『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ

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第15章 帝国の目的とギルバートの決断

15-3:王宮の激震と、ギルバートの決断

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ロイドが王都へ向けて出発してから、アトリエには、再び、重い、重い沈黙が戻った。
だが、それは、数日前の、なすすべもない「絶望」の沈黙ではなかった。
敵の正体(ヴォルフラム)が分かり、目的(ブライトの兵器転用)が推測され、そして、打つべき手(情報収集と王宮への報告)を、打った。
今は、嵐の前の、息を殺したような「待機」の沈黙だった。
私は、ハンスさんたちの治療(アトロピンの経過観察)と、リリアの看病(衰弱からの回復)に、全力を注いだ。
ハンスさんたちの体からは、聖樹の浄化が再開したことで、ブライトの毒素(魔力分解作用)が、ゆっくりと抜け始めている。だが、アトロピン(猛毒)による治療の負荷も大きく、彼らが再び畑仕事に戻れるようになるには、まだ、かなりの時間が必要だろう。
リリアは、驚異的な速さで回復していた。高熱は下がり、足の傷も、私の『抗菌軟膏』のおかげで、化膿することなく塞がり始めている。
だが、それ以上に、彼女の「目」が、変わっていた。
王都から逃げてきた時の、怯えた、絶望した目は、もう、どこにもない。
彼女は、アトリエの窓辺に座り、じっと、外の、枯れゆく森を、見つめていた。その横顔は、まだ痩せこけてはいるが、聖女時代にはなかった、静かな意志の強さを感じさせた。
「……分かります」
彼女は、薬湯を飲みながら、ぽつり、と呟いた。
「樹が、まだ、怖がっている。……あの『黒い泥(ブライト)』の、根っこが、まだ、地下深くに、残っているって……。そして、それが、また、いつ、溢れ出してくるか、怯えている……」
彼女の『同調』能力は、治癒の力を失った代わりに、より、繊細な『感知』能力へと、その姿を変えようとしていた。
(私のインターフェイス(科学)が『外部からの流入』と観測したものを、彼女は『地下の根っこ』と、感覚で、捉えている)
彼女は、私にとって、今や、ギルバートと並ぶ、かけがえのない「共同研究者」となりつつあった。
一方、ギルバートは、アトリエの隅で、古代文献の解読に、再び没頭していた。
その姿は、鬼気迫るものがあった。
ヴォルフラムに「まじない」と侮辱され、魔術そのものが『ブライト』に無力化されたあの屈辱。それが、彼の魔術師としてのプライドを、深く傷つけていた。
彼は、私の科学(キレート剤)とは別の角度から、この呪いを解明しなければならないという、共同研究者としての、そして、この国の魔術師としての、強い意地(いじ)に突き動かされていた。
彼が探しているのは、もはや「対処法」ではなかった。
ヴォルフラムが口にした「ブライト」というキーワード。それが、彼の膨大な知識(データベース)の中で、引っかかっていたのだ。
「……あった。これだ」
彼が、数日ぶりに、声を上げた。
アトリエの空気が、ピンと張り詰める。
ギルバートは、埃っぽい羊皮紙の束――王宮の秘匿書庫から持ち出した、御伽噺(おとぎばなし)として切り捨てられていた『大厄災』の異聞(いぶん)――を、震える手で、実験台の光の下に広げた。
アルコールランプの青い炎が、彼の青ざめた顔を、不吉に照らし出す。
「『ブライト』。ヴォルフラムは、そう言った。その『単語』で、この『御伽噺』を、もう一度、検索(リサーチ)し直した」
ギルバートが、震える指で、その羊皮紙の一節を、私に突きつけた。
そこには、かすれた古代語で、こう記されていた。
「『かの大厄災は、北の錬金術師(アルケミスト)が、神の領域を侵し、"黒き腐食(ブライト)"を、生み出したことに、端を発する』」
「……北の、錬金術師」
私の喉が、乾いた。ガルマニア帝国。間違いないわ。
「ああ。そして、ソフィア薬師。……最悪の記述を、見つけてしまった」
ギルバートの顔が、絶望に、歪む。
「『"黒き腐食(ブライト)"は、魔力を糧とし、魔力を分解し、その"汚染"は、地下水脈(レイライン)を通じて、世界を巡る』」
(地下水脈を、通じて)
マルクが泣き叫んだ、あの、井戸水の惨状が、私の脳裏に、鮮明にフラッシュバックした。
腐敗した果実の匂い。紫色の嘔吐物。魔力を分解され、苦しむハンスさんたち。
「ギルバート。それは、つまり」
「ああ。この森(ここ)だけの問題ではない。もし、帝国が、この森の聖樹(源泉)の地下水脈に、意図的に『ブライト』を流し込んでいるとしたら。……その汚染は、いずれ、この国(・・)の、すべての井戸(・・・・・)に、到達する」
守ろうとしていた「アトリエ」や「村」などという、小さな話ではなかった。
これは、王国(・・)そのものの、存亡をかけた「水源汚染(せんそう)」だったのだ。
ベッドの上で、リリアが息を飲む音が、やけに大きく響いた。
その、恐るべき結論に、三人が戦慄した、まさに、その時。
パン、パン、パン!
アトリエの扉が、今度は、ロイドでも、マルクでもない、もっと、形式的で、切迫した、軍隊式のノックによって叩かれた。
扉の向こうから、馬の荒い息遣いと、甲冑(かっちゅう)の擦れる、硬い音が、響いてくる。
「ギルバート・ヴァイス魔術師殿! 王宮からの、緊急勅令(ちょくれい)にございます! 至急、お戻り(・・)を!」
扉の外から聞こえてきたのは、王宮騎士団の、それも、近衛騎士(ロイヤルガード)の、鋭い声だった。
(……ロイドが、王都に、到着したんだわ)
(そして、彼がもたらした『情報』が、王宮を、激震させた)
「……っ! ついに、来たか」
ギルバートは、立ち上がった。
その顔は、もはや研究者ではなく、王宮に仕える、一人の「魔術師(臣下)」の顔に戻っていた。
彼の魔術師としての「無力感」に浸っている時間は、もう、終わったのだ。
「ソフィア薬師。リリア様。……私は、王都へ、戻らねばならない」
彼は、アトリエの扉を開けた。
夕闇の迫る冷たい空気と共に、馬の荒い息が、室内になだれ込む。そこには、王宮の紋章を掲げた、二頭の、最速の軍馬(ワイバーンの血が混じっている)が、待機していた。
ギルバートは、近衛騎士に一言、二言、言葉を交わすと、そのまま、馬に飛び乗った。
彼は、一度だけ、アトリエを振り返った。
その青い瞳には、研究対象(サンプル)を残していく無念と、これから始まる「戦い」への、覚悟が、宿っていた。
そして、ほんの一瞬。
私(ソフィア)に向けられた、言葉にならない、強い「信頼」のような光を、私は、見逃さなかった。
(……あなたの『科学』が、必要になる。必ず、だ)
そう、言われた気がした。
馬が、いななき、王都へ向けて、駆け出していく。
その蹄の音は、ロイドのそれよりも、遥かに、重く、そして、決定的だった。
アトリエには、私と、リリア、二人だけが、残された。
ガラスケースの中の『ブライト』が、まるで、好敵手(ギルバート)の退場を、嘲笑うかのように、静まり返っていた。
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