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第8章 災厄(原因究明と特効薬)
8-3:仮説(王宮薬師長の影)
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風の結界が揺らぎ、外の空気が、わずかにアトリエ(隔離病棟)に流れ込む。そこには、王都とは無縁だったはずの、森の村の、生活の匂いが混じっていた。薪が燃える匂い、家畜の匂い、土の匂い。
だが、今、そのすべてが、この一室に満ちる「死の腐臭」によって、上書きされようとしていた。
ギルバートは、ソフィアの、そして自分自身の、恐るべき「仮説」に、打ち震えていた。
(……オーギュスト薬師長が? この国の医療の頂点に立つ、あのお方が、こんな……こんな、非道な『生物兵器』を?)
信じがたい。
いや、信じたくなかった。
オーギュストは、確かに、権威主義的で、傲慢で、ギルバートのような純粋な研究者を見下す、好かん男だった。
だが、それでも、彼は「薬師長」だ。人の命を救う側の、頂点にいる人間のはずだ。
(彼が、自らの手で、この国を、地獄に……?)
だが、彼の、魔術師としての「目」が、研究者としての「論理」が、その最悪の可能性を、強く、強く、示唆していた。
「……ソフィア薬師。君は、なぜ、そこまで確信が持てるのだ。……ロイド殿の証言だけでは、状況証拠に過ぎん」
ギルバートは、最後の理性で、そう反論しようとした。
「ロイドさんの証言よ」
ソフィアは、エララの額の布を、新しい冷水(タイムの浸出液を混ぜた、消毒用の水)に浸しながら、淡々と答えた。
「ロイドさんは言っていたわ。王都の『黒咳病』は、最初は、聖女様の光で治った、と。しかし、治癒を受けるたびに、『寄付金』の額が吊り上がっていった、と」
「……!」
「そして、ロイドさんが王都を抜け出す直前、その病は『変異』し、聖女様の光が効かなくなった。……この、エララさんの症状(フェーズ・ツー)と、まったく同じよ」
ソフィアの、冷徹な分析(プロファイリング)が続く。
「……おかしいと思わない? あまりにも、都合が良すぎるわ」
「都合が、良い……?」
「ええ。聖女様の権威を高めるために、『聖女様にしか治せない病』が、絶妙なタイミングで流行する。民衆は熱狂し、貴族は恐怖し、教会(と、それを管理する薬師長)には、莫大な『寄付金』が流れ込む」
ギルバートの顔が、青から白へと変わっていく。
「……『マッチポンプ』。……自ら火をつけ、それを自ら(あるいは、自分の管理下にある聖女に)消させて、名声と利益を得る。……オーギュスト薬師長が、聖女の権威を『演出』するために……?」
「そして、彼は、しくじったのよ」
ソフィアは、サンプル瓶(紫色の痰)を、ギルバートの目の前に突きつけた。
「これが、その証拠。彼が『演出』のために作った、弱毒性の『呪いの花粉(フェーズ・ワン)』。それが、彼の制御を離れ、この『紫死病(フェーズ・ツー)』に、『変異』した。……あるいは、欲をかいた彼が、聖女様の奇跡を、より『劇的』に見せるために、より強力な『第二弾』を撒き、それが、彼の想像を超える『本物の災厄』になったか」
どちらにせよ、オーギュストが、このパンデミックの「発生源(オリジン)」であることは、ほぼ間違いなかった。
「……なんという、ことだ」
ギルバートは、自らの所属する王宮の、その腐敗の深さに、愕然とした。
彼は、魔術師団の研究室に篭もり、ただ「真理」の探究だけに没頭してきた。政治や、権力闘争には、一切関わってこなかった。
だが、その「無関心」が、オーギュストのような怪物を、王宮の中枢に、のさばらせる結果を招いたのだ。
