『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ

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第10章 報いと日常(私のアトリエ)

10-3:招かれざる再会

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ソフィアのアトリエでの、平穏な研究生活(スローライフ)が、再び始まってから、季節が一つ、移り変わろうとしていた。
森は、深い緑から、わずかに赤や黄色が混じる、美しい錦(にしき)の季節へと、移り変わろうとしていた。
小川の水は、夏よりも冷たさを増し、空気は、澄み切っている。
アトリエのハーブ園は、ソフィアの献身的な世話と、ランクSの黒土のおかげで、信じられないほどの豊作を迎えていた。
カモミールも、ラベンダーも、タイムも、王都の王立庭園のものより、遥かに大きく、そして、遥かに強い芳香を放つまでに育っている。
そして、何より。
「……素晴らしい!」
アトリエの中央には、あのガラクタの蒸留器に代わり、まばゆいばかりの「ガラス製品」で組み上げられた、本格的な『化学実験プラットフォームLv.3』が、鎮座していた。
ロイド・バルトロメウスが、約束通り、彼の商会の総力を挙げて、王都(と、一部は大陸の果て)から、ソフィアが要求した、すべての実験器具を、届けてくれたのだ。
フラスコ、ビーカー、メスシリンダー、そして、美しい螺旋を描く『リービッヒ冷却管』。
グラム単位で計測できる、精密な天秤。
それらが、ハンスが特別に作ってくれた、頑丈なオーク材の実験台の上に、整然と並べられている。
「ロイドさん、ありがとう……。これよ、これ! 私が欲しかったのは!」
ソフィアは、そのガラス器具を、まるで恋人でも愛でるかのように、うっとりと撫でていた。
「ははは! お喜びいただけて、何よりです、ソフィア様!」
ロイドは、今や、月に一度、このアトリエを訪れる、最大の「取引相手」となっていた。
彼は、ソフィアが開発した『万能軟膏Lv.2(ラベンダー精油配合)』や、『安眠ハーブティー(王家御用達)』の独占販売権と引き換えに、ソフィアが要求する、あらゆる「研究資材」と「王都の最新情報(ゴシップ含む)」を、運んできてくれる。
ソフィアの薬は、ロイドの商会を通じて、王都の貴族たちの間で、金に糸目をつけない「最高級ブランド」として、確立されていた。
(アトリエはLv.3に。ハーブ園も順調。村との関係も良好。王家からの研究費(予算)も、ロイドさんを通じて、潤沢に振り込まれている)
(……完璧だわ。完璧すぎる、スローライフよ)
ソフィアは、届いたばかりのリービッヒ冷却管を使い、さっそく『銀葉草』と『ルナティア・ブルー』を使った、『特製回復ポーションLv.2』の、高純度精製実験に取り掛かっていた。
(純度を99%まで高められれば、魔力ショックのリスクはゼロになる。そうすれば、村の子供たちが、万が一、牙猪に襲われた時でも、安全に使えるわ)
彼女の研究は、もはや「金儲け」のためではなく、純粋な「探求心」と、自分の大切な「日常(テリトリー)」を守るために、行われていた。
「ソフィア薬師! 新しい研究資料(サンプル)を持ってきましたぞ!」
そこへ、アトリエの扉が、勢いよく開いた。
現れたのは、黒いローブをまとった、魔術師ギルバート・ヴァイスだった。
彼もまた、今や、このアトリエの「常連客」となっていた。
国王から、正式に「王立薬学ギルド顧問」兼「ソフィア薬師との連絡役(という名の共同研究者)」に任命された彼は、週に一度、王宮の研究室と、このアトリエを、魔術(テレポート)で行き来していた。
「ギルバート。ノックぐらいしたらどうなの」
ソフィアは、フラスコから目を離さずに、ぶっきらぼうに言った。
「これは失礼。ですが、見てください、これ! 王宮書庫の最深部で見つけた、古代『錬金術』の文献です。どうやら、あなたの『奇跡的調合(ミラクル・コンビネーション)』に、酷似した記述が……!」
ギルバートが、興奮気味に、埃っぽい羊皮紙の束を広げる。
