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第5話 アドバイスは身にしみる
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「中野さん……、ちょっと」
「は、はい……」
お昼休みに入ってすぐ、私は、急に高山課長から声を掛けられた。
「先ほど、まとめた資料を読ませてもらったわ。あなたの仕事はいつでも早くて正確……。ありがとう」
「あ、いえ……」
高山課長は、とてもよく部下の仕事ぶりを見ている。
そして、必ず、良かった時はありがとうと言って下さる、素敵な女性だ。
私は、高山課長が微笑みながら言って下さる「ありがとう」に、何度癒され、励まされたことか。
高山課長には褒められたが、正直なところ、私は集中して仕事に励んでいたわけではなかった。
長年やっている作業なので、頭を使わなくても身体が勝手に作業をしてくれるため、実は、他のことに気を取られながら仕事をしていたのだ。
他のこと……。
そう、昨日の美香のことだ。
「課長……」
「何……?」
「あの、もし良かったら、お昼をご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」
「お昼? ええ、良いわよ」
高山課長は、とても多忙な人だ。
しかし、部下が相談事をもちかけると、いつも親身になって答えて下さる。
私は、これまでも何度か、こうしてお昼を食べながら高山課長に相談に乗ってもらってきた。
高山課長も、委細承知の上で、こうしてお昼に付き合って下さるのだ。
「社食にする? それとも、たまには利休庵でおそばにでもしましょうか?」
「あの……。少し込み入った話があるので、利休庵でお願いします」
「そう……。それは丁度良かったわ。私も、今日はおそばを食べたい気分だったの」
「お手数をおかけしてすいません」
高山課長はそう言うと、ハンドバックを手に持ち、私の肩を、ポンポンと軽く叩いた。
私は、美香のことを高山課長に相談するつもりでいる。
先ほど声をかけられて、ハッと気がついたのだ。
高山課長なら何かアドバイスをしてくれるかもしれないと……。
昨日から色々考えてみたが、どうしても投資の件は私の手に余る。
それに、投資の件を解決したら、美香に辛い想いをさせる可能性が高い。
もしかすると、今回の件が元で、美香との人間関係にひびが入るかも知れないし。
友達として、それはやっても良いことなのか、それとも、出過ぎたお節介なのか……。
私には分らなかったのだ。
「話の大筋は分ったわ」
「……、……」
高山課長は、そう言って、そば湯を注いだ。
あまりマナーの良いことではないが、私は食べながら、高山課長に美香の件を説明し続けていた。
「これは、かなり深刻ね。お友達もだけど、中野さんも大変だったわね」
「いえ……、私は」
「ううん……。契約とか、法律とかが絡むことは、馴れない人にとってはとても負担なのは分るわ」
「……、……」
「私も、離婚するときは大変だったし……」
「……、……」
そうだった……。
高山課長は、離婚経験者だった。
離婚以降、ずっと独りで子供を育て、今、息子さんは高校生になっている。
「まず、投資のことだけど……」
「はい……」
「私も専門家ではないので確たることは言えないわ。でも、確かに変よ」
「……、……」
「資本金と言うのは、ある意味、会社の信用を金額で表したものだわ。どれだけ会社に資本力があるかと言うことですものね」
「……、……」
「だから、3000万円の資本金の企業には、それ相応の事業の形がありますし、いくら優秀な事業案だとしても、資本金の何十倍ものお金がホイホイ集まるわけはないもの」
「やはり……」
「そうね、これは危険だわ。お友達が危ないと、私も思うわ」
ああ、さすがに高山課長だ。
話をしたら、すぐに私の意図に気がついてくれた。
「ただ、中野さんが本当に心配しているのは、そこではないわね」
