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第11章 聖なる樹の解析と「呪い」の発見
11-1:アトリエLv.3の日常
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王都を震撼させた『紫死病』の騒動が、まるで遠い嵐のように過ぎ去ってから、森には二度目の秋が訪れようとしていた。
あれほど濃密な緑一色だった木々は、その葉先から、燃えるような深紅や透き通るような黄金色に染まり始めている。足元で乾いた落ち葉がカサリと音を立て、空気は夏とは比べ物にならないほど冷たく澄み切り、胸いっぱいに吸い込むと、肺が浄化されるような錯覚さえ覚えた。空はどこまでも高く、群青色を深めている。
そんな秋晴れの空へ、私のアトリエ(研究室)の石造りの煙突から立ち上る、薬草を蒸留する白煙が、真っ直ぐに吸い込まれていった。それは、タイムとローズマリーをブレンドした、清涼感のある香り。王都へ納品する『抗菌軟膏』の仕込みだ。
この煙こそが、私の平穏な日常が戻ってきた証だった。
「――見つけたぞ、ソフィア薬師! やはり君の仮説通りだ!」
アトリエの中央で、突如、ギルバート・ヴァイスが歓声を上げた。
彼の興奮した声が、ガラス器具が並ぶ静かな室内に響き渡り、実験台の上の試薬の液面をわずかに震わせる。
「この『ドラゴンズ・ブラッド(竜血の実)』の神経毒素(テトロドトキシン類似物質)だが、これを構成する魔力パターンを、私の『分析魔法(アナライズ)』で分解したところ、王宮魔術師団(アカデミー)の秘匿呪文である『石化(ペトリフィケーション)』の術式と、七割がた一致した!」
あの日、ロイド・バルトロメウスが命がけで(そして国王陛下の勅命で)手に入れてくれた、ガラス製の実験器具(プラットフォームLv.3)。その前で、ギルバートが、子供のように目を輝かせながら叫んだ。
「つまりだ! この毒素を化学的に『分解』あるいは『置換』できれば、あの厄介な『石化』の呪文そのものを『無効化』する、対抗薬液(アンチ・カースポーション)が作れるかもしれん!」
彼の黒い魔術師のローブは、今や、すっかり土と薬草の匂いが染み付き、袖口は、先日の抽出実験の失敗でできた薬品焼けで少し焦げている。
王宮の偏屈で冷徹な研究者だった面影はなく、その表情は、純粋な探求心に満ちて、生き生きとしていた。この森に来てから、彼が「王宮のローブ」を着ているのは、単に替えの服(作業着)がないからに過ぎない。
「声を荒げないで、ギルバート。フラスコ内の温度がコンマ一度でもずれれば、抽出純度が変わるわ」
私は、彼の興奮を片手間にいなしながら、アルコールランプの青い炎を見つめていた。
(また始まった。この男、興味のある分野(サンプル)を見つけると、すぐにこうだわ)
内心でため息をつくが、その声色に、本気で咎める響きはない。
むしろ、心地よさすら覚えていた。
前世(カオリ)の研究室では、誰もが疲弊し、予算と納期に追われ、こんなふうに純粋な「発見」に歓声を上げる同僚など、一人もいなかったから。
リービッヒ冷却管を伝って滴り落ちる、一滴、また一滴の透明な液体。それは、ハーブ園で増産に成功した『銀葉草(シルヴァリーフ)』から抽出した、高純度の『アルジェンマイシン』だった。
国王との約束通り、ロイドの商会を通じて、王都の「王立薬学ギルド」(ギルバートが名目上の顧問を務めている)へ納品する『特製回復ポーションLv.2』の原料だ。
もはや、あのガラクタの銅鍋ではない。ススと粘土で隙間を埋めた、不安定な装置は、もうない。
正確な温度管理が可能なアルコールランプ。均一に熱を伝える丸底フラスコ。そして、魔術的な冷却に頼らずとも、ただ水の物理法則だけで、効率的に蒸気を液体に戻す、この美しいガラスの冷却管。
これらのおかげで、純度99%を超える、安定した品質の薬を、少量ながらも生産できるようになった。
(完璧だわ。私のアトリエは、今、完璧よ)
壁一面には、前世(カオリ)の記憶に基づく化学式と、ギルバートが持ち込む古代魔術の文献が、混然一体となって貼り付けられている。まるで、二つの異なる文明の叡智が、この小さなアトリエで融合しているかのようだ。
