碧翼~ぼくのたからもの~

琥珀燦

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 雨が降る。ぼくは真っ赤な傘をさして、アジサイの道を歩いた。前を耳雨が歩いている。それがとても嬉しい。
 レインシューズには小花が散った模様。ウキウキする。
 耳雨が、
「寿司でも食べに行こうか。回る奴」
 と言う。
「いいよ」
とぼくが微笑う。
 レインシューズの金の縁取りが波打つ。タラッタ♪
 レインシューズを汚したくなくて、水溜りを避けて歩く。踊るようなステップで耳雨のブラックウォッチの傘を追う。
 背の高い耳雨の傘の先端が高い位置にある。ぼくはそれを目印に進む。
 ブラックウォッチが振り向いた。
「入るぞ」
いつの間にか寿司のチェーン店の前に来ていた。傘を閉じて店の中に入る。待合室に子連れ客が並んでいる。名前を書き入れ、最後尾に並んだ。
紺色の野球帽を被った子供が振り返る。まん丸い目で耳雨を見ている。耳雨がタコのような口を作って見せたら零れるように笑った。指で影絵のキツネを作って見せたりウサギを作って見せたりした。ウサギをピョンピョンと動かす。声を上げて笑う。そこでやっと母親が「すみません」と恐縮しながら子供を押さえた。
「いえ、俺が坊やと遊んでもらってたんですよ」
と耳雨が笑う。後ろにピンクのリボンのチョンボリをした赤ちゃんがいた。ぼくはその子を顔であやしてみた。ニシャッと笑ってぼくまで嬉しくなった。

番号が呼ばれて席に案内された。二人で三十皿たいらげる。
「デザートの方が多いんじゃないか?」
「ぼく、サーモンとか赤身とかエビとか食べたよ」
 指折り皿を数えてみた。やっぱり耳雨の方が多い。男の子なんだなあと思う。
「玉子は外せないよなあ」
「あと、イクラ」
「プリン体がよくないんだけどなあ」
「食べちゃうよねえ」
「うん、口の中で弾けるのがたまんねえ」
 会計を済ませると、駐車場でしばらく涼んだ。雨が上がって、冷たい風が吹いている。
「もうひと雨来そうだな。かなり激しい奴。ましろ、早く帰ったほうがいい」
「まだ一緒にいたいよ」
「…ユキが帰ってくる予感がするんだ」
「志彦さんって雨男なんだ」
 寂しい気持ちになって、レインシューズの爪先を見た。小花模様が少しだけ励ましてくれる。
「また戻ってきたら連絡くれる?」
「もちろん」
 耳雨がニコッと笑う。
 駅でお別れすると、また、雨が降ってきた。車窓に斜めに水滴がつく。
 寂しい。寂しくてたまらない。
「泣かないで」
 優しい女の人の声がした。出入り口のドアにもたれてうなだれていたぼくは彼女の方を振り向いた。にこにこ笑う女の人が立っていた。
「ましろくん、久しぶり」
「柳センパイ?」
 高校時代の先輩だった。長いストレートの髪と切れ長の目が懐かしい。
「顔色が悪いけど大丈夫?」
「雨が…」
「雨?」
 彼女は車窓の外を眺めた。
「ひどい雨ね」
「雨が、好きなひとを連れてっちゃう」
まあ、と彼女が言った。
「本当に、ヒドイ雨ね」
そう言って冷たい手をぼくのおでこに当てた。
「熱があるわね。うちに寄っていきなさい」
 そうして次の駅でぼくの手を引き電車を降りた。肩を支えられながらタクシーに乗り換え、たぶん5分程度で着いたような気がした。
 柳センパイはアパートで一人暮らしをしていた。しばらく寝かされていたのだけれど、目が覚めると、花の芳香がいっぱいでびっくりした。
「うち、花がすごいしょ。今、フラワーコーディネーターの仕事をしているの」
 ポカリとリンゴの擦り下ろしたのをくれて、体温計を見ている。
「熱が下がらないわね。今日は泊まっていきなさい」
それを聞いて
「す、すみません。スマホの充電をさせていただいていいですか?」
と、慌てて尋ねると
「雨に連れて行かれそうな彼との連絡が気になるんでしょ? いいわよ。心配しないでもう少しゆっくり眠りなさい」
 ぼくは安心して、花の香りの中で眠りについた。センパイは昔と変わらず優しい。

