『追放された魔導具オタクの聖女、拾ったちび虎に翻訳首輪をつけたら心の声が溺愛一色でした』

とびぃ

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第6章 理性と本能の狭間で

6-4 倦怠の朝と忍び寄る影

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 翌朝。
 私はいつになく爽快な目覚めを迎えた。
 天蓋の隙間から差し込む朝日は柔らかく、空気は凛として澄んでいる。
 昨夜の長風呂と、温かい湯たんぽ(ジーク)のおかげで、睡眠の質が劇的に向上したらしい。体の節々に残っていた疲労感は消え去り、魔力回路も満タンに充填されているのが分かる。
「ん~っ! おはよう、世界!」
 私は大きく伸びをして、隣を見た。
 そこには、げっそりとやつれた白い毛玉が、死んだ魚のような虚ろな目で天井を見上げていた。
「あら? おはよう、ジーク。……どうしたの、その顔。目の下に隈ができてるわよ?」
 ジークハルトは、私が声をかけてもピクリとも動かない。
 魂がどこか彼方へ抜け落ちてしまったかのような、完全なる虚無の表情だ。
 美しい白銀の毛並みも、どこか寝癖でボサボサしており、哀愁を漂わせている。
「ミャ……(おはよう……。ああ、朝か。朝が来たのか……。長い夜だった……)」
 その鳴き声は掠れ、覇気がない。まるで百年の孤独を味わった老人のようだ。
 私は心配になり、彼の額に手を当てた。
「熱はないみたいだけど……。もしかして、まだ環境に慣れてなくて、よく眠れなかった?」
 私の問いかけに、ジークハルトは恨めしげな視線を向けた。
 ――誰のせいだと思っている。貴様が、一晩中俺を拘束具のように締め上げ、安眠を妨害し続けたせいだぞ。俺の理性がどれほど削られたか……!
 そんな悲痛な心の叫びは、首輪によってこう変換された。
「『君の夢を見てたんだ! あまりにも刺激的で、興奮して眠れなかったよ! 責任取って朝の口づけをして!』」
「…………」
 私は真顔になった。
 なるほど、元気だ。元気すぎる。
 どうやら私の心配は杞憂だったらしい。この子は単なる寝不足ではなく、思春期の男子のような妄想で夜を明かしたようだ。マセているにも程がある。
「口づけはお預けよ。その代わり、朝ごはんに美味しいミルク粥を作ってあげるわ」
 私は彼を撫でようとした手を引っ込め、寝台から降りた。
 ジークハルトが「待て、誤解だ! 違うんだ!」と前足を伸ばしたが、私は苦笑しながら調理場へと向かった。
 朝食の準備をしながら、私は今日の予定を頭の中で組み立てた。
 まずは『魔導暖卓』の改良だ。昨日の稼働試験で、熱の循環に若干のムラがあることが分かった。送風用のファンを追加して、熱効率をさらに上げる必要がある。
 それから、採取した『魔力蛍草』を使った新型ランプの試作。
 そして何より、ジークハルトの『翻訳首輪』の調整だ。あの甘すぎるフィルター設定は、コミュニケーションにおいて致命的な誤解を生む可能性がある(というか、既に生んでいる)。もう少し「抑制」を効かせた、礼儀正しいモードを追加すべきだろう。
「やることリスト、山積みね」
 私は小鍋でオートミールを煮込みながら、鼻歌を歌った。
 ミルクと蜂蜜の甘い香りが立ち上る。
 忙しい。けれど、充実している。
 王都での窮屈な生活とは比べ物にならない、自由で創造的な日々。
 誰に指図されることもなく、自分の好きなものを、好きなように作れる喜び。
 この生活がずっと続けばいいのに。
 そんなことを考えていた時だった。
 ピーン、ピーン。
 鋭く、高い音が、私の脳内に直接響いた。
 それは聴覚的な音ではなく、私が家の周囲に張り巡らせていた『広域探知結界』からの警報信号だ。
「……ッ!?」
 私は木べらを止め、即座に腰の鞄から『自動地図作成眼鏡』を取り出し、装着した。
 視界に魔法陣が展開され、周囲の地図情報が青白い光で投影される。
 赤い光点が、南の方角から急速に接近してくるのが見えた。
「侵入者? ……魔物じゃない」
 魔物の反応なら、もっと不定形で荒々しい波形になる。
 だが、この反応は整然としており、明らかに「意思」を持ってこちらを目指している。
 人間だ。それも一人や二人ではない。
 五、六……いや、十人規模の集団。
 しかも、隠密行動特有の魔力遮断処理を行っている。足音を消し、気配を殺す手練れの動きだ。
「ジーク!」
 私は鋭く呼んだ。
 寝台でぐったりしていたジークハルトが、私の声に含まれる緊張を感じ取り、弾かれたように顔を上げた。
 その瞳から、先ほどまでの倦怠感は消え失せ、戦士の鋭い光が宿っている。
「グルルッ?(どうした? 敵か?)」
「ええ、お客さんよ。それも、あまり歓迎したくないタイプのね」
 私はコンロの火を消し、作業用エプロンを脱ぎ捨てて、戦闘用の革ベストを羽織った。
 腰の工具帯に吊るした道具たちの位置を確認し、サッチェルを肩にかける。
 私の動きを見て、ジークハルトも寝台から飛び降り、足を引きずりながらも私の足元に来て低い唸り声を上げた。
「『僕が守るよ! どんな敵が来ても、君には指一本触れさせない!』」
 首輪の言葉は相変わらずだが、その響きには嘘偽りのない真剣な響きがあった。
 私は彼を見下ろし、少しだけ笑った。
「頼もしいわね。でも、無理はしないで。あなたはまだ怪我が治ってないんだから」
 私は彼を抱き上げようとしたが、彼は身をかわし、玄関の方へと歩き出した。
 自分の足で立つ。戦う。その意思表示だ。
 小さな背中だが、そこには確かに王者の風格があった。
 侵入者たちの目的は分からない。
 単なる盗賊か、それとも私を連れ戻しに来た神殿の追手か。あるいは、この仔虎を狙う密猟者の仲間か。
 いずれにせよ、私の平穏な生活を脅かす者は、すべて排除する。
 ここは私の城であり、私の聖域なのだから。
 私は壁にかけてあった『強化モンキーレンチ(打撃・投擲両用)』を手に取り、その冷たい金属の感触を確かめた。
 ズシリとした重みが、私の覚悟を後押しする。
「さあ、防衛戦の開始よ」
 私は扉の前に立ち、深呼吸をした。
 外の空気は冷たく張り詰め、嵐の前の静けさを漂わせていた。
 雪を踏みしめる足音が、微かに、しかし確実に近づいてくる。
 平和な日常の終わりを告げる足音は、もうすぐそこまで迫っていた。
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