呪いの子と公爵令息

ゆら

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公爵邸での療養

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 どのくらいの時間が経ったのか、どうやって小屋に戻ったのか分からない。自力で這って戻ったのかも知れないし、誰かがゴミでも捨てるように小屋に置き捨てたのかも知れない。
 兎に角あの場から逃げ出したかったアロイスが解放されたのは、意識を失いヨゼフが満足してからだろう。
 折檻と言うには余りにも苛烈過ぎる暴力に、アロイスの体は悲鳴を上げ、幾度か夜が明けた今も熱に魘されている。
 薬もなければ医師も来ない。傷の手当をしてくれるメイドなど近寄りもしない。襲い来る痛みと熱をただ蹲り耐えるしか術はなかった。

「アロイス居ないのか?」

 突然の声に朦朧と視線を向ける。
 こんなにも優しい声で名を呼ぶのはヴィルフレドしか知らない。ヨゼフに至ってはコレとソレ呼ばわりだ。

「……ぁる…ふ……」

 張り付いた喉から上手く声を発することが出来ず、掠れて僅かに空気を震わせただけだった。
 それでもアロイスの様子に気づいたヴィルフレドが慌てた表情で駆け寄る。

「どうした!?何があった!」
「はぁっ………は、ぁ…」

 事情を聞くヴィルフレドに対し、アロイス荒く息をつくことしか出来ない。

「熱があるのか……こんな季節に風邪か?」

 赤く火照った顔を見てそう判断したのだろう。熱を確かめようとヴィルフレドが触れただけで、針で刺されたように痛みが走った。

「ぐぅっ!」
「アロイス!?どうした!?」

 痛みから逃れようと体を捻るが、服が擦れ更に痛みが走る。
 衿口にヴィルフレドの視線が刺さる。傷を見つけてしまったのだろうか。その端正になりつつある顔を歪めた。

「これは……っとりあえず治療が必要だ」

 ふわりと優しい風に包まれ体が浮く。あまりの判断の速さに右往左往する余裕はアロイスにはなかった。



 アロイスが気づいた時には柔らかなベッドの上だった。
 見覚えのない天蓋。肌触りの柔らかな清潔なシーツ。
 明らかにあの小屋ではない。それだけは熱に浮かされた頭でも分かったが、どこかまでは思考が働かない。

「気がついたか」

 声がする方に視線を動かすと、硬い中に安堵を混ぜた表情のヴィルフレドが居た。

「ヴィルフレド、さっ…ゴホッゴホッ」

 声を発するが、未だ張り付いたままの喉は言葉を遮ってしまう。

「無理に喋らなくていい。今は静かに眠れ」

 ヴィルフレドの手が優しく頭を撫でる。熱を持った体には気持ちいい体温で、そのリズムの誘われるようにアロイスは瞼を閉じた。
 次に目を覚ました時、傍らには見知らぬ男性が立っていた。

「お目覚めになりましたか」
「えっと……」

 状況か分からず戸惑いの顔を見せるが、男性は姿勢を変えることなく佇んでいる。

「私は執事のステファンと申します。ヴィルフレド坊っちゃまは今席を外していますが、間もなく戻られます」

 ステファンと名乗った男。礼儀正しく挨拶する姿はまさに公爵家の執事といった感じだ。

「いっ…っ」

 もぞりと起き上がろうと動くだけで背中に痛みが走り、アロイスは顔を歪めた。

「傷の手当をさせて頂きましたが、化膿している箇所も多く、毎日付け替えが必要です。屋敷には専属の医師が通って参りますので、どうぞ暫くご滞在ください」

 驚いた様子を噯にも出さず、淡々とした口調でステファンが説明する。
 それは、このまま公爵家で療養しろということだろうか。そんな迷惑を掛ける訳にはいかない。
 ケガの治療をしてもらえただけで十分だ。

「い、いえ、そんな訳には…」

「これは坊っちゃまからの命令です。旦那様も許可されてますので、どうぞ甘えてください」
 先程まで凛とした眼差しを見せていたが、ふわっと優しいものに変わる。

「……でも、家を抜け出したことがバレると…僕、」

 勝手に家を抜け出したと、またあんな暴力を振るわれたら……恐怖に体が震える。
 呪いの子だと言い聞かせるように何度も何度もぶつけられた憎悪。
 ハッとしアロイスは今更ながら左目を覆った。
 ステファンにもこの目を見られてしまった。

「では、坊っちゃまが戻られたら相談しましょう」

 だがステファンは佇まいは変えることなく、慈しむような笑みに変えた。

「すまない、ステファン」

 扉が開くと共に凛とした声が響く。
 ヴィルフレドだ。
 朦朧とした意識の中でもヴィルフレドの手があったことを思い出す。あれは、とても優しい手だった。

「…ヴィルフレド様」
「起きたのか!?」

 ヴィルフレドは歓喜を見せ、アロイスの元へと駆け寄った。

「熱は……まだ熱いな。水は?飲んだか?」

 額に手を当て熱を測ると眉根を寄せ、ベッドサイドに視線を送る。
 そこにはガラスの上に銀製の蓋がついた水差しとコップがあった。

「飲めそうなら飲んだ方がいい」

 ヴィルフレド自らコップを手に取ると水を注ぎ、差し出される。

「おやおや……甲斐甲斐しいですね」
「これくらい当たり前だ」

 クスッと笑うステファン。ヴィルフレドがそれをキッと睨みつけた。暗に五月蝿いと言っているのだろう。

「ステファンから聞いたか?暫くうちで療養するといい」

 表情を戻すと、ヴィルフレドはアロイスに先程ステファンが説明した内容を口にした。
 だがアロイスは容易に頷くことは出来ず。

「それは」
「遠慮はいらない。背中の傷を見せてもらったが……勝手をして申し訳ない。だが、こんな惨い事を誰がしたんだ?まさかとは思うが、男爵が?」

 少しの申し訳なさを見せながらも、ヴィルフレドの表情は硬い。

「っ…」
「……男爵は父親ではなかったのか?」

 ヴィルフレドの声に冷たさが重なった。その表情は嫌悪の色を呈している。
 親が子を虐げる。それは今世でも常軌を逸する行為で間違いないらしい。
 だが呪いの子と言われ続けたこれまでの日々が、アロイスの心に深く根付いてしまっている。それは自虐心すらも構築してしまうようだ。