 何かの気配を感じて目を開くと、センパイが唇を重ねていた。飛び起きたぼくに、
「ごめんなさい。あんまり可愛いんでつい以前の癖が」
「…センパイ、変わりませんね」
 そう言いながらぼくが身支度を始めると、
「泊まっていきなさいって言ったでしょ?」
「明日は仕事があるんです」
「ここから行くことはできないの?」
 出来ないわけじゃない、けど。
「それとも貞操の危機を感じた?」
「…そ、そんなことは」
「あったかいうどんをこしらえたの。食べましょう」
「…いただきます」
 せっかくのことなので好意に甘えることにした。葱とカマボコだけのトッピングだが、弱っている胃に優しい。
「雨には大して濡れていないようだったけど、何か食べた?…例えば生ものとか」
「お寿司なら」
「青魚は? サバとか食べなかった」
「…食べました」
「やっぱり。じんましんまでは出なかったから、少し体が疲れていたのね。無理してない?」
 緊張感のある日々をすごしていたことは事実だ。それはとても充実していたけど。
「明日、仕事に出ても大丈夫?」
「ふらつきはなくなりましたから、大丈夫だと思います」
「じゃあ、やはり泊まっていきなさい。何にも手出さないから」
 しれっと言われて頬が熱くなった。この人は本当に昔と変わらないのだろうか。
「ちょっとLINEします」
 うどんを食べ終わって、ぼくはスマホを抱えた。
『電車の中で体調を崩して、偶然会った知り合いのところにいます。今日は泊めてもらいます』
 ほどなく返事があった。
『志彦より
体、大丈夫ですか? 耳雨が早く帰らせたそうですまなかった。僕に変わってしまってごめん。 耳雨が戻ったら連絡させる。 しばらく仕事に没頭していなきゃならないけど』
やっぱり志彦に戻っていたのか。耳雨にはそれが判る様になってきたんだな。
しばらく想いを馳せていると、柳センパイが近寄ってきた。
「それで、その彼とはデキてるの?」
「は?」
顔が真っ赤になって、頭の中も真っ赤になった。熱がぶり返したような気分になった。
「ははーん。図星だな」
 整った顔がニヤニヤと笑う。
「あのましろくんがねー、大人になったものだねえ」
「いろいろあったんです。時間経ってますし。両親も亡くして僕も変わらなきゃならなかったし」
「ふーん」
ラベンダーの部屋着を着たセンパイは畳の部屋で体操座りをしている。ストレートの濡れ髪をうなじの辺りで束ねていて、すっぴんでも高校時代より大人っぽく見える。
ぼくはセンパイのパジャマを借りてベッドに横になった。水色のパジャマは袖と裾が余っている。
「お水、欲しい」
ぼくが言うと、タンブラーいっぱいの、氷を浮かべたのを持ってきてくれた。
「相変わらず水呑みの癖は治ってないのね」
「水呑むと落ち着くんです」
 ぼくが答えると、
「水ばかり呑んでるから、育たないのよ」
センパイはしれっと言った。
「水で中毒になるって彼が言ってた」
 水をがぶがぶ飲みながらぼくが言う。
「いい彼氏ね」
 センパイが言う。
「あなたのことを真剣に考えてくれてるのね」
「そう思います」
「あら、のろけ?」
そう言われて、ぼくはガリガリと氷を噛んだ。
「もう、寝ましょう。明日は何時に起こせばいい?」
「6時半でお願いします」
「OK」
 センパイが目覚まし時計をセットする。
暗闇の中で先輩の声がした。
「また来てちょうだいね」
「はい」
ぼくはそのまま眠りに就いた。
花の香りがしている。ぼくは花の中で夢の中へ旅立っていった。


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