『元悪役令嬢、追放先で奇跡の果樹園（フルーツパーラー）を開店する ～前世パティシエールの技術でスローライフのはずが、王室御用達になってしまい

第八章：開店（パーラー『秘密の庭園』）

8-3：パーラー『秘密の庭園』の完成

リュカの指揮の下、温室の改装は驚異的なスピードで進んだ。リュカは、王都で培った最高の空間デザインの知識を、この辺境の地にいるエリアーナの「研究を守る」という目的のために、惜しみなく投入した。
温室は、頑丈な木材で補強され、曇っていたガラスには、リュカが特別に指示した外部からは内部が見えず、内部からは外の景色だけが美しく見えるという、特殊な魔導磨りガラスが取り付けられた。これは、エリアーナの「客には、作品と風景だけを見せ、研究現場は一切見せない」という要求を具現化したものだ。窓ガラスからは、辺境の荒涼とした、しかし澄んだ青空と、冷たい山脈の景色だけが、絵画のように切り取られて見えた。
内部の壁は、エリアーナの指示で、北の冷たい光を最大限に反射させるよう、純白の石膏で塗り固められた。王都の貴族の館が好む、金色や赤の重厚な色彩は一切排除された。その空間は、まるで北極の氷の宮殿のように、清潔で、明るく、冷涼な美しさを持っていた。
家具は、セバスが急遽王都から取り寄せた、シンプルで清潔感のある、北欧風の木製テーブルと椅子が並べられた。木材は全て、エリアーナの指示で防腐処理と徹底的な滅菌が施されており、表面は滑らかで、一切の「ノイズ」となる匂いを放っていない。床は、毎日徹底的に清掃できるよう、硬質なタイル張りとなり、村の若者が毎日早朝に磨き上げている。
完成したパーラーは、王都の豪華絢爛なサロンとは全く異なる、清潔で、明るく、冷涼な美しさを持っていた。まるで、エリアーナの「純粋性の哲学」が、そのまま空間になったかのようだ。
そして、リュカの設計の核心である、中央の展示エリア。温室の中央には、エリアーナが改変した『白夜の桃の木』が、一種の「ご神木」のように、冷気で隔絶されたガラスケースの中に配置された。その純白の果実が、魔導灯の光を浴びて、夜明けの雪のように静かに輝いている。
「素晴らしいわ、リュカ殿。これなら、客は外の喧騒を忘れ、『純粋に、私の作品と、この地のテロワール』だけに向き合える」
エリアーナは、パーラーの設計を見て、リュカに心からの称賛を贈った。彼女の目には、このパーラーが「研究を防衛するための、完璧な要塞」として機能することが、すでに計算されていた。
「私の哲学は、『ノイズの排除』よ。このパーラーは、貴族たちの『下品な好奇心』というノイズを、完全に遮断する『要塞』ね。そして、この温室の構造が、客の体温で温められ、内部の空気が『桃の香り』を最大限に留める効果を生んでいる。これも、貴方の計算通りね。温室の熱を逃しやすいという欠点を、『冷気の保存』という利点に変えた、天才的な発想よ」
リュカは、エリアーナからの称賛に、珍しく頬を緩めた。彼の天才的な設計が、彼女の冷徹な要求を満たしたのだ。
「ええ、クライフェルト様。そして、厨房とパーラーを隔てる壁には、『完全滅菌されたパススルー・カウンター』を設けました。アンナ嬢は、このカウンターを通して、作品を完璧な清潔さで提供できます。客の熱気や雑菌が、貴方様のアトリエに侵入する余地は一切ありません。このカウンターは、『聖域と俗界の境界線』として機能します」
セバスが、パーラーの入り口に、真鍮製の美しい看板を掲げた。看板は、王都の工芸職人に特別に依頼したもので、デザインはエリアーナが描いた「夜明けの光を浴びる桃の葉」をモチーフにしている。
『秘密の庭園（アトリエ・スクレ）』
セバスは、その看板を掲げながら、感無量といった様子で呟いた。
「お嬢様。王都の貴族は、この看板に書かれた『秘密の庭園』という言葉に、狂喜乱舞するでしょう。彼らは、『秘密』と『希少性』に、何よりも価値を見出します。そして、この看板のデザインは、王都の派手なデザインとは一線を画す、清涼な美しさを放っています。この店の存在が、王都の食文化をさらに深く変えることになりましょう」
その名は、エリアーナの「静かに研究したい」という、切実な願いを込めたものだった。しかし、この店の存在が、王都の狂乱をさらに加速させることになろうとは、この時のエリアーナは知る由もなかった。彼女の静かなスローライフは、今、「完璧な防衛線」という名の「商売の舞台」を得たのだ。