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第13章 枯れゆく森と、元聖女の来訪
13-2:応急処置と無力感
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私のアトリエ(研究室)は、即座に、野戦病院、いや、集中治療室(ICU)と化した。
数時間前まで、リービッヒ冷却管が静かに薬液を滴らせ、ギルバートの知的な探求の声が響いていたはずの空間は、今や、死の匂いと、生者の必死の抵抗がぶつかり合う、凄惨な戦場へと変貌していた。
暖炉の火は、ハンスさんたちの巨体を温め、そして消毒用の湯を沸かし続けるため、私がこの森に来て以来、最も激しく、赤々と燃え盛っている。その熱気は、狭いアトリエの室温を異常なまでに押し上げ、ガラス器具が並ぶ実験台すらも熱で歪んで見えた。
床には、村から運び込んだ、かろうじて清潔だった毛布が敷き詰められ、そこにハンスさん、村長、そして、同じく重症だった他の二人の男が、苦しげな呻き声を上げながら横たえられていた。
「ゲホッ……ぅ……」
「……ひ、……ぅ」
それは咳ですらなかった。毒によって麻痺し始めた肺が、かろうじて空気を絞り出そうとする、最後の音。彼らの屈強な体は、青白く冷たい汗でぐっしょりと濡れ、紫色の唇と指先が、死の接近を明確に示していた。
アトリエの中は、緊迫した空気と、患者たちが発する異常な熱気、そして、あの井戸から漂ってきた、甘く腐敗した果実と重金属が混じり合うおぞましい瘴気が充満していた。
「ギルバート、もっとハーブを燃やして! 瘴気を中和するわよ!」
私は、実験台のタイムとラベンダーの束を暖炉に投げ込みながら叫んだ。殺菌作用のある強い芳香が、瘴気と混じり合い、目を刺すような、異様な匂いとなって室内を満たす。
「マルク! アトリエの扉を、内側から濡れた布で目張りして! 汚染された外気が入らないように! それが終わったら、アトリエの小川の水を、患者たちの口を湿らせる分だけ汲んできて!」
「う、うん! わかった!」
マルクは、恐怖で泣き出しそうな顔を必死でこらえ、私の指示に従っていた。アトリエの扉が開き、一瞬だけ外の冷たい空気が流れ込むと、横たわる男たちの一人が、待っていたかのように激しく痙攣(けいれん)を始めた。
彼の小さな背中には、この村の未来が、あまりにも重くのしかかっている。
(ごめんなさいね、マルク。でも、今、動けるのは、私たちだけなのよ)
私は、自分のアトリエ(聖域)が「死」に侵食されていくことへの、言いようのない怒りと焦りを感じていた。
「ギルバート、状態(バイタル)は!」
「ダメだ! 魔力が、回復しない!」
ギルバートは、痙攣を始めたハンスさんの傍らで、自らの魔力を注ぎ込もうと試みていたが、その顔は絶望に歪んでいた。彼は杖を握りしめ、青白い魔力の光をハンスさんの胸に当てている。だが、その光は、患者の体に触れた瞬間、パチパチと嫌な音を立てて弾け飛んだ。
「私の魔力が……彼の体に入った瞬間、まるで、黒い砂鉄に吸い寄せられる水のように、霧散していく! いや、違う……『分解』されている!」
彼の声は、自らのアイデンティティが崩壊するのを目の当たりにしたかのように、震えていた。
「あの『ブライト』の汚染が、彼の体内の魔力循環(サーキット)そのものを、破壊しているんだ! 回復魔法という『概念』そのものを、拒絶し、分解している!」
(やはり、そう。あの『黒い呪い』は、魔力そのものを『分解・消滅』させる力)
ギルバートの魔術師としての最強の武器が、今、目の前で、無力なガラクタと化したのだ。
オーギュストの『紫死病』は、聖属性を『餌』にするだけだった。だから、それ以上の聖属性(エリクシル)で叩き潰すことができた。
だが、今回の『ブライト』そのものによる汚染は、違う。
『薬(エリクシル)』の力(魔力)そのものを、『無』に還してしまう。
「……ポーションは、効かないわ」
私は、腰のケースに下げていた『特製回復ポーションLv.2』の瓶を、固く握りしめた。これこそが、私の科学と聖樹の力が融合した、現時点での最高傑作だった。だが、これもまた、魔力をベースにした「薬」だ。
(これを投与しても、ハンスさんたちの体内で、毒物(ブライト)によって、薬効が発揮される前に、分解されてしまう)
私(ソフィア)の最強の武器もまた、封じられた。
(化学的な『毒物』であり、魔力的な『呪い』。その、最悪のハイブリッド……!)