「ええ……」
「お友達の彼氏を告発するような形になることが、果たしてお友達の望んだ結果かが心配なんでしょう?」
「はい……」
「場合によっては、お友達の恨みを買う結末になるかもしれないわね」
「……、……」
高山課長はここまで話し、一度区切ると、そば湯をすすった。
「これは、あくまでも私の個人的な意見だけど……」
「……、……」
「お友達は、その彼氏と別れた方が良いわ」
「……、……」
「もし、今回の件に彼氏が関わっていなくて、被害者だったとしても、そんな危なっかしい話にホイホイ乗ってしまう人と、大事なお友達が、末永く良い関係を築けると思う?」
「……、……」
「申し訳ないけど、その彼氏は、どちらにしても結婚を考える相手としては不適格だわ」
「そうですか……」
高山課長の口からは、かなり辛辣な言葉が述べられた。
しかし、私も同感だった。
そう……、決して、藤田は美香のためにはならない。
最初に見た時から、私はそう思っていたのだ。
「ただね……」
「……、……」
「中野さんも辛い想いをするわ……、間違いなく」
「ええ……」
「彼氏の人格はどうあれ、お友達は好きだから付き合ってるんでしょう?」
「はい」
「だとすれば、きっとあなたとお友達の間はぎくしゃくするわ」
「……、……」
「お友達は、冷静に状況を看られる状態ではないと思うから」
「……、……」
高山課長はそう言うと、私から視線を外した。
そして、一つ大きなため息をついた。
「私もね、別れた旦那と結婚したときに、随分周囲に反対されたわ」
「えっ?」
「両親はもとより、友達にもね」
「……、……」
「でも、それを全部押し切って結婚したの」
「……、……」
「当然、忠告してくれた友達との関係は途絶えたわ」
「そんなことが……」
意外だった。
しっかりした高山課長でも、そんな過去を持っていたなんて……。
「元旦那は、ディープなアイドルオタクだったの。結婚したら……、子供が出来たら……。いつか納まるかと思っていたのだけど、結局、どうにもならなかったわ」
「……、……」
「優しくていい人ではあったのね。でも、お金にルーズで……」
「……、……」
「息子が将来こんな大人になるのだけは嫌で、未練はあったけど別れたわ」
「……、……」
「彼は離婚しないって言い張ったけれど、離婚調停までしてね」
「大変だったんですね」
「ええ……。でも、別れたこと自体にはまったく後悔はないわ」
「……、……」
「ただ、結婚するときに失った友達には、今でも心底悪かったと思っているの」
「……、……」
「せっかく私のために言ってくれていたのに、感情的になって随分酷いことも言ったから」
「……、……」
「うふふ……。私も若かったし、幼かったのね、考え方が……」
「……、……」
そう、寂しそうに笑った高山課長は、いつも通りの優しい目差しであった。
仕事が終わると、私は余計なことは何もせず帰宅した。
美香からの電話を待つためだ。
美香が帰宅するのは、大抵9時近くだ。
今、7時少し前……。
待機するには早すぎるが、少し、思うところがあった。
ほぐし身の鮭と大葉のパスタを手早く作り、8時前にはお風呂にも入った。
髪を乾かしながらパソコンの前に座ると、メールボックスを開けてメールを書く用意をした。
メール作成画面にしたが、私は別にメールを送るつもりはなかった。
何がしたかったかと言うと、私から美香に伝えることを箇条書きにして、書き出しておくつもりだったのだ。
ただ、伝えることは色々と思いついたが、結局、書き出したのは一つだけだった。
「美香を救う」
と……。
「プルッ、プルッ……、プルッ、プルッ……」
8時半過ぎに、着信があった。
美香からだ。
いつもより早いのは、美香も私にどうしても伝えたいことがあるからだろう。
「はい……」
「ごめんね、昨日の今日で……」
「ううん」
「昨日、千秋と別れてから、色々考えたんだけど……」
まずは、美香の気持ちから聞くことにした。
