『元悪役令嬢、追放先で奇跡の果樹園(フルーツパーラー)を開店する ~前世パティシエールの技術でスローライフのはずが、王室御用達になってしまい

とびぃ

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第九章:殺到(スローライフの崩壊)

9-1:パーラーの静かなる熱狂(連日の満員)

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パーラー『秘密の庭園』の開店から数週間が経過した。丘の上の館は、もはや「打ち捨てられた辺境の砦」ではない。王都の貴族たちが狂気にも似た熱意をもって目指す、「美食の聖地」へと完全に変貌していた。
館の門前には、連日、王都からの魔導馬車の列が朝から晩まで途切れることなく続いていた。王都の最高級貴族である侯爵夫人や、最新の流行に敏感な伯爵令嬢たちが、辺境の荒れた石畳の上で、優雅なドレスの裾を埃に晒しながら、数時間待つことを厭わなかった。辺境の冷たく乾燥した空気は、王都の湿った空気とは異なり、彼女たちの熱狂をそのまま凍らせ、増幅させているかのようだ。まるで、真夏の炎天下で凍りついた氷の彫刻のように、その狂態は奇妙な静けさを保っていた。魔導馬車の中には、高価な毛皮を纏いながらも、辺境の冷気に頬を赤らめる貴婦人たちの姿があった。彼らの身に着ける宝石や金糸の刺繍は、この火山灰土の荒涼とした景色の中では、かえって痛々しいほどの虚飾に見える。御者たちは、王都の優雅な馬車が辺境の泥で汚れることに心底不満を示していたが、主人の「真理の探求」という名の狂気に逆らうことはできない。彼らは、その優雅な馬車から降りることをせず、冷たい空気の中で、自らの品位を保つためだけに、背筋を伸ばし続けている。その張り詰めた緊張感が、辺境の乾いた空気によって増幅され、行列全体が巨大な氷の彫刻のように、静かに、しかし熱烈に佇んでいた。
老執事セバスが、その行列を厳しく管理していた。彼の背中には、公爵家老執事としての威厳だけでなく、主の「研究の静寂」を守り抜くという、武人のような揺るぎない覚悟が宿っている。セバスは、王都からのどの貴族に対しても、慇懃無礼な態度で、パーラーの「ルール」を徹底させた。
「侯爵夫人。繰り返しますが、『秘密の庭園』は、ただの菓子店ではございません。エリアーナ様が生み出された『作品』を鑑賞し、その『純粋な味覚の哲学』を学ぶための『聖域』でございます。お騒ぎになる、あるいは、アンナ様(シェフ・パティシエ)の仕事を妨げる行為は、即座に『退場』とさせていただきます。この地の『静寂』こそが、作品の価値なのです」
セバスは、王都で最も高慢なことで知られる伯爵令嬢の前に静かに進み出た。彼女は寒さのあまり、苛立ちを隠せない様子で、手袋を握りしめている。
「伯爵令嬢様。お待ちいただく間、一つだけお願いがございます」
セバスは恭しく頭を下げたが、その声には一切の妥協がない。
「エリアーナ様は、『作品』への集中こそが、この味を生み出すと仰います。つきましては、このパーラーの『静寂』を乱さぬよう、王都の世俗的な会話を控え、この地の『冷涼な空気』と、ご自身の『味覚の渇望』にのみ意識を集中していただきたい。これこそが、作品を待つ上での、最も高貴な『マナー』でございます」
その言葉は、貴族たちの「待たされている」という屈辱感を、「純粋性を求めている」という高尚な義務感へと巧みにすり替えた。貴族たちは、セバスの冷徹な要求に反発するどころか、「さすが聖地だ」と囁き合い、静かに目を閉じる者まで現れ始めた。彼らは、この耐え忍ぶ時間こそが、パフェを食べるための『精神の浄化』であると、自らに言い聞かせ始めたのだ。(・・・この狂気は、単なる食欲ではないな。彼らは、王都の退廃的な甘さに飽き、自分の魂が持つ『純粋さの欠落』を、エリアーナ様の作品で満たそうとしている。彼女は、王国の食文化を変えるだけでなく、貴族の『精神構造』をも変革している。恐るべき戦略家だ・・・)
パーラーの厨房に立つアンナの奮闘は、目覚ましいものだった。彼女は、師匠であるエリアーナから与えられた「シェフ・パティシエ」という大役を、村の娘とは思えないほどのプロ意識と情熱で担っていた。彼女の身体は、連日の重労働で疲弊しているはずだが、彼女の瞳は、石窯の炎のように熱く輝いている。
