『元悪役令嬢、追放先で奇跡の果樹園(フルーツパーラー)を開店する ~前世パティシエールの技術でスローライフのはずが、王室御用達になってしまい

とびぃ

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第八章:開店(パーラー『秘密の庭園』)

8-1:殺到する来訪者(スローライフの危機)

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リュカが『技術顧問』としてアトリエに加わってから、一週間後のことだった。
王都からの熱狂的な「視察団」の第一陣が、辺境のクライフェルト領に到着した。魔導馬車を連ねてやって来たのは、侯爵夫人を筆頭とする、王都の社交界でも最も美食にうるさい貴族たち十数名。彼らは、ゲオルグ代官の騎士団による厳重な警備をすり抜け、丘の上の館の門前で、一刻も早くエリアーナに面会させろと騒ぎ立てていた。
辺境の冷たい空気は、王都の湿った空気とは異なり、彼らの熱狂をそのまま増幅させていた。荒れた石畳の上には、宝石を散りばめたかのような派手な魔導馬車が、辺境の荒涼とした風景とは不釣合いに列をなしている。馬車の御者たちは、王都の贅沢な馬車を、辺境の泥と埃で汚すことに心底不快感を示していたが、主人の狂気の要求には逆らえない。
「どういうことだ、代官! 我々は、エリアーナ嬢の『白夜の桃』をこの目で拝みに来たのだ! 『研究中につき面会謝絶』とは何事だ!」
侯爵夫人は、王都での優雅な振る舞いを忘れ、荒れた石畳の上で声を荒らげた。彼女の顔には、コンフィチュールへの渇望と、辺境への長旅の疲労、そして「辺境の娘に無視されている」という、貴族としての屈辱が色濃く浮かんでいる。彼女の首元には、王都の社交界で最高のステータスとされる、真珠のネックレスが冷たく輝いているが、その威光は辺境の冷気の前では無力だった。
門前で対応していた老執事セバスは、額に冷や汗を滲ませながらも、毅然とした態度を崩さない。彼の背中には、公爵家老執事としての「主人を守り抜く」という、揺るぎない覚悟が宿っている。ゲオルグ代官の騎士団が、辛うじて貴族たちの暴発を抑えていたが、その防御線は崩壊寸前だった。火山灰土壌の乾いた砂埃が、貴族たちの高級な羅紗のコートを容赦なく汚している。
「申し訳ございません、侯爵夫人。エリアーナ様は、この辺境の地の果物を使い、新たな『作品』の調製に入られております。その集中力は、一瞬たりとも途切れさせるわけにはいきません。魔導便でご連絡いただきました通り、この地は『静養の地』でございます」
セバスの言葉は、まるで「静寂の壁」のように、貴族たちの喧騒を跳ね返した。彼の瞳は、エリアーナの教え通り、主の研究を妨げる者は、たとえ王族であろうと排除すべき『ノイズ』であると見定めていた。セバスの老いた騎士としての魂が、彼を支えていた。
「静養だと!? ふざけるな! 彼女が王都の食文化を終わらせるほどの奇跡を生み出しているというのに、それが『静養』だと!? 王都の貴族が、生の『白夜の桃』を求めて、この地に殺到していることを理解していないのか!」
別の伯爵令嬢が、ヒステリックに叫んだ。彼女の手には、王都の市場で数十倍の価格で取引されたはずの、空のコンフィチュールの小瓶が握られている。その小瓶は、彼女の満たされない渇望を象徴していた。
貴族たちは、コンフィチュールで満たされない「出来立て」のスイーツ、特に「生の果実」への欲求を限界まで高めていた。彼らは、エリアーナの館を「秘密の果樹園」と信じ込み、その「奇跡の原点」をこの目で見たい、と狂乱していたのだ。その狂気は、単なる食欲ではない。「誰も知らない最高のものを独占したい」という、貴族特有の「優越性の探求」だった。彼らの間では、「生の桃の味を知らずして、真の美食家とは言えない」という、新たなステータス争いが始まっていた。
アトリエの窓から、エリアーナは騒ぎを感知していた。彼女の『食材図鑑』は、門前の騒ぎを『多忙(ノイズ)Lv.5』と表示している。彼女の手元には、焼きたてのタルト生地(パート・シュクレ)があり、リュカが計測したばかりの表面温度のデータが、羊皮紙に微細なインクで記されている。
(まさか、これほどまでに人が押し寄せてくるとは……! 私の計算では、コンフィチュールの限定販売で、しばらくは「希少性」を楽しむ段階に留まるはずだったのに。リリアーヌ嬢の純粋な絶賛が、私の計画を二週間早めたわね。王都の貴族は、『優雅な飢餓』状態にある。私の予想以上に、王都のスイーツは腐敗していたということだわ)
エリアーナは、タルト生地を捏ねる手を止め、冷徹な表情でリュカに問いかけた。
「リュカ殿。貴方が王都の社交界で得た情報によると、彼らが求めているのは何かしら? 単なる『お土産』ではないわね」
リュカは、ステンレスの台の上で、タルトの表面温度を計測しながら、静かに答えた。彼の顔にも、研究を中断されたことへの苛立ちが浮かんでいた。彼は、王都の貴族たちが発する「ノイズ(雑音)」を、エリアーナと同じように不快に感じていた。
「クライフェルト様。彼らは、『真理』を求めているのです。コンフィチュールは、貴方様の作品の『痕跡』に過ぎません。彼らが本当に渇望しているのは、この辺境の冷気、そして貴方様がこの地で生み出した『生の白夜の桃』。つまり、『純粋性の源泉』を、出来立ての『タルト』や『パフェ』という形で、五感で味わい尽くすことでしょう。彼らにとって、ここはもはやパティスリーではなく、『巡礼の聖地』です。彼らの熱狂は、理性で抑えられるレベルを遥かに超えている」
リュカの分析は、エリアーナの推測を裏付けた。彼らは、彼女の技術の秘密を暴こうとしているのではない。ただ純粋に、最高の味覚体験を求めているのだ。しかし、その「純粋な欲求」こそが、エリアーナの「静かなスローライフ(研究)」を、最も脅かす存在だった。
「私の研究を邪魔させるわけにはいかないわ。このままでは、あの暴徒化した貴族たちが、私の果樹園にまで踏み込んできて、勝手に桃をもぎ取ってしまう。セバスがいつまでも門前で抑えられるはずがない。ゲオルグ殿の騎士団も、いつまでこの『美食の暴動』に付き合ってくれるかしら」
エリアーナは、手に持っていたタルト生地を、まるで不必要なデータを捨てるかのように、滅菌された容器に静かに戻した。彼女の顔に、諦めと、そして新たな『戦略』の光が浮かんだ。彼女の冷徹な頭脳は、この危機を「ノイズの排除」という名目で、ビジネスへと転換する最善の解決策を導き出した。彼女のパティシエール魂は、「究極の作品」を前にして、「騒音」を許さなかった。
「彼らに、ルールを与えましょう。そして、そのルールに従って、私の作品(芸術)を鑑賞させるのよ。セバス、リュカ殿を呼んで。『防衛設計図』の作成を急ぐわ」
この決断が、辺境の地の静かな館を、王都の貴族が殺到する『聖地』へと変貌させる、転機となるのだった。
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