『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ

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第9章 王都の断罪

9-3:国王陛下の謁見

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国王の寝室は、祈りの間とは打って変わって、絶望的なまでに静かだった。
窓は固く閉ざされ、空気はよどみ、王都のすべての死の匂いが、この一室に凝縮されたかのような、濃密な瘴気に満ちていた。
そこは、王の寝室というよりは、巨大な棺桶の内部のようだった。
壁にかけられた、歴代の王の肖像画も、その重苦しい空気の中で、まるで死者のように青ざめて見える。
部屋の隅々に焚かれた、高価な白檀(びゃくだん)の香——オーギュストが処方したものだろう——の匂いが、その死臭と混じり合い、ソフィアの鼻を(マスク越しに)不快に刺激する。
(……ひどい。エララさんの時よりも、遥かに瘴気が濃い)
ソフィアは、その理由を即座に理解した。
(リリアが、この三日間、扉越しに『聖属性』の魔力を送り続けたからだわ。……病原体は、それを『餌』にして、国王陛下の体内で、爆発的に増殖している。……この部屋そのものが、培養器(インキュベーター)になっている)
ベッドの周囲には、王国の主治医たちが、なすすべもなく立ち尽くしている。彼らの顔は、自らの無力さと、王の死期が近いことを悟り、絶望に灰色になっていた。
そして、その中央。
天蓋付きの、王の寝台(ベッド)に横たわっていたのは、もはや、一国の王としての威厳を失った、一人の瀕死の老人だった。
国王陛下。
その顔は、エララがそうだったように、不吉な紫色に染まり、呼吸は、いつ途切れてもおかしくないほど、浅く、か細い。喉の奥で、かすかな、水が泡立つような音だけが響いている。
その枕元に、二人の男が、対照的な表情で立っていた。
一人は、王太子アルベルト。
彼は、父の無残な姿を直視できないのか、顔を青ざめさせ、ただ「父上……父上……」と、うわ言のように繰り返すだけだった。彼の「正義」も「自信」も、この「本物の死」を前に、完全に崩壊していた。
(聖女が……奇跡が……なぜ……)
彼は、もはや、現実を認識することすら、拒否していた。
そして、もう一人。
豪奢な、しかし悪趣味なまでに装飾過多なローブをまとった、王宮薬師長オーギュスト。
彼は、瀕死の国王を前にしても、悲しむ素振りすら見せず、その薄い唇には、誰も気づかないほどの、わずかな「焦燥」と「計算」の色が浮かんでいた。
(まずい。……『変異種(フェーズ・ツー)』が、思ったよりも強力すぎた。国王までが死ねば、さすがに俺の責任問題に……。だが、いや、待て。ここで『薬師長でも治せなかった』という既成事実を作れば、逆に、俺の地位は『神ですら及ばなかった』と、より盤石になるか……? そうだ、それしかない)
彼の思考は、すでに「次」の保身へと移っていた。
そこへ、ソフィアとギルバートが、静かに入室した。
「……何者だ!」
最初に反応したのは、オーギュストだった。
彼は、ギルバートの姿を認めると、一瞬だけ驚きの顔をしたが、すぐに、権威的な、侮蔑の表情に戻った。
「おお、ギルバート殿か。研究室(ラボ)から、やっと這い出してきたかね。だが、無駄だ。もはや、魔術師団の出番ではない。国王陛下は、神の御許へ……」
「その、ふざけた芝居は、おやめいただこうか。オーギュスト薬師長」
ギルバートの声は、氷のように冷たかった。
「……何?」
オーギュストが、眉をひそめる。
その時、アルベルト王太子が、ギルバートの背後に立つ、ソフィアの姿に気づいた。
「……そ、ソフィア……?」
アルベルトは、幽霊でも見たかのように、目を大きく見開いた。
