『元悪役令嬢、追放先で奇跡の果樹園(フルーツパーラー)を開店する ~前世パティシエールの技術でスローライフのはずが、王室御用達になってしまい

とびぃ

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第九章:殺到(スローライフの崩壊)

9-3:パフェの味覚構造と再断罪

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純白のパフェグラスの中で、『奇跡のパフェ』は、辺境の冷たい光を浴びて静かに輝いていた。
アズライトは、そのパフェを前に、スプーンを手に取ることをためらった。彼の目の前にあるのは、単なるデザートではない。それは、自分が捨てた元婚約者の『パティシエールとしての魂』が、自らの選択の愚かさを証明するために具現化した、『冷たい断罪の塔』のように感じられた。パフェグラスの表面に凝縮した水滴が、辺境の冷涼な空気を証明している。その冷たさが、パフェ全体を、まるで触れてはならない神聖な彫刻のように見せていた。
対照的に、リリアーヌは、興奮を抑えきれない様子で、パフェの前に身を乗り出していた。
「アズライト様、食べて! このムースの純白さ! まるで夜明けの雪みたい! エリアーナ様は、こんなにも美しい作品を作れる方だったのね……!」
リリアーヌは、心からの懺悔と共に、神聖な儀式に臨むかのように、パフェグラスにスプーンを差し入れた。彼女の目には、パフェの構造が、単なる菓子の層ではなく、エリアーナの「純粋性の哲学」の結晶として映っていた。
サクッ、ホロリ。
リリアーヌの口の中で、まず、砕かれたタルト生地(パート・シュクレ)の『サクサク』という、軽快で均一な食感のノイズが鳴り響いた。その瞬間、マイナス0.8度の冷気で固定された桃のムースが、彼女の舌の上で、夜明けの霧のように瞬時に溶けていく。濃厚なのに、透き通るような甘さと、それを引き立てる、清涼な『白夜の桃』の香りが、彼女の五感を貫いた。
「――っ! あああ……! これが、光の味……!」
リリアーヌは、歓喜と感動で、その場で涙を流した。彼女の涙は、パフェグラスの冷たい表面に、一瞬だけ熱い雫の跡を残し、そしてすぐに辺境の冷気に冷やされていく。
「アズライト様、食べて! 私たちが王宮で食べていたものは、全てが虚飾で、濁った『泥水』だったわ……! あの時のエリアーナ様の言葉は、私たちへの皮肉じゃなかったのね! 彼女は、ただ真実を言っていただけなのよ! この冷気が、私の心の、澱んだ部分を洗い流してくれるようだわ! エリアーナ様は、この味で、王都の貴族の『偽りの味覚』を、全て洗い流そうとしているのよ!」
リリアーヌの純粋な絶賛は、アズライトの耳には、エリアーナからの『再断罪の言葉』として、痛烈に響いた。彼は、彼女の涙が、自分の選択の過ちを証明しているのだと悟った。リリアーヌの純粋な舌が、王家の権威よりも、エリアーナの作品の『真理』を選んだのだ。
アズライトは、重い体を引きずるようにスプーンを手に取り、恐る恐る一口、パフェを口に運んだ。彼は、この一口が、自分の王太子としてのキャリアに引導を渡す『毒』であることを、直感的に悟っていた。
その瞬間、彼の五感は、強制的に『リセット』された。
まず、彼の舌の上で、コンフィチュールの『清涼な酸味』が、彼の脳天をガツンと叩いた。それは、王都の貴族が好む、甘ったるいだけの菓子とは全く異なる、鋭利で、一切の妥協がない『真実の味』だった。次に、ムースの『冷たい静寂』が、彼の心の奥底にまで染み渡る。
(このムースは……ノイズがない! 私が今まで食べていたクリームは、すべてバターの乳脂肪分の不均一さや、卵の水分で『濁って』いた。だが、これは違う。完璧な純粋性だ……! 舌の上に、何も残らない……! まるで、冷たい光そのものを食べているようだ!)
彼の脳裏に、エリアーナが王宮の茶会で、黒焦げのクッキーを厳しく指摘した時の冷徹な表情が蘇る。