(ならば、魔力(ポーション)に頼ることはできない)
私は、思考を切り替えた。
(前世(カオリ)の知識(メソッド)で、対症療法(たいしょうりょうほう)に切り替えるしかない!)
患者たちの症状は、典型的な『神経毒』によるものだった。呼吸困難、筋肉の痙攣、急激な血圧低下、そして、魔力(ギルバートの)への異常な反応。
(……この症状。前世の記憶なら……有機リン系の農薬や、サリンなどの『化学兵器』による中毒症状。アセチルコリンエステラーゼ阻害剤による、コリン作動性のクリーゼ……!)
前世(カオリ)の製薬会社の記憶ではない。さらにその前の、学生時代に学んだ、毒物学の知識がフラッシュバックする。
(……ならば、必要なのは、その作用を『拮抗』させる薬……!)
(アトロピン! そう、アトロピンよ! 副交感神経の遮断薬!)
だが、この世界に、そんな都合の良い純粋な化学薬品はない。
(……いや、ある!)
私の脳裏に、この森で採取し、その毒性の強さゆえにアトリエの最奥、マルクの手の届かない高棚に厳重に保管していた、ある植物のデータが浮かんだ。
『名称:デビルズ・トランペット(チョウセンアサガオ酷似種)』
『毒性:猛毒(幻覚・錯乱)。主成分:アトロピン、スコポラミン』
『薬効:Lv.3(鎮痙)、Lv.2(麻酔補助)』
猛毒(もうどく)をもって、猛毒(もうどく)を制す!
「ギルバート! 正気か、ソフィア薬師!」
私がその棚に向かって手を伸ばしたのを見て、ギルバートが私の意図を察し、悲鳴のような声を上げた。
「それは、触れただけで発狂すると言われている、禁忌の植物だぞ!」
「だからこそ『薬』になるのよ!」
私は、ギルバートの制止を振り切った。
「致死量(リーサル・ドーズ)と薬用量(ファーマシューティカル・ドーズ)は、紙一重。この猛毒(アトロピン)の『副交感神経遮断作用』で、ブライトの毒(神経作用)と、無理やり『拮抗』させる!」
「マルク! 私の薬棚の、一番上の、『黒いドクロ』の印がついた瓶を持ってきて! 早く!」
「え、ええ!? あれ、薬師様が、絶対に触るなって……!」
マルクは、恐怖に引きつりながらも、椅子によじ登り、その不吉な瓶を私に差し出した。
私は、精密天秤で、その乾燥した葉を、0.01グラム単位で、慎重に、慎重に、計測した。
(……量が、命取りになる。前世の知識では、アトロピンの致死量は、成人で約100mg。だが、この『デビルズ・トランペット』の含有量は、未知数)
(多すぎれば、患者はブライトの毒ではなく、私のアトロピンで死ぬ。少なすぎれば、ブライトの毒に負ける)
指先が、震えた。前世(カオリ)で、ピペットでμg(マイクログラム)単位の試薬を扱っていた時以上の、極度の緊張感。私は、呼吸を止め、震えを意志でねじ伏せた。
「……よし」
私は、計測した葉を薬研ですり潰し、アトリエの『清水』で濾(こ)した。どす黒い、苦い匂いのする液体が、わずか数滴、ビーカーの底に溜まる。
「ギルバート、今よ! ハンスさんの心臓が、弱っている!」
ギルバートの魔術で、かろうじて心臓が動いているハンスさんの口をこじ開け、その、致死量の毒物(アトロピン)を、スプーンの先に染み込ませ、流し込んだ。
「……っ!」
ハンスさんの体が、一瞬、弓なりに跳ねた。
そして。
呼吸が、止まった。
「……ソフィア薬師!」
ギルバートが、絶望の声を上げた。
アトリエの時間が、止まった。暖炉の火が爆ぜる音も、遠くに聞こえる赤ん坊の泣き声も、すべてが消えた。
「……まだよ」
私は、ハンスさんの胸に耳を当てた。
……ドクン。
