前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可

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第5話 雪の午後

 その日、館の庭は一面真っ白だった。
 陽射しがやわらかく、風も穏やか。
 エルデンの谷ではめずらしい“雪遊び日和”だった。

「ミカ先生、見て! こんなに雪、ふわふわだよ!」

 リアムが庭の雪を両手で掬い、きらきらした瞳で笑った。
 その傍らで、ミカは厚手の外套の袖をまくりながら微笑む。

「ほんとだね。ほら、手のひらで丸めてごらん。」

「こう?」

「そうそう。少し力を入れて……ほら、転がしていくとどんどん大きくなるよ」

 ジェスが少し離れた場所で見守っていた。

「ミカ様、風が冷たいです。無理をなさらず……」

「大丈夫です。これくらいなら平気です。」

 ミカは笑い、雪の上にしゃがみ込んだ。
 指先に冷たさが染みてくるが、それさえも楽しかった。

「そうだ、リアムくん、雪だるま、作ろう!」

「雪だるま?」

「そう、雪だるま。この丸めた雪を重ねて、上に乗せたほうにお顔を作るんだよ」

「わかった!ミカ先生、僕のほうが小さい!」

「じゃあそれを頭にしよう。雪だるまの“顔”はリアムくんが作ってみて」

 二人の笑い声が、白い庭に響く。
 枝で手をつけ、炭で目を描き、最後にマフラーを巻いた。

「できた!」

 リアムが嬉しそうに叫ぶ。
「……いいね」ミカは満足げに頷いた。

「リアムくん、名前!名前、つけようか」

「うーん……“ユキまる”!」

「可愛い名前だね」

 ジェスが呆れたように笑う。

「坊ちゃまもミカ様も、すっかり子どもに戻っておられる。」

「だって、楽しいんだもん!」とリアムが胸を張る。

 そのとき、ミカがくしゃみをした。

「……っ、へくしゅん!」

 リアムが慌てて駆け寄る。

「ミカ先生、大丈夫?」

「ちょっと冷えたかな。でも平気、ほら、もう一つ――」

 笑いながら雪を丸めるその姿は、まるで陽の光のようだった。
 ジェスは心配そうに眉を寄せつつも、その光景を壊すのが惜しくて言葉を飲み込んだ。

 ◇

 夜、雪は再び降り始め、館の外は静寂に包まれていた。
 暖炉の火が赤く揺れ、廊下を歩くダリウスの足音だけが響く。
 執事が駆け寄ってきた。

「旦那様、ミカ様のお具合が少し……」

 ダリウスは眉をひそめた。

「どうした?」

「昼に外で雪遊びをされたようで、先ほどから熱が出ております」

 説明を聞くより先に、ダリウスは客間の扉を開いた。
 ベッドの上で、ミカが額に冷たい布を当てられて横になっていた。
 顔が赤く、息が浅い。

「……申し訳ありません……」

 かすかな声。

「リアムくんが、せっかく外に出たがっていたので……つい、はしゃいでしまって……」

「言い訳はいらん」

 冷たいようでいて、声はどこか震えていた。
 ダリウスはそっとミカの額に手を当てる。
 熱い。驚くほどの熱だ。

「ジェス、水を。冷たい布も替えろ」

「は、はい!」

 指示を飛ばしながらも、ダリウスはミカの手を包んでいた。
 その手は細くて、驚くほど軽い。
 冷たくなった指先を自分の掌で温める。

「……無理をしすぎたな」

「ごめんなさい……僕、平気だと思って……」

「この土地の寒さを甘く見るな」

 思わずきつい言葉になった。
 そのあとすぐ、ダリウスは小さく息を吐いた。

「……怒っているわけじゃない。ただ、心配した」

 ミカのまつげが震え、かすかに笑みが浮かぶ。

「……心配、してくださるんですか?」

「当然だ」

 短い答えが、やけに胸に沁みた。

 ジェスが水を持ってくる。
 ダリウスは受け取り、自ら布を絞った。
 そっと額に当てる。
 冷たい水が皮膚を滑り、ミカが小さく息を吐く。

「楽か?」

「……はい」

 それきり、しばらく言葉がなかった。
 暖炉の火がゆらめき、静かな時間が流れる。
 その音が、どこか遠い世界の鼓動のように聞こえた。

「リアムは?」

「もう眠りました。……僕、怒られちゃうかな」

「怒る理由はない。息子が笑っていた。それだけで充分だ」

 ミカは安堵の息を洩らした。
 頬に残る熱が、今は少し心地よかった。

「……旦那様」

「なんだ」

「僕、この館に来てから、たくさん笑えるようになりました。
 今日みたいに、リアムくんと遊んで、笑って……
 前の世界でも、こんな時間が一番好きだったんです」

 ダリウスの胸の奥が静かに揺れる。
 この青年は、どれほどの孤独を越えてここに来たのだろう。

「……お前が笑うと、リアムも笑う。
 館が……あたたかくなる気がする」

 ミカは目を細めて彼を見上げた。

「それって……僕、まだここにいてもいいってことですか?」

「当然だ」

 短い言葉。けれど、それは何よりも強い肯定だった。
 ミカの目にうっすらと涙が浮かんだ。

「……ありがとうございます」

 ダリウスは再び布を替え、髪をそっと撫でた。
 淡い金色の髪が指に触れ、さらりと滑る。
 それだけのことなのに、胸の奥がじんわりと熱くなっていく。

「寝ろ。明日も熱が下がらなければ、リアムが心配する」

「はい……」

 ミカが静かに目を閉じる。
 その寝顔を見つめながら、ダリウスは夜の長さを初めて惜しいと思った。
 ミカがここにいるだけで、館の空気がやわらぐ。
 息子が笑い、自分の心までほどけていく。

 ――これ以上、距離を詰めてはいけない。
 そう思うのに、目が離せなかった。

 火の粉が小さく弾けた。
 静かな夜の中、ダリウスは眠るミカの手をもう一度、そっと握りしめた。
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