5 / 20
第5話 アドバイスは身にしみる
しおりを挟む
「中野さん……、ちょっと」
「は、はい……」
お昼休みに入ってすぐ、私は、急に高山課長から声を掛けられた。
「先ほど、まとめた資料を読ませてもらったわ。あなたの仕事はいつでも早くて正確……。ありがとう」
「あ、いえ……」
高山課長は、とてもよく部下の仕事ぶりを見ている。
そして、必ず、良かった時はありがとうと言って下さる、素敵な女性だ。
私は、高山課長が微笑みながら言って下さる「ありがとう」に、何度癒され、励まされたことか。
高山課長には褒められたが、正直なところ、私は集中して仕事に励んでいたわけではなかった。
長年やっている作業なので、頭を使わなくても身体が勝手に作業をしてくれるため、実は、他のことに気を取られながら仕事をしていたのだ。
他のこと……。
そう、昨日の美香のことだ。
「課長……」
「何……?」
「あの、もし良かったら、お昼をご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」
「お昼? ええ、良いわよ」
高山課長は、とても多忙な人だ。
しかし、部下が相談事をもちかけると、いつも親身になって答えて下さる。
私は、これまでも何度か、こうしてお昼を食べながら高山課長に相談に乗ってもらってきた。
高山課長も、委細承知の上で、こうしてお昼に付き合って下さるのだ。
「社食にする? それとも、たまには利休庵でおそばにでもしましょうか?」
「あの……。少し込み入った話があるので、利休庵でお願いします」
「そう……。それは丁度良かったわ。私も、今日はおそばを食べたい気分だったの」
「お手数をおかけしてすいません」
高山課長はそう言うと、ハンドバックを手に持ち、私の肩を、ポンポンと軽く叩いた。
私は、美香のことを高山課長に相談するつもりでいる。
先ほど声をかけられて、ハッと気がついたのだ。
高山課長なら何かアドバイスをしてくれるかもしれないと……。
昨日から色々考えてみたが、どうしても投資の件は私の手に余る。
それに、投資の件を解決したら、美香に辛い想いをさせる可能性が高い。
もしかすると、今回の件が元で、美香との人間関係にひびが入るかも知れないし。
友達として、それはやっても良いことなのか、それとも、出過ぎたお節介なのか……。
私には分らなかったのだ。
「話の大筋は分ったわ」
「……、……」
高山課長は、そう言って、そば湯を注いだ。
あまりマナーの良いことではないが、私は食べながら、高山課長に美香の件を説明し続けていた。
「これは、かなり深刻ね。お友達もだけど、中野さんも大変だったわね」
「いえ……、私は」
「ううん……。契約とか、法律とかが絡むことは、馴れない人にとってはとても負担なのは分るわ」
「……、……」
「私も、離婚するときは大変だったし……」
「……、……」
そうだった……。
高山課長は、離婚経験者だった。
離婚以降、ずっと独りで子供を育て、今、息子さんは高校生になっている。
「まず、投資のことだけど……」
「はい……」
「私も専門家ではないので確たることは言えないわ。でも、確かに変よ」
「……、……」
「資本金と言うのは、ある意味、会社の信用を金額で表したものだわ。どれだけ会社に資本力があるかと言うことですものね」
「……、……」
「だから、3000万円の資本金の企業には、それ相応の事業の形がありますし、いくら優秀な事業案だとしても、資本金の何十倍ものお金がホイホイ集まるわけはないもの」
「やはり……」
「そうね、これは危険だわ。お友達が危ないと、私も思うわ」
ああ、さすがに高山課長だ。
話をしたら、すぐに私の意図に気がついてくれた。
「ただ、中野さんが本当に心配しているのは、そこではないわね」
「ええ……」
「お友達の彼氏を告発するような形になることが、果たしてお友達の望んだ結果かが心配なんでしょう?」
「はい……」
「場合によっては、お友達の恨みを買う結末になるかもしれないわね」
「……、……」
高山課長はここまで話し、一度区切ると、そば湯をすすった。
「これは、あくまでも私の個人的な意見だけど……」
「……、……」
「お友達は、その彼氏と別れた方が良いわ」
「……、……」
「もし、今回の件に彼氏が関わっていなくて、被害者だったとしても、そんな危なっかしい話にホイホイ乗ってしまう人と、大事なお友達が、末永く良い関係を築けると思う?」
「……、……」