私は、それから自分なりの結論と気持ちを伝えるつもりだ。
「千秋、言ってたよね。あの投資が危ないって」
「うん……」
「私も、家に帰ってからよく考えてみたんだけど、やっぱり怪しいよね」
「……、……」
「だって、あの小川さんって人、取締役になんか見えないもの」
「そうね……」
「痩せてて貧相……。それに、人の上に立つ感じではないと思ったわ」
「……、……」
思いの外、美香は美香なりに、冷静に看ていたようだ。
確かに、小川は勤め人と言う感じはするが、企業でバリバリ指示出しをしている上司の感じではない。
冷静な美香に、私は少しホッとする。
「でも、私、お金は出すわ。あの投資に」
「えっ? どうして……」
「だって、100万円でしょう? 損したって」
「……、……」
「藤田さんの気持ちがそれで少しでも満足するなら、それで良いと思って」
「美香……」
「うん、千秋の言いたいことも分るの。でも、私、結構、貯金もしているから、それくらいだったら良いかな……、って」
「……、……」
到底納得は出来ないが、美香の気持ちは分る気がした。
やはり、藤田を信じたいのだ。
きっと、美香は藤田も怪しいと分っているのだが、自分なりに精一杯の理由を付けて、気持ちを押し通すつもりなのだ。
「ただ、千秋に言われたから、まだ、返事はしていないわ。だから、昨日のまま結論は保留してあるの」
「……、……」
「良いわよね? 私、投資するって返事しちゃっても……」
「……、……」
美香の声は震えていた。
努めて明るい声を出そうとしているのだろうが、不安が震えに出ている。
美香はああ言ったが、100万円が痛くないわけがない。
多分、出そうとしている100万円は、いつか結婚するときのために貯めてきた、結婚資金の一部だろう。
私は、このお金を美香がどんな気持ちで貯めてきたか知っている。
人一倍結婚願望が強い美香の、複雑な気持ちがいっぱい詰まったお金なのだ。
「美香……。良く聞いてね」
「うん……」
「それと、今から私が言うことを聞いて、気分を害したらごめんなさい」
「……、……」
私は気持ちを強く持った。
やはり、私が言うしかない。
それしか美香は救えないのだ。
「昨日、美香と別れてから、私が何処に行ったと思う?」
「……、……。何処?」
「県警本部よ」
「えっ?」
「そう、怪しいと思ったから、警察へ相談しに行ってきたの」
「……、……」
「それで、知的犯罪課の刑事さんと話しをしてきたわ」
「……、……」
「刑事さんは、とても危ない……。投資を止めさせることは出来ないのか? って、言っていたわ」
「そう……」
美香の応えは、かすれるような声だった。
「私は思ったわ。美香に投資を止めさせるには、藤田さんと別れるしかない……、って」
「ち、千秋っ!」
「いいから聞いて……」
「……、……」
「藤田さんも、グルよ。小川さんと」
「そ、そんなっ……」
「だって、おかしいでしょう? 美香や私でも分るような怪しい投資話を、フィナンシャルプランナーって資格まである、プロの投資家が怪しまないなんて……」
「……、……」
「あと、もし、たとえ藤田さんがグルじゃなかったとしても、そんなミスをするプロの投資家と、幸せな結婚が出来るわけがないじゃない!」
「……、……」
スマホの向こうから、美香が鼻をすするような音が漏れる。
美香は、泣いているのだろう。
「ごめんね。酷いことを言って」
「……、……」
「でも、私、後で美香に傷付いてもらいたくないの」
「……、……」
「私も覚悟して言ったわ。だから、絶交されても仕方がないと思ってる」
「ち、千秋……」
美香も私も、言うことは言った。
だが、二人とも、それ以上言葉が続かなかった。
スマホの向こうから、相変わらず美香の鼻をすする音がしている。
私は、何か言葉をかけてあげたくて、必死に探したが、何も浮かんでは来なかった。
どれほど二人で黙っていただろう。
5分……? いえ、10分……?
