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第七章:来訪者(天才シェフの衝撃)
7-2:辺境への旅路(探求者の衝動)
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その日のうちに、『アトリエ・リュカ』は「オーナーシェフ、素材探求の旅に出るため、無期限休業」の張り紙が出された。リュカは、店の評判や、王都の貴族からの予約など、一切を顧みなかった。彼の頭の中は、ただ「エリアーナの技術」で埋め尽くされていた。
「セバス殿からの馬車の手配は、済んでいる。王都の貴族が辺境へ向かうなど、狂気の沙汰だと言われるでしょう。だが、私にとっては『真理の探求』だ」
リュカは、最低限の着替えと、彼が最も信頼する高精度な温度計と糖度計、そしてパティシエールとしての『魂』であるナイフのセットだけを持って、辺境への旅路についた。彼の魔導馬車は、王都の華やかな貴族のそれとは異なり、機能性だけを追求した無骨なデザインで、まるで「移動する研究室」のようだった。
馬車に揺られながら、彼の脳裏には、コンフィチュールの味が繰り返し蘇る。その味の記憶は、彼の舌の上で、王都の全てのスイーツの欠点を、一つ一つ暴き立てていく。
(あのコンフィチュールは、単なるパティシエの技ではない。あれは、化学であり、物理だ。砂糖の結晶化を防ぎ、桃の細胞壁を破壊せず、香りの分子を揮発させることなく閉じ込めている。王都の職人たちは、「勘」でやっているが、彼女は「計算」でやっている。あの技術の背後には、私の知るパティスリーの知識の、遥か上を行く『理論』がある)
彼は、自分が王都で『天才』として持っていたプライドが、根底から覆されたのを感じていた。王都のパティシエールたちは、「勘」や「伝統」に頼りきっていた。しかし、あの味は、計算と、完璧なデータによってのみ成立する『構造体』だった。その事実は、彼にとって、パティシエ人生における最も衝撃的な発見だった。
馬車が辺境の荒れた土地に進むにつれ、王都の喧騒が遠ざかり、空気が冷涼になる。車窓の外に広がる風景は、痩せた火山灰土壌と、所々に生える針葉樹の荒涼とした景色だ。
「……この空気の冷たさ。まるで、氷の刃のようだ」
リュカは、窓を開け、その冷たく澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。その清浄な空気が、コンフィチュールの味と深く結びついていることを、感覚的に理解した。
(この冷気……。夜間の寒暖差が、果実に極限の糖度を凝縮させる。植物は生き残るために、必死にデンプンを糖に変える。そして、その冷気を、彼女は『作品の風味』にそのまま取り込んでいる……。この地のテロワールを、彼女は単に受け入れているのではない。『支配』している!)
彼の思考は、エリアーナの行動の全てを、合理的かつ戦略的に捉え直していた。婚約破棄も、辺境への赴任も、全ては「最高の素材」を手に入れるための『手段』だったのではないか、と。
旅の途中で立ち寄った村で、彼はゲオルグ代官の指示で働く村人たちと出会った。彼らは、リュカの持つ王都の雰囲気に怯えながらも、エリアーナを「聖女様」と呼び、彼女がもたらした金貨と、領地の変化を熱狂的に語った。
「公爵令嬢様は、この地の土壌が、穀物には向かないが、果物にこそ向いていると見抜いてくださった! 王都の誰もが『不毛の地』だと笑ったのに……!」
「彼女が作ったコンフィチュールは、王都の貴族が争って買い求めている。あの御方が来てから、村には『希望の金貨』が溢れているのだ! 聖女様のおかげで、子供たちが学校へ行ける!」
リュカは、その話を聞き、エリアーナが単なる美食家ではないことを確信する。彼女は、この地の経済と、人々の生活すらも、自分の『作品』の設計図に組み込んでいる。それは、パティシエールの領域を超えた、『支配者』の才覚だった。
彼は、自分の胸に手を当てた。王都での自分は、ただ「美味しいもの」を追い求めていただけだ。だが、エリアーナは、「美味しいもの」を通して、「世界」そのものを変革しようとしている。そのスケールの大きさに、リュカは己の小ささを痛感した。
