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最終話 お隣さんを好きすぎる
しおりを挟むカーテンの隙間から差し込む朝の光が、静かに部屋を満たしていく。
まだ半分夢の中にいる陽向は、柔らかな温もりを感じてもぞもぞと動いた。
すぐ隣で寝息を立てていた湊が、微かにまぶたを開く。
「……ん、湊……」
名前を呼ぶ声はかすれていて、甘さを含んでいる。
「おはよ、もう起きるか?」
そう声をかける前に、陽向が布団の中から腕を伸ばし、その胸にぎゅっと抱きついてきた。
「……すき……」
ぼそりと呟く声が耳元に落ちる。
湊の心臓が一瞬で跳ね上がった。
「……は?今なんて……」
返事はなく、陽向は湊の胸に顔を埋めたまま、心地よさそうに吐息をもらす。
「……ったく、寝ぼけてこれかよ……」
嬉しさと困惑が入り混じった声が漏れる。
腕を回しかけて、湊はふと我に返る。
(……いや、これ以上はやめておこう。俺が危ない)
「陽向、起きろ。朝飯食うぞ」
優しく肩を揺すると、陽向が眠たげに目を開ける。
「……ん~?なに?」
「……何じゃない、起きろ」
湊は小さくため息をつきながら、そっと布団から抜け出した。
(……覚えてないんだろうな、今の)
それでも、胸の奥にじんわりと温かさが残っている。
「朝食の準備してくるから、ちゃんと支度しろよ」
朝の光が差し込む中、湊は小さく笑ってキッチンへ向かった。
朝食を終えても、湊の頭の片隅にはあの寝起きの声が残っていた。
(……すき、って……破壊力すげぇな)
湊の耳に残る柔らかい響きはなかなか消えない。
(今日は何にも集中できそうにねえな)
気づけば長めのため息が漏れていた。
「どうしたの? 疲れてる?」
いつの間にか近くにいたのか、心配そうに覗き込まれ、距離が近い。
湊の視線と陽向の瞳がかち合う。
「……いや……」
珍しく視線を逸らす湊の態度に、陽向は首を傾げる。
その夜、シェアハウスのリビングからは他の住人佐伯と小早川の笑い声が微かに聞こえていた。
湊は自室の机で課題を広げていたが、隣の部屋の気配が気になって集中できない。
(あいつ、今何してんだろ)
軽くノックの音がして、ドアが少しだけ開く。
「……湊、起きてる?」
顔を覗かせた陽向は、パジャマ姿で、手にマグカップを持っていた。
「ココア作ったから、一緒に飲もうと思って」
マグカップを受け取り、二人でベッドの端に腰を下ろす。
他の住人たちがまだリビングにいるせいか、自然と声は小さくなった。
「……へへ」
陽向がにへっと笑い、少しだけ湊の肩に寄りかかる。
「どうした?」
「あのね、昨日みたいなの、幸せだなぁって思って」
「昨日?」
「……うん、あの、一緒に寝るの」
陽向のあまりの可愛さに湊は耐えきれず、マグカップをサイドテーブルに置くと、陽向の腰を引き寄せた。
「み、湊……?」
胸元に抱き込まれ、陽向はびっくりして見上げる。
「……はぁ~、本当にお前は」
落とすなよと低く落ちた声に、すぐ理解できない。
「……え?みなっ……」
言いかけた瞬間、唇が重なった。
深くはない、優しい気持ちのこもったキス。
離れたあと、湊は息を整えながら少し視線を逸らす。
「……悪いが、そろそろ限界だ」
目をまん丸にした陽向がかわいくて、我慢できないと再び唇を落とす。
「……っん、……はぁ」
息継ぎの仕方がわからないのか、苦しそうに喘ぐその小さな声に煽られて、湊は少し深いキスをした。
「……っん、ね、待……って」
「無理」
湊は陽向が今にも落としそうになっているマグカップをテーブルに置き、ベッドに陽向を押し倒す。
「陽向、かわいい」
何度も名前を呼び、頬に額に唇にキスを落としていく。
やっとキスが止んだときには酸欠とキャパオーバーで、陽向はふにゃふにゃになっていた。
翌朝、シェアハウスのキッチンはいつもより少し賑やかだった。
小早川がフライパンで目玉焼きを焼き、佐伯がパンを並べている。
陽向はその横でサラダを盛りつけながら、ぼんやりしていた。
(……昨日、湊と……キスしちゃった)
頬が自然と熱くなる。
思い出すだけで胸がいっぱいになるけど、その瞬間、ある事実が脳裏をよぎった。
(……あれ? そういえば、俺、……「好き」とか言ったっけ?)