止まっていた脈拍が、ゆっくりと、しかし、先ほどよりは、力強く、再び、打ち始めた。
「……はぁ……っ!」
ハンスさんの喉から、空気を求める、か細い呼吸音が、戻ってきた。
「……やった」
「……ああ」
私とギルバートは、床に、汗だくのまま、へたり込んだ。
だが、安堵したのも、束の間だった。
「……薬師様」
村長が、ベッドの上から、か細い声で、私を呼んだ。彼は、今のやり取りを、薄れゆく意識の中で、すべて見ていた。
「……ありがとう、ござ……。だが、もう、無駄だ」
「村長!?」
「……わかる。この森が、わしらの、聖樹様が、死にかけておられる。……わしらも、もう、長くは……。これは、もう、わしらの手には……負えん……」
老いた村長の目には、すべてを諦めた、静かな絶望が浮かんでいた。
彼(むらびと)の言う通りだった。
私たちは、ハンスさんたちの命を、毒物(アトロピン)で、一時的に繋ぎ止めたに過ぎない。
汚染源(ブライト)そのものを、止めない限り。
そして、枯れゆく聖樹(このせかい)を、救わない限り。
この村も、森も、そして、私たちのアトリエも、数日後には、すべてが、死に絶える。
(……どうすれば)
(ヴォルフラムの『錬金術』なら、対処できると、あの男は言った)
(だが、彼に頼るなど、論外だわ)
(科学(わたし)も、魔法(ギルバート)も、この『ブライト』そのものには、手が出せない。……私たちは、詰んでいるの?)
アトリエの、重い、重い沈黙の中で、私とギルバートは、初めて、本当の「無力感」に、打ちのめされていた。
窓の外で、枯れた葉が、カサリ、と。
まるで、私たちの希望が、砕け散るかのように、乾いた音を立てた。
数時間前まで、リービッヒ冷却管が静かに薬液を滴らせ、ギルバートの知的な探求の声が響いていたはずの空間は、今や、死の匂いと、生者の必死の抵抗がぶつかり合う、凄惨な戦場へと変貌していた。
暖炉の火は、ハンスさんたちの巨体を温め、そして消毒用の湯を沸かし続けるため、私がこの森に来て以来、最も激しく、赤々と燃え盛っている。その熱気は、狭いアトリエの室温を異常なまでに押し上げ、ガラス器具が並ぶ実験台すらも熱で歪んで見えた。
床には、村から運び込んだ、かろうじて清潔だった毛布が敷き詰められ、そこにハンスさん、村長、そして、同じく重症だった他の二人の男が、苦しげな呻き声を上げながら横たえられていた。
「ゲホッ……ぅ……」
「……ひ、……ぅ」
それは咳ですらなかった。毒によって麻痺し始めた肺が、かろうじて空気を絞り出そうとする、最後の音。彼らの屈強な体は、青白く冷たい汗でぐっしょりと濡れ、紫色の唇と指先が、死の接近を明確に示していた。
アトリエの中は、緊迫した空気と、患者たちが発する異常な熱気、そして、あの井戸から漂ってきた、甘く腐敗した果実と重金属が混じり合うおぞましい瘴気が充満していた。
「ギルバート、もっとハーブを燃やして! 瘴気を中和するわよ!」
私は、実験台のタイムとラベンダーの束を暖炉に投げ込みながら叫んだ。殺菌作用のある強い芳香が、瘴気と混じり合い、目を刺すような、異様な匂いとなって室内を満たす。
「マルク! アトリエの扉を、内側から濡れた布で目張りして! 汚染された外気が入らないように! それが終わったら、アトリエの小川の水を、患者たちの口を湿らせる分だけ汲んできて!」
「う、うん! わかった!」
マルクは、恐怖で泣き出しそうな顔を必死でこらえ、私の指示に従っていた。アトリエの扉が開き、一瞬だけ外の冷たい空気が流れ込むと、横たわる男たちの一人が、待っていたかのように激しく痙攣(けいれん)を始めた。
