前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可

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第2話 目覚めの朝と温室の花

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 外はまだ雪が降っていた。
 夜明け前の空は淡い青に染まり、窓辺の氷柱がきらめいている。
 暖炉の火は絶やされることなく、赤々と燃えていた。

 ベッドの上で、少年は浅い息をしていた。
 淡い金色の髪が枕に広がり、頬はまだ青白い。
 ダリウスは一晩中その様子を見守っていた。
 医師が雪で足止めを食らい、到着できないという報告を受けてから、彼は暖炉のそばに椅子を置き、時折湯を温めては少年の手を包んだ。

 ――かすかに、指が動いた。
 そのわずかな反応に、彼は小さく息をついた。
 背後で控えていた執事が静かに言った。

「旦那様、どうかお休みを。もう夜明けになってしまいます」

「いや、もうすぐ医師も来る。せめて容態を見届けるまでは。」

 窓の外が白み始めたころ、玄関に馬車の音が響いた。
 医師がようやく到着したのだ。

 しばらくして、医師が聴診器を当てながら言った。

「命に心配はございません。もう目も覚ますでしょう」

 その言葉に、ダリウスはようやく肩の力を抜いた。
 医師は微笑んで続ける。

「しかし低体温による衰弱が少し見られます。しばらく安静に。温かいスープと、休息を」

「分かった。ここで療養させる」

 医師が去った後も、部屋には柔らかな静けさが残った。
 少年の頬に、ほんのりと血色が戻っている。
 その穏やかな寝顔を見ながら、ダリウスは立ち上がった。

 ――この子は、どこから来たのだろう。

 この雪の谷で、あんな薄着のまま、ひとりで。
 考えるほどに、胸の奥に小さな痛みが走った。
 いつの間に起きていたのか、扉からリアムが心配そうに覗いていた。

「パパ、おにいちゃんは……もう大丈夫?」

「リアムか、もう起きたのか」

「だって、おにいちゃんが」

「ああ、そうだな。心配だったな。
 もう大丈夫だから、目を覚ましたとき、お前が最初に声をかけてやりなさい。」

「うん!」

 リアムの笑顔に、ようやく館の空気がやわらかくなる。

 ◇

 朝、雪は少し落ち着き、外の森にうっすらと光が差し込んでいた。
 ミカはまぶしさに目を細め、ゆっくりと瞼を開いた。
 天井の模様も、見慣れぬ暖炉の炎も、すべてが初めて見るものだ。
 身体を動かそうとすると、全身に鈍い痛みが走った。

「……ここは……?」

「目が覚めたのね」

 柔らかい声に振り向くと、年配のメイドが微笑んでいた。

「旦那様があなたを運んでくださったのよ。
 あの吹雪の中で、よく生きておられたわね。」

 ミカはぼんやりと、自分が雪の上で倒れていたことを思い出した。
 冷たい風、白い光、そして――
 あのとき、自分を抱き上げた腕の温かさ。

「……あの方は?」

「旦那様は今、領民との打ち合わせに。
 お身体の具合はいかがですか?」

「だいぶ……楽になりました。ありがとうございます」

 メイドが微笑んだ。

「あとで温かいスープを持ってきますね。リアム坊ちゃまも、ずっとあなたのことを心配していましたよ」

 メイドが部屋を出ると、
 窓の外から、かすかな鳥の声が聞こえた。
 ミカは胸の奥に、じんわりとした温もりを感じた。
 こんな静かな朝の光を、前世でも見たことがあったような気がする。
 ――教室の窓辺、春の陽射し。
 その記憶が胸の奥で溶けていく。

 ◇

 昼前、リアムが勢いよく部屋に飛び込んできた。

「おにいちゃん! 起きたの? よかった~!」

「リアムくん?……ありがとう。助けてくれたんだよね」

「うん。ぼくが見つけたんだよ! ジェスがすぐにパパ呼びに行って、
 パパが抱っこして帰ってきたんだ!もう大丈夫?」

「ありがとう、君のお陰で元気になったよ」

 リアムはキラキラと誇らしげにする。
 そのお様子にミカは思わず笑みをこぼした。
 自分の命が、この小さな子と、その父親に繋がれている。
 不思議な安心感が、胸の奥に広がっていった。

「ねえ、おにいちゃん、歩ける? あのね、ちょっと見せたいところがあるんだ」

 リアムが手を伸ばす。

「……うん、少しだけなら」

 支えられながら歩き、廊下を進む。
 館の中は広くのに、どこか家庭的だった。
 壁には古い絵画、棚には陶器の花瓶。
 どこを歩いても、紅茶や薪の優しい香りが漂っていた。

 リアムが開けた先は、ガラス張りの小さな温室だった。
 冬の最中にも関わらず、花々が咲いている。
 白いカモミール、淡い紫のベルフラワー。
 窓から差す光を受けて、花弁がきらきらと輝いていた。

「わあ……きれい……」

 ミカが息をのむ。

「ママがね、ここを作ったんだって」

「リアムくんの……お母さん?」

「うん。ぼくが小さいころに病気でいなくなっちゃったけど、
 パパ、毎朝ここに来てるの。お花に、おはようって言うんだ」

 その言葉に、ミカは胸が熱くなった。
 この館の“静けさ”の理由を、少しだけ理解した気がする。
 花の香りがやわらかく漂い、
 かすかに陽が射し込むその中で、リアムは無邪気に笑った。

「おにいちゃんもお花好き? ママみたいに育てていいよ!」

「……うん。ありがとう。こんなきれいな場所、初めて見た。」

 ミカは膝をつき、花弁にそっと触れた。
 ひんやりとしているのに、不思議と心が落ち着く。
 まるでここだけが、冬に取り残された春のようだった。

 背後から、低い声がした。

「もう歩いて大丈夫なのか?」

 振り向くと、ダリウスが立っていた。
 黒い外套の裾に、外の雪がまだ残っている。
 その瞳に浮かぶ光は、昨夜よりも柔らかかった。

「……お世話になって、本当にありがとうございます。」

 ミカが頭を下げる。

「礼は要らん。お前を見つけたのは、息子だ」

 そう言いながらも、ダリウスの視線は彼の顔から離れない。
 昨日までの蒼白が嘘のように、光を取り戻した頬。
 その奥に、言葉にできない影が見えた。

「名前は?」

「……ミカといいます。」

「……そうか。出身は?」

「北の村です。……でも、あまり覚えていません」

 嘘ではなかった。
 思い出そうとすればするほど、胸の奥で別の記憶――
 “黒板”“子どもたちの笑顔”――が蘇る。

 ダリウスはしばらく黙っていたが、やがて短く頷いた。

「しばらくここで休むといい。食事と寝床は用意させる。」

「そんな……ご迷惑は……」

「礼の言葉より、まず体を戻せ」

 その言葉は厳しく聞こえるのに、
 なぜだか胸の奥に、温かいものが広がった。
 彼の言葉は、命令というより“居場所を与える声”のように感じた。
 ミカは深く頭を下げた。

「……ありがとうございます。あの……お花、とてもきれいですね」

 ダリウスがわずかに目を細めた。

「亡き妻が世話をしていた。あれが好きだった。
 ……お前も気に入ったなら、時々来るといい」

 沈黙ののち、彼は静かに背を向けた。
 その背中を見送りながら、ミカは胸の中でつぶやいた。

 こんなにも冷たい世界なのに、
 どうしてこの人の言葉は、こんなにあたたかいんだろう。

 窓の外では、雪がやみ、初めての光が谷を照らしていた。
 白銀の世界の中、ミカの心にも、ほんの少しの春が差し込んでいた。
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