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第6章 理性と本能の狭間で
6-1 湯上がりの湯気と薄絹の誘惑
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魔女の森に、しんしんと夜が降り積もる。
窓の外では、日中から吹き荒れていた風がようやく止み、代わりに音のない雪が世界を白く塗り替えていた。
厚い雲に覆われた空からは月明かりも届かず、森は深い闇の底に沈んでいる。時折、木々の枝から雪が滑り落ちる鈍い音が響く以外、何の物音もしない。
だが、この石造りの廃屋の中だけは、別世界のように穏やかだった。
『魔導暖卓』――通称コタツの天板の下では、火炎魔石が発する柔らかな熱が循環し、分厚い羊毛の布団の中を常春の楽園に変えている。
夕食の『猪肉の赤葡萄酒煮込み』を堪能し、身も心も満たされた私とジークハルトは、そのまま卓を囲んで食後の安らぎに浸っていた。
「ふぅ……生き返るわね」
私は陶器のカップに入れた熱い薬草茶を啜り、ほうっと白い息を吐いた。
薄荷に似た清涼感のある香りが鼻腔を抜け、温かい液体が胃の腑に落ちていく。体の内側から緊張が解け、筋肉のこわばりが溶けていくようだ。
対面の座席――といっても、床に敷いたクッションの上だが――では、白い毛玉ことジークハルトが、布団から首だけを出してウトウトしていた。
満腹と温かさで、彼の意識は夢と現の境界を彷徨っているようだ。時折、カクンと頭を揺らし、ハッとして体勢を立て直すが、すぐにまた瞼が重力に負けて落ちていく。その仕草が愛らしくて、つい頬が緩んでしまう。
(……平和ね)
王都を追放されて数日。
最初は理不尽な仕打ちへの憤りや、先行きの不安もあった。
だが、今はこの静かな生活が何よりも愛おしい。
厄介な神官長の怒鳴り声も、意地悪なマリアの嘲笑もない。
あるのは、自分の技術で作り上げた快適な住環境と、少し生意気だが可愛い同居人だけ。
これぞ、私が求めていた理想の生活ではないか。
壁に掛けた柱時計――私が壊れた懐中時計の歯車から削り出して作った自信作だ――が、ボーン、ボーンと重厚な音を立てて時刻を告げた。
午後九時。
良い子は寝る時間だが、その前に済ませなければならない重要な日課がある。
「さて、お風呂に入りましょうか」
私が立ち上がると、ジークハルトが片目を開けてこちらを見た。
「ミャ?(風呂だと? こんな夜更けにか?)」
彼の疑問ももっともだ。
一般的に、平民の家庭では入浴など月に数回あれば良い方だし、貴族であっても毎日のように湯を沸かすのは使用人総出の重労働である。薪を割り、水を汲み、大鍋で沸かして運ぶ。それだけで半日仕事になってしまうからだ。
だが、私は元聖女であり、現役の魔導具師である。
清潔さは健康の基本であり、何より一日の汚れと疲れを湯で洗い流す行為は、明日への活力を養うための、精神衛生上欠かせない儀式なのだ。
「先に行ってくるわね。ジークはそこで待ってて。後で温かいタオルで体を拭いてあげるから」
私は手拭いと着替えを持って、部屋の奥にある扉を開けた。
そこはかつて物置だったスペースだが、私がこの数日で突貫工事を行い、立派な浴室へと改造した場所だ。
石造りの床には、水はけを良くするための傾斜がつけられ、排水溝には汚水を分解する『浄化』のスライムを住まわせてある。
中央に鎮座するのは、檜に似た香りのする香木をくり抜いて作った、一人用の浴槽だ。
そして、壁には私の最高傑作の一つ、『瞬間湯沸かし給湯器』の試作型が設置されている。
構造は単純かつ合理的だ。
貯水槽から伸びる銅管の周囲に、高密度の『火炎魔石』を螺旋状に配置し、水を通過させる瞬間に爆発的な熱量を与えてお湯に変える。
温度調整は魔力の出力調整つまみ一つで自由自在。