(……アルベルト殿下も、リリアも。……彼らは、オーギュストの『駒』として、踊らされていたに過ぎない。……そして、その駒に、ソフィア薬師は、追放された)
すべてが、一本の、おぞましい線で繋がった。
(俺も、同罪だ。……この腐敗に、気づいていながら、目をそらしてきたのだから)
「……ギルバート」
ソフィアが、彼の絶望を断ち切るように、静かに、しかし強く、言った。
「感傷に浸っている暇はないわ。今、この瞬間も、エララさんの命は、消えかけている。そして、王都でも、国王陛下が……」
「!」
ギルバートは、ハッとした。
そうだ。国王の命も、今、この災厄の前に、風前の灯火なのだ。
「……行く」
ギルバートは、杖を強く握りしめた。その瞳には、もはや研究者としての好奇心はなく、自らの「罪」を清算しようとする、戦士の決意が宿っていた。
「王都へ、戻る。……オーギュストの研究室に、何があっても侵入し、その『呪いの花粉』の、オリジナルサンプルと、研究資料(レシピ)を、持ち帰ってくる」
「待って」
ソフィアは、彼を制止した。
「それだけでは、足りないかもしれない」
「……何がだ」
「この災厄(フェーズ・ツー)は、『聖属性』の力を、無効化するように設計されている。……聖女様の光も、私がロイドさんを救った『銀葉草(聖属性)』も、おそらくは効かない。……いや、むしろ、ギルバート、あなたの分析通りなら、聖属性の力を『餌』にして、増殖する可能性すらある」
「……っ!」
「ならば、必要なのは、聖属性よりも、さらに『上位』の、浄化の力。……あるいは、あの『呪い』そのものを、根源から『中和』する、対極の力よ」
ソフィアの目が、アトリエ(こことは違う、自分の研究室)の、さらに奥。霧深い森の、その最深部を、見据えていた。
「……ギルバート。魔術師団の、古い伝承に、心当たりはない? この森の、奥深く。聖女様の力の『源』と、呼ばれているような……そんな場所の、伝承が」
ギルバートの目が、見開かれた。
「……まさか。君は、あの『御伽噺(おとぎばなし)』を、信じるというのか」
「御伽噺?」
「……『霧深き森の最深部、魔物すら近寄らぬ聖域に、天まで届く、白亜の巨木が立っている』。……『その樹こそが、王家に聖女が生まれる時、その魔力の源流となる』……王宮書庫の、最古の文献にしか残っていない、失われた伝承だ。……俺は、単なる神話だと思っていた」
「……それよ」
ソフィアの、赤い瞳が、ギラリと輝いた。
それは、もはや、薬師の目ではなかった。
未知の「真理(サンプル)」を前にした、貪欲な、研究者の目だった。
「ギルバート。王都へ行く前に、寄り道してもらうわよ。……私たちの『特効薬』の、最後のピースを探しに」
「……正気か!? あの森の、最深部だと!? 牙猪(ファングボア)どころではない、伝承によれば、本物の『S級魔物』の巣窟だぞ!」
「だから、あなたがいるのでしょう?」
ソフィアは、こともなげに言った。
「王宮魔術師団、研究室所属。……あなたの『本気』の魔術、見せてちょうだい。……私の『スローライフ』を、これ以上、邪魔させないためにね」
ソフィアの口元に、初めて、あの、侯爵令嬢時代の、不遜で、好戦的な笑みが浮かんだ。
だが、今、そのすべてが、この一室に満ちる「死の腐臭」によって、上書きされようとしていた。
ギルバートは、ソフィアの、そして自分自身の、恐るべき「仮説」に、打ち震えていた。
(……オーギュスト薬師長が? この国の医療の頂点に立つ、あのお方が、こんな……こんな、非道な『生物兵器』を?)
信じがたい。
いや、信じたくなかった。
オーギュストは、確かに、権威主義的で、傲慢で、ギルバートのような純粋な研究者を見下す、好かん男だった。
だが、それでも、彼は「薬師長」だ。人の命を救う側の、頂点にいる人間のはずだ。
(彼が、自らの手で、この国を、地獄に……?)