私は、美香の気持ちを想いながら、ただ、美香の言葉を待った。
「ち、千秋……。聞いてる?」
「うん……」
沈黙を破った美香の声は、明らかに泣き声だった。
「私ね、千秋の言っていることも分るの」
「……、……」
「私も、少しはそうかな……? って」
「……、……」
「でも、信じたいの。藤田さんのこと」
「……、……」
「だから、100万円だけ……、って」
「……、……」
「ねえ……。それって、そんなに悪いこと?」
「美香……」
「私、そんなに間違ってる?」
「……、……」
美香の声は、もう微かにしか聞き取れなかった。
「千秋……。感謝しているわ」
「……、……」
「こういうのって、言う方も辛いわよね」
「……、……」
「私、分ってるわ。千秋が私のために一生懸命悩んでくれたの……」
「……、……」
「でも、すぐに受け入れられないの……、バカだから」
「……、……」
「だから、もう一度考えてみるわ日曜日まで……」
「うん……」
私まで涙が出そうになっていた。
しかし、
「私がしっかりしなきゃ……」
と心の中で念じ、必死に涙をこらえた。
そう、私がしっかりしなければ……。
パソコン画面にポツンと浮かんでいる、
「美香を救う」
と言う文字が、私にはとても、頼りなく寂しげに見えた。
「は、はい……」
お昼休みに入ってすぐ、私は、急に高山課長から声を掛けられた。
「先ほど、まとめた資料を読ませてもらったわ。あなたの仕事はいつでも早くて正確……。ありがとう」
「あ、いえ……」
高山課長は、とてもよく部下の仕事ぶりを見ている。
そして、必ず、良かった時はありがとうと言って下さる、素敵な女性だ。
私は、高山課長が微笑みながら言って下さる「ありがとう」に、何度癒され、励まされたことか。
高山課長には褒められたが、正直なところ、私は集中して仕事に励んでいたわけではなかった。
長年やっている作業なので、頭を使わなくても身体が勝手に作業をしてくれるため、実は、他のことに気を取られながら仕事をしていたのだ。
他のこと……。
そう、昨日の美香のことだ。
「課長……」
「何……?」
「あの、もし良かったら、お昼をご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」
「お昼? ええ、良いわよ」
高山課長は、とても多忙な人だ。
しかし、部下が相談事をもちかけると、いつも親身になって答えて下さる。
私は、これまでも何度か、こうしてお昼を食べながら高山課長に相談に乗ってもらってきた。
高山課長も、委細承知の上で、こうしてお昼に付き合って下さるのだ。
「社食にする? それとも、たまには利休庵でおそばにでもしましょうか?」
「あの……。少し込み入った話があるので、利休庵でお願いします」
「そう……。それは丁度良かったわ。私も、今日はおそばを食べたい気分だったの」
「お手数をおかけしてすいません」
高山課長はそう言うと、ハンドバックを手に持ち、私の肩を、ポンポンと軽く叩いた。
私は、美香のことを高山課長に相談するつもりでいる。
先ほど声をかけられて、ハッと気がついたのだ。
高山課長なら何かアドバイスをしてくれるかもしれないと……。
昨日から色々考えてみたが、どうしても投資の件は私の手に余る。
それに、投資の件を解決したら、美香に辛い想いをさせる可能性が高い。
もしかすると、今回の件が元で、美香との人間関係にひびが入るかも知れないし。
友達として、それはやっても良いことなのか、それとも、出過ぎたお節介なのか……。
私には分らなかったのだ。
「話の大筋は分ったわ」
「……、……」
高山課長は、そう言って、そば湯を注いだ。
あまりマナーの良いことではないが、私は食べながら、高山課長に美香の件を説明し続けていた。
「これは、かなり深刻ね。お友達もだけど、中野さんも大変だったわね」
「いえ……、私は」
「ううん……。契約とか、法律とかが絡むことは、馴れない人にとってはとても負担なのは分るわ」
「……、……」
「私も、離婚するときは大変だったし……」
「……、……」
そうだった……。
高山課長は、離婚経験者だった。
離婚以降、ずっと独りで子供を育て、今、息子さんは高校生になっている。
「まず、投資のことだけど……」
「はい……」
「私も専門家ではないので確たることは言えないわ。でも、確かに変よ」
「……、……」
「資本金と言うのは、ある意味、会社の信用を金額で表したものだわ。どれだけ会社に資本力があるかと言うことですものね」
「……、……」
「だから、3000万円の資本金の企業には、それ相応の事業の形がありますし、いくら優秀な事業案だとしても、資本金の何十倍ものお金がホイホイ集まるわけはないもの」
「やはり……」