(……まったく。この男も、ロイドさんも、私のスローライフを、ちっとも『スロー』にしてくれないわ)
ソフィアは、呆れたようにため息をついた。
だが、その口元には、王宮にいた頃には、決して浮かべられなかった、充実感に満ちた、楽しげな笑みが浮かんでいた。
研究の話が、対等にできる仲間。
自分の研究成果を、正当に評価し、流通させてくれるビジネスパートナー。
自分を「薬師様」と慕ってくれる、村の人々。
(……悪くないわ。本当に)
ソフィアが、ギルバートが持ってきた文献に、興味深そうに目を落とした、まさに、その時だった。
ガサッ。
アトリエの外の、ハーブ園のあたりで、トラップではない、明らかな「人間」の気配がした。
「……?」
ソフィアとギルバートが、顔を見合わせる。
ロイドは昨日来たばかり。村のハンスなら、もっと大声で呼ぶはず。
ギルバートが、杖を構え、アトリエの扉を、警戒しながら開けた。
そこに立っていたのは、ソフィアが、最も会いたくない、過去の「遺物」だった。
「…………」
そこにいたのは、一人の、みすぼらしい男だった。
かつて、金髪を輝かせ、王太子の権威を示していた豪奢な服は、どこにもない。
着ているのは、粗末な、泥と埃にまみれた、旅人のマントだけ。
その顔は、自信も、正義も、すべてを失い、ただ、絶望と、みじめな「懇願」の色だけを浮かべて、痩せこけていた。
「……アルベルト、殿下」
ギルバートが、驚きと、軽蔑の入り混じった声で、呟いた。
廃嫡され、修道院へ送られたはずの、元・王太子アルベルトが、なぜか、護衛もつけず、たった一人で、この森に立っていた。
彼は、アトリエの中で、自分とは対照的に、生き生きとした研究者の顔で羊皮紙を覗き込んでいるギルバートと、そして、王宮にいた頃よりも、遥かに美しく、自信に満ちた姿で(革ズボン姿で)自分を見下ろしている、ソフィアの姿を、信じられないものを見る目で、見つめていた。
(……なぜだ)
(なぜ、俺は、すべてを失い、こいつは、すべてを手に入れている……?)
(ギルバートまで……。俺の、部下であったはずの男が、なぜ、あんな親しげに、この女の側に……)
彼の、壊れかけたプライドが、最後の力を振り絞った。
彼は、アトリエの前の、泥の上に、その場に崩れ落ちるように、膝をついた。
「……ソフィア」
かすれた、情けない声だった。
「……頼む。……君の、知識が……君の、薬が、必要なんだ」
彼は、顔を上げることができなかった。
「父上(国王)は、俺を廃嫡した。……だが、俺は、まだ、終わるわけにはいかない。……君の力さえあれば、俺は、王太子に、返り咲ける……!」
(……はあ)
ソフィアは、心の底から、深いため息をついた。
(この男は、まだ、分かっていない)
(私が欲しいのは、地位でも、名誉でも、ましてや、あなたの「隣」でもないということを)
(まだ、私の『薬』を、自分の『権力』を取り戻すための、道具としてしか、見ていない)
その、どこまでも変わらない、自己中心的な愚かさに、ソフィアは、もはや怒りすら感じなかった。
ただ、憐れだった。
そして、何よりも——。
(……面倒くさい)
彼女は、アルベルトの存在を、視界から遮断するように、ギルバートが持ってきた古代文献の、興味深い一節に、目を奪われていた。
「……『水銀と、聖樹の雫を、月の下で調合すれば、賢者の石(の第一段階)に至る』……? ギルバート、この記述、前世(わたし)の知識(チオメルサール)と、何か関係が……」
「ソフィア! 聞いているのか! 私の話を!」
アルベルトが、自分の存在を、研究対象以下のものとして無視されたことに、絶叫した。
「私のせいだった! 悪かった! 追放は、取り消す! だから、王都へ、私の元へ、戻ってきてくれ……!」
その、みっともない懇願の言葉に、ソフィアは、ようやく、フラスコから顔を上げた。
そして、アルベルトに向かって、あの夜会の日と同じ、完璧な、しかし、心の底からの「憐憫」に満ちた、冷ややかな笑みを浮かべた。
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