56億7千万年

シキ

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3話

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「ふぃー。快便快便」


ピピピ、と音を鳴らした後、ジャーと聞き慣れた水音が木霊する。
腹の痛みも治まり、出るものが無くなった爽快感に浸りながら手を洗う。もうしばらくは腹痛も来ないだろうと予想を付けつつ、弥勒は先程の人物ーー隻眼の男について思考を飛ばした。
隻眼、弥勒くらいの年齢の若者は心ひかれるだろう単語。人間としての尊厳の危機にあった弥勒はそこまで注目しなかったが、危機が去った今、心の何処かが気恥ずかしそうにソワソワしていた。和装していたし、眼帯も違和感を抱かない美丈夫で、女子がほっとかないだろうな、が一番の印象だった。

どこか威圧感を放っていた男は、弥勒の問いかけに暫し呆けた後、丁寧にトイレまで送り届けてくれた。見た目や口調に反して紳士であった。おそらく彼ならカツアゲの心配もないだろうと、弥勒は安堵する。というか、墓の前でカツアゲも何もないだろう。

ハンカチで手を拭いながら外へ出ると、男は近くの木に背中を預けていた。出てきた弥勒と目が合えば、すっと木から離れて寄ってくる。
ただ歩いているだけなのに、どこか優雅な動きに見えて不思議に思った。


「お待たせしましたー」
「おう、スッキリしたようで何よりだ」
「ハハハやっぱ溜め込むのは良くないっすね。いやー、なんかすげーハイテクなトイレでビビりましたけど、さすが奥之院!」
「…ハイテク、ねぇ。」


生ぬるい視線もなんのその、弥勒はツラツラと感想をのべた。男は、それまで秘めていた警戒を解いたらしく、威圧感は緩和されていた。
しかし、弥勒の感想を聞いてす、と目を細める。何か気になることがあるのか、観察するような視線に弥勒は首を傾げた。警戒心が毛ほども感じられず、防衛本能は眠りについているようだ。


「えーと、それで、どうやってここに来たか…っすよね」
「ああ。…先刻も言ったが、答えによちゃあ少し手荒に対応するがな」


尊顔に似合う不敵な笑みを携えた男。弥勒は、イケメンにしか許されねえやつだ、と珍しいものを見た心地であった。先刻、なんて珍しい言い方だが。
しかし、その目は本気の色を宿している。下手な嘘や誤魔化しは絶対に許さないだろう。弥勒は、唸りながら頭をかいた後、本当のことを話そうと決めた。
弥勒だって何がなんだか分からないのだ。一人で悶々とするより二人のほうがいい。ふざけていると一蹴されたらその時だ。14歳の本気を出して喚いてやろう。

弥勒は半ば自棄になっていた。


「あーー…俺も、よくわかってないんですけど…」


そう前置きしながら、遠い目でこれまでの経緯を話したのだ。
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