午前2時、 コンビニの灯りの下で

結衣可

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第2話 毎週金曜の男

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 翌週金曜の夜、芹沢智也はまた、あのコンビニの前に立っていた。
 理由は自分でもよくわからない。
 仕事が終わって帰宅する途中、気づけばこの道を選んでいる。
 他にも近い店はあるのに、どうしてここなのか。

 店の白い灯りが見えると、胸の奥が少しだけざわつく。
 それが何なのか、智也自身もまだ言葉にできなかった。

 自動ドアが開く。
 ピン、と小さな音。
 コーヒーの香りがまた鼻先をくすぐる。

「いらっしゃいませ」

 あの声だ。
 前回と同じ、少し低くて柔らかい声。
 カウンターの向こうで、成瀬 海が微笑んでいる。

 智也は一瞬、立ち止まった。
 何かを言いかけてやめたような顔で、ゆっくり頷く。

 店内の照明が、海の髪を淡く照らしている。
 夜の蛍光灯が、まるで月明かりみたいに見えた。

 智也はカゴを手に取り、前回と同じルートで歩く。
 パンの棚、飲み物コーナー、ホットスナックの前──。
 何を買うか考えているようで、実際には決まっている。
 コーヒー、サンドイッチ、ミントのガム。

 自分でも不思議だった。
 毎週同じものを選ぶなんて、飽きてもいい頃だ。
 けれど、買うものよりも“買う行為”そのものが目的になっていた。
 この場所に来ることが、なぜか安心をくれる。

 レジへ向かうと、海がいつも通りの微笑を浮かべる。
 そして、ふと口にした。

「今日も、ありがとうございます」

 ほんの一言。
 けれど、それは接客の言葉というより、
 “あなたが今日もここに来てくれたことが嬉しい”という響きを持っていた。
 智也はわずかに息を飲む。
 胸の奥で何かが小さく動くのを感じた。

「……いえ、こちらこそ」

 そう答えながら、なぜか目を逸らせなかった。
 海はゆっくりと袋を詰め、いつもより少し長く智也を見つめる。
 相手が気づかない程度の短い時間だったが、その目の奥には確かな好奇心があった。

 ──この人は、どんな生活をしているんだろう。

 最初に見たときから思っていた。
 スーツ姿なのに、どこか疲れたような目。
 声も静かで、無理をして笑うことがない。
 この時間帯の客としては珍しく、穏やかな空気をまとっている。

 けれどその穏やかさは、平穏ではなく“抑えた静けさ”のようにも見えた。
 海は無意識に、彼のことをもっと知りたいと思っていた。

 智也が商品を受け取り、会釈をして出ていく。
 その背中を見送りながら、海は胸の奥が少し温かくなるのを感じた。

 客が去った後のコンビニは、またいつもの静寂に戻る。
 冷蔵庫のモーター音と、レジの電子音だけが響く。
 けれど今夜の静けさは、どこかやさしい。
 “また来てくれるかもしれない”という期待が、ほんの少しだけ灯っていた。

***

 帰り道、智也は手にしたコーヒー缶を握りしめていた。
 指先にまだぬくもりが残っている。
 たかが店員の言葉なのに、心が妙に落ち着いていた。
 彼の声には、不思議な安心感があった。
 まるで、自分の内側を見透かしているような優しさ。
 誰にでも平等に向ける笑顔なのだとわかっていても、今夜は自分だけに向けられたように感じてしまう。

 自嘲するように笑って、歩みを進める。
 こんな自分が情けないと思う反面、久しぶりに“誰かを思い出す時間”を持てたことが、少しだけ嬉しかった。

 部屋に戻ると、蛍光灯の白さがやけに冷たい。
 靴を脱いで、コーヒーをテーブルに置く。
 飲み干す前に気づいた。
 店を出てから、もう何度もあの店員の声が頭の中を反芻していた。

 ──「今日も、ありがとうございます。」

 たったそれだけの言葉で、世界の温度が少し変わるなんて。
 それほど自分は渇いていたのかもしれない。

 智也はソファに体を預け、目を閉じた。
 ふと、海の笑顔が思い浮かぶ。
 静かで、柔らかくて、まるで灯りみたいな笑み。

 胸の奥がじんわりと温かくなり、
 久しぶりに、呼吸がゆっくりと落ち着いていくのを感じた。

***

 翌週の金曜、時計の針が夜中の一時を回った頃、成瀬海はレジの整理をしながら、ふとガラスの外を見た。
 冷たい雨が降っている。
 傘をさす人もいない静かな夜。
 でも、無意識に視線が入口へと向かう。

(……来るだろうか)

 客が少ないこの時間帯、顔を覚えている常連は数人しかいない。
 その中でも、週に一度、金曜の深夜に現れるあの人──。
 無表情なのに、どこか壊れそうな危うい目をしている人。

 海は知らず知らずのうちに、その時間を待つようになっていた。
 理由を考えてもわからない。
 ただ、来店音が鳴るたびに胸が小さく跳ねる。

 そして2時を少し過ぎたころ、ドアのベルが鳴った。

 濡れた髪に水滴を落としながら、智也が入ってくる。
 少し肩をすくめて、周囲を見渡す仕草。
 目が合うと、智也がかすかに笑った。

「こんばんは」

 その一言に、海の胸が熱くなる。
 心臓の音が、店の静けさの中でやけに大きく響く気がした。

「こんばんは。雨、大丈夫でしたか?」

「ええ、まあ……少し歩いたので濡れてしまいました」

 智也は、いつも通りコーヒーとサンドイッチを手に取る。
 その動作に、どこか“儀式”のような安心感が宿っている。

 レジでの会話は、ほんの数秒。
 その短い時間の中で、互いにとっての“一週間”が静かに交わされていた。
 海は袋を差し出しながら、言葉を選ぶようにして口を開く。

「……今日も来てくれて、ありがとうございます。」

 一瞬の沈黙。
 智也は驚いたように目を見開き、それからほんの少し微笑んだ。

「こちらこそ。……なんだか、落ち着くんです。ここ。」

 その言葉を聞いた瞬間、海の胸の奥で何かがふわりと広がった。
 仕事としてではなく、ひとりの人として“繋がった”気がした。

 智也が店を出たあと、外の雨は少し弱まっていた。
 街は相変わらず眠っている。
 海の心の中には、ほんのり灯りが点いていた。

 いつもと同じ金曜の夜。
 でも、どこか違う。
 次の金曜が、少しだけ待ち遠しいと思えた。

 コンビニの灯りは、夜の静けさの中で変わらず輝いている。
 それはきっと、彼のためにも、そして自分のためにも灯る光。

 その日から、海にとって“午前2時”は特別な時間になった。
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