「そうね、これは危険だわ。お友達が危ないと、私も思うわ」
ああ、さすがに高山課長だ。
話をしたら、すぐに私の意図に気がついてくれた。
「ただ、中野さんが本当に心配しているのは、そこではないわね」
「ええ……」
「お友達の彼氏を告発するような形になることが、果たしてお友達の望んだ結果かが心配なんでしょう?」
「はい……」
「場合によっては、お友達の恨みを買う結末になるかもしれないわね」
「……、……」
高山課長はここまで話し、一度区切ると、そば湯をすすった。
「これは、あくまでも私の個人的な意見だけど……」
「……、……」
「お友達は、その彼氏と別れた方が良いわ」
「……、……」
「もし、今回の件に彼氏が関わっていなくて、被害者だったとしても、そんな危なっかしい話にホイホイ乗ってしまう人と、大事なお友達が、末永く良い関係を築けると思う?」
「……、……」
「申し訳ないけど、その彼氏は、どちらにしても結婚を考える相手としては不適格だわ」
「そうですか……」
高山課長の口からは、かなり辛辣な言葉が述べられた。
しかし、私も同感だった。
そう……、決して、藤田は美香のためにはならない。
最初に見た時から、私はそう思っていたのだ。
「ただね……」
「……、……」
「中野さんも辛い想いをするわ……、間違いなく」
「ええ……」
「彼氏の人格はどうあれ、お友達は好きだから付き合ってるんでしょう?」
「はい」
「だとすれば、きっとあなたとお友達の間はぎくしゃくするわ」
「……、……」
「お友達は、冷静に状況を看られる状態ではないと思うから」
「……、……」
高山課長はそう言うと、私から視線を外した。
そして、一つ大きなため息をついた。
「私もね、別れた旦那と結婚したときに、随分周囲に反対されたわ」
「えっ?」
「両親はもとより、友達にもね」
「……、……」
「でも、それを全部押し切って結婚したの」
「……、……」
「当然、忠告してくれた友達との関係は途絶えたわ」
「そんなことが……」
意外だった。
しっかりした高山課長でも、そんな過去を持っていたなんて……。
「元旦那は、ディープなアイドルオタクだったの。結婚したら……、子供が出来たら……。いつか納まるかと思っていたのだけど、結局、どうにもならなかったわ」
「……、……」
「優しくていい人ではあったのね。でも、お金にルーズで……」
「……、……」
「息子が将来こんな大人になるのだけは嫌で、未練はあったけど別れたわ」
「……、……」
「彼は離婚しないって言い張ったけれど、離婚調停までしてね」
「大変だったんですね」
「ええ……。でも、別れたこと自体にはまったく後悔はないわ」
「……、……」
「ただ、結婚するときに失った友達には、今でも心底悪かったと思っているの」
「……、……」
「せっかく私のために言ってくれていたのに、感情的になって随分酷いことも言ったから」
「……、……」
「うふふ……。私も若かったし、幼かったのね、考え方が……」
「……、……」
そう、寂しそうに笑った高山課長は、いつも通りの優しい目差しであった。
仕事が終わると、私は余計なことは何もせず帰宅した。
美香からの電話を待つためだ。
美香が帰宅するのは、大抵9時近くだ。
今、7時少し前……。
待機するには早すぎるが、少し、思うところがあった。
ほぐし身の鮭と大葉のパスタを手早く作り、8時前にはお風呂にも入った。
髪を乾かしながらパソコンの前に座ると、メールボックスを開けてメールを書く用意をした。
メール作成画面にしたが、私は別にメールを送るつもりはなかった。
何がしたかったかと言うと、私から美香に伝えることを箇条書きにして、書き出しておくつもりだったのだ。
ただ、伝えることは色々と思いついたが、結局、書き出したのは一つだけだった。
「美香を救う」
と……。
「プルッ、プルッ……、プルッ、プルッ……」
8時半過ぎに、着信があった。
美香からだ。
いつもより早いのは、美香も私にどうしても伝えたいことがあるからだろう。
「はい……」
「ごめんね、昨日の今日で……」
「ううん」
「昨日、千秋と別れてから、色々考えたんだけど……」
まずは、美香の気持ちから聞くことにした。
私は、それから自分なりの結論と気持ちを伝えるつもりだ。
「千秋、言ってたよね。あの投資が危ないって」
「うん……」
「私も、家に帰ってからよく考えてみたんだけど、やっぱり怪しいよね」
「……、……」
「だって、あの小川さんって人、取締役になんか見えないもの」
「そうね……」
「痩せてて貧相……。それに、人の上に立つ感じではないと思ったわ」
「……、……」
思いの外、美香は美香なりに、冷静に看ていたようだ。
確かに、小川は勤め人と言う感じはするが、企業でバリバリ指示出しをしている上司の感じではない。
