『元悪役令嬢、追放先で奇跡の果樹園(フルーツパーラー)を開店する ~前世パティシエールの技術でスローライフのはずが、王室御用達になってしまい

とびぃ

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第七章:来訪者(天才シェフの衝撃)

7-5:共同研究の開始(リュカの資質)

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エリアーナは、リュカの申し出に対し、すぐに答えを出さなかった。彼女は、天秤の数値を読み上げ、アンナに次の工程(生地の冷却)を指示する。アトリエの空気は、魔導コンロの稼働音と、エリアーナの静かな指示以外、一切の雑音がない。
「シェフ・ヴァランティン。貴方の技術は、王都では『天才』と称されているのでしょう。ですが、私の『研究』に必要なのは、『天才』ではないわ」
エリアーナは、冷たい声で、リュカを査定した。その言葉は、彼のパティシエールとしてのキャリア全てを否定するかのようだったが、その瞳には、彼に「可能性」を見出している、探求者の光が宿っていた。
「私の求める人材は、『私のレシピを、感情なく、完璧に再現できる、精密機械(レプリカ)』と、『私が見落とした、微細な味覚のノイズを指摘できる、最高のセンサー』よ。貴方は、どちらを満たせるかしら? 王都の貴族のように、ただ『美味しい』と褒めそやすだけの人間は、私の研究には不要よ」
リュカは、その冷徹な問いに、一瞬言葉を失った。しかし、彼はすぐにエリアーナの真意を理解した。彼女は、彼の技術ではなく、彼の探求心と客観性を測っているのだ。彼は、即座に答えを返す。
「私は、『センサー』になれます。そして、必要とあらば、『精密機械』にもなってみせましょう」
リュカは、自分の胸を叩いた。彼の瞳には、エリアーナの求める「探求心」が燃えていた。その眼差しは、エリアーナがアンナに初めて出会った時に見た、純粋な好奇心と、真理への渇望に満ちていた。
「私の舌は、王都のどの素材の『ノイズ』も嗅ぎ分けられます。なぜなら、私はその『ノイズ』に長年苦しんできたからです。貴方様の『白夜の桃のコンフィチュール』を口にした時、私の舌は、『王都の全ての不純物から解放された瞬間』を経験しました。貴方様の研究が、『究極の純粋性』を目指すのであれば、私の舌は、その『純粋性』を測る、最高の羅針盤となりましょう」
セバスが、静かに横で微笑んだ。彼の脳裏には、エリアーナがアンナに弟子入りを促した時の光景が重なっていた。この天才シェフもまた、エリアーナの「作品」という名の「真理」の前に、自らのプライドを捨て、ひれ伏している。
エリアーナは、リュカの言葉に、初めて満足げな笑みを浮かべた。その笑みは、王都の貴族に向けた社交の微笑みとは違い、「同じ研究者」に向けた、知的な満足に満ちたものだった。
「面白いわ。では、一つだけ試させていただきましょう。アンナ、その試作のパート・シュクレを」
エリアーナは、アンナが石窯から取り出したばかりの、『パート・シュクレ(タルト生地)の試作クッキー』を二枚、手に取った。周囲の空気は、焼きたてのクッキーの、芳醇だが清潔なバターの香りで満たされている。
「これは、アンナが15度で捏ねた生地と、16度で捏ねた生地よ。見た目も香りも、ほとんど同じ。これを、『ノイズ』として分析して」
リュカは、アンナが淹れてくれた(井戸水で作った、驚くほど清涼な)紅茶を一口飲み、感覚をリセットした。彼は、クッキーを手に取り、その重量と質感を、まるで古美術品を鑑定するかのように慎重に調べた。そして、二枚のクッキーを、一枚ずつ、まるで論文を読むかのように、慎重に口に運んだ。
サクッ、ホロリ。
彼の口の中に、バターと粉の純粋な香りが広がる。最初のクッキーは、「サクサク」と完璧な歯切れだった。次に、二枚目のクッキーを口にした。
「――っ、これは……!」
リュカの顔色が変わった。彼は、目を見開き、二枚目のクッキーを噛み砕くのをやめた。彼の舌と、彼の脳裏にある『完璧な食感の設計図』が、「わずかな異物」を感知したのだ。
「15度の生地は、『粉の香り』が先に立ち、バターの風味が後から追いかけてくる。完璧な『純粋なサクサク』だ。口の中で、抵抗なく、粉雪のように崩壊する。しかし、この16度の生地は……」
リュカは、悔しそうに顔を歪めた。その分析は、アンナがかつて行った分析と、全く同じ言葉で語られていた。
「わずかに、『粘り(グルテンの形成)』を感じる! 噛み砕くのに、『余分な力』が必要だ! そして、バターの風味が、グルテンの粘りのせいで、口の中で『閉じ込められている』……! たった一度の差で、これほど『風味の構造』が変わるとは……! 私は、王都で、この微細な差を『勘』でしか捉えられなかった!」
エリアーナは、満足げに頷いた。
「それが、この辺境の地の、空気の乾燥度と、バターの乳脂肪分がもたらす『化学反応』よ。貴方の舌は、合格よ、シェフ・ヴァランティン。貴方の舌は、アンナの舌と同じく、最高の『センサー』として機能する」
リュカは、初めて、エリアーナの前に、対等な研究者として立てたことを確信した。彼のスランプは、この一瞬で終わりを告げた。
「では、クライフェルト様。私に、この『奇跡の作品』の共同研究を命じていただけますか?」
リュカは、王都での名声や店を捨て、エリアーナの助手となることを、心から望んでいた。彼の探求心は、エリアーナという「真理の開拓者」の元でしか満たされないことを悟っていた。
「ええ。ただし、貴方の肩書きは、『共同研究者』ではないわ。私のスローライフ(研究)を、王都の貴族の群れから守る『防波堤』が必要なの」
エリアーナは、窓の外、丘の麓からこちらへ向かっている、小さな魔導馬車の影を『食材図鑑』の補助を通して感知した。彼女の顔に、諦めと、そして新たな『戦略』の光が浮かんだ。
「貴方は、私の『技術顧問』よ。そして、あなたの任務は、私の求める『純粋性の真理』を、この辺境の地に確立し、王都の貴族たちが押し寄せてくる前に、私の『スローライフ』を守り抜く『壁』を築くことよ」
リュカは、エリアーナのその「スローライフ(という名の研究)」への情熱を理解し、深く一礼した。王都の天才シェフは、辺境の地にいる元悪役令嬢の『技術顧問』となった。彼の来訪は、エリアーナの研究を、さらに予想外の方向に加速させることになる。
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