「申し訳ないけど、その彼氏は、どちらにしても結婚を考える相手としては不適格だわ」
「そうですか……」
高山課長の口からは、かなり辛辣な言葉が述べられた。
しかし、私も同感だった。
そう……、決して、藤田は美香のためにはならない。
最初に見た時から、私はそう思っていたのだ。
「ただね……」
「……、……」
「中野さんも辛い想いをするわ……、間違いなく」
「ええ……」
「彼氏の人格はどうあれ、お友達は好きだから付き合ってるんでしょう?」
「はい」
「だとすれば、きっとあなたとお友達の間はぎくしゃくするわ」
「……、……」
「お友達は、冷静に状況を看られる状態ではないと思うから」
「……、……」
高山課長はそう言うと、私から視線を外した。
そして、一つ大きなため息をついた。
「私もね、別れた旦那と結婚したときに、随分周囲に反対されたわ」
「えっ?」
「両親はもとより、友達にもね」
「……、……」
「でも、それを全部押し切って結婚したの」
「……、……」
「当然、忠告してくれた友達との関係は途絶えたわ」
「そんなことが……」
意外だった。
しっかりした高山課長でも、そんな過去を持っていたなんて……。
「元旦那は、ディープなアイドルオタクだったの。結婚したら……、子供が出来たら……。いつか納まるかと思っていたのだけど、結局、どうにもならなかったわ」
「……、……」
「優しくていい人ではあったのね。でも、お金にルーズで……」
「……、……」
「息子が将来こんな大人になるのだけは嫌で、未練はあったけど別れたわ」
「……、……」
「彼は離婚しないって言い張ったけれど、離婚調停までしてね」
「大変だったんですね」
「ええ……。でも、別れたこと自体にはまったく後悔はないわ」
「……、……」
「ただ、結婚するときに失った友達には、今でも心底悪かったと思っているの」
「……、……」
「せっかく私のために言ってくれていたのに、感情的になって随分酷いことも言ったから」
「……、……」
「うふふ……。私も若かったし、幼かったのね、考え方が……」
「……、……」
そう、寂しそうに笑った高山課長は、いつも通りの優しい目差しであった。
仕事が終わると、私は余計なことは何もせず帰宅した。
美香からの電話を待つためだ。
美香が帰宅するのは、大抵9時近くだ。
今、7時少し前……。
待機するには早すぎるが、少し、思うところがあった。
ほぐし身の鮭と大葉のパスタを手早く作り、8時前にはお風呂にも入った。
髪を乾かしながらパソコンの前に座ると、メールボックスを開けてメールを書く用意をした。
メール作成画面にしたが、私は別にメールを送るつもりはなかった。
何がしたかったかと言うと、私から美香に伝えることを箇条書きにして、書き出しておくつもりだったのだ。
ただ、伝えることは色々と思いついたが、結局、書き出したのは一つだけだった。
「美香を救う」
と……。
「プルッ、プルッ……、プルッ、プルッ……」
8時半過ぎに、着信があった。
美香からだ。
いつもより早いのは、美香も私にどうしても伝えたいことがあるからだろう。
「はい……」
「ごめんね、昨日の今日で……」
「ううん」
「昨日、千秋と別れてから、色々考えたんだけど……」
まずは、美香の気持ちから聞くことにした。
私は、それから自分なりの結論と気持ちを伝えるつもりだ。
「千秋、言ってたよね。あの投資が危ないって」
「うん……」
「私も、家に帰ってからよく考えてみたんだけど、やっぱり怪しいよね」
「……、……」
「だって、あの小川さんって人、取締役になんか見えないもの」
「そうね……」
「痩せてて貧相……。それに、人の上に立つ感じではないと思ったわ」
「……、……」
思いの外、美香は美香なりに、冷静に看ていたようだ。
確かに、小川は勤め人と言う感じはするが、企業でバリバリ指示出しをしている上司の感じではない。
冷静な美香に、私は少しホッとする。
「でも、私、お金は出すわ。あの投資に」
「えっ? どうして……」
「だって、100万円でしょう? 損したって」
「……、……」
「藤田さんの気持ちがそれで少しでも満足するなら、それで良いと思って」
「美香……」
「うん、千秋の言いたいことも分るの。でも、私、結構、貯金もしているから、それくらいだったら良いかな……、って」
「……、……」
到底納得は出来ないが、美香の気持ちは分る気がした。
やはり、藤田を信じたいのだ。
きっと、美香は藤田も怪しいと分っているのだが、自分なりに精一杯の理由を付けて、気持ちを押し通すつもりなのだ。