「な、なぜ、貴様が……! 追放したはずの、魔女が、なぜ、王城に……!」
「お久しぶりですわね、アルベルト『元』殿下」
ソフィアは、ボロボロのドレスのまま、完璧なカーテシーを、瀕死の国王(のベッド)に向かって捧げた。
「……オーギュスト薬師長。あなたも、ごきげんよう。……私の『薬学』を、『冒涜』してくださった、張本人様」
「な、何を……」
オーギュストの顔が、初めて、明確な「動揺」に色を変えた。
(薬学? 冒涜? この小娘、一体、何を……?)
「ソフィア! 貴様、父上に何を……! 衛兵! 衛兵! この魔女を捕らえろ!」
アルベルトが、パニックになって叫ぶ。
「——お静かになさいませ!」
ソフィアの、鼓膜を劈くような、厳格な声が、寝室の瘴気を切り裂いた。
「これ以上、国王陛下の、貴重な『呼吸』を、あなた様の、無駄な『喚き声』で、妨害なさらないでいただきたい」
「なっ……!」
アルベルトは、追放したはずの女に、真正面から「黙れ」と一喝され、言葉を失った。
ソフィアは、もはや彼らには目もくれず、国王のベッドの傍らに進み出た。
そして、懐から、あの革のケースを取り出した。
「……薬師長。あなたは、これを、ご存知かしら」
ソフィアが、ケースから取り出したのは、ギルバートが命がけで持ち帰った、あの、おぞましい『紫色の花粉(サンプル)』の小瓶だった。
「——!!」
オーギュストの顔から、完全に血の気が引いた。
その目が、驚愕と、恐怖と、殺意に、激しく揺れ動いた。
(なぜ、なぜ、あの小娘が、それを……! 私の研究室(サンクチュアリ)の、奥の、あの棚に、隠していたはずの……!)
(まさか、ギルバート……! あの時、森へ向かったのは、こいつを連れてくるため……!?)
「……オーギュスト薬師長」
今度は、ギルバートが、冷たく言い放った。
「あなたの『実験日誌(ログブック)』は、すべて、我が魔術師団・研究室で、確保させていただいた。……あなたが、聖女の権威を『演出』するために、この『呪いの花粉(フェーズ・ワン)』を撒き、あまつさえ、制御不能な『変異種(フェーズ・ツー)』を生み出し、この国を、地獄に変えた、すべての『証拠』が、ね」
「ひ……っ!」
オーギュストは、もはや、権威的な仮面を保つことはできなかった。
その場に、へたり込むように、膝をついた。
彼の、長年にわたる陰謀が、今、この瞬間に、完全に、崩壊した。
「……オーギュスト。……貴様……」
アルベルトもまた、ギルバートの言葉の意味を、ようやく理解し始めていた。
(父上が……? 国が……? 聖女が、効かなかったのは……? すべて、こいつの、仕業……?)
(では、俺は……俺が、信じていた『正義』は……)
「……ソフィア。……貴様は、それを、知って……」
「ええ、もちろん」
ソフィアは、震えるアルベルトを、冷ややかに一瞥した。
「あなた様が、この愚かな男(オーギュスト)に踊られ、無力な少女(リリア)を『聖女』と祭り上げ、そして、私を『魔女』として追放した、あの夜会の、ずっと前から。……この国の『病』の、本当の『根源』が、どこにあるのかを、私は、推測しておりましたわ」
「あ……あ……」
アルベルトは、自らの愚かさの、その計り知れない「結果」を突きつけられ、もはや、何の言葉も、発することができなかった。
「さて」
ソフィアは、絶望する二人の男に、背を向けた。
「『お喋り』は、ここまで。……『薬師』の、仕事の時間ですわ」
彼女は、革のケースから、最後の一本——あの、黄金色と緑色が融合し、無色透明となった、奇跡の液体——を取り出した。
『聖樹の万能薬(エリクシル) Lv.1』。
彼女は、瀕死の国王の口を、ためらうことなく開かせると、その「答え」を、静かに、流し込んだ。
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