ハーブ園は、麓の村のハンスさんやマルクたちが、今や私の「フィールドワーカー助手」として、完璧に手入れを手伝ってくれる。彼らは、どの薬草がいつ収穫期か、どの土がジャガイモ栽培に適しているかを、私以上に把握し始めていた。
ロイドさんは、私の要求する、どんな無茶な(そしてマニアックな)研究資材でも、大陸の果てから探し出してきてくれる。「利益が出るから」と笑いながら、私の薬の独占販売権をがっちりと握っている。
そして、このアトリエには、私の「化学(サイエンス)」と、彼の「魔術(マジック)」を、対等にぶつけ合い、深夜まで議論できる、唯一無二の「共同研究者」がいる。
これ以上のスローライフ(研究環境)が、この世のどこにあるというのか。
「さて。ポーションの量産体制も、これで軌道に乗ったわね」
私は、最後の一滴が落ちたのを確認し、フラスコから火を離した。今日のノルマ(王都への納品分)の完了を告げる。
アルコールランプの火を消すと、アトリエに、一瞬の静寂が戻った。
ギルバートも、先ほどの興奮から冷め、研究者の真剣な顔つきに戻っていた。
「ギルバート。次の『研究テーマ』に移りましょうか」
その言葉に、ギルバートが、待ってましたとばかりに顔を上げた。
私たちが、このアトリエLv.3で、本当に解き明かしたかった、最大の謎。王都の騒動を解決して以来、ずっと保留にしていた、私たちの知的好奇心の、本丸。
「ああ。もちろんだ」
ギルバートは、アトリエの奥。ハンス特製の、頑丈な鍵付きの保管庫から、一つのサンプル瓶を、慎重に取り出した。
瓶の中では、あの日、森の最深部で採取した、黄金色の『聖樹の樹液』が、まるで呼吸するかのように、淡い光を明滅させている。
「『聖なる樹』。あの『紫死病』を浄化した、エリクシルの根源だ」
ギルバートの声が、熱を帯びる。
「あれが一体何なのか、いまだに私の『分析魔法』ですら、その全容を解明できずにいる。あの樹は、我々の常識の外側にある」
「だから、面白いんじゃない」
私は、新しい実験ノートの、真っ白なページを開いた。
羊皮紙の、乾いた質感と、インクの匂いが、私の五感を刺激する。
「科学(わたし)と、魔法(あなた)。このアトリエの総力を挙げて、あの『御伽噺(おとぎばなし)』の正体を、丸裸にしてやりましょうか」
私の赤い瞳に、新たな研究対象(ターゲット)を前にした、貪欲な光が宿った。
あれほど濃密な緑一色だった木々は、その葉先から、燃えるような深紅や透き通るような黄金色に染まり始めている。足元で乾いた落ち葉がカサリと音を立て、空気は夏とは比べ物にならないほど冷たく澄み切り、胸いっぱいに吸い込むと、肺が浄化されるような錯覚さえ覚えた。空はどこまでも高く、群青色を深めている。
そんな秋晴れの空へ、私のアトリエ(研究室)の石造りの煙突から立ち上る、薬草を蒸留する白煙が、真っ直ぐに吸い込まれていった。それは、タイムとローズマリーをブレンドした、清涼感のある香り。王都へ納品する『抗菌軟膏』の仕込みだ。
この煙こそが、私の平穏な日常が戻ってきた証だった。
「――見つけたぞ、ソフィア薬師! やはり君の仮説通りだ!」
アトリエの中央で、突如、ギルバート・ヴァイスが歓声を上げた。
彼の興奮した声が、ガラス器具が並ぶ静かな室内に響き渡り、実験台の上の試薬の液面をわずかに震わせる。
「この『ドラゴンズ・ブラッド(竜血の実)』の神経毒素(テトロドトキシン類似物質)だが、これを構成する魔力パターンを、私の『分析魔法(アナライズ)』で分解したところ、王宮魔術師団(アカデミー)の秘匿呪文である『石化(ペトリフィケーション)』の術式と、七割がた一致した!」
あの日、ロイド・バルトロメウスが命がけで(そして国王陛下の勅命で)手に入れてくれた、ガラス製の実験器具(プラットフォームLv.3)。その前で、ギルバートが、子供のように目を輝かせながら叫んだ。
「つまりだ! この毒素を化学的に『分解』あるいは『置換』できれば、あの厄介な『石化』の呪文そのものを『無効化』する、対抗薬液(アンチ・カースポーション)が作れるかもしれん!」
彼の黒い魔術師のローブは、今や、すっかり土と薬草の匂いが染み付き、袖口は、先日の抽出実験の失敗でできた薬品焼けで少し焦げている。
