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第15章 帝国の目的とギルバートの決断
15-2:王都への密使
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「ギルバート。アトリエでの分析(これ)だけでは、埒が明かないわ。敵(ヴォルフラム)は、私たちの『外』にいる。……情報が、必要よ」
私のその言葉は、凍りついたアトリエの空気に、唯一の「行動指針」として、響き渡った。
「情報、か。確かに、その通りだ」
ギルバートは、深く頷いた。彼の顔には、昨日のヴォルフラムとの対峙で受けた「魔術師」としての屈辱が、まだ、色濃く残っている。
「あのヴォルフラムという男。彼が何者で、何を目的とし、そして、あの『ブライト』という呪いを、どこまで把握しているのか。……それを知らなければ、我々は、目隠しをされたまま、このアトリエ(研究室)で、敵の『実験』を観測させられ続ける、哀れな『被験体』でしかない」
彼のプライドが、ヴォルフラムに「実験動物」扱いされたことを、許せずにいた。
「ロイドさんを呼びましょう」
私は、窓の外を見た。麓の村の広場では、ロイド・バルトロメウスが、ハンスさんたちに何やら指示を出し、村の「復興支援」の指揮を執っているのが見えた。ヴォルフラムの来訪という「脅威」は、彼にとっても、この森(取引先)を守るための、最優先事項となっていた。
「ああ。彼の『天秤と剣(スケイル&ソード)商会』の情報網こそ、今、我々が頼れる、唯一の『目』だ」
ギルバートがアトリエの扉を開け、村に向かって、鋭く口笛を吹いた。魔力を込めたその音は、森の静寂を切り裂き、麓のロイドにだけ届く、合図となっていた。
数分後。
ロイドは、昨夜の絶望が嘘のように、すっかり「商人」の精悍な顔つきに戻って、アトリエに駆け込んできた。彼は、アトリエに足を踏み入れるなり、室内の異様な緊張感と、ベッドで安静にしているリリア(新たな住人)の姿を、一瞬で値踏みするように見渡した。
「ソフィア様、ギルバート様! お呼びと伺いまして。村の井戸は、聖樹の暴走が止まったことで、水質(レベル)が安定に戻りました。これぞ、ソフィア様の『奇跡』の証! この『聖なる清水』ブランド、必ずや王都の貴族どもに……」
「ロイドさん。お世辞(セールストーク)は、結構よ」
私は、彼の商魂を、きっぱりと遮った。
「そんなことより、緊急の『依頼』があるわ」
ロイドの、金儲けに輝いていた目が、スッと細められた。
彼は、私の真剣な赤い瞳と、その隣で、重い表情で腕を組むギルバートの姿、そして何より、実験台の中央、ガラスケースの中で不気味に鎮座する、あの『黒い汚泥(ブライト)』のサンプルを、ゆっくりと見比べた。
「……ただの、ご依頼では、なさそうですな」
ギルバートが、重々しく、口を開いた。
「ロイド殿。君の『商会』の、全情報網を、使わせてもらう」
彼は、実験台の引き出しから、ずしりと重い、金貨が詰まった革袋を取り出し、ロイドの前の机に、ドン、と音を立てて置いた。
「これは、手付金だ。成功報酬は、言い値で構わん」
ロイドの視線が、一瞬、金貨の袋に吸い寄せられた。だが、彼の商人としての本能が、その「手付金」の重さに見合う「危険(リスク)」の匂いを、即座に嗅ぎ取っていた。
彼の顔から、商売用の笑みが、完全に消えた。
「……ギルバート様。お二人が、そこまで。……相手は、まさか」
「ヴォルフラム・フォン・シュタイン。ガルマニア帝国よ」
私が、その名を口にすると、ロイドの顔が、分かりやすく青ざめた。
「……鉄血伯爵。……承知いたしました。ご依頼(・・)の内容を」
「君の『情報網』で、帝国内の、ありとあらゆる『情報』を買い漁れ」