抱きしめられるのも、隣で笑い合うのも、嬉しくて、幸せで言葉にしたことはなかった。
(……湊は、どう思ってるんだろ)
「陽向、皿持ってってくれ」
声に顔を上げると、湊が立っていた。
目が合った瞬間、昨日の感触がよみがえり、陽向は慌てて皿を受け取る。
「……あ、うん」
(……湊はいつもと変わらないなぁ)
そんな姿を横目で見ながら、陽向は余計に胸がざわついた。
もし自分がちゃんと気持ちを言ったら、湊はどんな顔をするんだろう。
喜んでくれるだろうか、それとも……
食事を終えて、自室に戻る途中。
湊の部屋の前で一瞬立ち止まる。
(……今、言えたらいいのに)
ノックしようと手を上げかけたが、そのまま下ろした。
扉の向こうからは、湊の低い声が微かに聞こえる。電話だろうか。
陽向はそっとその場を離れ、自分の部屋に戻った。
胸の奥に、言えない言葉が静かに沈んでいく。
その日の夕方、シェアハウスのリビングはゆるい空気に包まれていた。
佐伯がソファに寝転びながらスマホでゲームをしていて、小早川はキッチンでアイスコーヒーを作っている。
湊はと言えば、佐伯と何か楽しそうに話していた。
「へぇ、それでバイトの新人が──」
湊の低い声に、佐伯が声を上げて笑う。
その光景を、キッチンの端から陽向はじっと見ていた。
(……楽しそう)
胸の奥がちくりとする。
別に、湊が誰と話してもいいはずなのに、笑顔を向けられる相手が自分じゃないことが、妙に引っかかった。
(……湊)
昨夜のキス、そして「好き」と言えていない事実。
それらが頭の中で混ざり、ますます気持ちがざわつく。
(このまま、もし誰かに湊を取られそうになったら……俺、どうしよう)
「陽向くん、どうした?コーヒー淹れたから、おいでよ」
小早川がこちらを見て手招きする。
慌てて笑顔を作り、「ううん、だいじょうぶ」と返事しながらソファの端に腰を下ろす。
湊をちらりと見ると、また胸がいっぱいになってしまう。
「……陽向?」
湊が不思議そうにこちらを見た。
「なんでもない……」
陽向は首を振り、言いかけた言葉を飲み込んだ。
この後、自室に戻っても、湊のことが頭から離れない。
(……ちゃんと言わなきゃ。)
小さく呟いた決意は、自分だけが聞いた。
夕方の陽向の様子が気になり、湊は様子見に行くかと、隣の部屋へ向かった。
「陽向?」
「あ……湊?」
「部屋来るか?」
ドアから陽向の不安そうな目が自分を見上げる。
湊は少し動揺している陽向の頭を撫で、腕を引っ張った。
陽向を部屋から連れ出し、自分の部屋へ向かう。
湊がベッドに腰を下ろし、陽向を見上げている。
「……陽向?」
低く落ち着いた湊の声が昨日を思い出させて、心臓が跳ねる。
(……言わなきゃ、何か言わないと)
そう思って、深呼吸をひとつ。
「……あ、あの、湊」
湊がわずかに首を傾げる。その優しい視線に、陽向は少しだけ目を伏せた。
「ん?」
「……す、好き」
言った瞬間、鼓動が耳の奥で大きく響いた。
短い沈黙のあと、湊の口元にゆっくり笑みが広がる。
「……やっと言った」
「えっ?……???」
「いや、お前なかなかだぞ?」
「な……! なんで……」
「昔から態度に出てたし。昨日は、寝ぼけて言ってた。正直、我慢するこっちの方がキツかったわ」
顔から火が出そうな陽向を見て、湊は楽しそうに笑った。
「でも……陽向がちゃんと自覚して、陽向の言葉で聞けて嬉しいよ」
その言葉と同時に、湊は陽向の手を引いて自分の膝の上に座らせた。
「これで、もう逃げられないな」
耳元で囁かれ、陽向は反射的に湊のシャツを掴んだ。
「……う~、逃げないもん」
その答えに、湊は満足げに微笑み、そっと唇を重ねた。
「お前は本当に可愛いよ」
優しくのに、なかなか離れないキスに必死に答える。
陽向はその温もりの中で、胸いっぱいに「好き」を感じていた。
「湊……なんか、眠くなってきた……」
「あぁ、今日もここで寝ればいい」
耳元に落ちる低い声と、頬に触れる優しいキス。
陽向はとろとろとまぶたを閉じながら、胸いっぱいに満たされた。
(へへ……こんな時間がずっと続くといいな)
「陽向」
「……ん」
「これからも、ずっと一緒だ」
その言葉に、眠気の中で笑みがこぼれる。
「うん……ずっと、一緒」
湊の体温が心地よく、眠りに落ちる陽向。遠くで、湊のおやすみが聞こえた。
冬の陽だまりのような温もりの中、二人の一日は静かに過ぎていった。
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