私は蛇口を捻り、適温のお湯を浴槽に満たしていった。
ザァァァ……という豪快な水音が響き、白い湯気が浴室に充満していく。
硫黄と木の香りが混じった、独特の匂い。
私は服を脱ぎ捨て、湯船に身を沈めた。
「はぁ……極楽」
熱いお湯が肌を包み込み、冷えた手足を解凍していく。
肩まで浸かり、天井を見上げる。
王都の神殿には大理石の大浴場があったが、あれは広すぎて落ち着かなかったし、常に誰かの視線があった。自分サイズに作ったこの浴室の方が、誰にも気兼ねすることなく、心からリラックスできる。
私は石鹸を泡立て、体を洗った。
この石鹸も自作だ。オリーブ油と苛性ソーダを反応させ、森で摘んだラベンダーの精油を練り込んだ高級品である。
きめ細やかな泡が肌を滑り、機械油の汚れや一日の汗を洗い落としていく。
髪も丁寧に洗い、リンス代わりの果実酢で仕上げる。
三十分ほど長湯をして、私は浴室を出た。
体はポカポカと温まり、肌は水分を含んでしっとりとしている。
私は体を拭き、就寝用の衣服に着替えた。
選んだのは、薄手の木綿で作られた寝間着だ。
白地に小さな花の刺繍が入ったシンプルなデザインだが、布地が薄く軽いため肌触りが良く、締め付けがないのが気に入っている。
防寒性は皆無だが、どうせすぐに布団に入るし、寝る時に厚着をするのは血行を阻害するので好ましくない。
「ふぅ、さっぱりした」
私は濡れた髪をタオルで拭きながら、居間へと戻った。
扉を開けた瞬間、ムワッとした湿気と石鹸の香りが、冷えた居間の空気と混ざり合い、白い靄となって漂う。
「お待たせ、ジーク。いいお湯だったわよ」
私は何気なく声をかけた。
暖卓の上に顎を乗せていたジークハルトが、気だるげに顔を上げる。
「ミャー……(遅いぞ、長風呂は肌に……)」
彼は何か小言を言おうとして、言葉を喉に詰まらせた。
その蒼氷のような瞳が、私を凝視したまま固まっている。
――ッ!?
ジークハルトの視点で見れば、それは衝撃的すぎる光景だったに違いない。
湯気の中から現れたリディアは、普段の無骨な作業着姿とは別人だった。
いつもは適当に束ねられている亜麻色の髪は、濡れて艶やかな光を放ち、肩にかかって雫を滴らせている。
湯上がりで上気した頬は桃色に染まり、唇は潤んで艶めかしい。
そして何より、彼女が纏っている薄布一枚の寝間着だ。
背後のランプの光に透けて、体のライン――くびれた腰や、豊かな胸の膨らみが、あからさまに影絵として浮かび上がっている。
襟元は大きく開いており、白磁のような鎖骨と、その下の柔らかな谷間が無防備に晒されていた。
さらに悪いことに、濡れた布地が肌に張り付き、肢体の曲線をより一層強調している。
それは、聖女という言葉からは程遠い、妖艶ですらある姿だった。
「ニャッ!? フギャッ!!(な、なななっ!? き、貴様、なんて格好をしているんだ! 恥じらいというものがないのか!?)」
ジークハルトは飛び上がり、慌てて顔を背けた。
だが、その目は泳ぎまくり、どうしようもなく彼女の姿を追ってしまう。
中身が二十二歳の健全な男性である彼にとって、これは猛毒にも等しい刺激だった。
帝国では厳格な騎士教育を受け、女性との交際も清廉潔白を旨としてきた彼だ。こんな無防備な姿を、これほど間近で見せつけられた経験などない。
心臓が早鐘を打ち、全身の血流が逆流するような感覚。
頭の中が真っ白になり、喉が渇く。
彼は必死に理性を総動員して、「自分は虎だ、ただの猫だ」と言い聞かせようとした。
だが、首につけた深紅の『翻訳首輪』は、そんな彼の努力を嘲笑うかのように、深層心理の興奮と本音を正確に翻訳してしまった。
「『うわぁ、すっごく綺麗! いい匂いがする! もっと近くで見せて! その薄い布、邪魔だから取っちゃえばいいのに!』」
「…………は?」
私は髪を拭く手を止めた。
今、この子はなんて言った?
