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三章

26.戴冠式

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 熱を出して仕事を休んだ次の日は安息日。俺はこの日、アロワに頼まれた絵を描こうとしたのだが画題である『戴冠式』の光景が、想像できず行き詰まってしまった。そんな俺をローレンは教会の資料室に連れて行った。

「王宮騎士になった時に、今の王が即位された戴冠式の姿絵を見たことがあるんだ。その写しが、資料室ならありそうな気がするんだけど。」
 ローレンは目当ての絵を探すために、資料室にある本を年代で絞って順番に開いていく。

 教会の資料室は市民にも解放されているが、俺は文字が読めなかったから修道院で下男として働いていた時も、資料室に入った事はなかった。だからここに、こんなに本があるとは知らず、俺は見たこともない本の山に興奮した。次々に資料室の机に本を積み上げ、席に座ると順番に本を開き、夢中になって文字を追う。
 そんな俺を見たローレンは隣に座って微笑んだ。

「ノア、真面目に探さないと絵を描く時間がなくなる…。」

 言葉の割にローレンは俺を責める様子はなく一緒に分からないところを読んでくれる。
 しかし、肝心の戴冠式の絵は一向に見つからなかった。
「今の王が即位されたのは十七年前…そんなに古くないはずだけど、無いな…。エヴラール辺境伯家の資料室にはあるだろうけど…、そこには行けないし。」
 ローレンはうーん、と唸った後、何かを閃いたようで、俺の手を引いて教会の主聖堂に向かった。

 主聖堂は朝の祈りが終わった後とあって、他に人影はない。ローレンは内陣の祭壇前に立つと、俺を跪かせた。ローレンは立ったまま、自分のロザリオを外す。俺が、ジェイドに返したロザリオ…。
 ローレンも俺の目の前で跪くと、ロザリオを俺の首に掛けて握らせた。

「王妃が持つロザリオは結婚の時に与えられる神代から王家が続く証。冠を戴くまでの間、ロザリオを握って祈るんだ。そう、そんな感じ。」
 俺がロザリオを手に祈りの姿勢をとると、ローレンは満足そうに頷いた。どうやら王宮で見た戴冠式の絵を再現するつもりのようだ。

「王は祭壇を背に上座で、王妃に冠を被せる。戴冠式が行われるのは王都の、歴史ある教会だ。背後には素晴らしい模様の、大きなステンドグラスから陽の光が溢れている。」
 
 ローレンは説明しながら、俺の頭に冠を被せる真似をして、髪に触れた。愛おしそうに、髪を撫でるローレンの姿があまりに美しいので、俺は赤面した。何とか赤面を誤魔化すように、質問を絞り出す。

「ロザリオを使って祈るの?」
「そう。このロザリオは特別なものだから。色々な式典で陛下も身につけていたよ。実際間近で見たけど…美しかった。」
 
 ローレンは俺に掛けたロザリオに視線を落とすと、手に握って俺と視線を合わせる。柔らかく微笑んで俺を見つめたまま、ロザリオに口付けた。
 ローレンの持っているロザリオも高価そうな貴石がついた年代物の素晴らしい品だと思うが…ローレンを前にすると、貴石さえ霞んでしまう。
 
「…オランレリアでは結婚式の時、ロザリオを交換するだろう…?」
「そうなんだ…?知らなかった…。ロザリオは十の記念に貰うものだけど、俺、親がいないから持っていなくて。教会の結婚式も、縁起が悪いって言われて俺は出た事が無かったから…。」
「…そうだと思った。三年前…俺が王都に立つ日、ノアはポカンとしていたから…。嫌なこと思い出させてごめん。ただその、あれはそう言う意味だよ、ってこと、言いたくて。」
  
 三年前、王都に行く前にロザリオをくれたのはそういう意味だったんだ。俺がローレンを見ると珍しく、ローレンの頬が赤くなっている。俺は嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが両方溢れて堪えきれず、ローレンに抱きついた。

