
風邪なども無かったし、年末に帰るというのもほとんど無かった。
他のメイド達が休みを取ることはあるが、ノアは無かったのだ。
専属だとしても、休みは取れる。
現にアルレアも、度々休むことはある。
「寂しいですか?」
「全然……いいえ、少し、寂しいわ」
「ほんとですか」
いつもは強がっている私がこういうこと言うのがないから、驚いているのだろう。
やっぱり慣れないことをするものじゃない。
「私も寂しいです。イヴ様のお顔を見られないので」
少しだけ胸が熱くなる感覚を覚えた。
だが、気分は晴れやかにならない。
「明後日になれば、また会えますから」
「そうよね」
部屋まで辿り着くと、すぐベッドに寝転がった。
「おやすみなさい、イヴ様。また明後日」
「えぇ、おやすみなさい、ノア。またね」
少ししてノアが出ていく音がした。
その音と同時に私も目を開け、被っていた掛け布団を半分ほど下ろした。
白い天蓋カーテンが目に映る。
窓から入り込む風に、レースが揺れた。
月明かりが、いつもより入ってくるように感じられる。
先程までの眠気が嘘のようになくなり、目はぱっちりと開いたままだ。
頬を撫でる風も、いつもなら心地よく感じるはずが、今はノイズのようだ。
「ふぅ……」
なぜ気持ちがこんなにも沈みこんでいるのか自分でも分からない。
天蓋を見つめていると、私はいつしか眠りに落ちていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
カーテンの隙間から薄く射し込む朝日。
時計を見ると、もう9時半を指そうとしている。
「もうこんな時間。ノアは……」
そうだ、今日はいないのだ。
いそいそとベッドから起き上がり、軽く髪をブラッシングした。
「誰か起こしてくれたって良いのに……」
ノアの代わりを勤める者はいないのだろうか。
朝も起こしに来ないなんて、朝御飯を呼びに来たって良いのに。
食堂に向かう廊下を歩く。
「イヴ?」
「お兄様……」
「同じ屋敷に住んでいると言うのに、久々に会うな」
それはお兄様が部屋にずっと籠り、関わる人達全てに部屋に来てもらっているからでしょう。
それに最近はご飯も部屋に持っていっていると聞いたばかりだ。
「今日はどうして?」
「ただの気まぐれだ。それと聞いた。昨日パーティーに行ってきたらしいな。どうだった?」
お兄様の質問からして、気にかけている風だが、若干の侮蔑が含まれていることを、私は見逃さなかった。
「どうもこうも、何もなかったわ」
「婚約者はどうなんだ」
いちいち癪に障るような事ばかりを口にし、更に馬鹿にしたような言い方。
私だからこういう態度を取っているのか、誰にでもこう接しているのかは知らないが、少なくとも私は苦手だ。
私だけなら''いじり''とも捉えられるが、誰にでもこうしているなら空気の読めないタイプであるに違いないし、嫌われるのは明白だろう。
「何も、ないです」
お兄様は微笑すると、演技のように深い溜め息を吐き出した。
「分かってはいたが、親不孝者だとは思わないのか」
「……!」
そんなの、自分が1番分かっていることだ。
傷つく私を余所に、お兄様は話を続けた。
「お前を容姿端麗に産んでくれたのはお母様だろう?その少し歪んだ性格さえ直せばすぐに婚約者などできるだろうに」
褒めているのか貶しているのか、はっきりして欲しい物言いに加わり、性格を直した方がいいのはどちらかというとお兄様の方ではないか。
自分は婚約者がいるが、とでも言いたげだが、その婚約者は心からお兄様を愛しているのか。
アーヴェン家の長男という肩書きに惹かれたような奴ではなかろうか。
まぁどうでも良いのだが。
「アイリーンをお手本とすれば良いんじゃないか?今度会わせてやろう」
アイリーン、それがお兄様の婚約者の名前だ。