彼の小さな背中には、この村の未来が、あまりにも重くのしかかっている。
(ごめんなさいね、マルク。でも、今、動けるのは、私たちだけなのよ)
私は、自分のアトリエ(聖域)が「死」に侵食されていくことへの、言いようのない怒りと焦りを感じていた。
「ギルバート、状態(バイタル)は!」
「ダメだ! 魔力が、回復しない!」
ギルバートは、痙攣を始めたハンスさんの傍らで、自らの魔力を注ぎ込もうと試みていたが、その顔は絶望に歪んでいた。彼は杖を握りしめ、青白い魔力の光をハンスさんの胸に当てている。だが、その光は、患者の体に触れた瞬間、パチパチと嫌な音を立てて弾け飛んだ。
「私の魔力が……彼の体に入った瞬間、まるで、黒い砂鉄に吸い寄せられる水のように、霧散していく! いや、違う……『分解』されている!」
彼の声は、自らのアイデンティティが崩壊するのを目の当たりにしたかのように、震えていた。
「あの『ブライト』の汚染が、彼の体内の魔力循環(サーキット)そのものを、破壊しているんだ! 回復魔法という『概念』そのものを、拒絶し、分解している!」
(やはり、そう。あの『黒い呪い』は、魔力そのものを『分解・消滅』させる力)
ギルバートの魔術師としての最強の武器が、今、目の前で、無力なガラクタと化したのだ。
オーギュストの『紫死病』は、聖属性を『餌』にするだけだった。だから、それ以上の聖属性(エリクシル)で叩き潰すことができた。
だが、今回の『ブライト』そのものによる汚染は、違う。
『薬(エリクシル)』の力(魔力)そのものを、『無』に還してしまう。
「……ポーションは、効かないわ」
私は、腰のケースに下げていた『特製回復ポーションLv.2』の瓶を、固く握りしめた。これこそが、私の科学と聖樹の力が融合した、現時点での最高傑作だった。だが、これもまた、魔力をベースにした「薬」だ。
(これを投与しても、ハンスさんたちの体内で、毒物(ブライト)によって、薬効が発揮される前に、分解されてしまう)
私(ソフィア)の最強の武器もまた、封じられた。
(化学的な『毒物』であり、魔力的な『呪い』。その、最悪のハイブリッド……!)
(ならば、魔力(ポーション)に頼ることはできない)
私は、思考を切り替えた。
(前世(カオリ)の知識(メソッド)で、対症療法(たいしょうりょうほう)に切り替えるしかない!)
患者たちの症状は、典型的な『神経毒』によるものだった。呼吸困難、筋肉の痙攣、急激な血圧低下、そして、魔力(ギルバートの)への異常な反応。
(……この症状。前世の記憶なら……有機リン系の農薬や、サリンなどの『化学兵器』による中毒症状。アセチルコリンエステラーゼ阻害剤による、コリン作動性のクリーゼ……!)
前世(カオリ)の製薬会社の記憶ではない。さらにその前の、学生時代に学んだ、毒物学の知識がフラッシュバックする。
(……ならば、必要なのは、その作用を『拮抗』させる薬……!)
(アトロピン! そう、アトロピンよ! 副交感神経の遮断薬!)
だが、この世界に、そんな都合の良い純粋な化学薬品はない。
(……いや、ある!)
私の脳裏に、この森で採取し、その毒性の強さゆえにアトリエの最奥、マルクの手の届かない高棚に厳重に保管していた、ある植物のデータが浮かんだ。
『名称:デビルズ・トランペット(チョウセンアサガオ酷似種)』
『毒性:猛毒(幻覚・錯乱)。主成分:アトロピン、スコポラミン』
『薬効:Lv.3(鎮痙)、Lv.2(麻酔補助)』
猛毒(もうどく)をもって、猛毒(もうどく)を制す!
