『元悪役令嬢、追放先で奇跡の果樹園(フルーツパーラー)を開店する ~前世パティシエールの技術でスローライフのはずが、王室御用達になってしまい

とびぃ

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第九章:殺到(スローライフの崩壊)

9-4:国王陛下の勅命(王室御用達の予兆)

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王太子アズライトが、辺境の地で受けた屈辱は、王都へ戻るや否や、王宮全体に、重く冷たい影を落とした。
王都に戻ったアズライトは、自室に引きこもり、誰とも面会しようとしなかった。彼の心は、エリアーナの『純粋性のパフェ』と、リュカの冷徹な『再断罪』によって、完全に砕かれていた。リリアーヌもまた、パフェの味の衝撃から抜け出せず、王宮のどのスイーツにも手を付けようとしなかった。彼女の無邪気な「美食への渇望」こそが、エリアーナの作品の価値を、最も純粋な形で証明していた。
この事態を最も重く受け止めたのは、国王陛下その人だった。
国王は、王都の社交界で巻き起こるエリアーナの『Eのコンフィチュール』ブームと、王都の天才シェフ・リュカが辺境に逃亡し、王太子までもが辺境で屈辱を受けたという報告を、冷静に、そして興味深く分析していた。彼の脳裏には、エリアーナが婚約破棄の際に望んだ「不毛の地の管理権」と「研究費」という、二つの言葉が重く響いていた。
王宮の執務室は、豪華な調度品と、王家の権威を示す重厚な絨毯で満たされているが、国王の厳しい視線の前では、その全てが凍りついて見える。彼は、謁見の間よりもさらに奥まった、個人の書斎に籠り、アズライトからの屈辱的な帰還報告書と、バルト商会が提出したエリアーナの『品質鑑定レポート』を並べていた。
(アズライトは、感情で動く。真実の愛、純粋な心。全てが情緒的な『ノイズ』だ。しかし、エリアーナ嬢は違う。彼女は、『水捌けの良い火山灰土壌』、『昼夜の寒暖差』、『0.1度の温度管理』といった、完全に合理的で、科学的な論理で動いている。彼女は、王都の貴族が『ゴミ』と呼んだ辺境の地の『テロワール(風土)』の価値を、誰よりも正確に読み解いた)
国王は、エリアーナが突きつけた「王都の砂糖は不純物が多い」という報告書に目を留めた。それは、王宮の料理番が何百年も使ってきた『最高級』の素材を、一瞬で『低品質』だと断罪するものだった。
(王都のパティスリー文化は、長年の平和と富によって腐敗していた。装飾と甘さだけを追い求め、素材の純粋性という『科学』を忘れたのだ。アズライトが捨てたのは、地味な令嬢ではない。王国の食文化を根底から立て直す、『技術と才覚の結晶』だった)
国王は、アズライトの失敗を、王家の『旧弊』の象徴として受け止めた。王家の威信を回復し、王国の富を再び辺境から呼び戻すためには、この『純粋性の革命』を、王室の公式な権威で守る必要がある。
「この力は、王国の誇りにならねばならん。アズライトの過ちを、王家が贖うのだ」
その日の午後。辺境のクライフェルト館に、王都から最速の魔導便が届いた。それは、王宮の騎士団でも精鋭中の精鋭が、魔導船で辺境の地の山脈を越えて運んできた、王家の威信をかけた特急便だった。
辺境の冷たく澄んだ空気に、王室の紋章を刻んだ、豪華な羊皮紙の巻物が、セバスの手に恭しく渡される。王都の華やかさと、辺境の清貧さが、この一瞬、王室の勅命という形で、衝突した。
セバスが、厳重に封印された巻物を受け取り、アトリエのエリアーナの元へと運んだ。アトリエは、リュカとエリアーナが新しいスポンジ生地の試作に没頭しており、静かな熱気が満ちていた。魔導コンロの青白い炎が、静かにスポンジの焼き加減を調整している。
「お嬢様、王室からの勅命でございます」