会わせてやろう、というのもどうせ自慢やマウントの一環だろう。
「あぁ、だが俺の妹らしく、しっかりとした挨拶をするんだぞ」
相変わらず、自分の話になると弾丸トークだ。
貴方の妹らしく意地悪く挨拶でもしてやろうかしら。
ここは頷いておかなければ後々面倒だ。
「分かりました。楽しみにしておきます」
嬉しそうに、かつ恭しくお辞儀をする。
1番疲れるのはお兄様の相手をすることだ。
お兄様の執事は本当に大変だろう、自分が言える立場でもないが。
「では、失礼します」
「あぁ、また」
漸くその場を離れられた。
もうご飯を食べる気力さえもない。
結局その場から踵を返し、部屋に戻った。
「ん……」
部屋に戻った途端、異臭、とまではいかないが、気持ちの悪くなるような臭いで部屋が充満していた。
窓を開けていないことに、今気付いた。
いつもならノアが窓を開け、ハーブを焚いていてくれるのだ。
16にもなって、今更それに気付くなどどうかしている。
ノアを雇ったのは半年ほど前だが、ノアの前の護衛兼執事の人達も、すぐ辞めるが仕事はこなしていた為、身の回りのことは全てしてくれていた。
朝の窓開けも、当然のように。
その執事が休養を取っても、他のメイドがついてくれていた。
だが今日は朝から誰もついていなかった。
ハーブは焚かなくても、窓は開けよう。
そうして窓辺に移動したとき。
コンコン。
「イヴ?」
「お母様!」
「ここにいたのね。開けるわよ」
扉を薄く開け、お母様が入ってくる。
それと同時に窓を開ける。
「おはよう、イヴ。昨日は大丈夫だった?」
「昨日?」
「パーティーの途中で体調が悪くなったんでしょう。お父様も心配なさっていたわ」
「もう大丈夫。すっかり治ったわ」
昨日はその口実でパーティーを抜け出したんだった、と思い返す。
「結婚相手はどう?」
「……見つからなかったわ」
「そう。残念ねぇ」
残念なのはお母様達だけで、私からしたら微塵も悲しいことではない。
だが、真正面から結婚はしないと言い張れる程、私の肝は据わっていない。
先程言われた親不孝者という言葉も気にかかり、私の本当の気持ちをお母様に晒け出す勇気はない。
そこで否定をされたら、本当に私でいられなくなるから。
「ところで、彼のことなのだけれど」
彼……とはノアのことだろうか。
「ノアの?」
「今日は休みを取ると言っていたこと、すっかり忘れてて、代わりを取り忘れちゃって」
「別に良いわ。今日1日くらい。用事はないもの」
「そう?それと、新しい護衛が明日来るわ」
新しい護衛?
その響きに、悪寒がした。
「ノアはどうなるの?」
「解雇しようかと思っているわ。彼にはまだ伝えていないけれど、22の彼よりもよっぽど良い人だと思うの。年齢は31で、前歴で護衛をやっていたこともあるのよ」
「そんな勝手に……!」
「イヴは護衛は誰でも良いでしょう?それなら屈強で前歴がある方が、私達としては安心よ」
確かに、今まで護衛は誰でも良かったかもしれない。
だが、今は少なくとも______。
「すぐに採用する訳ではないわよ。明日から数日間、2人護衛がついて、彼にも話をして、それから採用という形になるわ」
その言い方的には、ノアを解雇して新しい護衛をつかせる、そう言っているように聞こえる。
「これを伝えに来たの。またね、イヴ」
ドレスを着たまま歩き回るのも良い行動とは言えないだろう。
「馬車をお呼び致しましょうか?」
「呼んでも、お母様達がいないのだから帰れないわ」
「乗っていた馬車は違うのですから、大丈夫だと思いますよ」
「途中に抜け出したなんて知られたら、何と言われるか……」
「言伝てはしておきますよ。体調が悪いとでも言っておきましょう」
ノアは悪戯っ子のように舌を出してみせた。
「もしバレたら……」