(師匠のレシピは、ただの紙ではないわ。これは、この地の生命を、最高の形で表現するための『神の設計図』よ。この味を、王都の誰にも崩させてはいけない!)彼女の小さな体には、師匠の求める『完璧な純粋性』を再現する、巨大な使命感が宿っている。彼女にとって、この厨房は戦場であり、パススルー・カウンターの向こう側は、師匠の『静寂』を守るための『前線』だ。
彼女の指先は、泡立て器をまるで精密機械のように操り、ムースの中の気泡の均一さを、感覚で調整していく。彼女の額の汗も、熱気も、このアトリエの清涼な空気の中で、すぐに蒸発し、彼女の集中力を乱すことはない。アンナの目には、ムースのわずかな不純物や、生地のグルテンの微細な粘りすら、師匠を脅かす『ノイズ』として認識されていた。
アンナは、エリアーナから教わった「清潔」と「正確」というパティシエールの二大鉄則を、完璧に実行していた。魔導天秤で0.1グラム単位まで計量された最高の素材、マイナス0.8度を厳守したムースの温度、そして、わずかな雑菌すら許さない徹底した滅菌作業。彼女の手で作られた『奇跡のパフェ』は、エリアーナが設計した『純粋性のタワー』を、寸分の狂いなく再現し続けた。彼女が作り出す完璧な作品こそが、アトリエへの侵入を防ぐ、最も強力な「聖域の結界」だった。
一方、パーラーに隣接するアトリエでは、エリアーナとリュカが、その喧騒を完全に遮断された静寂の中で、研究に没頭していた。リュカが設計した完璧な防衛線のおかげで、アトリエには、微かにアンナの厨房の石窯の熱と、桃の清涼な香りしか届いてこない。エリアーナの『食材図鑑』は、門前の騒ぎを『多忙(ノイズ)Lv.9』と表示し続けていたが、彼女の顔には、その「ノイズ」を逆手に取ったかのような、冷徹な満足感が浮かんでいた。
「リュカ殿。アンナの作った『奇跡のパフェ』が、王都の貴族たちの間で『魂の浄化』と呼ばれているそうよ。侯爵夫人は、パフェを食べながら涙を流したと、セバスが報告してきたわ」
エリアーナは、ステンレスの調理台の上で、新しい『ショートケーキLv.3』のスポンジ生地の膨張率を、魔導天秤で計測しながら、無感情に言った。彼女の瞳には、目の前のスポンジ生地のグルテンの微細な構造しか映っていない。
リュカは、ステンレスの台に肘をつき、静かに辺境の冷たい空気を吸い込んだ。
「『魂の浄化』ですか。それは正しい表現でしょう、クライフェルト様。彼らが王都で失ったのは、純粋な味覚だけでなく、『真理を求める心』です。彼らは貴方様の作品を通して、自分の味覚がまだ生きていることを確認し、己の存在意義を取り戻そうとしている。この熱狂は、単なるスイーツブームではない。王都の貴族階級に訪れた、『精神の飢餓』に対する、貴方様の『純粋性の施し』です」
リュカは、彼女の言葉に、わずかな歓喜を覚えた。彼もまた、王都で評価を得た「天才」だが、彼の作品は「知的な驚き」を与えることはできても、「魂を浄化させる」ほどの純粋性には到達できなかった。
「それは、アンナ嬢の再現力の賜物です。彼女は、王都の貴族たちが失った『純粋な味覚』を、そのまま作品に反映できる。そして、何よりも、貴方様がこの地で生み出した『白夜の桃』と『冷気』という、テロワールの力が王都の常識を破壊しているのです」
「ええ、テロワール。この地の冷気と、アンナの舌、そして貴方の技術。この三位一体が、私の研究を加速させているわ」エリアーナは魔導天秤の数値を羊皮紙に記録し終えると、初めて満足げに顔を上げた。
「結構よ。私のスローライフ(研究)は、アンナという『最高の盾』を得て、次の段階に入ったわ。さあ、リュカ殿。アンナの報告によると、客はパフェの『サクサク度』に最も衝撃を受けているそうよ。この『ショートケーキLv.3』のスポンジ生地にも、その『サクサク感』を応用できないかしら? グルテンの形成を極限まで抑えた、溶けて消えるような『空気のスポンジ』を。王都のスポンジは、水分とグルテンが多すぎて、食感が『重い泥』よ。このスポンジで、王都の貴族たちの舌を、完全に『リセット』するわ」
エリアーナの目は、新たな「作品」の構想に、冷たく、そして熱く輝いていた。彼女にとって、王都の貴族たちの狂乱は、もはや煩わしい「ノイズ」ではなく、自分の研究成果を試すための「最高の市場」であり、次のレシピのヒントを与える「データ」へと変わっていた。彼女の意図とは裏腹に、パーラーの静かなる熱狂は、彼女の研究を、加速度的に、そして意図せぬ方向へと進めていた。
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