だが、彼の、魔術師としての「目」が、研究者としての「論理」が、その最悪の可能性を、強く、強く、示唆していた。
「……ソフィア薬師。君は、なぜ、そこまで確信が持てるのだ。……ロイド殿の証言だけでは、状況証拠に過ぎん」
ギルバートは、最後の理性で、そう反論しようとした。
「ロイドさんの証言よ」
ソフィアは、エララの額の布を、新しい冷水(タイムの浸出液を混ぜた、消毒用の水)に浸しながら、淡々と答えた。
「ロイドさんは言っていたわ。王都の『黒咳病』は、最初は、聖女様の光で治った、と。しかし、治癒を受けるたびに、『寄付金』の額が吊り上がっていった、と」
「……!」
「そして、ロイドさんが王都を抜け出す直前、その病は『変異』し、聖女様の光が効かなくなった。……この、エララさんの症状(フェーズ・ツー)と、まったく同じよ」
ソフィアの、冷徹な分析(プロファイリング)が続く。
「……おかしいと思わない? あまりにも、都合が良すぎるわ」
「都合が、良い……?」
「ええ。聖女様の権威を高めるために、『聖女様にしか治せない病』が、絶妙なタイミングで流行する。民衆は熱狂し、貴族は恐怖し、教会(と、それを管理する薬師長)には、莫大な『寄付金』が流れ込む」
ギルバートの顔が、青から白へと変わっていく。
「……『マッチポンプ』。……自ら火をつけ、それを自ら(あるいは、自分の管理下にある聖女に)消させて、名声と利益を得る。……オーギュスト薬師長が、聖女の権威を『演出』するために……?」
「そして、彼は、しくじったのよ」
ソフィアは、サンプル瓶(紫色の痰)を、ギルバートの目の前に突きつけた。
「これが、その証拠。彼が『演出』のために作った、弱毒性の『呪いの花粉(フェーズ・ワン)』。それが、彼の制御を離れ、この『紫死病(フェーズ・ツー)』に、『変異』した。……あるいは、欲をかいた彼が、聖女様の奇跡を、より『劇的』に見せるために、より強力な『第二弾』を撒き、それが、彼の想像を超える『本物の災厄』になったか」
どちらにせよ、オーギュストが、このパンデミックの「発生源(オリジン)」であることは、ほぼ間違いなかった。
「……なんという、ことだ」
ギルバートは、自らの所属する王宮の、その腐敗の深さに、愕然とした。
彼は、魔術師団の研究室に篭もり、ただ「真理」の探究だけに没頭してきた。政治や、権力闘争には、一切関わってこなかった。
だが、その「無関心」が、オーギュストのような怪物を、王宮の中枢に、のさばらせる結果を招いたのだ。
(……アルベルト殿下も、リリアも。……彼らは、オーギュストの『駒』として、踊らされていたに過ぎない。……そして、その駒に、ソフィア薬師は、追放された)
すべてが、一本の、おぞましい線で繋がった。
(俺も、同罪だ。……この腐敗に、気づいていながら、目をそらしてきたのだから)
「……ギルバート」
ソフィアが、彼の絶望を断ち切るように、静かに、しかし強く、言った。
「感傷に浸っている暇はないわ。今、この瞬間も、エララさんの命は、消えかけている。そして、王都でも、国王陛下が……」
「!」
ギルバートは、ハッとした。
そうだ。国王の命も、今、この災厄の前に、風前の灯火なのだ。
「……行く」
ギルバートは、杖を強く握りしめた。その瞳には、もはや研究者としての好奇心はなく、自らの「罪」を清算しようとする、戦士の決意が宿っていた。
「王都へ、戻る。……オーギュストの研究室に、何があっても侵入し、その『呪いの花粉』の、オリジナルサンプルと、研究資料(レシピ)を、持ち帰ってくる」
「待って」
ソフィアは、彼を制止した。
「それだけでは、足りないかもしれない」
「……何がだ」
「この災厄(フェーズ・ツー)は、『聖属性』の力を、無効化するように設計されている。……聖女様の光も、私がロイドさんを救った『銀葉草(聖属性)』も、おそらくは効かない。……いや、むしろ、ギルバート、あなたの分析通りなら、聖属性の力を『餌』にして、増殖する可能性すらある」
「……っ!」
「ならば、必要なのは、聖属性よりも、さらに『上位』の、浄化の力。……あるいは、あの『呪い』そのものを、根源から『中和』する、対極の力よ」
ソフィアの目が、アトリエ(こことは違う、自分の研究室)の、さらに奥。霧深い森の、その最深部を、見据えていた。
「……ギルバート。魔術師団の、古い伝承に、心当たりはない? この森の、奥深く。聖女様の力の『源』と、呼ばれているような……そんな場所の、伝承が」
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