【完結】追放された嫌われ魔法使いは、拾った毛玉を盲愛する

飛鳥えん

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噛みますか?

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腕の怪我が癒えるまで、ユシウスは日当たりの良いレネの寝室に寝かされていた。レネの寝場所を占領してしまっている申し訳なさでいっぱいになったが、レネはあっさりと「ここで一緒に寝ますから問題ありません」と言って、その晩から同じ寝台で眠った。
これにはユシウスの方が驚いて、最初の頃は全く寝付けなかった。
逆にレネの方は、獣人の高い体温が冬のしみいる寒さにうってつけだと分かると、温石の代わりにユシウスにひっついて眠るようになった。
寝入るときは行儀よく仰向けに寝ているのだが、そのうち寝返りを打ったり、身体を丸めたりして、最後にはユシウスにくっついておでこを肩に乗せてきたりする。
(やっぱり猫みたいだ)
間近にある美しい顔と吐息の甘さにどきどきしていると、おかしな気分になってくる。歯……正確には犬歯がうずうずするのだ。何かを噛みたくてしょうがない。視線をずらすと、目の前のレネの形のよい小さな耳、ほっそりした白い指、すんなりしたうなじー。
どうしようもなく噛みたい。もちろん怪我をさせたいわけではない。はむはむと優しく甘噛みしたい。
(ああもう、なんだよこれ)
苛々が我慢できなくて毛布の端を噛んで堪える。
「うー」
喉の奥から変な唸り声も出る。レネがんん、と身じろいだので、慌てて毛布を頭からかぶった。
隣で眠るレネの体温と甘い香りが毛布の中に染み込んでいる。うー、とまた無意識に唸り声が漏れた。

なんだか心地よくて幸せな気分だのまま微睡みから浮上し、うっすら目を開けると、目の前に片手で頭を支えながら、こちらを向いているレネがいた。寝ぼけた頭で、ちゅる、と舌を動かして口の中のものを舐める。ひんやりして、程よい弾力があり、舐ったまま甘噛みを続けていると……。
「……それ、いつまで続ける気ですか」
ピタっと動きを止めた。恐る恐る見ると、あろうことかレネの親指の付け根を咥えたまま、寝ぼけて吸い付いたり噛んだり……ユシウスは声にならない悲鳴を上げて飛び起きた。

「ふむ。背丈が伸びて体つきががっしりし、声が低くなる、成長痛による歯の疼き、甘噛み衝動、他の個体より遅れて獣身になると起こるこれらの変化は……」
古い本のページをなぞって、レネはぶつぶつ呟いていた。あの後、ユシウスは真っ赤になりながらレネに謝り、涎でべとべとになったレネの手を拭いた。
レネは気にした風もなく、本をぱたんと閉じると、疑問が解決してすっきりたように、こう言った。
「心配ありません、ただの発情期の兆候です」
枕に背中を付けたユシウスは呆然とした。
「良かったですね」
「あ、ありがとうございます……?」
良かった、のか?
「これまで長年の栄養不足で身体の成長が止まっていたんでしょう。確かに、ここ数か月で一気に背丈が伸びましたしね。春になったら服を新調しなくては」
レネはどこか嬉しそうだ。
「一緒に街に行きますか?」
「いいんですか」
「逃げたりしたら承知しませんよ」
冗談なのか本気なのか分からなくて、曖昧に笑うしかなかった。
レネが手をスッと差し出した。
「レネ様?」
「噛みますか?」
思わず咽込んだ。
(何を言っているんだ、この人は……!)
「は、はい?」
「夢中になって噛んでいたので。そんなにしたいなら気の済むまでどうぞ」
親指の付け根に薄っすら赤い歯型が付いている。ごくっと唾をのんだ。
「……大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」
そうですか、と手を引っ込めたレネの横顔がつまらなそうに見えたのは、きっと気のせいだろう。
本心を打ち明けてくれてから、心なしかレネの態度が柔らかくなった気がする。ユシウスはどくどく五月蠅い心臓に手を当てて、レネの小さな変化に頬を染めた。