「ただ、千秋に言われたから、まだ、返事はしていないわ。だから、昨日のまま結論は保留してあるの」
「……、……」
「良いわよね? 私、投資するって返事しちゃっても……」
「……、……」
美香の声は震えていた。
努めて明るい声を出そうとしているのだろうが、不安が震えに出ている。
美香はああ言ったが、100万円が痛くないわけがない。
多分、出そうとしている100万円は、いつか結婚するときのために貯めてきた、結婚資金の一部だろう。
私は、このお金を美香がどんな気持ちで貯めてきたか知っている。
人一倍結婚願望が強い美香の、複雑な気持ちがいっぱい詰まったお金なのだ。
「美香……。良く聞いてね」
「うん……」
「それと、今から私が言うことを聞いて、気分を害したらごめんなさい」
「……、……」
私は気持ちを強く持った。
やはり、私が言うしかない。
それしか美香は救えないのだ。
「昨日、美香と別れてから、私が何処に行ったと思う?」
「……、……。何処?」
「県警本部よ」
「えっ?」
「そう、怪しいと思ったから、警察へ相談しに行ってきたの」
「……、……」
「それで、知的犯罪課の刑事さんと話しをしてきたわ」
「……、……」
「刑事さんは、とても危ない……。投資を止めさせることは出来ないのか? って、言っていたわ」
「そう……」
美香の応えは、かすれるような声だった。
「私は思ったわ。美香に投資を止めさせるには、藤田さんと別れるしかない……、って」
「ち、千秋っ!」
「いいから聞いて……」
「……、……」
「藤田さんも、グルよ。小川さんと」
「そ、そんなっ……」
「だって、おかしいでしょう? 美香や私でも分るような怪しい投資話を、フィナンシャルプランナーって資格まである、プロの投資家が怪しまないなんて……」
「……、……」
「あと、もし、たとえ藤田さんがグルじゃなかったとしても、そんなミスをするプロの投資家と、幸せな結婚が出来るわけがないじゃない!」
「……、……」
スマホの向こうから、美香が鼻をすするような音が漏れる。
美香は、泣いているのだろう。
「ごめんね。酷いことを言って」
「……、……」
「でも、私、後で美香に傷付いてもらいたくないの」
「……、……」
「私も覚悟して言ったわ。だから、絶交されても仕方がないと思ってる」
「ち、千秋……」
美香も私も、言うことは言った。
だが、二人とも、それ以上言葉が続かなかった。
スマホの向こうから、相変わらず美香の鼻をすする音がしている。
私は、何か言葉をかけてあげたくて、必死に探したが、何も浮かんでは来なかった。
どれほど二人で黙っていただろう。
5分……? いえ、10分……?
私は、美香の気持ちを想いながら、ただ、美香の言葉を待った。
「ち、千秋……。聞いてる?」
「うん……」
沈黙を破った美香の声は、明らかに泣き声だった。
「私ね、千秋の言っていることも分るの」
「……、……」
「私も、少しはそうかな……? って」
「……、……」
「でも、信じたいの。藤田さんのこと」
「……、……」
「だから、100万円だけ……、って」
「……、……」
「ねえ……。それって、そんなに悪いこと?」
「美香……」
「私、そんなに間違ってる?」
「……、……」
美香の声は、もう微かにしか聞き取れなかった。
「千秋……。感謝しているわ」
「……、……」
「こういうのって、言う方も辛いわよね」
「……、……」
「私、分ってるわ。千秋が私のために一生懸命悩んでくれたの……」
「……、……」
「でも、すぐに受け入れられないの……、バカだから」
「……、……」
「だから、もう一度考えてみるわ日曜日まで……」
「うん……」
私まで涙が出そうになっていた。
しかし、
「私がしっかりしなきゃ……」
と心の中で念じ、必死に涙をこらえた。
そう、私がしっかりしなければ……。
パソコン画面にポツンと浮かんでいる、
「美香を救う」
と言う文字が、私にはとても、頼りなく寂しげに見えた。
「は、はい……」
お昼休みに入ってすぐ、私は、急に高山課長から声を掛けられた。
「先ほど、まとめた資料を読ませてもらったわ。あなたの仕事はいつでも早くて正確……。ありがとう」
「あ、いえ……」
高山課長は、とてもよく部下の仕事ぶりを見ている。
そして、必ず、良かった時はありがとうと言って下さる、素敵な女性だ。
私は、高山課長が微笑みながら言って下さる「ありがとう」に、何度癒され、励まされたことか。