布が邪魔? 取っちゃえ?
私は自分の格好を見下ろした。
確かに薄着だが、ここは私の家で、相手は子猫だ。何も問題はないはずだ。
ああ、そうか。
私は合点がいった。
「もしかして、リボンやヒラヒラした布が気になるの? 猫って揺れるものが好きだものね」
私は寝間着の裾を少し摘んで、ひらひらと揺らしてみせた。
ジークハルトは「ヒィッ!」と悲鳴を上げて後ずさる。
顔を真っ赤にして、耳を伏せている。
「『やめて! 刺激が強すぎるよ! 僕の理性が爆発しちゃう! 襲っちゃうよ!? 野獣になっちゃうよ!?』」
首輪が叫ぶ。
私は首を傾げた。
襲う? 野獣? ああ、じゃれつきたいということか。
元気なのは良いことだが、今は寝る前だ。興奮させると寝付きが悪くなる。
「だめよ、ジーク。もう夜なんだから、運動会はなし。大人しく寝ましょう」
私は彼に近づき、その体を抱き上げようとした。
石鹸の香りと、私の体温が彼を包み込む。
ジークハルトはカチコチに硬直し、鼻血が出そうなのを必死に堪えていた。
――近い! 柔らかい! いい匂い! くそっ、俺の理性よ、持ちこたえてくれ! 俺は皇子だ、帝国の誇り高き……うおおお、柔らかい!!
彼の悲痛な叫びは、残念ながら私の耳には届かない。
届くのは、濾過機構を通して変換された、甘ったるい求愛の言葉だけだった。
「『ああ、もう降参! 好きにして! 君になら食べられてもいい!』」
「はいはい、食べたりしないわよ」
私は苦笑し、彼を優しく撫でた。
この首輪、やっぱり少し調整が必要かもしれない。
甘えん坊なのは可愛いけれど、ここまで情熱的だと、時々会話が噛み合わない気がする。
まあ、可愛いからいいのだけど。
私は濡れた髪をタオルで包み直し、ランプの明かりを少し落とした。
夜はまだ長い。
そして、本当の「理性と本能の戦い」は、寝室に入ってからが本番となることを、私たちはまだ知らなかった。
窓の外では、日中から吹き荒れていた風がようやく止み、代わりに音のない雪が世界を白く塗り替えていた。
厚い雲に覆われた空からは月明かりも届かず、森は深い闇の底に沈んでいる。時折、木々の枝から雪が滑り落ちる鈍い音が響く以外、何の物音もしない。
だが、この石造りの廃屋の中だけは、別世界のように穏やかだった。
『魔導暖卓』――通称コタツの天板の下では、火炎魔石が発する柔らかな熱が循環し、分厚い羊毛の布団の中を常春の楽園に変えている。
夕食の『猪肉の赤葡萄酒煮込み』を堪能し、身も心も満たされた私とジークハルトは、そのまま卓を囲んで食後の安らぎに浸っていた。
「ふぅ……生き返るわね」
私は陶器のカップに入れた熱い薬草茶を啜り、ほうっと白い息を吐いた。
薄荷に似た清涼感のある香りが鼻腔を抜け、温かい液体が胃の腑に落ちていく。体の内側から緊張が解け、筋肉のこわばりが溶けていくようだ。
対面の座席――といっても、床に敷いたクッションの上だが――では、白い毛玉ことジークハルトが、布団から首だけを出してウトウトしていた。
満腹と温かさで、彼の意識は夢と現の境界を彷徨っているようだ。時折、カクンと頭を揺らし、ハッとして体勢を立て直すが、すぐにまた瞼が重力に負けて落ちていく。その仕草が愛らしくて、つい頬が緩んでしまう。
(……平和ね)
王都を追放されて数日。
最初は理不尽な仕打ちへの憤りや、先行きの不安もあった。
だが、今はこの静かな生活が何よりも愛おしい。
厄介な神官長の怒鳴り声も、意地悪なマリアの嘲笑もない。
あるのは、自分の技術で作り上げた快適な住環境と、少し生意気だが可愛い同居人だけ。
これぞ、私が求めていた理想の生活ではないか。