雪解け水が小川に流れ込む頃。ユシウスの腕は痕こそ残ったが、完全に傷も塞がり、動けるようになった。
トエリ村の一件は解決していないため、レネはドロテアに頼み、森の結界を強化してもらった。
夜になってミミズクの姿でやってきたドロテアは「あんたが誰かに頼るなんて……」と驚嘆し、ユシウスの怪我を知ると、レネの短くなった髪をじろじろ見た。
「なんです」
「別に?」
短い応酬があり、それきりだった。ユシウスも、レネの断髪と、自身の怪我が無関係だとは思っていない。問い詰めてもきっと教えてくれないと思うけれど、きっとあの美しい髪を代償に、何かしてくれたに違いなかった。
目くらましのための魔法道具も、結界と一緒にドロテアから借り受けた。どうしても必要な生活品を買いに出る時は、それを使って村人の目に触れないようにするのだ。
レネが報酬を渡そうとすると、ドロテアは呆れて断った。
「あんた今ほぼ文無しでしょ。要らないわよ。子持ちなんだから貯めときなさい」
「ドロテア!あなた言わないと約束してっ」
ドロテアがべっ、と舌を出す。
「知ってましたよ、レネ様」
ユシウスの言葉に、レネはばっと振り返ると、口をもごもごさせて黙ってしまった。顔が薄っすら赤くなっているのは、怒っているのか、それとも恥ずかしがっているのか、どっちだろう。
「僕を買う時に、仲間の肉代まで払ってくれたからですよね……ありがとうございます。僕、頑張ってもっと狩りが上手くなって、肉や毛皮を売って生活の足しにしますね!」
ドロテアが胡乱な目つきを向けるが、レネは気付かないのか知らん顔だ。
「……ほどほどにしなさい。今のお前の身体では、大きな獣相手に怪我どころではすみませんよ」
レネはユシウスの鼻先を指で弾いた。
「いたっ」
「せめて、わたくしと同じくらい背が伸びてからですね。まあ、その歳でそれだけ貧相な体つきでは、無理かもしれませんが」
貧相……。目が覚めた時は、背丈が伸びたと言ってくれたのに、それでもまだ貧相……。
鼻を押さえて涙目になっていると、ドロテアが横からよしよしと頭を撫でてくれた。
「気にしないでいいのよユシウス君。君の手も足も大きいもの。数年もしたらレネの背丈なんか軽く超えるわよ」
「本当ですか?」
うんうんと頷くドロテアに嬉しくなり、パタパタとしっぽを振った。
(レネ様より大きくなったら、いろんなお手伝いが出来るし、もう誰にもレネ様を虐めたりさせない)
ユシウスの瞳孔がすっと細くなり、うっとりと決意を込めてドロテアの顔を見上げて微笑んだ。
「そうなったらレネ様を虐める奴ら、みんな僕がどうかしてやるのに」
ドロテアは笑みを浮かべたまま沈黙した。
「ドロテア、そろそろ離れなさい。獣臭くなりますよ。お前も、部屋に行って寝なさい」
獣臭い……。ユシウスの耳がぺしょんと垂れた。昨日お風呂に入ったのに。石鹸でよく洗ったのに。しょんぼりと肩を落として、とぼとぼと廊下に出ようとし、はたと立ち止まった。急いでレネの元へ戻る。
「おやすみなさい、レネ様」
「おやすみ、ユシウス」
今度こそ、いそいそと二階へ上がるユシウスの足音を聞き、ドロテアが隣を睨んだ。
「あの子……何ていうかちょっと、危ないんじゃないの」
「確かに、あの歳の子にしては危なっかしい。この間も蜂の巣を取ろうとして崖から落ちたんですよ。信じられますか?獣人は俊敏な身のこなしが取り得のくせに、あの子は本当にどんくさいったら。しかも、わたくしが甘いものを好きだから喜ばせようとしたと、馬鹿みたいな言い訳をして」
「違う!そういう意味じゃなくて、愛玩動物みたいに愛でたいなら、他のもっと弱い生き物にしときなさいよってこと。……あの子、赤毛の狼でしょ」
「あの子の毛色はあなたに言われて知ったんです。狼……にしてはかなり大きかったですが、それが何か?」
「狼ってのは番を決めたら相手が死ぬまで番のままなの。赤毛は中でも特に愛情深くて同時に嫉妬深いから、死んでも番の死体を埋めた場所から離れずそこで一生を終えるというくらい、執着の塊みたいな生き物なのよ」
レネは押し黙り、しばらくして苛立ちを含んだ声で言った。
「あの子に番なんて作らせません。そんなもの、わたくしと居るのだから必要ないでしょう」
「だからそうじゃなくてね……あんたは大した魔力が使えないんだから、これ以上あの子が成長して強くなったら制御できないでしょ。自分の身を守れるの?嫌なことは嫌ってちゃんと言える?」
「何を当たり前のことを。ユシウスがこの先、わたくしから離れたいと言っても、毅然とした態度で嫌だと言うし、いくら力で負けても必ず鎖につないで逃がさないようにします」
「……お願い、相手の意図をくみ取って会話して」

部屋の扉をしっかり閉めていても、ユシウスの尖った大きな耳はぴくぴくと音に反応している。
ドロテアのお節介焼な声も、レネの的を外した応えも、しっかり耳に届いていた。
ユシウスは目を細めると、扉から離れ、ぼふんと寝台にうつぶせに倒れた。
死んでも番の死体を埋めた場所から離れず……。ドロテアの言葉を思い出し、ふっと安堵の息を吐いた。うとうとと目を閉じる。
(レネ様が長生きな魔法使いでよかった)
ユシウスの方がずっと早く死んで土に還るだろう。そうしたら、沼地の森のどこかに埋めて貰えるように、もう少し歳を取ったらお願いしてみよう。
(そうしたら、死んでもレネ様と離れないですむ)
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