高山課長には褒められたが、正直なところ、私は集中して仕事に励んでいたわけではなかった。
長年やっている作業なので、頭を使わなくても身体が勝手に作業をしてくれるため、実は、他のことに気を取られながら仕事をしていたのだ。
他のこと……。
そう、昨日の美香のことだ。
「課長……」
「何……?」
「あの、もし良かったら、お昼をご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」
「お昼? ええ、良いわよ」
高山課長は、とても多忙な人だ。
しかし、部下が相談事をもちかけると、いつも親身になって答えて下さる。
私は、これまでも何度か、こうしてお昼を食べながら高山課長に相談に乗ってもらってきた。
高山課長も、委細承知の上で、こうしてお昼に付き合って下さるのだ。
「社食にする? それとも、たまには利休庵でおそばにでもしましょうか?」
「あの……。少し込み入った話があるので、利休庵でお願いします」
「そう……。それは丁度良かったわ。私も、今日はおそばを食べたい気分だったの」
「お手数をおかけしてすいません」
高山課長はそう言うと、ハンドバックを手に持ち、私の肩を、ポンポンと軽く叩いた。
私は、美香のことを高山課長に相談するつもりでいる。
先ほど声をかけられて、ハッと気がついたのだ。
高山課長なら何かアドバイスをしてくれるかもしれないと……。
昨日から色々考えてみたが、どうしても投資の件は私の手に余る。
それに、投資の件を解決したら、美香に辛い想いをさせる可能性が高い。
もしかすると、今回の件が元で、美香との人間関係にひびが入るかも知れないし。
友達として、それはやっても良いことなのか、それとも、出過ぎたお節介なのか……。
私には分らなかったのだ。
「話の大筋は分ったわ」
「……、……」
高山課長は、そう言って、そば湯を注いだ。
あまりマナーの良いことではないが、私は食べながら、高山課長に美香の件を説明し続けていた。
「これは、かなり深刻ね。お友達もだけど、中野さんも大変だったわね」
「いえ……、私は」
「ううん……。契約とか、法律とかが絡むことは、馴れない人にとってはとても負担なのは分るわ」
「……、……」
「私も、離婚するときは大変だったし……」
「……、……」
そうだった……。
高山課長は、離婚経験者だった。
離婚以降、ずっと独りで子供を育て、今、息子さんは高校生になっている。
「まず、投資のことだけど……」
「はい……」
「私も専門家ではないので確たることは言えないわ。でも、確かに変よ」
「……、……」
「資本金と言うのは、ある意味、会社の信用を金額で表したものだわ。どれだけ会社に資本力があるかと言うことですものね」
「……、……」
「だから、3000万円の資本金の企業には、それ相応の事業の形がありますし、いくら優秀な事業案だとしても、資本金の何十倍ものお金がホイホイ集まるわけはないもの」
「やはり……」
「そうね、これは危険だわ。お友達が危ないと、私も思うわ」
ああ、さすがに高山課長だ。
話をしたら、すぐに私の意図に気がついてくれた。
「ただ、中野さんが本当に心配しているのは、そこではないわね」
「ええ……」
「お友達の彼氏を告発するような形になることが、果たしてお友達の望んだ結果かが心配なんでしょう?」
「はい……」
「場合によっては、お友達の恨みを買う結末になるかもしれないわね」
「……、……」
高山課長はここまで話し、一度区切ると、そば湯をすすった。
「これは、あくまでも私の個人的な意見だけど……」
「……、……」
「お友達は、その彼氏と別れた方が良いわ」
「……、……」
「もし、今回の件に彼氏が関わっていなくて、被害者だったとしても、そんな危なっかしい話にホイホイ乗ってしまう人と、大事なお友達が、末永く良い関係を築けると思う?」
「……、……」
「申し訳ないけど、その彼氏は、どちらにしても結婚を考える相手としては不適格だわ」
「そうですか……」
高山課長の口からは、かなり辛辣な言葉が述べられた。
しかし、私も同感だった。
そう……、決して、藤田は美香のためにはならない。
最初に見た時から、私はそう思っていたのだ。
「ただね……」
「……、……」
「中野さんも辛い想いをするわ……、間違いなく」
「ええ……」
「彼氏の人格はどうあれ、お友達は好きだから付き合ってるんでしょう?」
「はい」
「だとすれば、きっとあなたとお友達の間はぎくしゃくするわ」
「……、……」
「お友達は、冷静に状況を看られる状態ではないと思うから」