壁に掛けた柱時計――私が壊れた懐中時計の歯車から削り出して作った自信作だ――が、ボーン、ボーンと重厚な音を立てて時刻を告げた。
午後九時。
良い子は寝る時間だが、その前に済ませなければならない重要な日課がある。
「さて、お風呂に入りましょうか」
私が立ち上がると、ジークハルトが片目を開けてこちらを見た。
「ミャ?(風呂だと? こんな夜更けにか?)」
彼の疑問ももっともだ。
一般的に、平民の家庭では入浴など月に数回あれば良い方だし、貴族であっても毎日のように湯を沸かすのは使用人総出の重労働である。薪を割り、水を汲み、大鍋で沸かして運ぶ。それだけで半日仕事になってしまうからだ。
だが、私は元聖女であり、現役の魔導具師である。
清潔さは健康の基本であり、何より一日の汚れと疲れを湯で洗い流す行為は、明日への活力を養うための、精神衛生上欠かせない儀式なのだ。
「先に行ってくるわね。ジークはそこで待ってて。後で温かいタオルで体を拭いてあげるから」
私は手拭いと着替えを持って、部屋の奥にある扉を開けた。
そこはかつて物置だったスペースだが、私がこの数日で突貫工事を行い、立派な浴室へと改造した場所だ。
石造りの床には、水はけを良くするための傾斜がつけられ、排水溝には汚水を分解する『浄化』のスライムを住まわせてある。
中央に鎮座するのは、檜に似た香りのする香木をくり抜いて作った、一人用の浴槽だ。
そして、壁には私の最高傑作の一つ、『瞬間湯沸かし給湯器』の試作型が設置されている。
構造は単純かつ合理的だ。
貯水槽から伸びる銅管の周囲に、高密度の『火炎魔石』を螺旋状に配置し、水を通過させる瞬間に爆発的な熱量を与えてお湯に変える。
温度調整は魔力の出力調整つまみ一つで自由自在。
私は蛇口を捻り、適温のお湯を浴槽に満たしていった。
ザァァァ……という豪快な水音が響き、白い湯気が浴室に充満していく。
硫黄と木の香りが混じった、独特の匂い。
私は服を脱ぎ捨て、湯船に身を沈めた。
「はぁ……極楽」
熱いお湯が肌を包み込み、冷えた手足を解凍していく。
肩まで浸かり、天井を見上げる。
王都の神殿には大理石の大浴場があったが、あれは広すぎて落ち着かなかったし、常に誰かの視線があった。自分サイズに作ったこの浴室の方が、誰にも気兼ねすることなく、心からリラックスできる。
私は石鹸を泡立て、体を洗った。
この石鹸も自作だ。オリーブ油と苛性ソーダを反応させ、森で摘んだラベンダーの精油を練り込んだ高級品である。
きめ細やかな泡が肌を滑り、機械油の汚れや一日の汗を洗い落としていく。
髪も丁寧に洗い、リンス代わりの果実酢で仕上げる。
三十分ほど長湯をして、私は浴室を出た。
体はポカポカと温まり、肌は水分を含んでしっとりとしている。
私は体を拭き、就寝用の衣服に着替えた。
選んだのは、薄手の木綿で作られた寝間着だ。
白地に小さな花の刺繍が入ったシンプルなデザインだが、布地が薄く軽いため肌触りが良く、締め付けがないのが気に入っている。
防寒性は皆無だが、どうせすぐに布団に入るし、寝る時に厚着をするのは血行を阻害するので好ましくない。
「ふぅ、さっぱりした」
私は濡れた髪をタオルで拭きながら、居間へと戻った。
扉を開けた瞬間、ムワッとした湿気と石鹸の香りが、冷えた居間の空気と混ざり合い、白い靄となって漂う。
「お待たせ、ジーク。いいお湯だったわよ」
私は何気なく声をかけた。
暖卓の上に顎を乗せていたジークハルトが、気だるげに顔を上げる。
「ミャー……(遅いぞ、長風呂は肌に……)」
彼は何か小言を言おうとして、言葉を喉に詰まらせた。
その蒼氷のような瞳が、私を凝視したまま固まっている。
――ッ!?