『心がこもっていれば、炭を食べさせても良いという道理がどこにあるのかしら』
あの時、アズライトは、エリアーナを『お菓子作りにしか興味のない、冷たい女』だと断罪した。だが、今、彼は悟った。彼女の『冷たさ』は、人間への冷たさではない。彼女の求める『純粋な作品』を汚す、全ての『ノイズ』に対する、科学者としての、芸術家としての、絶対的な冷徹さだったのだと。彼女は、彼の健康を案じ、真実を言ったに過ぎない。
(グルテン値の正確さ、温度管理の厳密さ、素材の純度。これらは全て、私が『冷たい』と断罪した、あの無機質な探求心によってのみ達成される。『真実の愛』という名の、曖昧で感情的なものは、この『完璧な構造体』の前では、一瞬で崩壊する……! 私は、自分の浅薄なプライドと、虚飾を、この辺境の地の『真理』に、徹底的に打ちのめされたのだ!)
アズライトは、スプーンを取り落とした。そのカシャン、という小さな音は、彼の王太子としてのプライドが、辺境の地の石床に砕け散った音だった。彼の顔は、羞恥と後悔で、青ざめている。彼は、パフェの清涼な香りを、もはや恐れをもってしか嗅ぐことができなかった。その香りは、彼にとって、エリアーナが王宮の闇を照らすために、辺境から放った『冷たい光』そのものだった。
その時、パーラーの厨房とアトリエを隔てるパススルー・カウンターの向こう側から、リュカの静かで冷徹な声が響いた。リュカは、アズライトの醜態を、エリアーナの『聖域』に近づく『ノイズ』として、完全に観察していた。
「殿下。このパフェは、この地のテロワール、そしてクライフェルト様の『化学』によってのみ成立する、『構造体』です。王都のいかなる貴族も、いかなるパティシエも、この味には到達できません」
リュカは、あえてエリアーナの姿を見せず、王太子に語りかけた。彼の声は、パーラーの冷涼な空気と共鳴し、アズライトの耳に、まるで王国の法律のように絶対的な重みを持って突き刺さる。
「貴方が王都で追及していたのは、装飾と権威、そして『甘さ』という名の曖昧な虚飾です。我々王都のパティシエは、『勘』と『伝統』という名の『ノイズ』に溺れていました。しかし、クライフェルト様が追求するのは、0.1度の温度差、0.1グラムのグルテン値、そして『純粋性』という、科学的な真理です。貴方が『道楽』と嘲笑し、王太子妃の座を賭けてまで捨てたものは、彼女にとっての『遊び』ではありません。それは、この王国の食文化を、根底から立て直すに値する、『芸術』であり、『革命』です。貴方の『真実の愛』は、この『純粋性のタワー』の前では、味の薄い、ただの情緒に過ぎない」
リュカは、そこで一度呼吸を置き、さらに言葉を続けた。彼の視線は、砕け散ったスプーンの破片を、侮蔑をもって見下ろしている。
「貴方は、王家の権威で、この味を支配できるとお思いでしたか? 違います。この味は、権力ではなく、科学の法則によってのみ、王都の貴族に『施し』として提供されるのです。貴方は、『世界を変える可能性』を、己の浅薄な感情のために、自ら手放したのです。この屈辱を胸に、王都へお戻りなさい、殿下。そして、二度とこの『聖域』に、貴方の『ノイズ』を持ち込まないでいただきたい」
リュカの言葉は、エリアーナからの直接的な『再断罪』だった。王都の天才シェフが、自らのスランプを乗り越えさせてくれた師匠のために、元王太子という『虚飾の象徴』を、辺境の地で徹底的に打ちのめしたのだ。
アズライトは、反論の言葉を失った。彼の胸には、エリアーナへの憎悪ではなく、理解しえなかったものへの『畏れ』と、自分の選んだ道への『絶望』だけが残った。リリアーヌは、その横で、パフェの清涼な味に感涙しながら、自分の愛する人が、二度目の、そして決定的な『断罪』を受けていることに、ただただ沈黙するしかなかった。
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