『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ

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第9章 王都の断罪

9-2:祈りの間の絶望

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国王の寝室の扉を開ける前に、ソフィアたちは、その手前にある「祈りの間」で、この国の「絶望」の象徴と対峙することとなった。
そこは、かつてリリアが、オーギュストの仕掛けた『フェーズ・ワン』の患者を「奇跡」で救い、民衆の喝采を浴びていた、神々しいまでの空間だった。
純白の大理石で覆われた壁と床。天井には、王国の建国神話を描いた巨大なステンドグラス。
だが、今、その神々しい空間は、神々しさとは程遠い、陰鬱な空気に満ちていた。
ステンドグラスから差し込む七色の光は、もはや何の慰めにもならず、ホコリの舞う空気の筋を照らし出すだけだ。そして、その光は、床に力なく座り込む人々の、青白い顔を、まるで絵画のように、残酷なまでに鮮やかに照らし出していた。
空気は、よどんでいた。
聖なる場所であるはずなのに、埃と、何日も閉じ込められた人間の汗の匂い、そして、扉の向こう側から漏れ出してくる、あの『紫死病』の、甘ったるい腐臭が混じり合い、よどんでいた。
「……聖女様……。もう、おやめください。あなたの魔力は、もう……」
「いえ……いえ、まだです! 私は、聖女ですもの……! 奇跡は、起こるはず……!」
部屋の中央。
国王の寝室へと続く、重い金細工の扉の前で、一人の少女が、座り込んでいた。
聖女リリア。
あの夜会で、アルベルトの腕の中で、ソフィアの「悪行」を涙ながらに訴えていた、可憐な少女。
だが、今の彼女の姿は、見る影もなかった。
純白であったはずの聖女の衣は、何日も着替えていないのか、汗と涙で汚れ、シワだらけになっている。
艶やかだった亜麻色の髪は、手入れもされず、脂で束になり、乱れていた。
何よりも違うのは、その瞳だった。
かつて、アルベルトの庇護欲を掻き立てた、潤んだ瞳。そこには、もはや純粋さも、可憐さも、残ってはいなかった。
あるのは、自分の無力さに直面し、信じていた世界(奇跡)に裏切られた、深い、深い「絶望」と、ソフィアにも通じる、過労の「疲弊」だった。
彼女は、魔力が枯渇しきっているのも構わず、震える両手を、固く閉ざされた国王の寝室の扉に向け、か細い声で、祈りの言葉を、ただ、オウムのように繰り返していた。
(光よ……。なぜ、なぜ、私の祈りに、応えてくださらないの……?)
「おお、聖なる光よ……。どうか、陛下を……。なぜ、なぜ、届かないの……」
その姿は、もはや聖女ではなく、糸が切れた、壊れた人形(マリオネット)だった。
「……リリア様」
ギルバートが、痛ましげに、彼女に声をかけた。
「……!」
リリアは、その声に、ビクッと肩を震わせると、ゆっくりと振り返った。
その虚ろな瞳が、ギルバートを捉え、そして、彼の背後に立つ、ソフィアの姿を認めた。
リリアの瞳が、絶望から、今度は「恐怖」と「混乱」に、大きく、大きく見開かれた。
「……あ……」
「……ソフィア、様……?」
リリアの声は、かすれきっていた。
「な、なぜ……なぜ、あなたが、ここに……? 追放された、はずでは……? あ、アルベルト様は……」
彼女は、パニックに陥っていた。
自分が「虐められた」と泣きついた相手。
自分が、この場所から追い落とした(と、無自覚に思っていた)、「悪役令嬢」。
その張本人が、今、この、自分が最も無力な瞬間に、この神聖な「祈りの間」に、現れたのだ。
(助けに、来てくれたの? いいえ、違う。私を、嘲笑いに……? 私が、聖女失格だと、断罪しに……?)
「……ごきげんよう、リリア様。随分と、お疲れのご様子ですわね」
ソフィアは、あの夜会と同じ、完璧な淑女の笑みを浮かべた。
だが、その笑みには、もはや一片の「演技」も「嘲笑」もなかった。
それは、あまりにも無力で、愚かで、そして哀れな少女に対する、純粋な「憐憫(れんびん)」と、研究者としての「無関心」の笑みだった。
彼女は、もはやソフィアの「計画」に必要な駒ですらなく、ただの「事実(データ)」でしかなかった。
「……っ!」
リリアは、その視線に、言葉を失った。
(……私を、見ていない)
ソフィアは、もはや、リリアを「ライバル」とも「虐める相手」とも、何とも思っていなかった。
ただの「障害物」として、その横を通り過ぎようとした。
「ま、待って……!」
リリアが、最後の力を振り絞るように、ソフィアのボロボロのドレスの裾を掴んだ。その手は、魔力を使い果たし、恐怖で、小刻みに震えていた。
「……行かないで、ソフィア様。……お願い、助けて……」
「……何を、ですって?」
「陛下が……! 陛下が、死んでしまうの……! 私の光が、届かない……! あなたなら、あなたは、アルベルト様よりもずっと賢くて、何でも知っていたから……! あなたなら、この病気を、どうすればいいか、知っているのでしょう……!?」
それは、聖女の、完全な「敗北宣言」だった。
彼女は、自らの「奇跡」を捨て、自分が最も恐れ、遠ざけていた「悪役令嬢」の、「知識(ソフィア)」に、すがりついたのだ。
アルベルトが、この光景を見たら、何を思っただろうか。
だが、ソフィアの赤い瞳は、冷めていた。
「……今さら、ですのね」
ソフィアは、リリアの掴んだ手を、優しく、しかし、有無を言わさぬ力で、振り払った。
「あなたの『奇跡』が届かないのは、当たり前ですわ。……なぜなら、その病は、あなたの『奇跡』を『餌』にして、増殖するのですから」
「え……? 餌……?」
リリアは、ソフィアが言っている言葉の意味が、理解できなかった。
「あなたは、この三日三晩、国王陛下を『治療』していたのではない。……ただ、病原体に『餌』を与え続けて、陛下を、死へと追いやっていただけのことよ」
「——!!」
ソフィアが告げた、残酷すぎる「真実(ファクト)」。
それは、リリアの、かろうじて残っていた理性を、完全に粉砕した。
(私が……私が、陛下を……?)
「あ……あ……あああああ……!」
リリアは、声にならない悲鳴を上げると、そのまま、純白の大理石の上に、気を失って崩れ落ちた。
「……ギルバート。彼女を、どこか、安全な場所へ。……これ以上、彼女の魔力が、この部屋の瘴気を活性化させても困りますわ」
「……承知した」
ギルバートは、無力な「元・聖女」を、同情を込めた目で見下ろすと、近くの騎士に命じ、別の部屋へと運ばせていった。
ソフィアは、もはやリリアには一瞥もくれず、すべての元凶が待つ、国王の寝室の、重い扉へと、手をかけた。
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