(彼女は、単なる『天才』ではない。彼女の才能は、この世界の『食』の常識そのものを覆す革命だ)
リュカの探求心は、もはやエリアーナという一人の女性への学術的な好奇心へと昇華されていた。彼は、自分のスランプの原因が、「王都の不純な素材と、古い常識」にあることを確信し、その解決の鍵が、辺境の丘にいる「冷徹な公爵令嬢」が握っていることを悟った。彼の旅は、「天才」から「弟子」へと立場を変えるための、魂の巡礼となった。彼の胸ポケットには、王都では役立たずとされた彼の高精度な温度計が、辺境の冷気の中で、微かに「真理の接近」を告げるように、低い音を立てていた。
「セバス殿からの馬車の手配は、済んでいる。王都の貴族が辺境へ向かうなど、狂気の沙汰だと言われるでしょう。だが、私にとっては『真理の探求』だ」
リュカは、最低限の着替えと、彼が最も信頼する高精度な温度計と糖度計、そしてパティシエールとしての『魂』であるナイフのセットだけを持って、辺境への旅路についた。彼の魔導馬車は、王都の華やかな貴族のそれとは異なり、機能性だけを追求した無骨なデザインで、まるで「移動する研究室」のようだった。
馬車に揺られながら、彼の脳裏には、コンフィチュールの味が繰り返し蘇る。その味の記憶は、彼の舌の上で、王都の全てのスイーツの欠点を、一つ一つ暴き立てていく。
(あのコンフィチュールは、単なるパティシエの技ではない。あれは、化学であり、物理だ。砂糖の結晶化を防ぎ、桃の細胞壁を破壊せず、香りの分子を揮発させることなく閉じ込めている。王都の職人たちは、「勘」でやっているが、彼女は「計算」でやっている。あの技術の背後には、私の知るパティスリーの知識の、遥か上を行く『理論』がある)
彼は、自分が王都で『天才』として持っていたプライドが、根底から覆されたのを感じていた。王都のパティシエールたちは、「勘」や「伝統」に頼りきっていた。しかし、あの味は、計算と、完璧なデータによってのみ成立する『構造体』だった。その事実は、彼にとって、パティシエ人生における最も衝撃的な発見だった。
馬車が辺境の荒れた土地に進むにつれ、王都の喧騒が遠ざかり、空気が冷涼になる。車窓の外に広がる風景は、痩せた火山灰土壌と、所々に生える針葉樹の荒涼とした景色だ。
「……この空気の冷たさ。まるで、氷の刃のようだ」
リュカは、窓を開け、その冷たく澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。その清浄な空気が、コンフィチュールの味と深く結びついていることを、感覚的に理解した。
(この冷気……。夜間の寒暖差が、果実に極限の糖度を凝縮させる。植物は生き残るために、必死にデンプンを糖に変える。そして、その冷気を、彼女は『作品の風味』にそのまま取り込んでいる……。この地のテロワールを、彼女は単に受け入れているのではない。『支配』している!)
彼の思考は、エリアーナの行動の全てを、合理的かつ戦略的に捉え直していた。婚約破棄も、辺境への赴任も、全ては「最高の素材」を手に入れるための『手段』だったのではないか、と。
旅の途中で立ち寄った村で、彼はゲオルグ代官の指示で働く村人たちと出会った。彼らは、リュカの持つ王都の雰囲気に怯えながらも、エリアーナを「聖女様」と呼び、彼女がもたらした金貨と、領地の変化を熱狂的に語った。
「公爵令嬢様は、この地の土壌が、穀物には向かないが、果物にこそ向いていると見抜いてくださった! 王都の誰もが『不毛の地』だと笑ったのに……!」
「彼女が作ったコンフィチュールは、王都の貴族が争って買い求めている。あの御方が来てから、村には『希望の金貨』が溢れているのだ! 聖女様のおかげで、子供たちが学校へ行ける!」
リュカは、その話を聞き、エリアーナが単なる美食家ではないことを確信する。彼女は、この地の経済と、人々の生活すらも、自分の『作品』の設計図に組み込んでいる。それは、パティシエールの領域を超えた、『支配者』の才覚だった。
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