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一章

1.持たざる男の恋

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 俺は何も持たずに生まれた。この国…オランレリア王国での身分、家族、魔力、容姿、運、夢、希望…何ひとつ持っていない。
 いや、一つだけ持っていた…。それは親が残した借金だ。
 俺の親は、国境を守る国有数の力を持つエヴラール辺境伯家から金を持ち逃げしたのだ。使用人だった両親は赤子の俺を残したまま逃げないと辺境伯を信用させた上で俺を置き去りにし夜逃げするという実に姑息な真似をしたため、俺は物心つく前から周囲に蔑まれ育った。今は辺境伯の温情で修道院の下男として働きながら細々と借金を返している。
 せめて美しい容姿なら、この生い立ちも悲劇的な意味合いを持ったのだろうが…。俺はダークブラウンの髪に、同じ色の目という、この国で最も多い色をしている。そして顔の造形も…大きくも小さくもない目に小ぶりな鼻という凡庸さ。こんな凡庸な容姿の生い立ちでは喜劇にしかならない。
そんな俺にも親切にしてくれる人が、三人だけいる。今日は週末。夕方から信心深い信者たちは礼拝に訪れるだろう。きっとあの三人も…。
 俺は朝早く起きて掃除などの仕事を済ませると、修道院の調理場に向かい少ない給料で買った材料を使ってクッキーを焼いた。焼きたてのクッキーを小さな包に入れてポケットにしまい、教会に向かって駆け出す。

 教会の主聖堂は既に祈りに包まれていた。主聖堂正面の出入り口付近には下位の神父たちが数人、寄付を入れてもらうための募金箱を持って立っている。俺はその一番後ろに並んだ。募金の金額が少ないと叱られるから、なるべくいい場所に立ちたかったが、仕方がない。今日はどうしても会いたい人が来るはずなのだ…。
 礼拝が終わり、一番はじめに募金箱を持つ俺の前に現れたのは年老いた紳士だった。
「ノア、今日も感心だね。」
「クレマン様!ありがとうございます!」
 クレマンはにこりと笑うと、皺だらけの手で募金箱に銀貨を一枚入れる。そう、この老紳士が、俺に親切な三人のうちの一人。クレマンは礼拝に訪れると必ず俺を見つけて、募金してくれる。募金額はいつも、銀貨一枚!これ一枚で、俺の募金の目標額は達成されるのだ。本当にありがたい。俺は深々と頭を下げた。
「それより、相変わらずノアは細いし小さいな。何歳になるんだい?」
「十四です。」
「十四?!十四の男だろう?それでこんなに細いのかい…?色も白くて不健康そうだ…。ちゃんと食べているのかね?」
「は、はあ…。」
 修道院は弱肉強食。満足に食べられている訳ではないが、あまり同情されるのも好きではなかったから俺は曖昧に誤魔化した。すると、商会を経営して羽ぶりがいいらしいクレマンは「ちゃんとお食べ。」と言ってもう一枚銀貨を入れ帰って行く。俺は来週でいいのに!と思ったが言い出せずに笑顔でお辞儀をした。 
 お辞儀をして顔を上げると、今度は歳のころ四十は過ぎているであろう中年の男が立っていた。質の良くなさそうな服を着た、髪もボサボサ、髭だらけの顔の陰気な男は無言で俺の募金箱に銅貨を入れ、帰って行く。
 その男が、二人目の親切な男。この男の事は何も知らないが、何故かいつも俺に寄付をくれるのだ。寄付が目標額に達しないと夕飯が食べられないどころか給料を減らされるから、名前なんて知らなくていい!とにかくありがたい存在だ。
 そして、最後の一人は…。
 俺に親切な三人のうちの、最後の一人…。彼はローレン・エドガー。エドガー家は代々、騎士を務め当主はみなナイトの称号を持つ。長男であるローレンも、騎士を目指して鍛えているようで、遠目から見ても同じ歳とは思えない逞しい体躯をしている。そして艶やかな金の髪に、深い緑の瞳…彼は恵まれた体型に加え眉目秀麗な男だった。特に緑色の瞳は光があたると金色の光彩を帯びる、不思議な宝石のように見える。その光彩は魔力が高い証拠でもあるらしいのだが…、初めて寄付をもらい、間近で目が合った時、俺は一瞬で恋に落ちた。
この国では同性婚も認められているし、男しかいない環境の修道院では、男性同士で恋をすることは珍しくはない。しかし…十四の歳まで、俺は誰かを恋しいなどと思ったことはなかった。それなのに…魔法にかけられたかのように恋に落ちてしまったのだ。
 彼…ローレンは、同じ歳なのに痩せてみすぼらしい男に同情したのか、毎回必ず俺のところに銅貨を入れてくれる。
ローレンは容姿だけでなく心も美しい…。理由は寄付のことだけではない。
 俺がひそかに教会の裏庭で飼っている猫に、ローレンは餌をあげてくれているのだ。その猫、エリーは俺にしか懐いていなかったのだが、ローレンには自ら寄って行った。その心根のよさは、猫にも通じるのだろうと俺は感心した。