セバスは、緊張した面持ちで、巻物をエリアーナに差し出した。エリアーナは、スポンジ生地のグルテン値を測る魔導天秤から目を離さず、羊皮紙を無感情に受け取った。彼女の顔には、「また、面倒なノイズが」という、研究者特有の苛立ちが浮かんでいる。
彼女が巻物を開き、その内容に目を通した瞬間、彼女の瞳が、僅かに、しかし鋭く輝いた。
(王室御用達の御菓子を納品せよ……か。やはり、陛下もこの『ノイズ』から逃れられなかったのね)
エリアーナの『食材図鑑』が、羊皮紙に書かれた文字だけでなく、その裏側に隠された『予算』という名のデータを瞬時に解析する。
『――来たる国王陛下の生誕記念祝宴に際し、辺境クライフェルト領『秘密の庭園』で生み出された『奇跡のパフェ』、および、その製法を用いた『新作の御菓子』を、公式デザートとして王室へ納品せよ。費用は、国庫から無制限に支出する。これは、王家による、辺境の地の『奇跡』への、最大の敬意の証である。』
その勅命は、王太子アズライトの個人的な断罪ではなく、国家元首である国王陛下自身が、エリアーナの『作品』の価値を、王国の公式な場で、最大限に認めようとしていることを意味していた。それは、エリアーナのパーラー『秘密の庭園』を、実質的に「王室御用達」として指定することを意味する、途方もない栄誉だった。
「……陛下も、本当に面倒なことをなさるわね」
エリアーナは、羊皮紙を冷たく閉じ、再び魔導天秤の数値へと視線を戻した。その顔には、栄誉への喜びは一切ない。あるのは、彼女の『スローライフ(研究)』への侵入を試みる、新たな『ノイズ』に対する、純粋な苛立ちだけだった。
「セバス。国庫から無制限の支出、ですって。さすがは国王陛下。私の研究費を、さらに増額してくださるのね。これで、前世で夢だった、カカオ豆を求めて大陸の端まで行商人を送ることができるわ。私のスポンジ生地の研究も、一気に進むわね」
エリアーナの関心は、勅命の『栄誉』ではなく、その『予算』という名の研究資源に集中していた。彼女の頭の中では、この勅命がもたらす『多忙』というノイズと、それに伴う『研究費』というリソースを、どうトレードオフし、自分の研究をさらに加速させるか、という冷徹な計算が、高速で回転していた。
リュカは、その勅命の内容を横で聞いており、思わず息を飲んだ。彼の瞳には、エリアーナの才能が、ついに王国の最高権力者にまで認められたという、興奮の光が宿っている。
「クライフェルト様! 王室御用達……! この辺境の地で、王都のすべてのパティシエが夢見る栄誉を……! しかし、陛下は、貴方様の作品の価値を、最も正しく理解されたのですね! これは、貴方様が王都の貴族たちに与えた『美食の鉄槌』への、国王陛下からの『公式の承認』です!」
リュカの興奮に対し、エリアーナは冷たい視線を向けた。
「そうね、リュカ殿。『承認』よ。ですが、それは同時に、私の『静かなる研究』への、最大の『妨害』でもあるわ。王室の祝宴というものは、一度作品を納入すれば、二度と逃れられない『義務』を伴うの。私の求めるスローライフは、もはや完全に崩壊したわね」
エリアーナは、羊皮紙を丸め、セバスに渡した。
「セバス、ゲオルグ殿とバルト殿を呼んで。緊急会議よ。私の研究(スローライフ)を守るための、『防衛戦略』を、この勅命を逆手に取って構築しなくてはならないわ。特に、陛下が『奇跡のパフェ』を求めていらっしゃる。生の果実とムースを使った生菓子は、鮮度維持の観点から、この辺境の地から王都まで輸送することは、絶対に不可能だわ。この『不可能』こそが、私たちの次の『戦略』の鍵よ」
彼女の顔には、苛立ちと、そして新たな『難題』を前にした、研究者特有の冷徹な興奮が浮かんでいた。王室からの勅命は、エリアーナの意図とは裏腹に、彼女の人生を、次なる多忙なステージへと、不可避的に押し上げようとしていた。
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