『元悪役令嬢、追放先で奇跡の果樹園（フルーツパーラー）を開店する ～前世パティシエールの技術でスローライフのはずが、王室御用達になってしまい

第八章：開店（パーラー『秘密の庭園』）

8-2：アトリエ防衛戦略（不本意な出店）

エリアーナは、タルトの試作を中断し、セバスとリュカをアトリエに呼び寄せた。ステンレスの調理台の上には、未完成のパート・シュクレが冷たい輝きを放っている。その静謐なアトリエと、門前の狂乱のコントラストが、彼女の決意をさらに固めた。
「セバス、リュカ殿。王都からの『ノイズ』を静めるための、『防波堤』を築きます」
エリアーナは、古い羊皮紙を広げ、館の裏手に隣接する使われなくなった巨大な温室の設計図を指差した。その温室は、元々、この地で育たない観賞用の花を育てるために、クライフェルト公爵家が過去に建てたものの、暖房費がかさみすぎて放置されていた代物だ。ガラス窓は曇り、骨組みは歪んでいるが、その広さはロビーに匹敵する。
「この温室を改装し、『パーラー』として使うわ。名は『秘密の庭園（アトリエ・スクレ）』。目的はただ一つ。客を効率よく捌き、彼らを私の研究（アトリエ）に一切近づかせないこと」
セバスは、主の言葉を聞き、目を丸くしたが、すぐにその戦略の合理的かつ冷徹な意図を理解した。
「パーラー……！ なるほど！ 参りました、お嬢様！ 客を『お客様』として遇することで、彼らの『好奇心』を『購買意欲』と『マナー』に変換し、館への『侵入』を防ぐ……！ まさに、合理的な『防衛線』です！」
セバスは、老執事としてのプライドを捨て、主の「作品を守る」という使命感に燃え上がった。彼の脳裏には、公爵令嬢が辺境で商売をするという『体裁（ノイズ）』よりも、『最高の作品を生み出すための静寂』を確保することこそが、最優先事項だと刻み込まれた。
「品位？ セバス、最高に純粋な『作品』を売ることが、何よりの品位よ。王都の貴族は、『優雅さ』という名の『ノイズ』に溺れている。彼らに、私の『純粋な味覚の哲学』を、この場所で、『ルール』に従って体験させるの」
エリアーナは、リュカに視線を移した。彼女の瞳には、天才シェフの空間認識能力と技術への、絶対的な信頼が宿っていた。
「リュカ殿。貴方は、この店の『技術顧問』として、店全体の設計と、オペレーションの効率化を任せるわ。特に重要なのは、私の研究室（アトリエ）と、客の動線を完全に隔離すること。客が、私の『聖域』に一歩たりとも近づけないように、要塞として設計して」
リュカは、その場で温室の設計図を受け取ると、インクペンを取り出し、迅速に修正を始めた。彼の天才的な頭脳は、エリアーナの要求を、『機能美』へと変換していく。
「承知いたしました、クライフェルト様。『パーラー』ではなく、『客を収容するための兵舎』として設計しましょう。温室は、熱を逃しやすく冷涼な空気を保ちやすいという欠点があります。しかし、それを逆手にとり、『冷気と光の美』を追求する空間とする」
リュカは、設計図に、特殊な二重構造の磨りガラスのラインを書き込んだ。
「温室のガラスは、外部からは内部が見えず、内部からは外の景色だけが美しく見えるという特殊な魔導磨りガラスを導入します。これは、客の『好奇心』を満足させつつ、『アトリエの技術の核心』を完全に隠蔽するためです。そして、パーラーを貫く中央の通路を『結界』とし、客が『白夜の桃の木』に直接触れないよう、冷気で隔絶された展示ケースのような配置にします」
リュカは、パティシエとしての美意識と、技術顧問としての防衛本能を完全に融合させた。彼の設計は、温室を「客に作品を鑑賞させるための舞台」と、「研究室を守る緩衝地帯」の二つの機能を持たせた。
そして、エリアーナは、アンナに視線を向けた。
「アンナ。貴女は、このパーラーの『シェフ・パティシエ』よ。私のレシピ（作品）を、客に完璧な状態で提供する『再現者』であり、『顔』となる。貴女の仕事は、私のレシピを寸分の狂いなく再現し、客の『舌のノイズ』を、『感動』へと変えることよ」
アンナは、村の娘だった自分が、まさか公爵令嬢の店の『シェフ・パティシエ』という大役を任されるとは思いもよらず、驚きに目を丸くした。しかし、師匠の真剣な瞳を見て、彼女の胸に、期待と使命感が熱くこみ上げてきた。
「は、はい！ 師匠！ 私、最高の『サクサク度』を、誰にも崩させません！ このアトリエの『清潔さ』を、私の作品で証明してみせます！ 王都の貴族が、私の仕事の邪魔をするなんて、絶対させません！」
アンナは、リュカとエリアーナが守ろうとしている『静寂』と『純粋性』の価値を、誰よりも深く理解していた。彼女の言葉には、村の娘とは思えないほどの、強いプロフェッショナルとしての決意が宿っていた。
エリアーナの「スローライフ防衛戦略」は、即座に実行に移された。ゲオルグ代官が手配した村の若者たちが、リュカの緻密な設計図に基づき、温室の改装に着手する。王都の貴族たちが門前で騒ぎ立てる中、館の裏手では、「ノイズ」を排除するための「静かなる革命」が、急ピッチで進められていた。