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第4話 小さな教室
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昼下がりの光が、窓辺の白いカーテンを透かして揺れていた。
外では雪解けの滴がぽたり、ぽたりと落ちている。
長い冬が少しずつ終わろうとしていた。
ミカは暖炉のある広間の一角に小さな机を置き、紙と羽ペンを並べていた。
向かいの椅子にはリアムが座り、期待に満ちた顔で彼を見上げている。
「じゃあ、今日は文字をの読みと書く練習してみようか。」
「練習?」
「うん、そう。文字を覚えるには練習が大事なんだよ。さぁ、やってみよう」
ミカが優しく手を添える。
リアムの小さな手が羽ペンを握り、紙の上に線を引く。
ペン先がかすかに震え、インクの跡がゆらりと曲がった。
「あ……!」
「大丈夫。初めてはみんなそうなるよ。見て、ここを少しゆっくり動かすと――」
ミカの指がリアムの手を包むように動き、二人の手が紙の上でゆっくりと円を描いた。
その瞬間、リアムの顔に小さな笑みが浮かぶ。
「できた!」
「うん、上手。とてもきれいに書けたね」
ミカが微笑むと、リアムは誇らしげに胸を張った。
その笑顔を見て、ミカの胸の奥にも温かな光が灯る。
“教える”という感覚。
前の世界で毎日当たり前にしていたことが、こんなにも心を満たすものだったのかと、今さらのように思った。
ふと、廊下の影から誰かの視線を感じた。
振り向くと、そこに立っていたのはダリウスだった。
黒い上着の襟元をゆるめ、腕を組んで静かにこちらを見ている。
「あ……旦那様」
「続けろ。邪魔するつもりはない」
ミカは少し緊張しながらも、授業を再開した。
リアムが文字を覚えるたびに嬉しそうに声を上げ、そのたびにミカの笑顔がやわらかくほどけていく。
――その笑顔に、ダリウスは息を呑んだ。
彼がこんなふうに笑うのを、初めて見た。
ただ静かに微笑むだけなのに、その表情が部屋全体の空気を変えていく。
暖炉の火が一段と明るくなったように見えた。
くるっとリアムがペンを握りしめたまま、振り返った。
「パパ、見て! 文字書けたよ!」
ダリウスは歩み寄り、紙を覗き込む。
「……おお、立派な字だな」
「ミカ先生が教えてくれたんだ!」
リアムが嬉しそうに言うと、ミカは少し頬を赤らめた。
「リアムくんの覚えるのが早いだけですよ。
僕はちょっと手伝っただけです」
謙遜する声がやさしく響き、その声を聞くだけで心の緊張がほどけていくようだった。
ダリウスはふと、自分の表情が緩んでいることに気づく。
それを悟られぬよう、わざと咳払いをした。
「……二人とも、よくやった。
この後、厨房で焼き菓子を出させよう」
「やったー!」とリアムが跳ねる。
ミカが笑い、頷いた。
――その笑みが、まぶしくて仕方なかった。
ダリウスは心の奥で静かに呟く。
どうして、こんなにも目が離せないのだろう。
この青年はどこか儚げで、それでいて人を惹きつける光を持っている。
気づけば、仕事の報告に来た執事が声をかけても、彼の返事は上の空だった。
ミカがリアムの髪を撫で、「今日もよく頑張ったね」と穏やかに褒める。
その言葉にリアムが照れたように笑い、
ダリウスの胸の奥で、知らぬ感情が小さく波打った。
それは憧れでも、守るべき対象への慈しみでもない。
もっと個人的で、理屈のないものだった。
◇
授業が終わるころ、暖炉の火が少し弱くなっていた。
ミカは立ち上がり、薪を足そうとした。
「いや、俺がやろう」
ダリウスが手を伸ばす。
「いいえ、身体を動かしたほうが回復にいいって医師がおっしゃっていたので」
そう言ってミカは、しゃがみ込んで火を整えた。
細い指先が慎重に薪を組み替え、火がふわりと舞い上がる。
炎が彼の横顔を照らし出す。
頬の線、まつ毛の影、指先の動き。
その一つ一つが、静かに光を纏っているようだった。
「……器用だな。」
ダリウスの低い声に、ミカが振り向いた。
「昔、こういうことをよくしていたんです。
生徒たちとキャンプをして、火を囲んで話をしたり……」