「ローレン、俺、交換できるものがなくて、ごめん!俺、本当に何も持ってないんだ…。」
「ノア…俺の方こそごめん。また傷つけたな…。」
「違う、傷ついてない。嬉しい。すごく…!俺、必ずローレンにロザリオを用意する。だから、待っていて欲しい。罰金と借金と…結婚していると嘘をついたこと、全てに決着をつけたら…。」
「ノア…。嬉しいけど、無理しないでくれ。…そうだ。王族は結婚式でロザリオの交換はしないんだ。王妃は王から王族の一員になる…王家の証のロザリオを渡される。だから、俺たちは王族式ってことにしよう…?」

 俺たちは、俺を十四まで育てた神の前で結婚の約束をして、口付けた。



 俺はその日、戴冠式の下絵を完成させた。ローレンが教えてくれた…ステンドグラスの美しい教会の祭壇前で、ロザリオを持って祈る王妃と、冠をもつ美しい王の絵。王は勿論、ローレンを見つめながら描いた。ローレンはそれは普通、今の王かフィリップを描くのではないかと言ったのだが…。美しく絵になる人といえば、俺の中でローレン以外にいない。

「俺が王様なら、王妃はノアにしてくれ。」

 ローレンがそう言ったので、王妃は俺…のような人になった。自分の容姿を姿見で見ながらなんて恥ずかしいから、ローレンが形容する言葉のように描いたから、本当に俺に似ているかは分からない。髪は長くしたが…少し、可愛らしすぎないだろうか…?

「ノアはかわいいよ…。だから結婚していると言っても男に誘われていたじゃないか。もっと気を付けて欲しい。」

 そんな甘い言葉を囁かれながら、ローレンにアロワの家まで送って貰った。ローレンを外に待たせたまま、家の中でアロワに絵を見せると、アロワはすぐに、銀貨を取り出し俺に手渡した。

「ノア…素晴らしい!直ぐにこの絵を仕上げよう。もう、時間がないんだ。」
「時間…?」
「今王宮では現王の即位二十年を記念した絵画を描く、画家を選定している。新しい才能を発掘するため広く募集されているから、それに選ばれれば…。お前の借金は元より、生活、身分についても宮廷画家として保証されるだろう…。」
「宮廷画家…。」
 宮廷画家というのは、初めて聞いた。もしそれになる事が出来れば、身分も…?ローレンも王宮騎士として働いているから、側に居られるだろうか…?でも、エドガー家はどうするのだろう…。
 俺の答えを待たずに、アロワは次々と捲し立てる。
「ノア…。王都まで絵を運ぶことも考えればあと三週間ほどしかない。出来たら休みをとって欲しいが…無理なら夜は毎日ここに来てくれ。」
「三週間…?騎士祭りの予選前で、ちょうど忙しいかも知れない…。」
「ノア!こんな機会はもう、二度とないかも知れないんだ!頼む…!」
 アロワは俺の肩を掴んで揺さぶる。アロワの瞳が喜色をたたえているのを見て、俺は直ぐに頷いた。


 宮廷画家になれるかもしれない…。希望に胸躍らせて外で待っていたローレンに話をしたのだが、ローレンは難色を示した。アロワの家に毎日、夜に、と言うのが危険だしダメだと…。
 ローレンはアロワと直接話し合いをした。話し合いの結果、画材を俺の家に持っていき、アロワがローレンがいる時間帯に限って俺の家に来るということに決着した。

 三年間通っていて、何も無かったのに今更…と言ったらローレンに睨まれた。でも、ローレンは本当に心配しすぎだと思う。
 ローレンの方が余程心配だ…。マリクだってローレンのことが好きなんだ…。あのまま、簡単に諦めてはくれないだろう。それに、訓練場にいれば視線を集める、ローレンは女性にも人気がある…。以前ベルもローレンの絵を欲しがっていた。

 俺たちはそれぞれの心配事をぶつけて、お互いに心配ないということを確かめ合った。

 そうして俺とローレンは大量の荷物と希望を持って家に帰った。
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