『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ

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第13章 枯れゆく森と、元聖女の来訪

13-1:麓(ふもと)の村の惨状

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「ギルバート! アトリエの『聖樹の樹液(サンプル)』と、ロイドさんが置いていった、すべての『清水』を持って! ……村へ、急ぐわよ!」
私の切羽詰まった叫び声が、死にゆく秋の森の、重い静寂を引き裂いた。
足元では、マルクが「父ちゃんが、じいちゃんが、井戸の水を飲んじまったんだ!」と、恐怖で意味の成さない言葉を繰り返しながら、しゃくり上げている。その小さな手に握られた、黄色く萎びきったジャガイモの茎が、この悪夢が現実であることを、無慈悲に突きつけていた。
ギルバートは、私のただならぬ気配に、一瞬の動揺も見せず、即座に行動に移った。
「承知した!」
彼の声もまた、いつもの知的な探求心の色を失い、戦場に向かう兵士のような硬質なものに変わっている。彼はアトリエに飛び込むと、実験台の奥の棚に厳重に保管していた、あの日聖樹の根本で採取した『聖樹の樹液(エリクシル)』のサンプル瓶と、ロイドさんが王都から運んできてくれた、汚染されていない『清水』の大きな革袋を掴み、飛び出してきた。彼の顔色は、ヴォルフラム伯爵と対峙した時よりも、遥かに険しい。
あの鉄血伯爵は「理解可能な敵」だった。だが、今、私たちの足元で進行している「ブライト」の汚染は、人智を超えた、対処不能な「天災」そのものだったからだ。
「マルク、案内なさい! しっかりして! あなたまで倒れるわけにはいかないのよ!」
私は、泣き崩れるマルクの腕を掴み、無理やり立かせた。その小さな体は、恐怖と寒さで小刻みに震えている。
「う、うん……! こっちだ、薬師様!」
マルクは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をこすると、よろめきながらも、村へと続く坂道を駆け下り始めた。
私も、ギルバートも、その後を追う。
アトリエの周辺とは、明らかに空気が違った。
森は、もはや「枯れゆく」という段階を超え、「死に」始めていた。
数日前までは、かろうじて聞こえていた鳥の声は、完全に途絶えている。風が木々を揺らす音は、もはや「カサカサ」という乾いた音ですらなく、まるで骸骨が擦れ合うような「カタカタ」という、不吉なノイズに変わっていた。
私の頭は、前世(カオリ)の記憶が呼び起こした、最悪の事態――『化学兵器による水源汚染』『未知の病原体によるパンデミック』――のシミュレーションで、沸騰しそうになっていた。
(井戸水が汚染された。ヴォルフラムが残した『ブライト』が、ついに地下水脈を通じて、村の生活圏にまで到達した。……それも、聖樹の『魔力枯渇』と、同時に)
ヴォルフラムの来訪が、この汚染の「引き金」だったことは、もはや疑いようもなかった。あの男は、意図的に、この森の「免疫システム」を暴走させ、そのデータを収集しに来たのだ。
(『甘ったるくて、苦い匂い』。マルクはそう言ったわ。……聖樹の樹液(エリクシル)の、あの甘く腐敗した果実のような匂いと、『ブライト』の、あの冷たい死の匂いが、混じり合ったもの? まさか、地下で、二つが反応して、新たな『毒物』を生成しているの!?)
思考が、最悪の仮説へと突き進む。
私のアトリエの周辺は、聖樹の直下ではないため、小川の水はまだ清浄だった。だが、麓の村は、聖樹の地下水脈の、より下流に位置しているのかもしれない。
坂道を駆け下り、森を抜ける。
視界が、開けた。
そこにあるはずの、穏やかで、活気に満ちた麓の村の姿は、どこにもなかった。
「……!」
ギルバートが、息を飲んだ。
私も、足を止めそうになるのを、必死でこらえた。
村は、死んでいた。
いや、死につつあった。
数日前まで、黄金色の収穫を間近に控えていたはずのジャガイモ畑は、マルクが持っていた茎と同じように、すべてが黄色く変色し、腐敗したように大地にひれ伏している。それだけではない。村の女たちが丹精込めて育てていたカボチャは、黒いシミに覆われて腐り落ち、家畜小屋からは、牛や鶏の、苦しげな呻き声だけが聞こえ、いつもなら元気に駆け回っているはずの犬の姿すら見えない。
村の広場は、静寂に包まれていた。いつもなら聞こえるはずの、ハンスさんの鍛冶場から響く鉄を打つ音も、女たちの洗濯場での話し声も、何もかもが消え失せていた。
聞こえるのは、どこかの家から漏れ聞こえる、赤ん坊の弱々しい泣き声だけ。
そして、その静寂の中心。
村人たちの命の源であったはずの、共同井戸。