「……、……」
高山課長はそう言うと、私から視線を外した。
そして、一つ大きなため息をついた。
「私もね、別れた旦那と結婚したときに、随分周囲に反対されたわ」
「えっ?」
「両親はもとより、友達にもね」
「……、……」
「でも、それを全部押し切って結婚したの」
「……、……」
「当然、忠告してくれた友達との関係は途絶えたわ」
「そんなことが……」
意外だった。
しっかりした高山課長でも、そんな過去を持っていたなんて……。
「元旦那は、ディープなアイドルオタクだったの。結婚したら……、子供が出来たら……。いつか納まるかと思っていたのだけど、結局、どうにもならなかったわ」
「……、……」
「優しくていい人ではあったのね。でも、お金にルーズで……」
「……、……」
「息子が将来こんな大人になるのだけは嫌で、未練はあったけど別れたわ」
「……、……」
「彼は離婚しないって言い張ったけれど、離婚調停までしてね」
「大変だったんですね」
「ええ……。でも、別れたこと自体にはまったく後悔はないわ」
「……、……」
「ただ、結婚するときに失った友達には、今でも心底悪かったと思っているの」
「……、……」
「せっかく私のために言ってくれていたのに、感情的になって随分酷いことも言ったから」
「……、……」
「うふふ……。私も若かったし、幼かったのね、考え方が……」
「……、……」
そう、寂しそうに笑った高山課長は、いつも通りの優しい目差しであった。
仕事が終わると、私は余計なことは何もせず帰宅した。
美香からの電話を待つためだ。
美香が帰宅するのは、大抵9時近くだ。
今、7時少し前……。
待機するには早すぎるが、少し、思うところがあった。
ほぐし身の鮭と大葉のパスタを手早く作り、8時前にはお風呂にも入った。
髪を乾かしながらパソコンの前に座ると、メールボックスを開けてメールを書く用意をした。
メール作成画面にしたが、私は別にメールを送るつもりはなかった。
何がしたかったかと言うと、私から美香に伝えることを箇条書きにして、書き出しておくつもりだったのだ。
ただ、伝えることは色々と思いついたが、結局、書き出したのは一つだけだった。
「美香を救う」
と……。
「プルッ、プルッ……、プルッ、プルッ……」
8時半過ぎに、着信があった。
美香からだ。
いつもより早いのは、美香も私にどうしても伝えたいことがあるからだろう。
「はい……」
「ごめんね、昨日の今日で……」
「ううん」
「昨日、千秋と別れてから、色々考えたんだけど……」
まずは、美香の気持ちから聞くことにした。
私は、それから自分なりの結論と気持ちを伝えるつもりだ。
「千秋、言ってたよね。あの投資が危ないって」
「うん……」
「私も、家に帰ってからよく考えてみたんだけど、やっぱり怪しいよね」
「……、……」
「だって、あの小川さんって人、取締役になんか見えないもの」
「そうね……」
「痩せてて貧相……。それに、人の上に立つ感じではないと思ったわ」
「……、……」
思いの外、美香は美香なりに、冷静に看ていたようだ。
確かに、小川は勤め人と言う感じはするが、企業でバリバリ指示出しをしている上司の感じではない。
冷静な美香に、私は少しホッとする。
「でも、私、お金は出すわ。あの投資に」
「えっ? どうして……」
「だって、100万円でしょう? 損したって」
「……、……」
「藤田さんの気持ちがそれで少しでも満足するなら、それで良いと思って」
「美香……」
「うん、千秋の言いたいことも分るの。でも、私、結構、貯金もしているから、それくらいだったら良いかな……、って」
「……、……」
到底納得は出来ないが、美香の気持ちは分る気がした。
やはり、藤田を信じたいのだ。
きっと、美香は藤田も怪しいと分っているのだが、自分なりに精一杯の理由を付けて、気持ちを押し通すつもりなのだ。
「ただ、千秋に言われたから、まだ、返事はしていないわ。だから、昨日のまま結論は保留してあるの」
「……、……」
「良いわよね? 私、投資するって返事しちゃっても……」
「……、……」
美香の声は震えていた。
努めて明るい声を出そうとしているのだろうが、不安が震えに出ている。
美香はああ言ったが、100万円が痛くないわけがない。
多分、出そうとしている100万円は、いつか結婚するときのために貯めてきた、結婚資金の一部だろう。
私は、このお金を美香がどんな気持ちで貯めてきたか知っている。