「罰を受けるのは私だけです。お嬢様が居たくもない場所に居させるのは私の仕事ではありませんから」
「ありがとう、ノア」
「では、少し待っていてください。言伝てをしてきたあと、馬車をここまで持ってきます」
「わかったわ」
ノアが行くと、外階段に1人になった。
梟の鳴き声や水が流れる音も、木が揺すられる音も聞こえない。
代わりに聞こえるのはオーケストラの音楽や人の話し声ばかり。
いつもは綺麗に見える星明かりも月明かりも、人工でできた、お城から漏れる光に掻き消されている。
この雰囲気は、私の好きなものではない。
私の苦手を詰め込んだようなこの空間にいたくない。
どうして、どうして。
疑問は募るばかりで、一向に吐き出し口は見つからない。
「イヴ様。お待たせ致しました」
気付けばノアが目の前にいた。
「御者さんは?」
「残念ながら休憩中らしく、別場所にいるみたいです。時間がかかりそうなので、私が運転しますね」
「ノアが?運転できるの?」
「馬車を乗っていた頃がありまして。運転はできますよ」
さぁ、とノアは扉を開けた。
「私も、前に乗りたいわ」
「えっ、私の隣ですよ?しかも狭いですよ?」
「外がいいの。中に1人より。駄目かしら?」
そこまで膨らんだドレスではないけれど、やっぱり危ないのだろうか。
「良いのですが……万が一のことがあったらと考えると……」
「万が一って?」
「ドレスが絡まる……というのは考えにくいですが、お嬢様を連れ去るような人が来たとき、前だと危ないかと……」
「大丈夫よ。夜だし、町を通るわけでもないじゃない」
確かにバレたら叱られるのはノアだ。
でも、どうしても前がいい。
「お願い。私のせいにすればいいわ」
「でも何かあってからじゃ……」
「私、今日はどうしても前がいい」
私はこういった我が儘を言うことは少なかった。
言われるがままに行動し、面倒なことや話すことを避けてきたのだから。
「分かりました。特別ですよ?」
私の説得にノアは根負けし、前に乗せてくれた。
「御主人様にはなるべく秘密でお願いします」
「お父様にもお母様にも言わないわ」
「ありがとうございます」
ノアは非常に安全運転だ。
行きも外を見ていたとは言え、中からだったためか何も感じなかったが、外だと自然を楽しむことができた。
畑や水路の脇、森の近くを通ってきた筈だ。
「ねぇノア」
「はい、何でしょうか?」
「ノアは結婚しないの?」
「そうですねぇ、したいとは思いますが、私はそれよりこの仕事に就いていたいです」
「そうなの?」
「宛があるわけでもないですし。ここが居場所でもあるのです」
目を綻ばせて、ノアは優しい微笑みを浮かべた。
「イヴ様こそ。失礼なこと聞くようであれですが、どうしてご結婚なされないのですか?」
「言うつもりなかったんだけど、ノアだけには言うわ」
馬車に揺られながら、私は目前に広がる広大な土地を見渡した。
「私、誰にも言ったことないのだけれど、自然が大好きなの」
「そうなんですか!」
「お屋敷の森とかではなくって、こういう自然でできたような森や川なんか特に好きよ」
私がずっと秘密にしていたこと。
お母様もお父様も分かってくださらないこと。
こんなこと言っても、きっと馬鹿にするに違いない。
「本当は、もっと町へ出て……色んなことを知りたいわ。縛り付けられていたくなんてないの」
「それならご相談してみてはいかがですか?」
「無理よ。きっとお母様もお父様も、どこかで馬鹿にしているのよ。きっと一般市民を取り合わないのはそういうことなの」
「そうでしょうか?」
「だから結婚したくないの。それはもっと縛り付けられることになるでしょう?」
私のいつも言えない本音が、全部溢れていく感覚だった。
「それに……本当は、アーヴェン家になんて産まれたくなかった」
「イヴ様……!?」
私の言葉が衝撃的だったのか、ノアの声がいつもより一段と高くなった。
「アーヴェンの名前のせいで、私のことをイヴとして見てくれる人は……いないから」
1番私が我慢してきたことだった。
「アーヴェン家の人だから、みんな私に優しくするの。私を褒め称える言葉も、何もかも、私の地位目当てにしか思えないの」
「イヴ様……」
分かってる。
普通の人からしたら、無い物ねだりだと言われるんだろう。
「私はそんなことないですよ。私はイヴ様だからここにいるんです」
「……え?」
「言いましたよね、前に。イヴ様だから続けられると。それはアーヴェン家だからではありません。イヴ様が周りをどれだけ見て生活しているかを知っているからです」
私はノアに対して酷いことを言っていたのに。
「どうして?私……」
「フレイヤさんのお兄様が来たとき、しっかりした言葉を返していて、自分の地位に胡座をかいていないのだと分かったんです」
フレイヤのことは、本当に悪かったと思っている。
だが自分の口からあの言葉が出たのは驚きでもあった。
「出会えたのはイヴ様がアーヴェン家に産まれたからです。ですがアーヴェン家でもなくて、仕事でもなくても、私はイヴ様と出会いたいと、そう思います」
その言葉が、嘘であっても今の私には救いだった。
私の心に降り注ぐ一筋の光。
暗かった道が照らされる気さえした。
「あっ、勿論それだけじゃないですよ?前々から気付いてましたし!」
明らかに焦りを見せたノアに、思わず笑いが漏れた。
「いつか、私はお屋敷を出て、外で普通の暮らしをしてみたいの。結婚は、貴族じゃない人としたいわ」
そんなの、叶わないと分かっている。
接すことせえできないのに、結婚だなんて。
馬鹿馬鹿しくても、それが私の夢であり希望でもあるから。
「豪華じゃなくても、ご飯を食べて、誰かと話をして笑い合う_______素敵だと思わない?」
「……はい。とっても素晴らしいことです」
含みを持たせた言い方で、どこかを見つめるかのようにノアは呟く。
「あ、流れ星」
空に1本の光の筋が流れた。
「凄いわね。3回もお願い、言えないわ」
「もしもお願いするなら、何て言いますか?」
「自由になりたい……かしら」
「それはきっと、叶いますよ」
「ノアは?お願い事するとしたら?」
「自分が1番幸せだと思える場所が欲しいですね。今かもしれないんですけどね」
月明かりに照らされる。
ノアの金髪が輝き、風にのって揺れた。
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「……様、イヴ様」
「…‥おはよう‥‥?」
「おはようございます。まだ夜ですけどね」
「ここは……」
「お屋敷です。イヴ様途中で寝てしまわれて」
そうだ。
帰っている途中に眠くなって……。
「ごめんなさい。私が我が儘言ったのに寝てしまって」
「大丈夫ですよ。御夕飯とお風呂を済ませたら、すぐに寝られるように準備しておきますね」
「今日は、夜ご飯いらないわ」
「そうですか?」
「お腹が空いていないの。お風呂に入ったら寝るわ」
「了解しました」
お屋敷に入り、部屋にも寄らずお風呂へ直行した。
「バスローブはあとでメイドに渡しておきますね」
「ありがとう」
まだ眠気は覚めていないが、部屋へ戻っては確実に寝てしまう。
さっさと入って、寝てしまおう。
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「ふぅ」
お風呂からあがると、メイドが置いてくれたであろうバスローブがあった。
ラベンダーの香りに包み込まれる。
まだ眠気が覚めない。
うとうとしながら自分の部屋まで歩く。
「イヴ様」
「ノア?」
「待っていようと思ったのですが。早かったですね」
「まだ眠くって」
「そうですか。イヴ様、明日のことなのですが」
明日?