その周囲に、村人たちが、折り重なるようにして、倒れていた。
「父ちゃん! じいちゃん!」
マルクが、私たちの制止を振り切り、その中の一番大きな影――ハンスさんへと、泣きながら駆け寄っていく。
「マルク、待ちなさい! 井戸に近づくな!」
私の叫びも、マルクには届かない。
私とギルバートも、村の広場へと足を踏み入れた。
鼻腔を突く、強烈な異臭。
マルクが言った通りだった。聖樹の樹液が腐敗したような、耐え難いほど甘ったるい匂いと、前世で経験した、重金属汚染にも似た、鉄錆と腐った卵が混じったような、無機質で冷たい「死」の匂いが、混じり合って、村全体に漂っている。呼吸するだけで、意識が遠のきそうになるほどの瘴気だった。
倒れているのは、ハンスさんと村長だけではなかった。朝、井戸の水を汲みに来たであろう、屈強な男たちが、五、六人、皆、同じように、喉と腹を押さえ、激しく嘔吐(おうと)した痕跡を残したまま、気を失っていた。その嘔吐物は、おぞましい紫色に泡立っていた。
「……ハンスさん!」
私は、まず、マルクに抱き着かれても反応しないハンスさんの元へ駆け寄り、その首筋に指を当てた。
(……脈、微弱! だが、生きている!)
「ギルバート、村長を!」
「こっちもだ! 呼吸はしているが、浅い! ひどいチアノーゼだ!」
ハンスさんの体は、異常なまでに熱かった。だが、それは『紫死病』の時のような、体内から燃え上がるような熱ではない。むしろ、冷たい汗でぐっしょりと濡れ、肌は青白く、唇と指先は、血の気が引いて紫色に変色している。危険なショック症状だ。
「……毒よ。それも、即効性の、神経毒に近い何か。あるいは、魔力そのものの中毒(ポイズニング)」
私は、井戸の縁に残っていた、汲み置きの水桶の匂いを嗅いだ。
(間違いない。あの『ブライト』が、地下水脈で、聖樹の『魔力(エリクシル)』と反応し、致死性の毒物に『変異』している)
オーギュストの悪意とは異なる、もっと根源的な、自然界の法則(化学反応)そのものが、牙を剥いていた。
「ソフィア薬師、どうする! このままでは、皆……!」
ギルバートが、狼狽の声を上げる。彼が、これほど取り乱すのを、私は初めて見た。
「私の回復魔法を……! くっ!」
ギルバートは、ハンスさんの体に手をかざし、治癒の魔力を注ぎ込もうとした。だが、彼の魔力がハンスさんの体に触れた瞬間、パチパチと嫌な音を立てて弾け飛んだ。
「ダメだ! 私の魔力が、彼の体に入った瞬間、まるで、黒い砂鉄に吸い寄せられるかのように、霧散していく! いや、違う……『分解』されている! あの『ブライト』の汚染が、彼の体内の魔力循環(サーキット)そのものを、破壊しているんだ!」
(やはり、そう。あの『黒い呪い』は、魔力そのものを『分解・消滅』させる力)
オーギュストの『紫死病』は、聖属性を『餌』にするだけだった。だから、それ以上の聖属性(エリクシル)で叩き潰すことができた。
だが、今回の『ブライト』そのものによる汚染は、違う。
『薬(エリクシル)』の力(魔力)そのものを、『無』に還してしまう。
「……ポーションは、効かないわ」
私は、腰のケースに下げていた『特製回復ポーションLv.2』の瓶を、固く握りしめた。
これを投与しても、ハンスさんたちの体内で、毒物(ブライト)によって、薬効が発揮される前に、分解されてしまう。
(化学的な『毒物』であり、魔力的な『呪い』。その、最悪のハイブリッド……!)
「アトリエに運ぶわよ! ここに置いておけば、瘴気にやられて死んでしまう!」
私は、ギルバートが持ってきた『清水』の革袋を開け、自分のマスク用の布に染み込ませた。
「マルク! あなたの鼻と口も、これで覆いなさい! 瘴気を吸うな!」
私は、まだ幼い少年に、この村の命運がかかった、過酷な指示を飛ばした。
「あなたは、まだ動ける村人を全員集めてきなさい! この井戸に絶対に近づくな、と! そして、アトリエの小川から、飲める水を運ぶように伝えて! 生き残っている家畜にも、アトリエの水を運ぶのよ!」
マルクは、恐怖に震えながらも、父の姿を見て、自分がやるべきことを悟ったようだった。
「わ、わかった! すぐ行ってくる!」
彼は、涙を拭うと、まだ倒れていない家々へ、大声を上げながら走っていった。
「ギルバート、手を貸して! 一番重症なのは、ハンスさんと村長よ。この二人を、まずアトリエに運ぶ! 残りの人たちは、マルクに応援を呼ばせるわ!」
私とギルバートは、熊のようなハンスさんの体を、二人で担ぎ上げた。
その体は、ぐったりと重く、生きているとは思えないほどの冷たさと、高熱が、混在していた。
私たちの、絶望的な「治療」と「防疫」の戦いが、今、この死にゆく村で、始まってしまった。
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