人一倍結婚願望が強い美香の、複雑な気持ちがいっぱい詰まったお金なのだ。
「美香……。良く聞いてね」
「うん……」
「それと、今から私が言うことを聞いて、気分を害したらごめんなさい」
「……、……」
私は気持ちを強く持った。
やはり、私が言うしかない。
それしか美香は救えないのだ。
「昨日、美香と別れてから、私が何処に行ったと思う?」
「……、……。何処?」
「県警本部よ」
「えっ?」
「そう、怪しいと思ったから、警察へ相談しに行ってきたの」
「……、……」
「それで、知的犯罪課の刑事さんと話しをしてきたわ」
「……、……」
「刑事さんは、とても危ない……。投資を止めさせることは出来ないのか? って、言っていたわ」
「そう……」
美香の応えは、かすれるような声だった。
「私は思ったわ。美香に投資を止めさせるには、藤田さんと別れるしかない……、って」
「ち、千秋っ!」
「いいから聞いて……」
「……、……」
「藤田さんも、グルよ。小川さんと」
「そ、そんなっ……」
「だって、おかしいでしょう? 美香や私でも分るような怪しい投資話を、フィナンシャルプランナーって資格まである、プロの投資家が怪しまないなんて……」
「……、……」
「あと、もし、たとえ藤田さんがグルじゃなかったとしても、そんなミスをするプロの投資家と、幸せな結婚が出来るわけがないじゃない!」
「……、……」
スマホの向こうから、美香が鼻をすするような音が漏れる。
美香は、泣いているのだろう。
「ごめんね。酷いことを言って」
「……、……」
「でも、私、後で美香に傷付いてもらいたくないの」
「……、……」
「私も覚悟して言ったわ。だから、絶交されても仕方がないと思ってる」
「ち、千秋……」
美香も私も、言うことは言った。
だが、二人とも、それ以上言葉が続かなかった。
スマホの向こうから、相変わらず美香の鼻をすする音がしている。
私は、何か言葉をかけてあげたくて、必死に探したが、何も浮かんでは来なかった。
どれほど二人で黙っていただろう。
5分……? いえ、10分……?
私は、美香の気持ちを想いながら、ただ、美香の言葉を待った。
「ち、千秋……。聞いてる?」
「うん……」
沈黙を破った美香の声は、明らかに泣き声だった。
「私ね、千秋の言っていることも分るの」
「……、……」
「私も、少しはそうかな……? って」
「……、……」
「でも、信じたいの。藤田さんのこと」
「……、……」
「だから、100万円だけ……、って」
「……、……」
「ねえ……。それって、そんなに悪いこと?」
「美香……」
「私、そんなに間違ってる?」
「……、……」
美香の声は、もう微かにしか聞き取れなかった。
「千秋……。感謝しているわ」
「……、……」
「こういうのって、言う方も辛いわよね」
「……、……」
「私、分ってるわ。千秋が私のために一生懸命悩んでくれたの……」
「……、……」
「でも、すぐに受け入れられないの……、バカだから」
「……、……」
「だから、もう一度考えてみるわ日曜日まで……」
「うん……」
私まで涙が出そうになっていた。
しかし、
「私がしっかりしなきゃ……」
と心の中で念じ、必死に涙をこらえた。
そう、私がしっかりしなければ……。
パソコン画面にポツンと浮かんでいる、
「美香を救う」
と言う文字が、私にはとても、頼りなく寂しげに見えた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ユキ・シオン
那月
BL
人間の姿をした、人間ではないもの。
成長過程で動物から人間に変わってしまう”擬人化種”の白猫青年と、16歳年上のオッサンとのお話。
出会ったのは猫カフェ。白猫従業員としての青年と客としてやってきたオッサン。
次に再会したのは青年が人間として通う大学。オッサンは保健室の先生だった。
青年が金のためにヤバいことをしていて、あるトラブルが起こる。
そこへ見計らったかのようにオッサンが飛び込んで救出したのをきっかけに2人の距離は縮まり……
※表紙絵は自作。本編は進むにつれてどんどん動物園と化します(笑)
【完結】悪の尋問令嬢、″捨てられ王子″の妻になる。
Y(ワイ)
ファンタジー
尋問を生業にする侯爵家に婿入りしたのは、恋愛戦略に敗れた腹黒王子。
白い結婚から始まる、腹黒VS腹黒の執着恋愛コメディ(シリアス有り)です。
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる