『元悪役令嬢、追放先で奇跡の果樹園(フルーツパーラー)を開店する ~前世パティシエールの技術でスローライフのはずが、王室御用達になってしまい

とびぃ

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第七章:来訪者(天才シェフの衝撃)

7-6:アズライトの憤慨とリリアーヌの渇望

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辺境の地で、エリアーナと天才シェフ・リュカの共同研究が始まった頃、王都では王太子アズライトの屈辱が頂点に達していた。
「馬鹿な……! 私が捨てたエリアーナの作品を、あのリュカ・ヴァランティンが『奇跡の作品』だと認めたのか!」
アズライトは、王宮の執務室で、バルト商会がひそかに流した『アトリエ・リュカ、無期限休業。天才シェフ、辺境へ逃亡』という噂に、純銀のグラスを叩きつけて割り、激怒していた。その破片が、磨き上げられた床に散らばり、光を反射している。彼の荒い呼吸が、静寂を切り裂いていた。
王都の貴族の多くは、リュカの行動を「Eのコンフィチュールの真理を追究するための、孤高の探求」と美談として語り始めていた。リュカがエリアーナの『技術顧問』になったという噂は、まだ社交界の表には出ていないが、アズライトは、それが「自分が捨てた女」が、「王都のパティシエールの頂点」をも手中に収めたことを意味していると、直感的に悟っていた。彼の権威と、彼の選択の正当性が、今、音を立てて崩壊しつつあった。
「私の婚約者としてふさわしくないと断罪した女が、王都の美食界の『中心』になりつつあるだと!? 冗談ではない! 王家の権威を、あの冷たい女の『道楽』のために踏みにじられてたまるか! 私が選んだリリアーヌが、社交界の笑い者になっているではないか!」
アズライトの憤慨は、リリアーヌの無垢な憧れによって、さらに悪化していた。
リリアーヌは、王太子の怒鳴り声に肩を震わせながらも、彼の隣に寄り添っていた。彼女の白いドレスは、王宮の華やかさを象徴しているはずだが、今はどこか空虚で、精彩を欠いて見えた。
「アズライト様……! すごいです! リュカ様まで、エリアーナ様の作品に魅了されたなんて……! エリアーナ様は、やっぱり本物だったのね! 私、本当に感動しています……!」
リリアーヌは、エリアーナの成功を、嫉妬心なく、純粋に喜んでいた。彼女は、エリアーナのコンフィチュールを一口味わって以来、王宮のスイーツを「泥水」と評し、エリアーナの『作品』への渇望を、日に日に強めていた。彼女の瞳は、純粋な憧憬の光に満ちているが、それはアズライトの屈辱を、さらに際立たせるものだった。
「リリアーヌ! 君は、私が選んだ王太子妃だろう! どうして、私を捨てた女の作品を、そんなに褒めちぎるんだ! 君の言葉一つで、王宮の威信がどれだけ傷つくか、理解できないのか!」
「だって、アズライト様。本当に美味しいんですもの……。リュカ様が辺境へ行かれたと聞いて、私、出来立ての『白夜の桃のタルト』を、どうしても食べてみたくなりました。きっと、コンフィチュールよりも、光の味がするでしょう……。生の果実が持つ、生命の躍動感を知りたいんです!」
リリアーヌのこの無邪気な一言が、アズライトのプライドを、完全に破壊した。リリアーヌの言葉は、「王宮には、エリアーナの才能を満たすだけのものがない」という、動かしがたい事実を突きつけていたからだ。彼女の純粋な欲求は、王都の貴族たちが持つ、満たされない探求心を代弁していた。
「生の果実」や「出来立てのスイーツ」を求める貴族の波は、王都の社交界を覆いつくし、バルト商会には「辺境の館へ案内しろ」という、狂気の注文が殺到していた。王都の貴族たちは、魔導馬車を連ねて辺境への旅を強行しようと、バルト商会の門前を連日、黒い影のように覆い尽くしていた。彼らにとって、エリアーナの館は、もはや「流行の発信地」ではなく、「魂の浄化を行う聖地」となっていたのだ。
王太子の側近が、恐る恐る執務室に入ってきた。彼の顔色は、この数日でさらに悪くなっている。
「セバスからの魔導便によると、王都の貴族たちが、週末には辺境の館へ『視察』に来ることを強行しようとしています。ゲオルグ代官が警備を強化していますが、これ以上の人数は……」
「視察? 馬鹿な! あんな何もない辺境の地へ! 私が捨てた女の『アトリエ』を『聖地』として巡礼するというのか!」
アズライトは、立ち上がり、窓の外の青空を睨みつけた。その瞳には、自分の無力さと、エリアーナへの憎悪、そして理解できないものへの畏れが混じっていた。
王都の熱狂は、エリアーナの「スローライフ(という名の研究)」に、決定的な危機をもたらしていた。
そして、辺境の館では。
エリアーナは、リュカと共に、『白夜の桃のタルト』の試作に没頭していた。サクサクのパート・シュクレ(Lv.2)の上に、夜明けの冷気を纏った『白夜の桃のコンポート』が、宝石のように並べられている。アトリエは、焼きたての粉の芳醇な香りと、桃の清涼な香りが混じり合い、静かな興奮に満ちていた。
「リュカ殿、このタルト生地の焼き色、あと0.3%だけ、熱を均一にしたいわ。王都の貴族が、私の研究を邪魔しに来る前に、『完璧な作品』を完成させなければ」
彼女の顔には、「研究の邪魔をされるかもしれない」という、研究者特有の煩わしさが浮かんでいた。その瞳には、窓の外から近づいてくる、王都からの熱狂の気配が映っている。
リュカは、そのタルトの清涼な香りを深く吸い込み、興奮に目を輝かせた。
「これは、間違いなく、王都の食文化を終わらせる『作品』になるでしょう。クライフェルト様。私も、この『革命』の完成のため、全力を尽くします」
エリアーナは、窓の外、丘の麓からこちらへ向かっている、小さな魔導馬車の影を『食材図鑑』の補助を通して感知した。それは、最初に辺境への旅を強行した、最も熱狂的な貴族の馬車だった。
「間に合わないわ、リュカ殿」
エリアーナの顔に、諦めと、そして新たな『戦略』の光が浮かんだ。彼女の冷静な頭脳は、既に最善の解決策を導き出していた。
「セバスを呼んでちょうだい。客を効率よく捌くための、『店』を作るしかないわ。私のスローライフを守るための、『防波堤』よ。私の研究を『観光資源』に変え、ルールの中で客を捌く。これが、この狂乱を鎮める唯一の道だわ」
彼女の静かなスローライフ(研究)は、王都からの熱狂的な来訪者によって、いよいよ「意に反する多忙」へと、不可避の転換を迎えるのだった。
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