『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ

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第6章 流行病(王都の混乱)

6-3:混乱の王都

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王宮薬師長オーギュストの目論見は、最悪の形で「成功」し、そして「失敗」した。
彼が放った『変異種(フェーズ・ツー)』の紫色の花粉は、確かに、聖女リリアの治癒魔法を「無効化」するほどの強力な毒性を持っていた。
だが、それは同時に、オーギュストの想像を遥かに超える「感染力」をも、併せ持っていた。
貴族街の井戸から始まった汚染は、瞬く間に、王都全域へと広がった。
王都は、文字通りの地獄と化した。
「聖女様が、公爵家の跡継ぎを治せなかった!」
「聖女様の奇跡が、消えた!」
その報は、絶望となって、病の蔓延よりも速く、王都を駆け巡った。
頼みの綱だった「救い」が失われた時、人々を支配したのは、純粋な「恐怖」だった。
王都の風景は、一変した。
あれほど華やかだった大通りからは、人の姿が消えた。馬車の音も、人々の楽しげな笑い声も、何も聞こえない。
代わりに、響き渡るのは、家々の固く閉ざされた扉の奥から漏れ聞こえる、絶え間ない、苦悶に満ちた咳の音。そして、時折響く、家族を失った者の、悲痛な叫び声。
空気には、病の匂いと、死の匂い、そして、人々が魔除けと称してやみくもに燃やす、得体の知れない薬草や、硫黄、香木の煙が混じり合った、異様な匂いが立ち込めていた。空は、その煙のせいで、晴れているはずなのに、常に薄暗い灰色に淀んでいた。
立派な門構えの貴族の屋敷は、その門を固く閉ざし、『病魔退散』と書かれた、気休めにしかならない護符を貼り付けていた。
下町では、状況はさらに悲惨だった。
貧しい人々は、神官の(もはや何の効果もない)祈祷に、なけなしの銅貨を差し出し、あるいは、怪しげな「万能薬」を高値で売りつける詐欺師に騙されていた。
「この『聖なる水』を飲めば、黒咳病は治るぞ!」
「聖女様に見捨てられた今、我ら『真なる神』にすがるしかない!」
混乱に乗じた、新興宗教の扇動者まで現れる始末だった。
王国の治安を担う騎士団も、機能不全に陥っていた。騎士たち自身が、次々と病に倒れ、兵力は半減。残った者たちも、いつ自分も感染するかと、恐怖に震えながら、かろうじて暴動を抑えているに過ぎなかった。
その、地獄と化した王都に、ロイド・バルトロメウスは、戻ってきた。
「……ひどい。俺が王都を出てから、まだ、ひと月も経っていないというのに」
ロイドは、森の村でソフィアに教わった通り、タイムとラベンダーの精油(の残り香)を染み込ませた布で口と鼻を覆い、護衛のバルカスと共に、変わり果てた王都の道を進んでいた。
あの、華やかだった王都の活気は、どこにもない。そこは、まるで、巨大な墓場のようだった。
彼は、幸運だった。
ソフィアのアトリエで「隔離」されていたおかげで、王都でのパンデミック(フェーズ・ツー)の直撃を、免れていたのだ。
(ソフィア様の、あの時の判断……『隔離』。あれがなければ、俺も、今頃、この王都のどこかで、咳をしながら死を待っていたか……)
ソフィアの冷静な判断と、あの森の清浄な空気が、まるで別世界の出来事のように思い出される。
「旦那様、お屋敷に直帰なさいますか?」
バルカスの声も、緊張で強張っている。
「……ああ。だが、その前に、公爵家(デューク・ゲルハルト)の屋敷の様子を見ていくぞ。あの方が、我々『天秤と剣(スケイル&ソード)商会』の、最大の取引相手だ。あの方の安否が、我々の(そして、ソフィア様との約束である)未来を左右する」
ロイドの商魂は、この地獄の只中にあっても、衰えてはいなかった。
いや、むしろ、彼には「確信」があった。
(この混乱は、聖女様では治められない。だが、あの方——ソフィア様ならば、あるいは)
彼の懐の奥、心臓の真上には、あの小さな二本の遮光瓶。『特製回復ポーションLv.1』が、確かな重みを持って、そこにあった。
(ソフィア様は、これを『御守り』だと言った。他人に使うな、とも)
ロイドは、その約束を、固く守るつもりだった。
(これは、俺の命綱だ。万が一、俺が再び、あの『変異種』に罹った時のための……)
だが、その考えが、甘いものであったことを、彼はすぐに知ることになる。
ゲルハルト公爵の屋敷は、王都の中でも、ひときわ重苦しい絶望に包まれていた。
門番は、ロイドの顔(商会の紋章)を見ると、生きている人間を見たことに驚き、そして、泣きながら門を開けた。
「ロイド殿……! よくぞ、ご無事で……! 実は、旦那様が……!」
ロイドが、嫌な予感を胸に屋敷に足を踏いれると、そこは、まさに数日前の王宮の「祈りの間」の惨状を、そのまま再現したかのようだった。
医者たちが、なすすべもなく首を振り、神官たちは、無駄な祈祷を繰り返している。
そして、奥の寝室から聞こえてくるのは、あの、ロイド自身も経験した、死に至る病の、凄まじい咳の音だった。
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