『元悪役令嬢、追放先で奇跡の果樹園(フルーツパーラー)を開店する ~前世パティシエールの技術でスローライフのはずが、王室御用達になってしまい

とびぃ

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第九章:殺到(スローライフの崩壊)

9-2:元婚約者の来訪(アズライトの屈辱)

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パーラーの開店から十日後の冷たい午後。ひときわ大きく、豪華な魔導馬車が、王都からの貴族たちの行列を押し分けて、門前へと乗り付けてきた。馬車の側面に刻まれた紋章は、王家直系の「獅子と剣」――王太子アズライト・フォン・グランツェンその人の紋章だった。
王室専用の馬車は、石畳にまで伸びた貴族の列を容赦なく押し分け、門前のロープ際で、荒々しく砂埃を上げて停車した。その轟音は、辺境の静寂の中で、下品な暴動のように響き渡った。
アズライトは、新婚約者であるリリアーヌ・マーレンを伴っていた。リリアーヌは、王都での流行の最先端を行く、淡いピンク色の華やかなドレスに身を包んでいたが、その服の豪華さが、辺境の荒涼とした風景と、門前に並ぶ貴族たちの、純粋な『渇望』の表情の前で、かえって虚飾めいて見えた。
「ど、どういうことだ、この行列は! 我々が王太子であると知って、なぜ道を開けない!」
アズライトは、苛立ちを隠せない様子で馬車から飛び出した。彼の顔には、辺境への長旅の疲労と、この地への強い嫌悪感が滲んでいる。彼は、自分が捨てた元婚約者の『道楽』のために、辺境まで連れてこられたという屈辱で、全身が熱く煮えくり返るようだった。王都では、彼の地位は絶対だった。金貨や爵位、そして王家の権威こそが、この世界を動かす歯車だと信じていた。だが、この辺境の冷気は、その全ての虚飾を凍らせ、剥ぎ取っていくようだ。彼の目の前に広がる荒涼とした火山灰土壌は、彼の胸中に広がる屈辱と同じくらい、硬く、冷たかった。彼は、この辺境の地で、自分のプライドが、たった一本の『白夜の桃のコンフィチュール』によって、根底から崩壊させられているのを感じていた。
「お待ちください、殿下」
セバスが、王太子の前に、一本の芯が通ったように立ちはだかった。老執事の目は、王太子の威光に一切怯まない。その瞳には、主を守る『門番』としての覚悟が宿っている。
「パーラー『秘密の庭園』は、王太子殿下であられましても、『予約制』でございます。現在、席が空くまであと三時間。また、エリアーナ様は、『研究中』につき、ご面会は一切お受けできません。王命であっても、エリアーナ様のアトリエ(聖域)への立ち入りは固く禁じられております」
「ふ、ふざけるな! 研究だと!? あんな、お菓子作りにしか興味のない冷たい女の道楽が、王命に勝るとでもいうのか! 私はこの国の未来だぞ! このような辺境の寒村のルールなど、王家の威光で踏み潰してくれる!」アズライトは、門前のロープを掴み、怒りで震える拳を振り上げた。彼の金の髪が、辺境の冷たい風に乱れる。「貴様! 執事ごときが、王家の勅命を無視するというのか!」
セバスは、王太子の激情に対し、感情を一切交えずに、ただ事実を突きつけた。「恐れながら、殿下。このパーラーは、エリアーナ様の『研究成果の発表の場』であり、その作品の価値は、王都の貴族の皆様の熱狂が証明しております。このルールは、貴方様が『道楽』と断罪した、その『作品』の純粋性を守るための、絶対的な『品質管理』でございます。このルールを破れば、貴方様の作品は、王都の湿った空気の中で、その清涼感を一瞬で失うでしょう。王家であっても、科学の法則を破ることはできません」
「道楽だと!? あんな、お菓子作りにしか興味のない冷たい女の道楽が、王命に勝るとでもいうのか!」
アズライトは、激昂した。彼が最も腹立たしいのは、自分が『冷たい』と断罪したエリアーナの「道楽」が、今や王都の貴族たちにとって、自分の王族としての権威よりも重い『価値』を持っているという、動かしがたい現実だった。彼は、この辺境の地で、自分のプライドが、たった一本の『白夜の桃のコンフィチュール』によって、根底から崩壊させられているのを感じていた。