「ギルバート! 正気か、ソフィア薬師!」
私がその棚に向かって手を伸ばしたのを見て、ギルバートが私の意図を察し、悲鳴のような声を上げた。
「それは、触れただけで発狂すると言われている、禁忌の植物だぞ!」
「だからこそ『薬』になるのよ!」
私は、ギルバートの制止を振り切った。
「致死量(リーサル・ドーズ)と薬用量(ファーマシューティカル・ドーズ)は、紙一重。この猛毒(アトロピン)の『副交感神経遮断作用』で、ブライトの毒(神経作用)と、無理やり『拮抗』させる!」
「マルク! 私の薬棚の、一番上の、『黒いドクロ』の印がついた瓶を持ってきて! 早く!」
「え、ええ!? あれ、薬師様が、絶対に触るなって……!」
マルクは、恐怖に引きつりながらも、椅子によじ登り、その不吉な瓶を私に差し出した。
私は、精密天秤で、その乾燥した葉を、0.01グラム単位で、慎重に、慎重に、計測した。
(……量が、命取りになる。前世の知識では、アトロピンの致死量は、成人で約100mg。だが、この『デビルズ・トランペット』の含有量は、未知数)
(多すぎれば、患者はブライトの毒ではなく、私のアトロピンで死ぬ。少なすぎれば、ブライトの毒に負ける)
指先が、震えた。前世(カオリ)で、ピペットでμg(マイクログラム)単位の試薬を扱っていた時以上の、極度の緊張感。私は、呼吸を止め、震えを意志でねじ伏せた。
「……よし」
私は、計測した葉を薬研ですり潰し、アトリエの『清水』で濾(こ)した。どす黒い、苦い匂いのする液体が、わずか数滴、ビーカーの底に溜まる。
「ギルバート、今よ! ハンスさんの心臓が、弱っている!」
ギルバートの魔術で、かろうじて心臓が動いているハンスさんの口をこじ開け、その、致死量の毒物(アトロピン)を、スプーンの先に染み込ませ、流し込んだ。
「……っ!」
ハンスさんの体が、一瞬、弓なりに跳ねた。
そして。
呼吸が、止まった。
「……ソフィア薬師!」
ギルバートが、絶望の声を上げた。
アトリエの時間が、止まった。暖炉の火が爆ぜる音も、遠くに聞こえる赤ん坊の泣き声も、すべてが消えた。
「……まだよ」
私は、ハンスさんの胸に耳を当てた。
……ドクン。
止まっていた脈拍が、ゆっくりと、しかし、先ほどよりは、力強く、再び、打ち始めた。
「……はぁ……っ!」
ハンスさんの喉から、空気を求める、か細い呼吸音が、戻ってきた。
「……やった」
「……ああ」
私とギルバートは、床に、汗だくのまま、へたり込んだ。
だが、安堵したのも、束の間だった。
「……薬師様」
村長が、ベッドの上から、か細い声で、私を呼んだ。彼は、今のやり取りを、薄れゆく意識の中で、すべて見ていた。
「……ありがとう、ござ……。だが、もう、無駄だ」
「村長!?」
「……わかる。この森が、わしらの、聖樹様が、死にかけておられる。……わしらも、もう、長くは……。これは、もう、わしらの手には……負えん……」
老いた村長の目には、すべてを諦めた、静かな絶望が浮かんでいた。
彼(むらびと)の言う通りだった。
私たちは、ハンスさんたちの命を、毒物(アトロピン)で、一時的に繋ぎ止めたに過ぎない。
汚染源(ブライト)そのものを、止めない限り。
そして、枯れゆく聖樹(このせかい)を、救わない限り。
この村も、森も、そして、私たちのアトリエも、数日後には、すべてが、死に絶える。
(……どうすれば)
(ヴォルフラムの『錬金術』なら、対処できると、あの男は言った)
(だが、彼に頼るなど、論外だわ)
(科学(わたし)も、魔法(ギルバート)も、この『ブライト』そのものには、手が出せない。……私たちは、詰んでいるの?)
アトリエの、重い、重い沈黙の中で、私とギルバートは、初めて、本当の「無力感」に、打ちのめされていた。
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