 俺はローレンが近付いてくるのを今か今かとじっと待った。ローレンは両親と歳の離れた弟、家族に囲まれていつものように周囲に挨拶をしながらゆっくりと歩を進める。もう少しだ…。
今日は募金と、いつも猫に餌をあげてくれるお礼にクッキーを渡して、それと合わせて先日ローレンが落としたロザリオを渡すつもりなのだ。エリーと遊んでいたローレンがロザリオを落としたのをたまたま俺は見ていた。ロザリオは十字架部分にローレンと同じ瞳の色の貴石があしらわれた高価そうなものだった。しかし年代物と思われるそれは、何かのひょうしにチェーンが切れたようだ。この国では子どもが十歳になった記念に、親から祈りに使うロザリオを贈られる慣わしがある。歴史ある家では、代々使われている物を贈るとも聞いた。すごく、大切なものかも知れない…。
 遺失物担当の神父に預けると懐に入れてしまう可能性が高く信用できないので、こっそり自分で持っていた。でも自分で持っていたと分かると、責められるからクッキーの包みの中に入れて渡すことにした。

 ローレンは今日も俺の募金箱の前にやってきて一礼すると、そっと銅貨を一枚入れる。
俺は精一杯勇気を振り絞って声をかけた。
「あの…!いつもありがとうございます。募金と…俺の猫に餌、あげてもらってて。これ、お礼です!」
「え…。」
「クッキーです。」
「そう…。ありがとう。」
 ローレンはあまり高価なものではないと分かると受け取ってからニコリと笑ってお辞儀をしてくれた。
 しかしすぐに、袋の重みに気付いたようで、訝し気な顔をする。そしてその場で袋を開けられてしまう。

「あの、それは…!」
「これ、ロザリオ…!俺のだ!ずっと探していたんだ…!どこにあった?!」
「あの、裏庭に…。」
「ありがとう!」
 ローレンは深々とお辞儀をして感謝の言葉を口にした。やはりとても大切なものだったんだ。良かった…返せて。ほっとしたのも束の間、すぐに、近くにいた神父たちが集まって来た。
「ノア!それはいつ拾ったんだ?どうしてそれを遺失物係りに渡さなかったのだ?ローレン様はずっと探されていて、教会に問い合わせもいただいていたのだぞ!」
「見つけたのは、つい最近で…。」
「本当か?!お前だからなあ、ノア!それ、盗むつもりだったんじゃないか?!」
「違います!そんなこと…思ってもいません!」
「じゃあなぜこそこそと…!」
「お待ちください!」
 神父たちの追及を、ローレンは一喝した。声まで凛として美しい。ローレンは眉を寄せて神父たちを睨む。
「彼は確かに私に返してくれました。しかも、切れたチェーンを直してくれている。私は彼を信じます。」
 ローレンの言葉に、神父たちは焦って反論する。
「ローレン様はコイツの出自をご存じないからそんなことを…!」
「彼の生まれがどのようなものだとしても、彼がロザリオを返してくれたという事実は揺るがない。」
 ローレンの強い口調と毅然とした態度に、ついに神父たちは肩を竦めて、帰って行った。俺がお礼を言うよりも先に、ローレンは俺にもう一度深々と礼をした。
「十歳の記念に父からいただいた、大切なものなのです。ありがとう。」
 そして顔を上げると微笑んだ。

ああ…。

 ローレン…。貴方はやはり、心まで美しい方だった…。
  俺はもう一度、恋に落ちた。
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