明日は何があっただろう。
霧がかる頭でぼんやりと考える。
「言い忘れていたのですが、明日はお休みさせて頂きますね」
「え……」
「すみません。どうしても外せない用事で」
「……そうなの」
一気に頭が冴え渡る。
今までノアが休むことなどほとんど無かった。
_______いや、覚えてないだけかもしれないが。
風邪なども無かったし、年末に帰るというのもほとんど無かった。
他のメイド達が休みを取ることはあるが、ノアは無かったのだ。
専属だとしても、休みは取れる。
現にアルレアも、度々休むことはある。
「寂しいですか?」
「全然……いいえ、少し、寂しいわ」
「ほんとですか」
いつもは強がっている私がこういうこと言うのがないから、驚いているのだろう。
やっぱり慣れないことをするものじゃない。
「私も寂しいです。イヴ様のお顔を見られないので」
少しだけ胸が熱くなる感覚を覚えた。
だが、気分は晴れやかにならない。
「明後日になれば、また会えますから」
「そうよね」
部屋まで辿り着くと、すぐベッドに寝転がった。
「おやすみなさい、イヴ様。また明後日」
「えぇ、おやすみなさい、ノア。またね」
少ししてノアが出ていく音がした。
その音と同時に私も目を開け、被っていた掛け布団を半分ほど下ろした。
白い天蓋カーテンが目に映る。
窓から入り込む風に、レースが揺れた。
月明かりが、いつもより入ってくるように感じられる。
先程までの眠気が嘘のようになくなり、目はぱっちりと開いたままだ。
頬を撫でる風も、いつもなら心地よく感じるはずが、今はノイズのようだ。
「ふぅ……」
なぜ気持ちがこんなにも沈みこんでいるのか自分でも分からない。
天蓋を見つめていると、私はいつしか眠りに落ちていた。
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カーテンの隙間から薄く射し込む朝日。
時計を見ると、もう9時半を指そうとしている。
「もうこんな時間。ノアは……」
そうだ、今日はいないのだ。
いそいそとベッドから起き上がり、軽く髪をブラッシングした。
「誰か起こしてくれたって良いのに……」
ノアの代わりを勤める者はいないのだろうか。
朝も起こしに来ないなんて、朝御飯を呼びに来たって良いのに。
食堂に向かう廊下を歩く。
「イヴ?」
「お兄様……」
「同じ屋敷に住んでいると言うのに、久々に会うな」
それはお兄様が部屋にずっと籠り、関わる人達全てに部屋に来てもらっているからでしょう。
それに最近はご飯も部屋に持っていっていると聞いたばかりだ。
「今日はどうして?」
「ただの気まぐれだ。それと聞いた。昨日パーティーに行ってきたらしいな。どうだった?」
お兄様の質問からして、気にかけている風だが、若干の侮蔑が含まれていることを、私は見逃さなかった。
「どうもこうも、何もなかったわ」
「婚約者はどうなんだ」
いちいち癪に障るような事ばかりを口にし、更に馬鹿にしたような言い方。
私だからこういう態度を取っているのか、誰にでもこう接しているのかは知らないが、少なくとも私は苦手だ。
私だけなら''いじり''とも捉えられるが、誰にでもこうしているなら空気の読めないタイプであるに違いないし、嫌われるのは明白だろう。
「何も、ないです」
お兄様は微笑すると、演技のように深い溜め息を吐き出した。
「分かってはいたが、親不孝者だとは思わないのか」
「……!」
そんなの、自分が1番分かっていることだ。
傷つく私を余所に、お兄様は話を続けた。
「お前を容姿端麗に産んでくれたのはお母様だろう?その少し歪んだ性格さえ直せばすぐに婚約者などできるだろうに」
褒めているのか貶しているのか、はっきりして欲しい物言いに加わり、性格を直した方がいいのはどちらかというとお兄様の方ではないか。