王宮の偏屈で冷徹な研究者だった面影はなく、その表情は、純粋な探求心に満ちて、生き生きとしていた。この森に来てから、彼が「王宮のローブ」を着ているのは、単に替えの服(作業着)がないからに過ぎない。
「声を荒げないで、ギルバート。フラスコ内の温度がコンマ一度でもずれれば、抽出純度が変わるわ」
私は、彼の興奮を片手間にいなしながら、アルコールランプの青い炎を見つめていた。
(また始まった。この男、興味のある分野(サンプル)を見つけると、すぐにこうだわ)
内心でため息をつくが、その声色に、本気で咎める響きはない。
むしろ、心地よさすら覚えていた。
前世(カオリ)の研究室では、誰もが疲弊し、予算と納期に追われ、こんなふうに純粋な「発見」に歓声を上げる同僚など、一人もいなかったから。
リービッヒ冷却管を伝って滴り落ちる、一滴、また一滴の透明な液体。それは、ハーブ園で増産に成功した『銀葉草(シルヴァリーフ)』から抽出した、高純度の『アルジェンマイシン』だった。
国王との約束通り、ロイドの商会を通じて、王都の「王立薬学ギルド」(ギルバートが名目上の顧問を務めている)へ納品する『特製回復ポーションLv.2』の原料だ。
もはや、あのガラクタの銅鍋ではない。ススと粘土で隙間を埋めた、不安定な装置は、もうない。
正確な温度管理が可能なアルコールランプ。均一に熱を伝える丸底フラスコ。そして、魔術的な冷却に頼らずとも、ただ水の物理法則だけで、効率的に蒸気を液体に戻す、この美しいガラスの冷却管。
これらのおかげで、純度99%を超える、安定した品質の薬を、少量ながらも生産できるようになった。
(完璧だわ。私のアトリエは、今、完璧よ)
壁一面には、前世(カオリ)の記憶に基づく化学式と、ギルバートが持ち込む古代魔術の文献が、混然一体となって貼り付けられている。まるで、二つの異なる文明の叡智が、この小さなアトリエで融合しているかのようだ。
ハーブ園は、麓の村のハンスさんやマルクたちが、今や私の「フィールドワーカー助手」として、完璧に手入れを手伝ってくれる。彼らは、どの薬草がいつ収穫期か、どの土がジャガイモ栽培に適しているかを、私以上に把握し始めていた。
ロイドさんは、私の要求する、どんな無茶な(そしてマニアックな)研究資材でも、大陸の果てから探し出してきてくれる。「利益が出るから」と笑いながら、私の薬の独占販売権をがっちりと握っている。
そして、このアトリエには、私の「化学(サイエンス)」と、彼の「魔術(マジック)」を、対等にぶつけ合い、深夜まで議論できる、唯一無二の「共同研究者」がいる。
これ以上のスローライフ(研究環境)が、この世のどこにあるというのか。
「さて。ポーションの量産体制も、これで軌道に乗ったわね」
私は、最後の一滴が落ちたのを確認し、フラスコから火を離した。今日のノルマ(王都への納品分)の完了を告げる。
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ギルバートも、先ほどの興奮から冷め、研究者の真剣な顔つきに戻っていた。
「ギルバート。次の『研究テーマ』に移りましょうか」
その言葉に、ギルバートが、待ってましたとばかりに顔を上げた。
私たちが、このアトリエLv.3で、本当に解き明かしたかった、最大の謎。王都の騒動を解決して以来、ずっと保留にしていた、私たちの知的好奇心の、本丸。
「ああ。もちろんだ」
ギルバートは、アトリエの奥。ハンス特製の、頑丈な鍵付きの保管庫から、一つのサンプル瓶を、慎重に取り出した。
瓶の中では、あの日、森の最深部で採取した、黄金色の『聖樹の樹液』が、まるで呼吸するかのように、淡い光を明滅させている。
「『聖なる樹』。あの『紫死病』を浄化した、エリクシルの根源だ」
ギルバートの声が、熱を帯びる。
「あれが一体何なのか、いまだに私の『分析魔法』ですら、その全容を解明できずにいる。あの樹は、我々の常識の外側にある」
「だから、面白いんじゃない」
私は、新しい実験ノートの、真っ白なページを開いた。
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