「“キャンプ”?」
ミカは一瞬はっとして、視線を落とした。
「あ、いえ……前の世界で森の中で子供たちと過ごすことがあったんです。
僕が教えていた生徒と火を囲んで、色んな話をしたことを思い出します」
その言葉に、ダリウスは静かに頷いた。
不思議と違和感はなかった。
この青年が人に何かを教える姿はとても自然だった。
「リアムが、お前を先生と呼びたがる理由が分かる気がする」
「え?」
「人に教えるときのお前の顔は……まるで太陽のようだ」
思わぬ言葉に、ミカの頬が赤く染まる。
「そ、そんな……僕なんて」
「謙遜は美徳だが、過ぎればもったいない」
わずかに笑ったその表情を見て、ミカの心臓がどきりと鳴った。
――この人は、いつも無表情なのに、
笑うと、どうしてこんなにもやさしく見えるんだろう。
沈黙が落ちた。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、
二人の間に、言葉にできない静けさが広がる。
その静けさを破ったのは、リアムのあくびだった。
「パパ、ミカ先生、ぼく、ねむい……」
ミカが笑いながら彼を抱き上げる。
「今日はたくさん頑張ったもんね」
「ミカも、ねむい?」
「少しだけ」
ダリウスが立ち上がり、二人を見つめた。
「もう部屋へ行け。あとは使用人に任せろ」
「うん。おやすみなさい、パパ!」
「おやすみ」
眠そうなリアムをミカが抱え、廊下へ向かう。
ダリウスはドアを開けてやる。
ミカはリアムを大事そうに抱えながら、ふとダリウスを見上げ、微笑んだ。
「今日もありがとうございました」
「礼など要らない」
ダリウスはゆっくりと首を振った。
「……お前がここに来てから、この館が少しだけ明るくなった」
その言葉が、夜の静けさに溶けていった。
ミカは一瞬だけ目を見開き、やがて微笑んで「本当にそうだったら、とても嬉しいです」と答えた。
彼が去ったあとも、ダリウスはしばらく暖炉の火を見つめていた。
赤く揺れる炎の奥に浮かぶのは、あの穏やかに笑う青年の顔。
――どうしてこんなにも、目が離せないのだろう。
心の奥で、静かな雪解けの音がした。
外では雪解けの滴がぽたり、ぽたりと落ちている。
長い冬が少しずつ終わろうとしていた。
ミカは暖炉のある広間の一角に小さな机を置き、紙と羽ペンを並べていた。
向かいの椅子にはリアムが座り、期待に満ちた顔で彼を見上げている。
「じゃあ、今日は文字をの読みと書く練習してみようか。」
「練習?」
「うん、そう。文字を覚えるには練習が大事なんだよ。さぁ、やってみよう」
ミカが優しく手を添える。
リアムの小さな手が羽ペンを握り、紙の上に線を引く。
ペン先がかすかに震え、インクの跡がゆらりと曲がった。
「あ……!」
「大丈夫。初めてはみんなそうなるよ。見て、ここを少しゆっくり動かすと――」
ミカの指がリアムの手を包むように動き、二人の手が紙の上でゆっくりと円を描いた。
その瞬間、リアムの顔に小さな笑みが浮かぶ。
「できた!」
「うん、上手。とてもきれいに書けたね」
ミカが微笑むと、リアムは誇らしげに胸を張った。
その笑顔を見て、ミカの胸の奥にも温かな光が灯る。
“教える”という感覚。
前の世界で毎日当たり前にしていたことが、こんなにも心を満たすものだったのかと、今さらのように思った。
ふと、廊下の影から誰かの視線を感じた。
振り向くと、そこに立っていたのはダリウスだった。
黒い上着の襟元をゆるめ、腕を組んで静かにこちらを見ている。
「あ……旦那様」
「続けろ。邪魔するつもりはない」
ミカは少し緊張しながらも、授業を再開した。
リアムが文字を覚えるたびに嬉しそうに声を上げ、そのたびにミカの笑顔がやわらかくほどけていく。
――その笑顔に、ダリウスは息を呑んだ。
彼がこんなふうに笑うのを、初めて見た。
ただ静かに微笑むだけなのに、その表情が部屋全体の空気を変えていく。
暖炉の火が一段と明るくなったように見えた。
くるっとリアムがペンを握りしめたまま、振り返った。
「パパ、見て! 文字書けたよ!」
ダリウスは歩み寄り、紙を覗き込む。