ジークハルトの視点で見れば、それは衝撃的すぎる光景だったに違いない。
湯気の中から現れたリディアは、普段の無骨な作業着姿とは別人だった。
いつもは適当に束ねられている亜麻色の髪は、濡れて艶やかな光を放ち、肩にかかって雫を滴らせている。
湯上がりで上気した頬は桃色に染まり、唇は潤んで艶めかしい。
そして何より、彼女が纏っている薄布一枚の寝間着だ。
背後のランプの光に透けて、体のライン――くびれた腰や、豊かな胸の膨らみが、あからさまに影絵として浮かび上がっている。
襟元は大きく開いており、白磁のような鎖骨と、その下の柔らかな谷間が無防備に晒されていた。
さらに悪いことに、濡れた布地が肌に張り付き、肢体の曲線をより一層強調している。
それは、聖女という言葉からは程遠い、妖艶ですらある姿だった。
「ニャッ!? フギャッ!!(な、なななっ!? き、貴様、なんて格好をしているんだ! 恥じらいというものがないのか!?)」
ジークハルトは飛び上がり、慌てて顔を背けた。
だが、その目は泳ぎまくり、どうしようもなく彼女の姿を追ってしまう。
中身が二十二歳の健全な男性である彼にとって、これは猛毒にも等しい刺激だった。
帝国では厳格な騎士教育を受け、女性との交際も清廉潔白を旨としてきた彼だ。こんな無防備な姿を、これほど間近で見せつけられた経験などない。
心臓が早鐘を打ち、全身の血流が逆流するような感覚。
頭の中が真っ白になり、喉が渇く。
彼は必死に理性を総動員して、「自分は虎だ、ただの猫だ」と言い聞かせようとした。
だが、首につけた深紅の『翻訳首輪』は、そんな彼の努力を嘲笑うかのように、深層心理の興奮と本音を正確に翻訳してしまった。
「『うわぁ、すっごく綺麗! いい匂いがする! もっと近くで見せて! その薄い布、邪魔だから取っちゃえばいいのに!』」
「…………は?」
私は髪を拭く手を止めた。
今、この子はなんて言った?
布が邪魔? 取っちゃえ?
私は自分の格好を見下ろした。
確かに薄着だが、ここは私の家で、相手は子猫だ。何も問題はないはずだ。
ああ、そうか。
私は合点がいった。
「もしかして、リボンやヒラヒラした布が気になるの? 猫って揺れるものが好きだものね」
私は寝間着の裾を少し摘んで、ひらひらと揺らしてみせた。
ジークハルトは「ヒィッ!」と悲鳴を上げて後ずさる。
顔を真っ赤にして、耳を伏せている。
「『やめて! 刺激が強すぎるよ! 僕の理性が爆発しちゃう! 襲っちゃうよ!? 野獣になっちゃうよ!?』」
首輪が叫ぶ。
私は首を傾げた。
襲う? 野獣? ああ、じゃれつきたいということか。
元気なのは良いことだが、今は寝る前だ。興奮させると寝付きが悪くなる。
「だめよ、ジーク。もう夜なんだから、運動会はなし。大人しく寝ましょう」
私は彼に近づき、その体を抱き上げようとした。
石鹸の香りと、私の体温が彼を包み込む。
ジークハルトはカチコチに硬直し、鼻血が出そうなのを必死に堪えていた。
――近い! 柔らかい! いい匂い! くそっ、俺の理性よ、持ちこたえてくれ! 俺は皇子だ、帝国の誇り高き……うおおお、柔らかい!!
彼の悲痛な叫びは、残念ながら私の耳には届かない。
届くのは、濾過機構を通して変換された、甘ったるい求愛の言葉だけだった。
「『ああ、もう降参! 好きにして! 君になら食べられてもいい!』」
「はいはい、食べたりしないわよ」
私は苦笑し、彼を優しく撫でた。
この首輪、やっぱり少し調整が必要かもしれない。
甘えん坊なのは可愛いけれど、ここまで情熱的だと、時々会話が噛み合わない気がする。
まあ、可愛いからいいのだけど。
私は濡れた髪をタオルで包み直し、ランプの明かりを少し落とした。
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