『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ

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第7章 来訪者(魔術師と薬師)

7-2:価値の逆転

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「……お断りしますわ」
ソフィアの返答は、静かだった。
だが、それは、アルベルトが予想していた、どんな反応——懇願、恐怖、あるいは、ふてぶてしい開き直り——とも違っていた。それは、森の空気そのもののように冷たく、絶対的な「拒絶」の響きを伴って、アルベルトの耳に届いた。
「……な、に……?」
アルベルトは、自分が何を言われたのか、一瞬、理解できなかった。
(断る? この私が、王太子アルベルトが、直々に「許し」と「王都への帰還」を与えてやると言っているのに、この、追放された罪人の女が、断るだと?)
彼の脳内が、理解を拒否した。
「今、なんと言った……?」
「お・こ・と・わ・り・し・ま・す、と申し上げましたの。殿下」
ソフィアは、まるでディナーの誘いを断るかのように、優雅に、しかし、きっぱりと言い放った。
「なぜ、私が? なぜ、貴方様がた(王都)を、救わなければならないのですか?」
「なっ……貴様! 王命だぞ! 民が死にかけているのだぞ! それが、元とはいえ、この国の侯爵令嬢の言うことか!」
アルベルトが、激昂して叫ぶ。彼のプライドが、公衆の面前(騎士たちの前)で、追放した女に反故にされたのだ。
「それは、私の知ったことではございません」
ソフィアは、冷ややかに言い放った。
「私をこの『死の森』に追放し、『魔物の餌になれ』と仰ったのは、どなたでしたかしら? 罪を悔いながら朽ち果てろ、と。……私は、その王命に、今も、忠実に従っているだけですわ。ここで静かに、朽ち果てる(スローライフを送る)準備をしているのです」
「ぐ……っ!」
アルベルトが、言葉に詰まる。
ソフィアの「正論」が、彼の「正義」を、真正面から粉砕した。
(この女……! 口だけは、達者なままか!)
「それに、殿下。貴方様は、根本的な勘違いをしていらっしゃる」
ソフィアは、アトリエの入り口に吊るしてあった、乾燥中のタイムの束を、一本、指先で摘んだ。その青々しい香りが、鉄と汗の匂いに満ちたこの場に、一瞬だけ、清涼な空気を運んだ。
「私がロイドさんに差し上げたのは、『魔女の力』などという、曖昧なものではございません。……これですわ」
彼女は、タイムの葉を、アルベルトの目の前に突きつけた。
「……草……?」
アルベルトは、訳が分からない、という顔で、それを見た。
「ええ、薬草(ハーブ)ですわ。植物の力を、私の知識(ちしき)で引き出した、ただの『薬学』の産物。……聖女様の『奇跡』とは、根本的に違うのです」
ソフィアは、前世(カオリ)の記憶が蘇り、研究者としての誇りが、言葉に熱を帯びさせるのを自覚していた。
(あなたのような、何も知ろうとしない人間には、到底理解できないでしょうけれど!)
「私の『薬』は、聖女様の『祈り』ではございません。材料(ハーブ)があり、正しい知識(レシピ)があり、正確な設備(蒸留器)と、膨大な試行錯誤(研究)がなければ、生み出せないのです」
彼女は、アトリエの奥、不格好だが機能している『改良型・蒸留器Lv.2』を、親指で示した。
「今、王都で流行っている病に、ロイドさんに渡したポーションが効くかどうかは、分かりません。病は『変異』すると、ロイドさんから伺いました。ならば、その『変異種』のサンプルを解析し、それに合わせた新しい『処方箋(レシピ)』を、一から組み直さなければならない」
「……何を、訳の分からぬことを……!」
アルベルトは、ソフィアが語る「薬学(科学)」の論理が、一ミリも理解できなかった。
彼にとって、世界は単純だった。聖女の奇跡は「善」で、魔女の力は「悪」だ。薬草など、神官の魔法の「下位互換」でしかない。
「いいから、薬を寄越せ! あるのだろう! それとも、隠しているのか!」
「ですから、ない、と申しておりますの」
「嘘をつくな!」
ついに、アルベルトは、我慢の限界に達した。彼は、腰の剣の柄に手をかけた。
「……力ずくででも、アトリエの中を捜索させてもらう。もし、逆らうならば……」
その目が、ソフィアを「反逆者」として、断罪の光を宿した。
(愚かね。交渉ではなく、強奪。あなたのやり方は、いつもそれだわ。あの夜会から、何も成長していない)
ソフィアも、ナイフの柄に手をかけた。
近衛騎士団六名を相手に、勝てるはずがない。だが、このアトリエ(研究室)を、この男の土足で荒らされることだけは、絶対に許せなかった。
アトリエの前に、張り詰めた空気が満ちる。
騎士たちが、ソフィアを取り囲むように、剣の柄に手をかけた。
小川のせせらぎの音だけが、やけに大きく聞こえる。
(……ここまで、かしら)
ソフィアが、最悪の事態(戦闘と、アトリエの破壊)を覚悟した、その時だった。
「——殿下。どうか、それ以上は、お慎みください」
静かだが、よく通る、第三者の声。
それは、アルベルトでも、ソフィアでも、騎士たちの誰でもない、知的なバリトンだった。
騎士団の後ろ。彼らが乗ってきた馬のそばで、ずっと気配を消して状況を観察していたらしい、一人の男が、ゆっくりと前に進み出てきた。
ソフィアは、その男の姿を見て、わずかに目を見開いた。
(……騎士じゃない? あれは……)
男は、騎士たちのような重装備ではなかった。
動きやすそうな、しかし上質な黒いローブをまとっている。腰に下げているのは剣ではなく、儀礼用にも見える、魔力石がはめ込まれた杖。
だが、ソフィアの目を引いたのは、その出で立ちではなかった。
その男の「目」だった。
歳は、ソフィア(カオリ)と同じか、少し上。二十代後半から三十代前半だろうか。
その鋭い、知性に満ちた青い瞳は、アルベルトのように感情で濁ってはおらず、かといって、ソフィアのように冷徹でもない。
その瞳は、ただ、純粋な、焼けるような「知的好奇心」に満ちていた。
そして、その視線は、アルベルトでも、ソフィアでもなく、ただ一点——ソフィアのアトリエの奥にある、『改良型・蒸留器Lv.2』に、釘付けになっていた。
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