ギルバートは、低く、重い声で、命じた。
「我々には、時間が無い。キーワードは、二つ」
ロイドは、ゴクリと、乾いた喉を鳴らした。
「一つ。『ヴォルフラム・フォン・シュタイン』。彼の経歴、所属、研究内容、この森に来た、本当の目的。……そして」
ギルバートは、ガラスケースの中の、あの黒い呪いを、指差した。
「二つ目。『ブライト』だ」
『ブライト』。
ヴォルフラムが、自ら、口にした、あの呪いの名。
それが、今や、帝国(敵)の闇を暴く、唯一の「鍵」となった。
「……『ブライト』」
ロイドは、その単語を、まるで毒でも口に含むかのように、反芻した。
「それが、あの鉄血伯爵が、この森で探していたものの、正体ですな。……そして、お二人のそのご様子。あの男は、それを、見つけてしまった」
「ええ」と私は頷いた。「それだけではないわ、ロイドさん。この森の汚染は、外部から、意図的に、継続されている」
ロイドの、商人としての、怜悧(れいり)な頭脳が、すべての点を繋ぎ合わせた。
「……つまり、帝国は、この森を『実験場』にしている、と。……そして、その『データ』が、彼らの手に渡れば……」
「彼らは、この『ブライト』を、兵器転用(・・・・・)するでしょうね」
私の、冷たい結論が、アトリエの静寂に、重く響き渡った。
『魔力を消滅させる呪い』。
ギルバートのような魔術師を、無力化する、絶対的な兵器。
それを、魔法を捨て、錬金術(アルケミー)に傾倒する、あの軍事大国が、手に入れようとしている。
その、恐るべき結論が意味する「未来」を、三人の誰もが、正確に理解していた。
「……ソフィア様。ギルバート様」
ロイドは、数秒間、目を閉じて、この「依頼」のリスクとリターンを、商人として、そして、この国の民として、天秤にかけていた。
やがて、彼が目を開けた時、その瞳には、もはや恐怖の色はなかった。
「……これは、もはや『商売(あきない)』では、ございませんな」
彼は、そう言うと、目の前に積まれた、あの重い金貨の袋を、指一本触れず、ギルバートの方へと、押し返した。
「……ロイド殿?」
「これは、我が商会(・・)が、この国(・・)で、商売(・・)を、続けられるかどうかの、存亡をかけた『戦い』だ。……違いますかな?」
ロイドの口元に、いつもの、商魂たくましい笑みが、戻っていた。だが、その瞳は、笑っていなかった。
「経費(・・)は、いただきます。私の命も、情報網(なかま)の命も、タダではございませんので」
彼は、革袋から、数枚の金貨だけを抜き取り、懐に入れた。
「ですが、報酬は、結構。……この森(ソフィア様)が、帝国(ヴォルフラム)に、勝利した後で。……未来の『独占販売権(・・・)』として、たっぷり、頂戴いたします故」
「……あなたは、本当に、逞しい商人(あきんど)ね」
私は、そのあまりの胆力に、思わず、笑みをこぼした。
「これでも、ソフィア様という、王国一の『金脈(おたから)』を、見つけた男ですので」
ロイドは、深々と、しかし、素早く、頭を下げた。
「では、行ってまいります。……お二人とも、ご無事で」
ロイドは、嵐のように、アトリエを飛び出していった。
数分後、アトリエの窓から、馬が、王都へ向けて、猛然と駆け出していく蹄の音が、遠く聞こえた。
アトリエには、私と、ギルバート、そして、ベッドの上で、固唾を飲んで、私たちのやり取りを見守っていた、リリアの、三人だけが、残された。
「……あんな顔のロイド殿は、初めて見た」
ギルバートが、遠ざかっていく蹄の音を聞きながら、呟いた。
「ええ。……彼も、守るべき『日常(テリトリー)』がある、ということよ」
私は、再び、ガラスケースの中の『ブライト』に、視線を戻した。
「さて。……密使は、発った。王都(ロイド)からの『情報』が届くまで、私たちも、私たちの『仕事』を、続けましょうか」