冷静な美香に、私は少しホッとする。
「でも、私、お金は出すわ。あの投資に」
「えっ? どうして……」
「だって、100万円でしょう? 損したって」
「……、……」
「藤田さんの気持ちがそれで少しでも満足するなら、それで良いと思って」
「美香……」
「うん、千秋の言いたいことも分るの。でも、私、結構、貯金もしているから、それくらいだったら良いかな……、って」
「……、……」
到底納得は出来ないが、美香の気持ちは分る気がした。
やはり、藤田を信じたいのだ。
きっと、美香は藤田も怪しいと分っているのだが、自分なりに精一杯の理由を付けて、気持ちを押し通すつもりなのだ。
「ただ、千秋に言われたから、まだ、返事はしていないわ。だから、昨日のまま結論は保留してあるの」
「……、……」
「良いわよね? 私、投資するって返事しちゃっても……」
「……、……」
美香の声は震えていた。
努めて明るい声を出そうとしているのだろうが、不安が震えに出ている。
美香はああ言ったが、100万円が痛くないわけがない。
多分、出そうとしている100万円は、いつか結婚するときのために貯めてきた、結婚資金の一部だろう。
私は、このお金を美香がどんな気持ちで貯めてきたか知っている。
人一倍結婚願望が強い美香の、複雑な気持ちがいっぱい詰まったお金なのだ。
「美香……。良く聞いてね」
「うん……」
「それと、今から私が言うことを聞いて、気分を害したらごめんなさい」
「……、……」
私は気持ちを強く持った。
やはり、私が言うしかない。
それしか美香は救えないのだ。
「昨日、美香と別れてから、私が何処に行ったと思う?」
「……、……。何処?」
「県警本部よ」
「えっ?」
「そう、怪しいと思ったから、警察へ相談しに行ってきたの」
「……、……」
「それで、知的犯罪課の刑事さんと話しをしてきたわ」
「……、……」
「刑事さんは、とても危ない……。投資を止めさせることは出来ないのか? って、言っていたわ」
「そう……」
美香の応えは、かすれるような声だった。
「私は思ったわ。美香に投資を止めさせるには、藤田さんと別れるしかない……、って」
「ち、千秋っ!」
「いいから聞いて……」
「……、……」
「藤田さんも、グルよ。小川さんと」
「そ、そんなっ……」
「だって、おかしいでしょう? 美香や私でも分るような怪しい投資話を、フィナンシャルプランナーって資格まである、プロの投資家が怪しまないなんて……」
「……、……」
「あと、もし、たとえ藤田さんがグルじゃなかったとしても、そんなミスをするプロの投資家と、幸せな結婚が出来るわけがないじゃない!」
「……、……」
スマホの向こうから、美香が鼻をすするような音が漏れる。
美香は、泣いているのだろう。
「ごめんね。酷いことを言って」
「……、……」
「でも、私、後で美香に傷付いてもらいたくないの」
「……、……」
「私も覚悟して言ったわ。だから、絶交されても仕方がないと思ってる」
「ち、千秋……」
美香も私も、言うことは言った。
だが、二人とも、それ以上言葉が続かなかった。
スマホの向こうから、相変わらず美香の鼻をすする音がしている。
私は、何か言葉をかけてあげたくて、必死に探したが、何も浮かんでは来なかった。
どれほど二人で黙っていただろう。
5分……? いえ、10分……?
私は、美香の気持ちを想いながら、ただ、美香の言葉を待った。
「ち、千秋……。聞いてる?」
「うん……」
沈黙を破った美香の声は、明らかに泣き声だった。
「私ね、千秋の言っていることも分るの」
「……、……」
「私も、少しはそうかな……? って」
「……、……」
「でも、信じたいの。藤田さんのこと」
「……、……」
「だから、100万円だけ……、って」
「……、……」
「ねえ……。それって、そんなに悪いこと?」
「美香……」
「私、そんなに間違ってる?」
「……、……」
美香の声は、もう微かにしか聞き取れなかった。
「千秋……。感謝しているわ」
「……、……」
「こういうのって、言う方も辛いわよね」
「……、……」
「私、分ってるわ。千秋が私のために一生懸命悩んでくれたの……」
「……、……」
「でも、すぐに受け入れられないの……、バカだから」
「……、……」
「だから、もう一度考えてみるわ日曜日まで……」
「うん……」
私まで涙が出そうになっていた。
しかし、
「私がしっかりしなきゃ……」
と心の中で念じ、必死に涙をこらえた。
そう、私がしっかりしなければ……。
パソコン画面にポツンと浮かんでいる、
「美香を救う」
と言う文字が、私にはとても、頼りなく寂しげに見えた。
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