自分は婚約者がいるが、とでも言いたげだが、その婚約者は心からお兄様を愛しているのか。
アーヴェン家の長男という肩書きに惹かれたような奴ではなかろうか。
まぁどうでも良いのだが。
「アイリーンをお手本とすれば良いんじゃないか?今度会わせてやろう」
アイリーン、それがお兄様の婚約者の名前だ。
会わせてやろう、というのもどうせ自慢やマウントの一環だろう。
「あぁ、だが俺の妹らしく、しっかりとした挨拶をするんだぞ」
相変わらず、自分の話になると弾丸トークだ。
貴方の妹らしく意地悪く挨拶でもしてやろうかしら。
ここは頷いておかなければ後々面倒だ。
「分かりました。楽しみにしておきます」
嬉しそうに、かつ恭しくお辞儀をする。
1番疲れるのはお兄様の相手をすることだ。
お兄様の執事は本当に大変だろう、自分が言える立場でもないが。
「では、失礼します」
「あぁ、また」
漸くその場を離れられた。
もうご飯を食べる気力さえもない。
結局その場から踵を返し、部屋に戻った。
「ん……」
部屋に戻った途端、異臭、とまではいかないが、気持ちの悪くなるような臭いで部屋が充満していた。
窓を開けていないことに、今気付いた。
いつもならノアが窓を開け、ハーブを焚いていてくれるのだ。
16にもなって、今更それに気付くなどどうかしている。
ノアを雇ったのは半年ほど前だが、ノアの前の護衛兼執事の人達も、すぐ辞めるが仕事はこなしていた為、身の回りのことは全てしてくれていた。
朝の窓開けも、当然のように。
その執事が休養を取っても、他のメイドがついてくれていた。
だが今日は朝から誰もついていなかった。
ハーブは焚かなくても、窓は開けよう。
そうして窓辺に移動したとき。
コンコン。
「イヴ?」
「お母様!」
「ここにいたのね。開けるわよ」
扉を薄く開け、お母様が入ってくる。
それと同時に窓を開ける。
「おはよう、イヴ。昨日は大丈夫だった?」
「昨日?」
「パーティーの途中で体調が悪くなったんでしょう。お父様も心配なさっていたわ」
「もう大丈夫。すっかり治ったわ」
昨日はその口実でパーティーを抜け出したんだった、と思い返す。
「結婚相手はどう?」
「……見つからなかったわ」
「そう。残念ねぇ」
残念なのはお母様達だけで、私からしたら微塵も悲しいことではない。
だが、真正面から結婚はしないと言い張れる程、私の肝は据わっていない。
先程言われた親不孝者という言葉も気にかかり、私の本当の気持ちをお母様に晒け出す勇気はない。
そこで否定をされたら、本当に私でいられなくなるから。
「ところで、彼のことなのだけれど」
彼……とはノアのことだろうか。
「ノアの?」
「今日は休みを取ると言っていたこと、すっかり忘れてて、代わりを取り忘れちゃって」
「別に良いわ。今日1日くらい。用事はないもの」
「そう?それと、新しい護衛が明日来るわ」
新しい護衛?
その響きに、悪寒がした。
「ノアはどうなるの?」
「解雇しようかと思っているわ。彼にはまだ伝えていないけれど、22の彼よりもよっぽど良い人だと思うの。年齢は31で、前歴で護衛をやっていたこともあるのよ」
「そんな勝手に……!」
「イヴは護衛は誰でも良いでしょう?それなら屈強で前歴がある方が、私達としては安心よ」
確かに、今まで護衛は誰でも良かったかもしれない。
だが、今は少なくとも______。
「すぐに採用する訳ではないわよ。明日から数日間、2人護衛がついて、彼にも話をして、それから採用という形になるわ」
その言い方的には、ノアを解雇して新しい護衛をつかせる、そう言っているように聞こえる。
「これを伝えに来たの。またね、イヴ」
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