「……おお、立派な字だな」
「ミカ先生が教えてくれたんだ!」
リアムが嬉しそうに言うと、ミカは少し頬を赤らめた。
「リアムくんの覚えるのが早いだけですよ。
僕はちょっと手伝っただけです」
謙遜する声がやさしく響き、その声を聞くだけで心の緊張がほどけていくようだった。
ダリウスはふと、自分の表情が緩んでいることに気づく。
それを悟られぬよう、わざと咳払いをした。
「……二人とも、よくやった。
この後、厨房で焼き菓子を出させよう」
「やったー!」とリアムが跳ねる。
ミカが笑い、頷いた。
――その笑みが、まぶしくて仕方なかった。
ダリウスは心の奥で静かに呟く。
どうして、こんなにも目が離せないのだろう。
この青年はどこか儚げで、それでいて人を惹きつける光を持っている。
気づけば、仕事の報告に来た執事が声をかけても、彼の返事は上の空だった。
ミカがリアムの髪を撫で、「今日もよく頑張ったね」と穏やかに褒める。
その言葉にリアムが照れたように笑い、
ダリウスの胸の奥で、知らぬ感情が小さく波打った。
それは憧れでも、守るべき対象への慈しみでもない。
もっと個人的で、理屈のないものだった。
◇
授業が終わるころ、暖炉の火が少し弱くなっていた。
ミカは立ち上がり、薪を足そうとした。
「いや、俺がやろう」
ダリウスが手を伸ばす。
「いいえ、身体を動かしたほうが回復にいいって医師がおっしゃっていたので」
そう言ってミカは、しゃがみ込んで火を整えた。
細い指先が慎重に薪を組み替え、火がふわりと舞い上がる。
炎が彼の横顔を照らし出す。
頬の線、まつ毛の影、指先の動き。
その一つ一つが、静かに光を纏っているようだった。
「……器用だな。」
ダリウスの低い声に、ミカが振り向いた。
「昔、こういうことをよくしていたんです。
生徒たちとキャンプをして、火を囲んで話をしたり……」
「“キャンプ”?」
ミカは一瞬はっとして、視線を落とした。
「あ、いえ……前の世界で森の中で子供たちと過ごすことがあったんです。
僕が教えていた生徒と火を囲んで、色んな話をしたことを思い出します」
その言葉に、ダリウスは静かに頷いた。
不思議と違和感はなかった。
この青年が人に何かを教える姿はとても自然だった。
「リアムが、お前を先生と呼びたがる理由が分かる気がする」
「え?」
「人に教えるときのお前の顔は……まるで太陽のようだ」
思わぬ言葉に、ミカの頬が赤く染まる。
「そ、そんな……僕なんて」
「謙遜は美徳だが、過ぎればもったいない」
わずかに笑ったその表情を見て、ミカの心臓がどきりと鳴った。
――この人は、いつも無表情なのに、
笑うと、どうしてこんなにもやさしく見えるんだろう。
沈黙が落ちた。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、
二人の間に、言葉にできない静けさが広がる。
その静けさを破ったのは、リアムのあくびだった。
「パパ、ミカ先生、ぼく、ねむい……」
ミカが笑いながら彼を抱き上げる。
「今日はたくさん頑張ったもんね」
「ミカも、ねむい?」
「少しだけ」
ダリウスが立ち上がり、二人を見つめた。
「もう部屋へ行け。あとは使用人に任せろ」
「うん。おやすみなさい、パパ!」
「おやすみ」
眠そうなリアムをミカが抱え、廊下へ向かう。
ダリウスはドアを開けてやる。
ミカはリアムを大事そうに抱えながら、ふとダリウスを見上げ、微笑んだ。
「今日もありがとうございました」
「礼など要らない」
ダリウスはゆっくりと首を振った。
「……お前がここに来てから、この館が少しだけ明るくなった」
その言葉が、夜の静けさに溶けていった。
ミカは一瞬だけ目を見開き、やがて微笑んで「本当にそうだったら、とても嬉しいです」と答えた。
彼が去ったあとも、ダリウスはしばらく暖炉の火を見つめていた。
赤く揺れる炎の奥に浮かぶのは、あの穏やかに笑う青年の顔。
――どうしてこんなにも、目が離せないのだろう。
心の奥で、静かな雪解けの音がした。
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