午前2時、 コンビニの灯りの下で

結衣可

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第9話 午前2時の告白

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 移動の前夜。
 明日からは3駅先の支社勤務になる。
 ほんの15分の距離なのに、妙に遠く感じる。
 “いつも通り金曜の午前2時に、あのコンビニへ行く”――それだけの習慣が、もう続けられないと思うと、胸の奥がざらつく。
 手は止まったまま、目だけが時計を追っていた。
 午前1時28分。
 この時間になると、無意識に外の灯りを探してしまう。

 窓を開けると、夜風がカーテンを揺らした。
 街のネオンがカーテンの隙間から見える。
 少し離れた場所で、白い光が揺れている気がした。
 あのコンビニの灯りと同じ色。
 それだけで胸が詰まった。

 ――行こう。

 白い灯り。
 蛍光灯の下で微笑む成瀬の姿が、浮かんでは消える。
 もう会わないほうがいい。
 そう思ってきたのに、体が勝手に動く。

 気づけば、靴を履いていた。
 冷たい夜の空気が、肌を撫でる。
 金曜でもない。
 でも――どうしても、あの光の下に行きたかった。

 歩き慣れた道を、ほとんど無意識に辿る。
 静まり返った街。
 車の音も、風の音も、まるで遠い。
 歩道に人影はなく、信号の青がやけに長く感じた。
 コンビニの白い灯りが見えた瞬間、胸が熱くなった。

 ドアベルが鳴る。
 冷たい夜気から一歩踏み入れた瞬間、いつもの匂いに包まれる。
 中にいた海が、驚いたように顔を上げた。
 目が合う。
 海の表情がふっと緩んだ。

「智也さん……」

 その声を聞いただけで、涙がこみ上げそうになる。
 言葉を出す前に、喉の奥が震えた。

「こんばんは。……今日、金曜じゃないのに」

 海が微笑む。
 それがあまりに優しくて、痛かった。

「……行かなきゃと思ったんです。どうしても」

 言いながら、自分でも理由がわからなかった。
 ただ、会わずに明日を迎えることが、どうしてもできなかった。

 海は静かに頷いた。

 「少し待っててください」

 バックヤードに下がり、すぐに戻ってくる。

 「外、行きましょう」

 二人で店の前に出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。
 店の灯りが背中を照らす中、二人は並んで立った。
 道路を挟んだ向かいのマンションの灯りがちらちらと瞬いている。
 街灯の下、海の横顔が白く浮かぶ。

「移動、明日なんですよね」

「はい」

「……そっか」

 短い相槌。
 それだけで、胸が詰まる。
 しばらく沈黙が落ちた。
 通り過ぎる車のライトが、足元の水たまりを照らしていく。
 智也は、口を開いた。

「……あの夜のこと、夢じゃないですよね」

 海が目を瞬かせる。
 その瞳の奥に、灯りが映って揺れた。

「眠れなくて、倒れた夜。
 あなたが抱きしめてくれたあの夜。
 あれは、僕が勝手に夢みたいに覚えてるだけなんでしょうか」

 言葉の途中で、喉が詰まった。
 涙が滲む。

「あなたに会うたびに、あの夜が蘇るんです。
 伝えたいことがあるのに、どう言えばいいのかわからなくて……」

 声が震えた。
 息を吸うたびに喉の奥が痛む。
 言葉にしてしまえば壊れてしまうかもしれないのに、止められなかった。

「……違います。夢じゃ、ないです」

 海の声は低く、静かだった。
 彼が一歩近づく。
 距離が消える。

「でも僕は、あなたを眠らせたくて、触れたんじゃありません」

 智也の目が見開かれる。
 夜の静けさが、まるで時間を止めたようだった。

「あなたが苦しそうで、自分にはどうしようもなくて。
 でも、それを隠そうとする顔が、放っておけなかったんです。
 ……声をかけるだけじゃ、足りなくて。僕が智也さんを安心させられたらと、触れたくなってしまった。
 だから――あのとき、どうしても、僕があなたを抱きしめたかったんです」

 言葉の端が、震えていた。
 抑えていた感情が、ようやく零れるように。

 智也の目から、涙が落ちた。

 「……どうして、そんな優しいこと言うんですか」

 「優しいなんて思ってません」

 「じゃあ、なんで……?」

 「好きだからです、あなたを」

 静かな声。
 だけど、夜の空気を確かに震わせた。

 智也の喉が詰まる。
 涙が、次から次へと溢れる。
 止めようとしても、止まらなかった。

「僕……、どう言えばいいのかわからなくて……」

「大丈夫です」

 海が、そっと彼を抱き寄せた。
 体がふっと軽くなる。
 腕の中に収まる感覚。
 あの夜と同じ。
 でも、もう“慰め”ではなく、“想い”として抱かれている。

 額に触れる唇。
 その温かさが、涙の熱と混ざり合う。

「大丈夫です。泣いてもいいですよ」

「……っ」

 智也は、声を押し殺して泣いた。
 胸の奥に積もっていた孤独が、音を立てて崩れていく。
 海は何も言わずに、ただ背中を撫で続けた。
 一定のリズムで。
 眠りを誘うように、優しく。

 しばらくして、彼はポケットから鍵を取り出した。
 小さな金属音が、夜気の中で鈍く響く。

「……これ、僕の家の鍵です」

 智也が顔を上げる。

 「え?」

 「今日はこのまま帰らないで。
  僕、あと少しで上がります。……家で待っててください」

 涙の跡がまだ残る頬に、柔らかく指が触れる。

 「いいですね?」

 問いかけではなく、願いのように。
 智也は、震える声で頷いた。

 「……はい」

 海の手のひらから渡された鍵が、冷たく光る。
 歩きながら、手の中の鍵を何度も確かめる。
 その冷たさが、確かな現実を教えてくれる。
 振り返ると、店の白い灯りが遠く滲んで見えた。
 歩き出す足が、少しずつ軽くなる。

 彼の部屋には、まだあの夜の毛布があるだろうか。
 あの静けさの中で、今度は眠りではなく、言葉を交わせるだろうか。

 鍵を握りしめながら、智也は深く息を吸った。
 夜風が頬を撫で、涙の跡を乾かしていく。

 ――午前2時。

 灯りの下で交わされた告白は、
 夜の終わりと、新しい始まりを同時に照らしていた。
 
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