その時、リリアーヌが、王太子の腕をそっと引き、目をキラキラと輝かせながら、門前の行列を見上げた。
「アズライト様、見てください! マルキ侯爵夫人も、ベリス伯爵様も、皆さま、こんなにも静かに待っていらっしゃるわ! エリアーナ様は、本当にすごい! 皆、エリアーナ様の作品に、心から敬意を払っているのね! 私、エリアーナ様の『奇跡のパフェ』を食べるために、三時間でも五時間でも待ちます! アズライト様、私、どうしても出来立ての『生の桃』の味を知りたいの!」リリアーヌの声には、王太子への愛情とは別の、純粋な探求者の興奮が満ちていた。彼女にとって、この行列は、単なる待ち時間ではなく、エリアーナという「聖女」がもたらす奇跡に近づくための、尊い巡礼路だった。彼女は、王太子が味わっている屈辱など、微塵も感じていない。彼女の無垢な憧れが、アズライトの胸を、鋭い刃物のように切り裂く。
リリアーヌのその純粋な憧れが、アズライトの屈辱をさらに深くした。彼女の無邪気な言葉は、「王都の貴族たちは皆、私ではなく、エリアーナの作品に心酔している」という、残酷な真実を突きつけていた。アズライトは、自分の婚約者が、自分が捨てた元婚約者の『作品』に、狂気にも似た憧れを抱いているという事実に、全身の血が逆流するような屈辱を覚えた。
結局、王太子アズライトは、セバスの冷徹な門番としての威圧と、周囲の貴族たちの「王太子殿下も、我々と同じく待つべきだ」という無言の視線に押され、プライドをかなぐり捨て、行列の最後尾に並ぶことを強いられた。彼の馬車は、辺境の荒れた道に、他の貴族の馬車と共に、みじめな姿で列をなした。王室の紋章を掲げた馬車が、伯爵家の馬車、男爵家の馬車と並んで、火山灰土の乾いた埃を被っている。辺境の冷たい太陽が、その馬車の側面に無情な光を投げかける。アズライトは、馬車の窓を閉め、冷たい空気から逃れようとしたが、彼のプライドを傷つける貴族たちの囁きが、ガラス越しに微かに聞こえてくるような気がした。彼の三時間にわたる待ち時間は、辺境の荒涼とした風景を嫌でも見つめさせられる、彼自身の愚かさに対する、エリアーナからの『冷たい反省の罰』となった。
三時間後。アズライトとリリアーヌは、ようやくリュカが設計したパーラー『秘密の庭園』の中へと案内された。温室を改装したその空間は、冷涼で、清潔で、一切の虚飾がない、光に満ちた美しさを持っていた。
「……な、なんて清潔な……!」
リリアーヌは、息を飲んだ。彼女の知る王宮のサロンよりも、この辺境の地のパーラーの方が、遥かに『純粋な美』を放っている。壁は純白の石膏で塗られ、窓からは磨りガラス越しに、辺境の荒涼とした景色が、まるで一枚の芸術作品のように切り取られて見える。中央のガラスケースの中で、夜明けの雪のように輝く『白夜の桃の木』は、その清涼な美しさで、空間全体を支配していた。
リリアーヌは、ガラスケースの中の桃の木を見て、思わず手を合わせた。その瞳は、もはやエリアーナという人間への嫉妬ではない。純粋な『奇跡の源泉』への、崇拝の光だった。
アズライトは、その空間の『清潔さ』と『冷徹な機能美』に、戦慄した。このパーラーには、王都の貴族が好む、華美な装飾や金色のきらめきが一切ない。その徹底的な『ノイズの排除』の哲学こそが、エリアーナの『冷たさ』の真の姿だと、彼は悟った。そして、その『冷たさ』こそが、王都の貴族たちが失った『純粋性』を呼び起こす、唯一の真理なのだと。
(私が捨てたのは、社交界の退屈な女ではない……! 私は、この『純粋性の真理』を、この『奇跡の構造体』を生み出すことができる、唯一の天才を……! 私は、自分の浅薄なプライドと、『真実の愛』という名の虚飾のために、この国の食文化を変えるほどの『革命』を、自ら手放したのだ!)
アズライトは、その空間から放たれる『冷気の光』に、息苦しさを感じた。彼の胸の奥で、嫉妬と後悔が、氷のように固まっていく。
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