私たちの、アトリエ(ここ)での戦いは、まだ、終わっていない。
聖樹が、次に、いつ、悲鳴を上げるか。
その、静かな、時限爆弾の音だけが、私たちの耳の奥で、鳴り響いていた。
私のその言葉は、凍りついたアトリエの空気に、唯一の「行動指針」として、響き渡った。
「情報、か。確かに、その通りだ」
ギルバートは、深く頷いた。彼の顔には、昨日のヴォルフラムとの対峙で受けた「魔術師」としての屈辱が、まだ、色濃く残っている。
「あのヴォルフラムという男。彼が何者で、何を目的とし、そして、あの『ブライト』という呪いを、どこまで把握しているのか。……それを知らなければ、我々は、目隠しをされたまま、このアトリエ(研究室)で、敵の『実験』を観測させられ続ける、哀れな『被験体』でしかない」
彼のプライドが、ヴォルフラムに「実験動物」扱いされたことを、許せずにいた。
「ロイドさんを呼びましょう」
私は、窓の外を見た。麓の村の広場では、ロイド・バルトロメウスが、ハンスさんたちに何やら指示を出し、村の「復興支援」の指揮を執っているのが見えた。ヴォルフラムの来訪という「脅威」は、彼にとっても、この森(取引先)を守るための、最優先事項となっていた。
「ああ。彼の『天秤と剣(スケイル&ソード)商会』の情報網こそ、今、我々が頼れる、唯一の『目』だ」
ギルバートがアトリエの扉を開け、村に向かって、鋭く口笛を吹いた。魔力を込めたその音は、森の静寂を切り裂き、麓のロイドにだけ届く、合図となっていた。
数分後。
ロイドは、昨夜の絶望が嘘のように、すっかり「商人」の精悍な顔つきに戻って、アトリエに駆け込んできた。彼は、アトリエに足を踏み入れるなり、室内の異様な緊張感と、ベッドで安静にしているリリア(新たな住人)の姿を、一瞬で値踏みするように見渡した。
「ソフィア様、ギルバート様! お呼びと伺いまして。村の井戸は、聖樹の暴走が止まったことで、水質(レベル)が安定に戻りました。これぞ、ソフィア様の『奇跡』の証! この『聖なる清水』ブランド、必ずや王都の貴族どもに……」
「ロイドさん。お世辞(セールストーク)は、結構よ」
私は、彼の商魂を、きっぱりと遮った。
「そんなことより、緊急の『依頼』があるわ」
ロイドの、金儲けに輝いていた目が、スッと細められた。
彼は、私の真剣な赤い瞳と、その隣で、重い表情で腕を組むギルバートの姿、そして何より、実験台の中央、ガラスケースの中で不気味に鎮座する、あの『黒い汚泥(ブライト)』のサンプルを、ゆっくりと見比べた。
「……ただの、ご依頼では、なさそうですな」
ギルバートが、重々しく、口を開いた。
「ロイド殿。君の『商会』の、全情報網を、使わせてもらう」
彼は、実験台の引き出しから、ずしりと重い、金貨が詰まった革袋を取り出し、ロイドの前の机に、ドン、と音を立てて置いた。
「これは、手付金だ。成功報酬は、言い値で構わん」
ロイドの視線が、一瞬、金貨の袋に吸い寄せられた。だが、彼の商人としての本能が、その「手付金」の重さに見合う「危険(リスク)」の匂いを、即座に嗅ぎ取っていた。
彼の顔から、商売用の笑みが、完全に消えた。
「……ギルバート様。お二人が、そこまで。……相手は、まさか」
「ヴォルフラム・フォン・シュタイン。ガルマニア帝国よ」
私が、その名を口にすると、ロイドの顔が、分かりやすく青ざめた。
「……鉄血伯爵。……承知いたしました。ご依頼(・・)の内容を」
「君の『情報網』で、帝国内の、ありとあらゆる『情報』を買い漁れ」
ギルバートは、低く、重い声で、命じた。
「我々には、時間が無い。キーワードは、二つ」
ロイドは、ゴクリと、乾いた喉を鳴らした。
「一つ。『ヴォルフラム・フォン・シュタイン』。彼の経歴、所属、研究内容、この森に来た、本当の目的。……そして」