「勝手に小屋を抜け出した僕が悪いんだ…」
「部屋を出たくらいで、なぜアロイスがこんな目に遭わなければならないっ!」

 感情的になったヴィルフレドの突然の怒声。アロイスの体は反射的にビクつき怯えてしまう。
 自身に怒っているのではないと分かっていても、怒りのまま罵り暴力をぶつけてきたヨゼフが脳裏を過ぎってしまった。

「坊っちゃま」

 アロイスの様子に気づいたステファンがヴィルフレドを制すと、我に返ったヴィルフレドがすまないと慌てて声を鎮めた。

「アロイス、怪我が治るまでここで過ごすといい。医師も通ってくれるし、俺も居る」
「で、でも、あの部屋を出るとまた鞭でっ」

 声もそうだが全身が震え始める。
 部屋を出て覗いた窓の中。突然の悲鳴から流れるように怒号がこだまし、気づいた時には痛みに襲われた。
 前世では決して感じることのなかった類いの恐怖だ。
 あのまま殴られ殺されてしまうのではないかと死すら感じた。
 ここは平和だった前世とは違う。目に見える差別があり、暴力があった。

「アロイス……」

 震える体が優しく包まれ、耳の横でヴィルフレドの声が聞こえる。
 傷を負った背を庇うように優しく回された腕。一つしか変わらないのに、ヴィルフレドはうんと大人に見えた。

「俺に守らせて……まだ力不足だけど、絶対アロイスを自由にさせるから」
「っ……」

 目頭がじわっと熱くなり、視界が滲む。
 呪いの子だと、当然の報いと男爵家の者は誰も手を差し伸べてはくれなかった。
 なのに、ヴィルフレドは守らせて欲しいという。
 そんな事する義務などないのに。
 親にすら忌まれているのに。
 震える手を叱咤しヴィルフレドの服を掴んだ。
 助けてと呟いた言葉は声になったかすら分からない。
 気づけばわんわんと声を上げて泣いていた。





 ヴィルフレドがどう説き伏せたのか分からないが、公爵家で1ヶ月の療養を終えた。
 一体何を話したのかと何度聞いても「言えない」の一点張りで、ステファンに至っては終始笑顔を浮かべたままだった。
 緊張しながら元の家──基、小屋へと戻る準備をする。着の身着のまま、持ってきた物などなかったのに、いざ帰るとなると何故か山のような服。
 しかも手触りのいいシルクやコットンばかりで、アロイスが療養中着せられていた物だ。一応断ったが公爵家の沽券に関わると言われると何も言えなくなり、バッグひとつ分だけ、と有難く頂いた。
 ヴィルフレドが身に付けているような刺繍が施された服ではないのが唯一救いだ。
 帰ったアロイスにヨゼフ達がどんな反応を見せるのか……良いにしろ悪いにしろ、考えるだけで緊張し手が震えた。

「準備はいいか?」

 ヴィルフレドが魔法を使うとふわふわと体が浮き始めた。地面に立ってる感覚ではない。だからといってゆらゆら不安定な訳でもない。ふんわり包むような――。

「ああ、ヴィルフレド様の腕の中みたいなんだ」

 瞬間、地面へと戻る。
 どうしたのかとヴィルフレドを見れば、顔を真っ赤に染めていた。
 物珍しさにアロイスは瞬いた。
 理路整然と語る時は凛とし、かと思えばその実直さ故に怒りを顕にすることもある。優しく微笑み、時には勝気な笑みを見せ、喜怒哀楽をはっきりと持っている。
 だが貴族相手となると瞬時に大人の仮面を被るようだ。齢13にしてリオルディ卿と呼ばれるに相応しい振る舞いを見せる。
 そんな彼の初めての一面だ。

「アロイスのバカっ!」

 その言葉はあまりに大人びた少年を一瞬で子供の姿へと戻してしまった。



 降り立った男爵邸の庭。着いた小屋の扉を開けるが
 特に以前と変わりない。寧ろ、どこか小綺麗になっている節さえある。
 その違和感にアロイスは首を傾げた。

「なんか……」
「屋敷の者に頼んで少し綺麗にしてもらった。本当は俺がしたかったけど」

 さすがに勝手が分からず…と呟いた耳が赤い。
 もしかすると、本当に一度は試みたのかもしれない。ヴィルフレドの事だ、やらずに出来ませんでしたなどと口にはしないだろう。

「その気持ちだけで嬉しいよ」

 アロイスは心から笑みを浮かべた。
 ヴィルフレドの気持ちが嬉しかったのだ。

「ヴィルフレドには色々お世話になったけど、僕何も持ってなくて……いつか絶対、お礼するから」

 ぱちくり瞬きを見せ、楽しみにしてるとだけヴィルフレドは返した。

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