ギルバートは、ガラスケースの中の、あの黒い呪いを、指差した。
「二つ目。『ブライト』だ」
『ブライト』。
ヴォルフラムが、自ら、口にした、あの呪いの名。
それが、今や、帝国(敵)の闇を暴く、唯一の「鍵」となった。
「……『ブライト』」
ロイドは、その単語を、まるで毒でも口に含むかのように、反芻した。
「それが、あの鉄血伯爵が、この森で探していたものの、正体ですな。……そして、お二人のそのご様子。あの男は、それを、見つけてしまった」
「ええ」と私は頷いた。「それだけではないわ、ロイドさん。この森の汚染は、外部から、意図的に、継続されている」
ロイドの、商人としての、怜悧(れいり)な頭脳が、すべての点を繋ぎ合わせた。
「……つまり、帝国は、この森を『実験場』にしている、と。……そして、その『データ』が、彼らの手に渡れば……」
「彼らは、この『ブライト』を、兵器転用(・・・・・)するでしょうね」
私の、冷たい結論が、アトリエの静寂に、重く響き渡った。
『魔力を消滅させる呪い』。
ギルバートのような魔術師を、無力化する、絶対的な兵器。
それを、魔法を捨て、錬金術(アルケミー)に傾倒する、あの軍事大国が、手に入れようとしている。
その、恐るべき結論が意味する「未来」を、三人の誰もが、正確に理解していた。
「……ソフィア様。ギルバート様」
ロイドは、数秒間、目を閉じて、この「依頼」のリスクとリターンを、商人として、そして、この国の民として、天秤にかけていた。
やがて、彼が目を開けた時、その瞳には、もはや恐怖の色はなかった。
「……これは、もはや『商売(あきない)』では、ございませんな」
彼は、そう言うと、目の前に積まれた、あの重い金貨の袋を、指一本触れず、ギルバートの方へと、押し返した。
「……ロイド殿?」
「これは、我が商会(・・)が、この国(・・)で、商売(・・)を、続けられるかどうかの、存亡をかけた『戦い』だ。……違いますかな?」
ロイドの口元に、いつもの、商魂たくましい笑みが、戻っていた。だが、その瞳は、笑っていなかった。
「経費(・・)は、いただきます。私の命も、情報網(なかま)の命も、タダではございませんので」
彼は、革袋から、数枚の金貨だけを抜き取り、懐に入れた。
「ですが、報酬は、結構。……この森(ソフィア様)が、帝国(ヴォルフラム)に、勝利した後で。……未来の『独占販売権(・・・)』として、たっぷり、頂戴いたします故」
「……あなたは、本当に、逞しい商人(あきんど)ね」
私は、そのあまりの胆力に、思わず、笑みをこぼした。
「これでも、ソフィア様という、王国一の『金脈(おたから)』を、見つけた男ですので」
ロイドは、深々と、しかし、素早く、頭を下げた。
「では、行ってまいります。……お二人とも、ご無事で」
ロイドは、嵐のように、アトリエを飛び出していった。
数分後、アトリエの窓から、馬が、王都へ向けて、猛然と駆け出していく蹄の音が、遠く聞こえた。
アトリエには、私と、ギルバート、そして、ベッドの上で、固唾を飲んで、私たちのやり取りを見守っていた、リリアの、三人だけが、残された。
「……あんな顔のロイド殿は、初めて見た」
ギルバートが、遠ざかっていく蹄の音を聞きながら、呟いた。
「ええ。……彼も、守るべき『日常(テリトリー)』がある、ということよ」
私は、再び、ガラスケースの中の『ブライト』に、視線を戻した。
「さて。……密使は、発った。王都(ロイド)からの『情報』が届くまで、私たちも、私たちの『仕事』を、続けましょうか」
私たちの、アトリエ(ここ)での戦いは、まだ、終わっていない。
聖樹が、次に、いつ、悲鳴を上げるか。
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